出会いは必然に傾きつつある
第55話 きっかけは社長の真摯な依頼
こことは、もう縁遠くなってしまうのかと少し寂しく感じていた場所、そこに今僕は立っている。同じようにもうかかってこないと思っていた人からの電話連絡によって呼び出されたのだ。要件は直接会ったときに話すと言っていたけれど、既に部外者となってしまった僕への新たな用事とはいったい何なのだろう。その人の印象を加味してもなお少し厳かめな雰囲気が漂うこの場所で、僕は無言のまま呼び出した人である山口さんを待っていた。
「久しぶりと声をかけるべきかな、真衛君」
「山口さん……」
聞こえてきた言葉によって、ここの雰囲気に影響されていた僕の緊張もいくらか解けたと思う。
「ここには何度か来てもらっているのに、その様子だとまだここの雰囲気に慣れきっていないようだね」
「場所が場所ということもありますけど、僕はもう部外者ですから……。正直、連絡が来ることも無いと思っていました」
「おや、元気でいるかくらいの連絡はたびたびしようと思っていたんだけど、迷惑だったかい?」
「っ、い、いえ、そんな……」
「あははっ、ごめんごめん。つい弄りたくなってしまう彼女の気持ち、わからないでもないな」
「……?」
「いや、こちらの話さ。要件の話に移ろう。といっても、この話は社長自ら君に話したいそうだから、社長室に来てもらえないかな?」
「は、はい……」
「ありがとう。案内するよ」
そう言って背を向けた山口さんは、そのまま僕の前を歩きだした。
〇 〇 〇
今回は山口さんに会社へ呼び出された形だけど、僕自身にも山口さんに訊いておきたいことがある。ただ、それを訊くためだけに忙しい山口さんとコンタクトは取れないなと考えていた。丁度良い機会でもあるし、そろそろ何も話さず歩き続ける空気にも耐えられなくなってきていたので、話を切り出す僕。
「あ、あの……リシアちゃんはどうしてますか?」
「ん? ふむ、そろそろ僕からも君達の関係が良好なまま続いているのかくらいの会話を投げかけようとしていた所だったよ。リシアちゃんは君が辞めた頃一時的に顔を出さない時期があったけど、最近はまたここに来てくれるようになってね。前ほどの刺々しさもなくなっているんだ。君が何か関係しているのかい?」
「そ、そうですか。えっと、そのせいかどうかはわかりませんけど、まあ、話すと長くなることが色々……。ゆずはさん達とは、今も変わりなく過ごさせてもらっています」
とりあえず、僕とリシアちゃんとの間で起こった出来事が悪い方向へ作用していないことにほっと胸をなでおろした。
「そうか。ひとつ屋根の下で暮らすと大変なこともあるだろうと心配していたんだよ」
「えっ? どうしてそのことを……」
「この立場にいると色々な人から話が聞ける、とだけ言っておこうかな。さあ、社長室はこの扉を開けた先だ」
目の前には格式高い両開きの扉。山口さんが扉をノックする。
「失礼します社長、真衛君をお連れしました」
扉を挟んだ向こう側から了承の声が聞こえ、扉を開けた山口さん。
「し、失礼します……」
その部屋でまず目に入ったのは、扉と雰囲気を同じくする高級そうな正面のデスク、椅子、そしてそこに座る後ろ姿の男性。デスクに隠れて男性の下半身は僕の視界に映らない。その後僕に周りを見渡す余裕が出来たのだけど、高級そうなのはその二つだけで、他の物は煌びやかな装飾がつけられているわけでもない、案外普通な内装だった。
男性はくるりと椅子を回転させると、僕と目を合わせ、ゆっくりと話し始めた。
「ようこそ真衛君。わざわざ来てもらってすまないね」
「い、いえ……」
「おや、表情が硬いね。前にも言ったが、もっと肩の力を抜いてくれていいんだよ?」
「で、でも、山口さんよりさらに上の立場の人にそんなこと……」
「地位など気にしないでくれて構わないよ。形式上は立場というものを使っているが、尊敬というものは相手が本心から感じてくれなければ意味のないものと思っている。言葉に真意は表れないし、上辺だけの尊敬など――まあ悪い気はしないが、虚しいものだよ。君にとって私は、ただのおじさんだ。ちなみに椅子を回転させて君の方を向いたのは故意で普段はそんなことをしないのだが、その方が社長っぽく見えなかったかい?」
「ふふっ……」
森下社長の言葉に、思わず笑みがこぼれてしまう。
「少しは、緊張を解いてくれたかな?」
「はい、ありがとうございます」
「よろしい。では早速だが本題に入ろう。君も私の長々とした仰々しい世間話など聞きたくないだろうからね。単刀直入に言えば、君にもう一度先生を頼みたいんだ」
「えっ……?」
僕の発した疑問符も当然といった様子で森下社長は話し続ける。
「わかっている。辞めた時に言ってくれた君の気持ちも十分承知だ。それを理解したうえで頼んでいるんだよ。何もずっと続けてほしいと言っている訳じゃない。今回の生徒だけだ。春休みも終わっているだろうから、日程は休日に何日か。そしてそろそろ長めの休みが来るから、その日も含めた夏までの期間辺りを考えている。送迎も生徒の家で任せてほしいと言ってくれているし、今回は仮雇用体験ではなく正式な依頼として見合った報酬も出そう。詳しい情報は後日。予定等の事情があればある程度対応するつもりでいる。詳細な情報はまだだし私達はそのつもりがないのだが、君にとってこの状況は断り辛いという部分があるかもしれない。故に今は乗り気かどうか程度の返答で構わない。どうか私達の最後の頼みだと思って、首を縦に振ってくれないだろうか……」
もしこのままずっと続ける内容であれば、流石にゆずはさん達やリシアちゃんのことが気にかかり断っていたと思うけど、森下社長と山口さん、お世話になったこの二人から最後のお願いとなれば、無碍にすることなど出来なかった。それに、先生を仮雇用体験の時点で辞めてしまったという負い目もある。そんな僕の気持ちに、断る方を選ぶ気持ちが上回ることはなかった。
「そ、そんな……えっと、その、はい、お受けします」
「おおそうか、良かった。とりあえず安心したよ」
森下社長の安堵した表情と共に隣から山口さんも近づいてきた。
「僕の方からもお礼を言わせてもらうよ真衛君。本当にありがとう。それにしても社長、こんな大掛かりな頼み方をしなくても、彼なら快く引き受けてくれていたのではないですか?」
「いや、私からの気持ちも直接彼に伝えておきたかったのだ。彼のここを辞めた気持ちを知っていたという側面もあるし、備えあればということもある。至らずに後悔することはあるが、成功した結果にやりすぎというたらればは意味が無いのだよ、山口君」
「あ、あの……お願いということで受けますから、報酬の方は別に……。そういう目的で来たわけでもないですし……」
「っ、はははっ、それはゆずれないよ真衛君。仮雇用体験の時は君の様子を伺うという面があったかもしれないが、今回は君を見込んで頼んでいるんだ。すまないがその要求は、拒否させてほしい。それじゃあ、よろしく頼むよ」
要件を終えて僕と山口さんが社長室を出た後、山口さんが歩きながら再び口を開く。
「まったく社長は……まあ、僕はその部分も気に入って、社長の下にいる訳だけどね。詳しい日程は後で渡すよ。予定のすり合わせなどで何度か連絡も取るかもしれないが、大丈夫かな」
「は、はい」
僕は微笑みと共にそう返し、山口さんの後をついていった――。
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