第33話 僕達だけであがいてみる
当たらないでほしかった僕の予想は的中し、その日から、僕はこのみちゃんと顔を合わせることが無くなった。ゆずはさんと真実の話によると、普段はいつも通りなのだが僕が水島家に来るときだけ、部屋に引きこもってしまうらしい。それからというもの、ゆずはさん達との勉強を終えた僕は、重い足を引きずりながら心荘に帰ってくるのが常となってしまっている。勉強自体も僕達の心の中が当然それどころではなかったので、ほとんど形式的なものに近くなっているような気がした。
「おやすみ、箕崎君。本当に具合悪くないの?」
「はい、心配してくれてありがとうございます」
今僕の目の前にいる円香さんに相談するという手もある。だけどこれは完全に僕が原因で起きている問題だ。もちろん円香さんなら喜んで協力し、もしかしたらアドバイスをくれるかもしれないけれど、そこまで円香さんに頼りっぱなしなのはさすがに引け目を感じずにはいられない。当然円香さんに筒抜けだった気分の落ち込み具合も、何とか誤魔化した。
「それじゃ、また明日ね」
円香さんはそう言って、パタンとドアを閉める。
さてと、確かに円香さんに頼らないという少々大人びたプライドを持ったりしてはみた。けれどだからと言って、僕に今の問題を容易に解決できるわけでもない。ただ単純に、解決までとは行かなくても、事態を少しでも好転させることが出来ると思う方法ならあるというだけなのだ。ただしその方法は、あまりにも効率が悪く、あまりにも簡単で、あまりにも問題を解決する作戦とは言えないようなものだけれど。
僕にはこんな方法しか思い付かなかったけど、それでもこのまま何もせず、黙っているよりはいいだろうと考え、明日から決行に踏み切るつもりなのだ。そして今日はその準備をしなければならない。
耳に聞こえてくるコール音。少し遅い時間だけど、大丈夫だろうか。
「もしもし……」
「もしもし、ゆずはさん……ですか? 夜遅くにすみません」
「いえ、大丈夫です。どうかしたんですか、こんな時間に。っ、もしかして、このみさんとの関係を元に戻す方法が……」
「いえ、残念ながらそれはまだ思いついていません。電話したのは、一応そのことに関係する話ですけど」
「そうですか……。実は私も、このみさんと仲直りできるきっかけになるのではないかということについて、電話をかけるか迷っていたんです」
「っ!」
受話器越しから聞こえてくるゆずはさんの言葉が、僕の頭の中で反芻する。
「あっ、ですが、私の考えが間違っているかも知れませんし、電話してきた真衛さんの方が役に立つ話だと思いますから、お先に……」
「……いえ、僕の話は本当にたいしたことないんです。先に電話をかけたのが恥ずかしくなるくらいに。このみちゃんと会って少ししか経っていない僕より、ずっと一緒に過ごしてきたゆずはさんの方が有意義な話だと思いますので、良ければ先にお願いします」
「そ、そうですか……。それでは失礼して、お話しさせていただきます」
ゆずはさんの話は、きっと僕の考えに影響するだろう。そう思いながら、僕はゆずはさんの言葉を待った。
「このみさん、自分自身があまり好きではないみたいなんです」
「コンプレックスって……ことですか?」
「はい。まだ母がこの家で暮らしていた時、母に一番懐いていたのは真実さんでした。しかし、悲しい時、辛かった時によく母に相談したりと、本当に一番母を頼っていたのは、このみさんだったんです。もちろん、母が単身赴任でここを離れるときに、一番影響を受けてしまったのも……」
「…………」
「ちょうどその頃はこのみさんも特に多感な時期で、母への相談事が増えていました。なのでこのみさんは、自分にうんざりした母が、自分のもとを離れたいのだと、疑心暗鬼になってしまって……母は何度も否定しましたが、その時のこのみさんには、届いていないように思えました。母がこの家から離れた後、このみさんは母への相談に電話を使うこともせず、悩みを自分一人の中に抱え込み、故に少しずつ、嫌なことへ向き合わなくなりました。しばらくの間学校に行かないこともあったくらいなんです。今は私達の友人や後輩達のおかげで、過去の出来事をあまり感じさせなくなっていますが、このみさんに私や真実さんも付き合っていたので、三人共成績が少し厳しくなってしまいました」
「それで、家庭教師を……」
「はい。本当は友人達に勉強を手伝ってもらっていて、少しずつ成績は回復していたんですが、母がとても良い人を見つけたからと……。このみさんに付き合ったことについても、私達は後悔していません。あの時間が無ければ、私達の今の関係は、出来ていなかったはずですから……」
ゆずはさんの気持ちに共感を覚えていたら、突然隣の部屋から何かが崩れ落ちる音がした。音からして落ちたものの重量は軽い。要するにさっき僕の部屋を訪ねた人が、ゲームか何かの積み上げた物を崩したのだ。
「あの……何かありましたか?」
「いえ、何でもないんです……」
ゆずはさんから聞いた、僕がここで家庭教師をやることになった経緯。色々思うところもあるけれど、今は苦笑いをしつつゆずはさんに続きを促す。
「現在の私達は普段の学生生活に戻りましたけれど、もしかするとこのみさんはまだ心に余裕を持ててはいなかったのかもしれません。そんな時に真衛さんと関わるようになって、外側には出さない気持ちの整理が上手くいかなかったのではないでしょうか……」
「…………」
「……これは私の推測です。本当のことはこのみさん自身にしかわかりません。ですが、このみさんの様子、さりげなく振った真衛さんの話題に対する反応から考えても、私にはこのみさんが真衛さんを嫌っているとは思えないんです。このみさんの本当の気持ちを知るためにも、このみさんに関わる機会を増やすことが、このみさんとの関係を直す良い方法なのではないかと思います」
「……………………」
「っ、あ、あの……何か、間違っていましたか……?」
話し終わっても僕の無言が続いたからか、ゆずはさんが不安そうな声でそう聞いてくる。もっとも僕は、そう言った意味で無言でいたわけではないのだけれど。ゆずはさんのおかげで、自分の考えにほんの少し希望が持てた。
「……ありがとうございます、ゆずはさん。ゆずはさんの言葉に、勇気をもらいました。実は僕も、このみちゃんと関わる機会を増やせば何かつかめるかもしれないっていうところまでは実行しようと思って、今回電話したんです。それで、このことを真実には……?」
「まだ話していませんし、あまり詳しいことも話さないつもりです。普段の真実さんがこのことを知っていると、このみさんが違和感に気づいてしまうかもしれませんから。真実さんには、後で怒られてしまうかも知れませんが」
真実には悪いけれど、少し口元がゆるんでしまった。気を取り直して、僕は決意を固めながら再び口を開く。
「わかりました。それじゃあ明日、よろしくお願いします」
「はい、お待ちしています」
今日も色々考えてしまって、気持ちよくぐっすりとは眠れない日。でも、この気持ちは嫌じゃない。僕の頬を不意に撫でた冷ための風が、僕自身を鼓舞しているかのように感じながら、僕は円香さん辺りが閉め忘れていたのであろう玄関側の窓をゆっくり閉じた――。
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