第22話 ひびの入った事情に少しは踏み込めただろうか
雅坂学園職員室。
「いくら忘れていたからと言って、思い出したらちゃんと取りに来て下さいね。毎年処分を任せる生徒は必ずいるのでもう慣れてしまいましたが、先生達を便利に使おうとしてはいけませんよ?」
学園の先生にちょっとした注意を添えられながら、問題集を返してもらっているこのみちゃんと真実。傍のいるゆずはさんと一緒にそれを見ていた僕は、このみちゃんや真実との話を一通り終えた先生から名前を呼ばれる。
「お話は聞いております。ご案内いたしますので、どうぞ」
僕は頷くと、その人の後に続いた。真実がゆずはさんやこのみちゃんと顔を見合わせ、代表としてさっきの騒動のことについて謝ろうとしてくれたけれど、先生がそれとは別の要件であると説明してくれた。僕も真実に心配しないでと言う意味を込めて頬笑みを返し、真実達と別れ職員室の奥へと進む。
途中で職員室を見回すと、先生達がそれぞれ働いていた。僕が見る限り全て女性の先生で、僕の学校でも女性の先生ばかりだから、(やっぱり女子校故にこういった学校もあるのかな、僕の学校だけ特別じゃないんだ)などと勝手な憶測を立てる。何人か目があった先生がいて、今回の騒動を起こした僕を良い印象で見ていないのではないかと歯を合わせたけれど、特別先生達からはそんな表情は読み取れなかった。むしろ表情を崩すくらいだったので、きっと呆れられてしまったのだろう。
「こちらです」
木製の扉を目の前にして、僕は意識をそちらに直す。
「失礼します、箕崎さんをお連れしました」
開いた扉の中に入ると、客室用のソファなのだろうか、そこに一人の女性が座っていた。年齢は二十代くらいに見える。清楚な佇まいと女性らしい足をそろえた座り方、そしてそれよりも僕の目を引くのが、女性の瞳と髪の色。どう見ても日本人には見えない。おとぎの国から出てきたようなとても綺麗な女性は僕達に気付くと、微笑みと同時に立ちあがり、口を開いた。
「ようこそ、箕崎さん。お待ちしておりました」
その口から発せられた言葉が日本語だったということに、僕はとりあえず安堵したのだった。
〇 〇 〇
そこはお嬢様学校故の特別感を感じさせない、いたって普通の来客室。特徴と言えば、部屋の一方面が全面ガラス張りになっていて、校庭を見渡せることだろうか。長方形の小型テーブルを挟んで二つの黒いソファが置かれていて、その他にめぼしいものは、今僕を案内してくれた先生が入れてくれている紅茶用の白い丸テーブルしかない。僕はソファに座るよう促され、女性と向かい合わせになるようにソファへと腰を下ろす。
「…………」
「………………」
女性は僕が座った後、すぐに話を始めなかった。僕が正面を見ると目が合ってしまうので、僕は視線をそらしながら、そろそろ女性が目線を動かしたかなと思って目線を女性に向けると、その視線に気づいた女性が視線を正面に戻し、また女性と眼が合う。その繰り返しが数回続き、女性の綺麗な顔を見つめ続けていられない僕はとぎまぎしながら、僕の方から言葉を切り出した。
「あの……えっと、この度は、学園をお騒がせして本当に申し訳……」
最後まで言い切る前に女性がくすりと笑う。
「ごめんなさい、戸惑うあなたが面白かったので。プレッシャーをかけようと思っていたわけではないのです。騒動のことは、むしろこちら側が原因の発端なのですから、もう気にしないで下さい。生徒達も変わらない日常に退屈していたようですし、良い刺激となったことでしょう。私からもこの場を借りて、謝罪させていただきます。むしろ、あなたがうちの生徒を助けてくれなかったら、どうなっていたことか……」
「は、はあ……良い刺激ですか。僕が言うのもなんですけど、もう少しこの学園の生徒と異性である僕が関わったことについて慎重で、何か言われるのかなって思ってました……合う約束をしていただけで、僕はこの学園と関係が深い訳でもありませんし……」
僕がそう言うと、女性はたった今紅茶を持ってきた先生に目を合わせ紅茶を受け取り一口飲んでから、微笑みと共に僕の問いに答えた。
「そうですね、今度から気をつけましょう。そのお言葉、肝に銘じておきますわ」
先生が僕の方にも紅茶を持ってきてくれたので、僕は軽く頭を下げる。
「ふふっ、あんまり固くならないでくださいな。聞いたところによりますと、あなたはあの子のことを知りたいと思ってここへ足を運んでくれたのでしょう?」
