第18話 学園逃走劇 引き金はやわらかさと彼女の言葉

 女の子の意図はすぐに判明する。何故女の子があんなことを言ったのか、何故新聞部の女の子達が僕を追いかけて来なかったのか。どちらも男性である僕をそのまま追いかけるのは不利と考えたのだろう。故に、手分けして僕を追い詰めることにしたのだ。そのせいで今僕は辺りを見回している女の子達から隠れながら移動している。しかし見つかるのは時間の問題、見覚えの無い女の子達も辺りを見回していたことを考えると、たぶんあのメイド部の部長さんが友達などに協力を仰いだのだろう。新聞部の人達を僕と出会ってすぐに呼ばなかったことから少なくてもあの時点までは本当に一人だったみたいだ。探し回る女の子達同士の妨害やいがみ合いが見えたり聞こえたりすることは無かったので、もう同じ目的を持つ者同士、仲間である可能性の方が高い。僕の味方といえば、この学園の広さくらいなものである。

「はあ……どうしようかな……」

 見事に手入れされた学園中心の広大な中庭、隅っこの整えられた草木の陰に身をひそめている僕は途方にくれながら、それでも何とか状況を打開しようと考えを巡らせるつもりである。

「あの……」

「!?」

 それが中断させられたのは、突然かけられた小さな声が原因だった。びくっと驚いた僕は即座に声のした方へと顔をあげて反応する。

 そこには小柄な少女がいた。小柄――というよりも、はっきり言ってかなり小さい。真実と同じくらい、いやそれよりもほんのちょっと小さいくらいの女の子だ。肩にかかるかかからないかくらいなボブカットの髪にベレー帽に似た学校指定のものであろう帽子を被っている。制服はゆずはさんが着ていたものとは違って白を基調としているけれど、初等部の子だろうか。

「え、えと……」

 僕を追いかけている人ならすぐにでも大きな声を出して他の子に知らせると思ったのだけど、僕が無言でいる中、弱々しく、おとなしい雰囲気の女の子はそのイメージを崩さない。むしろ相手のほうも戸惑っている様子なので、僕は少しずつ落ち着きを取り戻していくことが出来た。

「あ、あのぉ、現在学園内を逃走中の方……ですよね?」

 真実と違って、小さくてかわいらしい容姿の中にゆずはさんの上品さを持った女の子がクエスチョンマークと同時におずおずと聞いてくる。

「えっと、僕を追いかけてるんじゃ……? それとも、僕が会った人とは別の部活の人かな」

 少し前の影響で僕はこの学園の部活に少し過敏な反応を示していた。

「えっ? その、私は特に部活には入っていませんけど……」

「そ、そう。それなら、僕に何か用が? 僕を追いかけてるんじゃなければ……」

「あっ、その、お困りのご様子なので、何かお力になれればと思いまして……」

「えっ……?」

「あっ、いえ、ご迷惑であれば……」

「そ、そんなこと。ただ、あまりにも予想外だったものだから……」

「あ、あはは……」

 この状況下にある僕を初対面である学園の生徒が助けてくれるのは親切で片付けることに少し抵抗があるけれど、事実この子がそうなのかもしれないし、彼女の言葉は純粋に嬉しかった。

「ルリト~っ! そっちに誰かいた~?」

 呼ばれ方から察すると、彼女の名前はルリトと言うらしい。一人でここを脱出することはどの道難しいと思っていたし、首を横に振って呼びかけへの答えとするルリトちゃんは、より信用出来る要因の一つとして僕の目にも映っていた。


            〇 〇 〇


 「……大丈夫みたいです、進みましょう」

 協力してくれているルリトちゃんのお陰でかなりスムーズに行動出来ている僕は今、一階に続く職員室に一番近い階段を目視しながら二階で身を潜めている。ルリトちゃんの提案で、警戒が厳しい一階を切り抜けるのは難しいから人数的にもほぼ無警戒であろう最上階を使って迂回し、目的地へと近づこうという方法でここまで来ていて、途中に廊下で出会うまばらな生徒達も僕が身を隠している間にルリトちゃんが対処してくれた。急がば回れと言うけれど、放課後である今は時間経過によって目撃者である生徒も減っているし、校舎の広さを十分利用した作戦は成功していると思って良いだろう。ルリトちゃんが階段の下をのぞき込み終わると、僕のところへと戻ってくる。

「一階にはまだ生徒がたくさん残っているみたいですね。先生達に怪しまれてしまうので、職員室の近くにいることは出来ていないと思いますけど……」

「やっぱり僕が追いかけられる前に、うっかり目的地が職員室だって話しちゃったから……」

「正直わたしもここまでの人数が参加するとは……。それでしたら――」

「あ~あ、いったいどこに行ってしまったのやら……」

「っ!」

「っ!」

 僕とルリトちゃんが話している中突然聞こえてきた生徒の声。ぼくには聞き覚えがある、メイド部部長さんの声だ。

「私達の目を掻い潜ってこの学園を動き回れるとは思えないですのにね~」

 僕に質問をしてきた新聞部の人と会話している。正確に聞こえる二人の声に対して、階段をのぼってくる足音は二人だけではない。

「隠れてくださいっ、あまり騒ぎを大きくしない方が良いでしょうし、職員室までの道のりを突破するより、私が捜索を諦める方向に話を持っていくという形に変更しましょう」

「うんっ……」

 彼女達がここに来るまで時間がない、目の前にある教室の中に隠れるのが妥当だろう。とは言っても教室の中で隠れられる場所というとかなり限定される。教卓の中はいかんせん見つかる確率が高すぎる。それならば――

(やっぱり、ここしか……)


