第57話 由緒あるお屋敷らしく、1日目無事終了?
「オレンジジュースでよろしかったでしょうか?」
「っ、ありがとうございます」
部屋にある冷蔵庫から取り出された飲み物がテーブルに置かれ、和葉さんはまるでそこが定位置であるかのようにルリトちゃんの背後で直立している。尋ねてみると、「基本的にはお嬢様の身の回りのお世話、そして警護に務めております。お気になさらずとも構いませんわ」ということらしいので、僕は少し戸惑いつつもルリトちゃんと話し始めた。
「えっと、ルリトちゃんは来るのが僕だってこと、知ってたんだね」
「はい。正確に言うと、真衛さんのことは初めて出会う前から知らされていたんです。見ず知らずの男性に自分から話しかけるなんて、わたしにはとてもとても……」
やはり出会った時に僕を助けてくれたのは、親切心という言葉だけでは片づけられない理由があったらしい。
「あの時のお礼、まだちゃんと言えてなかったと思う。その、ありがとう、助けてもらって……」
「い、いえ、そんなこと……」
こそばゆい雰囲気のせいで、たぶんお互い次の言葉を言い出しづらくなった空気を、和葉さんの小さな咳払いが破ってくれた。そう、ここへ来た目的に関したことを切り出さなくてはいけない。そのための準備が、既にテーブルへ用意されているのだから。
「え、えっと、勉強始めよっか。苦手な教科とかあるの?」
「っ……? そ、そうですね、えっと、その……特に、思い当たりません……」
「えっ……?」
和葉さんの方を向いても、首を横に振る返答が返ってくるだけ。
「あ、その、しいて言えば数学が……」
ルリトちゃんがそう言うので数学から取り掛かったわけだけど、どうやら本当に『強いて』言っただけらしく、複数出した問題もケアレスミス以外はほぼ完璧な回答。むしろたまに僕の方がおずおずとミスを指摘されるくらいだった。僕のことを前から知らされていたみたいだけど、もしかして僕の得意な科目を気を遣って言ったくれただけなのではないだろうか……。復習部分は全く問題ないので仕方なく一年年上という武器を使おうとすると、和葉さんから予習は必要ないと言われる。
「………………」
ゆずはさん達を教え始めた時も思いかけたことだけど、ゆずはさん達は苦手分野があったから僕でも教えられていたのだ。しかし今の状況、僕の必要性。そんな気持ちを抱えながらもう一度和葉さんに視線を向けると、
「続けてください」
という一言だけが返ってきた。不安になりつつも別の教科を試してみる。国語、僕は再び和葉さんに視線を向ける。
「続けてください」
理科。視線を向ける。
「続けてください」
社会。
「続けてください」
どちらかといえば苦手な英語。
「続けてください……くすっ」
笑われた。今確かに笑われた。ルリトちゃんもどことなく気まずそうな表情をしているし、僕の目も潤んできそうな気がしてきたそんな時、
「そろそろノートを閉じましょうか」
僕はようやく今の気持ちを言葉にした。
「あの……これ僕が教える必要って」
「ありましたよ? とても良い余興でした」
「余興!?」
「あら、箕崎様の学力を必要としていないこと、自覚しているかと思いましたのに」
「で、ですよね……」
確かに平凡だとわかっているけれど、改めて他人の口から言われるとちょっぴり傷つく。
「あ、あの、この後良かったら迷わないように家の中、ある程度紹介しますけど……」
苦笑いしながら別の話題を出してくれたルリトちゃんの申し出はありがたかった。このものすごく広い豪邸、僕はトイレの場所も把握していないのだ。一度道を聞いただけで向かったら迷ってしまうかもしれない。それほどの広さなのである。トイレへ行く度に和葉さんから連れて行ってもらうのは、正直遠慮したい。
「お嬢様にお付き合いお願いします。それが済みましたら、今日のスケジュールは終了です。お帰りの際も、ご案内させて頂きます」
〇 〇 〇
「それにしても、随分若い人が多いんだね……」
ルリトちゃんに道案内をされつつすれ違うメイドさん達を見ながら僕は呟く。若い人ばかりというならまだわかるけど、中には僕と同じくらいや僕より年下に見えるようなメイドさんまでいた。果たしてみんな働ける年齢だというのだろうか。まあ、僕の目の前にすごく小さな14歳くらいの女の子がいるのだから、ありえないという訳ではないのだろうけど……。
「わたしもメイドさん達の仕組みを把握している訳ではないのでなんとも……」
何も言わず僕達の後ろを歩く和葉さんを振り向いてみたのだが、和葉さんが口を開くことは無かった。しばらく歩くとルリトちゃんが立ち止まる。
「トイレはここを使ってください。来客用が別にあるんですけど、わたしの部屋からでは遠いので……」
扉の先には手を洗う洗面台と仕切りで分けられたいくつかの個室、個室だけだ。当然壁などの素材は素人目に見ても良さそうだけれど、僕が見慣れている長方形に近いものは存在しない。住んでいる家の中なので共用ということなのだろうが、その見た目はどう考えても女性用だった。
「…………」
「ま、まあ、使いにくさはその……どうにか、慣れてください」
苦笑いのルリトちゃんに同じく苦笑いのままなんとか頷くことが出来た僕。他にもいろいろな場所を紹介される。シアタールーム、トレーニングルームなどなど。特にパーティールームの広さには驚かされた。そして最後になりますと紹介されたのは、奥の方にある大きめの部屋。たくさんのテーブルとそれを囲むように並べられた椅子にメイドさんが何人か座っている。
「ここはメイドさん達が使用する食堂です」
今日初めて顔を合わせたのだろう。僕達に気付いたメイドさん達がルリトちゃんに対して口々に挨拶の言葉が発せられた。
「こんにちはお嬢様っ!」
「こんにちはルリトお嬢様っ」
「こんにちはルリト様……」
メイドさん達は僕にも会釈をくれ、ルリトちゃんへ親しげに話しかける。
「お嬢様の隣に男の人なんて見たことないですよ? 怪しいですね」
「特別な人なんですか?」
「羨ましいです……」
「ちっ違いますっ、そういう関係では……」
メイドさん達に迫られ戸惑っているルリトちゃんを見ながら、僕は今まで無言を貫いていた和葉さんへ呟くように声をかけてみた。おそらく僕達の邪魔をしないように何も話さないでいてくれるのだろうから、問いかければ答えが返ってくるはずだ。
「ルリトちゃん、メイドさん達ととっても仲良しみたいですね」
「はい。メイド達の士気には、お嬢様の人となりもそれなりに影響しておられるかと……」
初日が終わりかけている今実感する。勉強に関してはいまいちだったけど、ルリトちゃん、和葉さん、メイドさん達。問題と思える部分はどこにもない。トラブルメーカーの円香さんだっていないのだ。きっとここにいる間は、平和な日々が過ごせる。そう思いながら、僕は目の前の微笑ましい光景を眺めていた――。
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