第50話 隔てるものなどなにもない

 このみちゃんの涙が乾く時間になってもゆずはさん達は戻ってこない。円香さんもまだだから、話題もない故にだんだんと間が続かず、今はこのみちゃんに背中を向けて座る僕の中に独特の恥ずかしさがこみ上げてくる。後ろを何度か振り向くと、同じく背中を向けているこのみちゃんも静かなこの状態でどうしていいかわからず、とぎまぎしながら時々こちらを確認しているようだった。当然目が合ったりもするけれど、どちらかが視線に耐えられずそらしてしまう。

「あ、あの、このみちゃん?」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 背中を向けたまま話しかけたせいなのか、驚くこのみちゃんの裏返った声が僕に届いてきた。

「えっ、あっ、ごっ、ごめん真衛君。ええっと……何?」

「えっ、ええっと、その、なんていうか……ゆずはさん達、遅いね……?」

「うん……でも、それはきっと――」

「えっ?」

「なっ、なんでもないっ!」

 頷く声以外は小さくて上手く聞き取れなかった。少しの時間疑問に思っていると、このみちゃんが不意に口を開く。

「え、えと……昨日、私の部屋の前で話した時、最後に突き放しちゃって、ごめんね……? その、落ち着いてきたら涙の混じった声で話し続けるのが恥ずかしくなったっていうか、真衛君の言葉や私の心の中を整理したかったっていうか……」

「そ、そうなんだ……てっきり僕は、あの扉のような壁がこのみちゃんとの間にまだ残ってるのかと不安で……」

「っ、ま、まあでも、私は一応脱衣所で恥ずかしい姿見られてるんだし、少しは不安になってもらわないと。私はそんなに、優等生じゃないから」

 明るさを取り戻しつつあるこのみちゃんの声に対して苦笑いを浮かべる僕。

「……あの時と、同じだね」

「……うん」

 ――あの時と同じ格好、あの時と同じ距離。だけど現在いま、僕たちの間を隔てる心の壁とびらは存在しない。僕が頷いた後少しの間何も話さない時間が訪れたけど、さっきと違ってとても心地良い沈黙だったと思う。このみちゃんが僕の前にやってくると、自然に顔を近づけてきた。

「っっ……ど、どうしたの? このみちゃん……」

「真衛君、自分との間に壁が残ってるんじゃないかって思ってても、姉さんや真実と同じくらい私を助けようとしてくれたんだ……」

「えっ、い、いやでも……すぐに負けて、かっこ悪くて……」

 結局僕はこのみちゃん達に助けられてしまった。先生なのに生徒に助けられるなんて、情けない事この上無い。

「ううん、真衛君は最後まで私達を助けるために、必死になってくれた。自分の逃げる体力なんか考えずに、枷を外してくれた。だから、私達は勝てたんだよ」

 このみちゃんは一度呼吸をおいてから、再び。

「そして真衛君の行動や気持ちは、私の心に巻きついていた鎖まで、外してくれた……」

 このみちゃんの近づいた顔。恥ずかしさと焦りを必死に隠そうとしている僕が今の口で言える言葉は本当に、照れ隠し以外のなにものでもなくて――。

「そ、それは、何もしないままでいるなんて出来なかったから……。それに、やっぱり先生は、生徒を守らないと……」

「っ……そっか、そうだよね……」

 少し、寂しげな顔を見せたこのみちゃん。

「でも、真衛君にとって私って、ただの生徒? 真衛君は先生の責任を果たすためだけに、私を助けてくれたの?」

「っ……」

 動揺する僕に、このみちゃんは言葉を続けていく。

「私と真衛君の繋がりって、ほんとに、先生と生徒の関係だけ? 真衛君が先生辞めたり、私が生徒辞めちゃったら、それで、終わり……?」

「…………」

「守ってくれたのにこんなこと言うのもずうずうしいかもしれないけど……真衛君がこれからもずっと――ずっと私に関わってくれたら嬉しいな……」

「っっっ……」

 このみちゃんが僕を見つめている。その瞳は月明かりに照らされているからなのか、アクアマリンのように輝いて見えた。僕の気のせいかもしれないけど、頬もほんのり赤い。

「こ、このみちゃん……」

「真衛君……」

 このみちゃんの瞳から目が離せない。今見える景色の中で、このみちゃんの瞳が一番見ていたいもの。僕達はしばらくの間見つめ合って――――。

「な~にしてるのかなぁ、二人ともぉ」

「っ……」

「っ……」

 一瞬僕もこのみちゃんも、完全に不意をつかれた。

「きゃあっ!」

「っっ!」

 僕とこのみちゃんの間に、真実がひょっこり現れる。僕達は真っ赤な顔のまま、ほぼ無意識に急速なスピードで離れた。

「ふ――ん、ぼく達が仲直りさせてあげようとして出て行ったのに、二人っきりになったらそんな事するんだぁ~」

「っ、それは……別に、私は……何かしようとしてた訳じゃ……」

「そっ、そうそう、深読みしすぎだよ真実……」

「ふ――――――ん、怪しいなぁ~」

 半目で僕達を見る真実。そこにゆずはさんと円香さんもやってくる。

「私と真実さんは倉庫から出た後、戻ってきた円香さんに事情を話してずっと二人の様子を伺っていました。関係が修復できたようなので出て行こうとしたら、その……お二人が、入り込めない雰囲気を作ってしまったので、出るに出られなくなってしまいまして……」

「ふふふっ、箕崎君、このみちゃんをどうしてたのかなあ~。先生と生徒以上の禁断関係は、私あんまりお勧めしないなあ~」

 円香さんの言葉によって、このみちゃんは真っ赤な顔の温度をさらに上昇させたらしい。

 僕も赤くなる顔を少しでも冷静に装った。

「かっ、からかわないでください円香さん。僕は、その……不安そうにしている生徒を、先生として、慰めようとしていただけで……」

「え~? 言い訳する所がますます怪しいけど、まっ、そういう事にしておいてあげようかな」

 円香さんが話を打ち切ってくれたので、僕とこのみちゃんは、ほっと胸をなでおろす。

(でも、このみちゃんはいったいどういう意味で、あんな事言ってくれたんだろう……?)

 僕がこのみちゃんにちらりと視線を向けると、このみちゃんは僕の視線に気付き、普通に戻りかけていた顔の赤さを再び赤くして、ぷいっと視線をそらしてしまった。

「にゃ~ん……」

 さっきからずっといたらしい子猫が、ようやく一声鳴いた。


           ◇ ◇ ◇


(マモルさんとコノミさんの問題も無事解決したみたいで良かったです。リリムももう少し時間があればコノミさんにしっかりと謝れたのですけど、やっぱりコノミさん、理解していないようなのです~。まあ、いずれ回復すれば時が来た時にでもその機会が訪れるはずなのです。

 今はこの姿でしかいられませんが、リリムはいつでも、マモルさん達の事を見守っているのです。そして、最後に感謝することもあるのです――ラブコメ イズ ジャスティスッ!! マモルさんコノミさん、ごちそうさまですっ!!)

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