            〇 〇 〇


「もうこの学園内にはいないの――っ、ルリトっ」

「戻っていたのですか。そちらも成果は得られなかったようですわね」

「あはは……これだけ探してもいないとなると、さすがにもう学園内にはいないのではないでしょうか」

 女の子らしい声が少しずつ近づいてきて、僕が隠れている二年生の教室に生徒たちが入ってきた。ルリトちゃんと自然に話しているところを見ると、どうやら気づかれていないらしい。

 そして僕がどこに隠れているのかと言えば、教室の左後ろ、窓側の狭くて縦に細長い直方体空間、掃除用具入れの中だった。

「ふむ……そう考えた方が妥当ですわね。帰る予定の時間を大幅に過ぎてしまいましたし、うちのメイドが心配しているはずですもの」

「でも入り口や裏口には最低一人警備をしいてたんだけどなあ……」

「この広さですから、我々の隙をついたという可能性も無いとは言い切れないですわ。それにあの方は殿方なのですから、二階から飛び降りるくらいは容易にこなせるのかもしれませんし」

「そうですよ、もうその人のことは忘れましょう。いくら興味があるからといって、追いかけ回すなんて本来はその人に迷惑なんです」

「は~い」

「体の弱いルリトにも無理をさせてしまいましたものね」

「あっ、そっか。ごめんねルリト、身体大丈夫?」

「いえ。そんなに激しい運動をしなければ問題ありませんし、自分のペースを保っていましたから。心配してくれてありがとうございます。さあ、帰りましょう」

「ルリト……あ~んもうどうしてルリトはこんなにかわいいの~っ! ちっちゃくてほっぺがぷにぷにしてて、もう家に持ち帰りたいくらいだよ~っ!」

「よく通っている中庭でおしとやかさを兼ね備えながら花達と過ごすかわいらしいルリトは最高の絵になると、学園内で評判ですからね」

「去年は真実先輩と一緒に雅坂学園のマスコットを飾ってたんだけど、先輩が卒業しちゃったから、その分いっぱいぎゅ~ってしてあげる。ほら、だっこだっこ」

「ひゃわっ!だっ、抱きしめないでください~っ!」

「あっ、次私わたし」

「その次私にだっこさせて?」

「ふっ、ふえ~……」

 隙間から教室の中がある程度把握できる。ルリトちゃんがたくさんの女の子に抱きしめられている中、抱きしめ終わったメイド部部長さんは机から何かを探しているようだった。

「ルリト、こっちこっち」

 ルリトちゃんは呼びかけたメイド部部長さんがいるこちら側へと向かってくる。

「ほらほら、ちょっとこれ見てよ」

「?」

「ルリト、こういうのに耐性あるかなぁ?」

 ボンッ!

 ルリトちゃんが真っ赤になった。頭から煙が出ている。たった今ルリトちゃんが目撃したであろう本の中身は見えなかったけれど、その表紙からだいたいどういう内容かは察しがついた。

「あわ、あわわわ……」

「ふふふ、やっぱりルリトはこういうの、免疫無いんだね~」

「あ、あの、えっと、ええっと、その、そ、そういうものは、ちゅ、ちゅーがくせいがも、もってもいいものな、なんでしょうか……」

「ふふふふふ、さあ、どうだったかな~。ほら、こ~んなえっちなポーズも」

 ボボンッ!

「わっ、わわわあきゃきゅ~……」

「ぷっ、ルリトかわいい~」

「あんまりやりすぎたらルリトがかわいそうですわよ? パニック起こしてるじゃないですの。ルリトがそのようなものに免疫をもっているはずないの、知っててやるのですから」

「だってルリトの反応がおもしろいから、つい……」

「もう。まあ、気持ちはわからなくもないですけど。ところでその男性向け雑誌、わざわざルリトの反応を見るために買ったんですの?」

「まあね。さすがに女性向けじゃ、ルリトが気絶しちゃうから」

「あ、ああうう~……」

 ふらふらと後ろ向きでこちらの方にやってくるルリトちゃん。そしてその先にあるもの――それはこのクラスの誰かのものであろう学生鞄。

「きゃっ……」

「ルリト!?」

「ちょっ、ルリトっ!」

 和やかな雰囲気から一転。鞄に足をとられ、バランスを崩したルリトちゃんは仰向けに倒れていく。倒れる先は教室のため固い床だ。

「っ!」

 ルリトちゃんが鞄に足をとられる一瞬前からこの状況を予想していた僕は咄嗟に掃除用具箱を内側から開け放ち、外に出てルリトちゃんをしっかりと視界にとらえる。走っていっても間に合わない。一秒かからずそう判断して思いっきり手を伸ばし、ルリトちゃんと床の間に飛び込んだ。

「っっ!」

 腕に衝撃、でもそれは、ルリトちゃんを確かに受け止めた証拠だった。閉じていた目をゆっくり開けて、僕はそれを事実として確認する。

 ルリトちゃんは衝撃に耐えるために目を閉じているけど、特に怪我もないみたいだ。僕は一安心して、ようやく周りを見渡す余裕が出来て―。

「……」

 そこで全ての現状が僕の頭の中に戻ってきた。そう、僕は今、とてもじゃないけど掃除用具入れの中からは出られない状況だったのであって。

「…………」

「………………」

 ルリトちゃんの倒れた方向からさっきルリトちゃんと話していたであろう女の子二人も、一人は口を開いたまま、もう一人は口に両手を当てて硬直。

 そして自分の手の感触。背中にしてはやわらかすぎる。左手は確かにルリトちゃんの頭をしっかり支えていたけど、右手はしっかりと――。

「あ、あの……お尻からその……手を、放してもらえると……」

 僕を見つめ、弱々しく出されたルリトちゃんの声が、引き金となる。突如今までの声からは想像もつかないような悲鳴が、学園中に響き渡った――。

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