女性は顎を引き、そう言いながら目線だけで僕を見上げる。あの子というのはまず間違いなくリシアちゃんのことだろう。
「は、はい……彼女には、何か特別な事情があると聞いています……」
「そうですか……。どうやら詳しいことは何も聞いていないみたいなので、まずあの子の生い立ちから簡単に説明しましょう。――お願いします」
目線を向けられた先生は、ポケットから何か長方形の物を取り出した。そしてそれを僕と女性の間に置く。
それは写真だった。薄茶色の木で縁取られた、女の子の写真。女の子は写真の中で、何も悩むことなど無いような笑顔を見せている。それは僕が最近知った顔を、表情を変えて若干幼くしたようなものだった。
そして何より印象的なのは、その写真が入ったケースに大きな亀裂が入っていたこと。
「…………」
僕の気持ちを察したのか、女性は言葉を続ける。
「あの子から私への贈り物です。あの子の写真はこれだけで、他の写真はみんなあの子が処分してしまいました。「もうこんな私は存在しない」と――」
「っ……」
「これから私が説明することは、大体この写真とケースが表してくれています」
女性は立ちあがりガラス張りになった窓へと近づくと、そこに手をついて校庭を見降ろす。
「……あの子は、恵まれた環境に生まれたと思います。お金にも不自由せず、両親の愛情をたっぷり受けて育ってきたとも思います……いえ、ここは『きていた』、と言うべきでしょうか……」
「きていた……?」
「ちょうどこの学園にあの子が入ってから数年経った頃でしょうか。その頃の私はこの学園では無く、あなたが今通っている学校で働いていました。お仕事以外でもこの学園にはよく足を運んで、こちらの生徒達とも遊んだり、結構交流を深めていたんです。あの子も良く笑い、良く遊び、他の子と何ひとつ変わらなかったのでしょう……ですが、両親との関係がだんだん悪化していったのです。元々、あまり成績が優秀な子ではありませんでしたから……」
「両親がリシアちゃんを責めたってことですか……?」
「……まあ、細かな差異はありますが、結果的にはそういうことになりますね。ある日、あの子は専属のメイドと一緒に別荘へと籠り切り、友達も跳ね除け、両親には完全に心を閉ざしてしまいました。教育者としての私がこんなことを口にするのは本来慎まねばならないのかもしれませんが……」
女性はそこで言葉を途切れさせると、僕の方を向き、
「最低ですよ、彼女の両親は」
そう言い放つ。後ろにある夕日が、彼女の影を濃く映していた。
「っ…………」
隣にいた先生が悲痛な表情を隠せずにいる。女性が本来こんなことは言わないのだと、それだけで察することが出来た。
「彼らはそれ以上娘との関係を修復できず、自分達ではどうしようもないからと彼女を森下さんに押し付けました。森下さんと山口さん、そして会社の皆さんのおかげで、彼女も前よりは人に心を開くようになったと聞いております。生活に必要な程度の知識と教養も、彼らとメイドが教えているそうです」
女性は座っていた僕の向かいに戻ってきて、そこに腰かけ直そうとしながら再び口を開く。
「彼女のことは、大体お話ししました。私からは、彼女について具体的に何をどうして欲しいなどとは申しません。彼女のことを、どうかよろしくお願いします」
「……事情はわかりました。僕もリシアちゃんのこと、気にかけてみます。それと……もうしているかもしれませんし、お仕事のこともあると思いますから差し出がましいんですけど、えっと……あなたも、リシアちゃんに出来るだけ会いに行ってあげて下さい。森下社長や山口さん達以外に、リシアちゃんと仲良しだったあなたも、きっとリシアちゃんの癒しになると思いますから」
「っ……そうですね、機会があれば、是非……」
そしてゆっくりと深呼吸した女性は、最後に付け加える。
「そういえば、まだ私の名前を教えていませんでした」
さっきまでしていた真剣な顔とは違う笑顔と一緒に出された名刺には、『コハトリム・アミュクリス・ド・ラムルーン』と書かれていた。
「長いので皆さんには上三文字をとって『コハト』と呼ばれております。以後お見知りおきを」
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