向けられた意思を受け止めるために
第37話 闇少女が抱える漆黒
気弱そうなあいつに冷たい言葉を突きつけた日、私は自分の部屋で高級なソファに腰を下ろしながらゆっくりと紅茶に口をつける。そして、再びゆっくりと、カップをテーブルの上に乗せた。テーブルの上のカップを乗せる小皿が、カチャリと音をたてる。
「…………」
両親と一緒に暮らすのはもう耐えられなかった。二人はもう私が何も生み出さないから、仕事にばかり構って私を大切にはしてくれなくなったのだ。
自分の部屋を見渡す。アンティークな雰囲気をかもし出すこの部屋が、私のお気に入り。配色は大部分が赤と黒。金色のシャンデリアも、光があまり差し込まないこの部屋では、その輝きを誇示しない。いや、差し込まないのではなく、差し込ませていないのだ。唯一入り口の向かいにある窓をクリーム色のカーテンで締め切り、友好的に光を送ってくる太陽に、絶縁状を叩きつけているのだから。
憤った感情が落ちついてから考えてみれば至極当然のこと。私はあいつと違って、誰かに期待されるような能力は持ってない。学校にも行ってないから頭だって良くない。自分で言うのもあれだけど、性格だって、決して人に好意を持ってもらえるタイプではないだろう。私が人のために出来ることと言えば、いつも仕事場でしている雑用くらいなものである。身体が不自由でなければ誰でも出来ること。健康な身体なのに、それだけしか出来ない。
「期待してる――か……」
これまでは雑用しながら顔を合わせる人達との年齢差が大きくて、社長やヘタレ青年も私に優しかったから、何とかやってこれた。ああ、この人達は大人なんだからって思って、惨めな自分を納得させてきた。でも、あいつがこのまま仕事場に顔を出すことが多くなったら、私はもっと惨めになる。私は、あいつと比べられることが――怖い。
「いや……いや……」
私とあいつを比べて、みんな言うのだろう。口には出さない人も、心の中で思うのだろう。箕崎真衛は素直で優秀で、それに比べて私はとっ!
「いやああああっ!」
部屋中に響き渡った自分の悲鳴が共鳴するのを聞きながら、私は顔を上げた。私がようやく自分の殻を少し破って手に入れた居場所をあいつは奪い、私を再び殻の中に押し戻そうとする。込み上げてくるのは、言い訳のしようもない憎悪。私は箕崎真衛が憎い――。
「あいつなんて、あいつなんて……」
あいつなんて、いなくなってしまえばいい!
「お嬢様……」
「っ……セリア」
部屋の扉が開いた音を聞き、慌ててこぼれ落ちそうになった涙をぬぐう。入り口の扉を開けた一人の女性。名前はセリア。彼女はこの屋敷のたった一人のメイドであり、信頼できる存在である。私はもう一度カップに口をつけ、紅茶を飲み干してから、再び小皿に置き、紅茶によって潤った喉から声を出す。
「良い趣味とは言えないわね。扉を挟んで、聞いていたんでしょ?」
「っ……申し訳ありません。どうしても、気になったものですから」
「ふう……まあいいわ。紅茶、下げてくれる?」
「はい」
主とメイドの会話、それ自体はいつも通り。
「――ねえ……」
「? 何でしょうか、お嬢様」
だけどそれは、扉を開けて出て行こうとしたセリアに、私が話しかけるまでだった。
「あなたも、心の中では私を馬鹿にしてるんじゃないの?」
「っ!?」
カップが割れる音が響き渡った。普段冷静で物静かなセリアも、この時ばかりは動揺、そして驚愕の表情を隠せなかったみたいだ。果たしてそれは私がいきなり突拍子の無いことを言ったから単純に驚いただけなのか、それとも図星をつかれたからなのか、私にはわからない。
「な、何を……そのようなことは……」
「……まあ、そう言うでしょうね。仕えている人の娘に、悪いことは言えないわよね」
「ち、違います! 私は本当に……」
「いいわ、少し疑心暗鬼だった、反省してる」
「お嬢様……」
セリアはカップの大きな欠片を拾い終わると、出て行こうとして少し開けた扉を閉めなおし、一人用の小さな丸テーブルに持っていたお盆と割れた欠片を置く。
「失礼ですが、何かあったのですか? 今のお嬢様はとても暗い表情をなさっております」
「いいのよ。話したらどうせあなたも私を責めるに決まってる」
「いいえ、
私に頭を下げ、姫に仕える騎士のような座り方をしたセリア。
「セリア……」
セリア。私が両親のもとを離れても、ずっと一緒にいてくれた、唯一の存在――。
「私がこれから話すことは、全部私の身勝手なのよ……?」
「それがお嬢様に涙を流させるのならば、私はその涙を止めるために動きます」
「…………わかったわ」
私はセリアに会社での出来事を全て話した。
「……そうですか、そのようなことが」
淡々と話しを聞くセリアに、私は達観したような言葉でこの話を閉めようとする。
「まあ、私みたいな落ちこぼれには、羨ましい限りな秀才君。期待を受けるのは当然よね。以上、みじめなお嬢様からの愚痴でした、ふう……少しだけど、気が楽になったわ。言う意味の無い話を聞いてくれてありが――」
「本当にそれでよろしいのですか?」
「っ…………えっ?」
私が他愛もない愚痴として吐き捨てようとしたそれを、セリアが言葉をかぶせて止めさせた。
「その方にお嬢様の悲しみと叫びを聞いてもらう気は無いのですか、と訊いているのです」
「ど、どういう意味……?」
私自身がセリアの言葉に戸惑っていたからだろうか。セリアの目が、冷たく、鋭い氷のように見えた。
「このまま何もしなければその男はつけあがり、お嬢様を見下すようになるかもしれません。彼がお嬢様に対してどんな反応を示すか、どんな行動をとるのか、彼の心の内を見極めることも出来るでしょう。時と場合によりますが今回はその確認をとることが可能かと。勿論、出来る限りお嬢様に害が及ばないよう尽力を尽くします。決断を下すのはお嬢様、私はそれに従うだけです」
箕崎真衛への負の感情。私はこの感情を、表に出してもかまわない――?
……かまうもんか。両親に実力を見捨てられて、学校にも行っていない私が、ようやくもがいて手に入れたこの居場所を奪われたら、私自身に何が残る。何? 何かあるの? 何も、無い――。
「……セリア、準備を」
「はい……」
セリアが出て行く時の扉が閉まる音を最後に、部屋の中には無言と沈黙の時が流れた。
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