第13話 僕の危機を救ってくれたのはなぜだろう
「それにしても驚きました。まさか水島家以外で、またゆずはさんと会うなんて……」
「このみさん、真実さんと一緒にお買い物に来たんですけど、私だけ、少し疲れてしまって……。ですから、二人の好意に甘えさせてもらって、少しだけ休ませてもらっていたんです」
一番軽い僕の荷物を持ったゆずはさんがそう答える。何でも今は買い物が終わったとこのみちゃん達から連絡があったので、待ち合わせ場所に行く途中だとか。落ち着いた色と雰囲気なワンピースタイプの私服に、首から下がった2つの小さいリングがついたペンダントが光る。
「えっと、すみません、荷物持ってもらってしまって……。重くないですか?」
「大丈夫です。こちらこそ、こんな軽いものしか持てず、お役に立てなくて……」
しょんぼりと顔を俯けるゆずはさん。確かに一番軽い荷物だったけど、他の荷物はゆずはさんの細い腕には荷が重過ぎる重量だ。
それに、ただでさえ良いことをしてもらって、僕が文句を言うのもおこがましいのに、ゆずはさんは相手の十分な役に立っていないのではないかと意識して自分を責めている。さっき出会った時だって、自分が飲むはずだった清涼飲料水を、疲れている僕にそっと渡してくれた。そんなゆずはさんの優しさが、清涼飲料水以上に僕の心に染み渡らないはずがない。
「いいんです、ゆずはさんには今、十分助けてもらっています」
「で、ですけど……」
「それに、僕はそのゆずはさんの優しさだけで、疲れも和らぎますから」
「っ、真衛さん……」
ゆずはさんが少し頬を染めながら表す照れの混じる表情を見てからやっと気付く。僕は今、すごく自分に似合わないような言葉を口走ったのではないかと。疲れていたせいで判断力が鈍っていて、つい本音が出てしまったという言い訳をさせてほしい。
「あっ、その、えっと……」
なんとかフォローの言葉を入れようと僕が焦っていると、
「……ありがとう、ございます」
先にちゃんとした言葉を発したのは、ゆずはさんの方だった。
「真衛さんには、初めて会った時から感謝する事ばかりです。ハンカチを拾ってくださいましたし、勉強も教えてくださいましたし、それに……今の言葉も、とても心に残る、優しい言葉でした」
「ゆずはさん……」
「まだ会ってから少ししか日にちは過ぎていませんが、どうぞこれからも、よろしくお願いします。もちろん、このみさん、真実さんのことも……」
ゆずはさんはにっこり微笑む。はたしてこれは本当に僕が毎日使っている言葉と同じものなのだろうか。その時、僕は本気でそう思った。
「はい。僕からも、よろしくお願いします」
僕も微笑みを返す。すごく、心が和む雰囲気。
「あ~あ、さっきからず~っと私、蚊帳の外なんだけどな~」
しかし、そんな雰囲気に割って入ってきた言葉があった。
「まっ、円香さん……。えっと、僕は別に円香さんを蚊帳の外扱いしようとしているわけじゃ……」
「この状態が蚊帳の外扱いじゃないって言うのかな箕崎君は。おとなしい者同士で話しやすいんだろうけど、私の知らない女の子といちゃいちゃおしゃべりしちゃってさ。どうせ私が荷物持たなかった事、根に持ってるんでしょ~?」
「い、いや……考えすぎですよ円香さん」
ご機嫌なさっきとはうって変わってすごく不機嫌になってしまい、頬をちょっぴり膨らませながら僕に向かって文句を言ってくる円香さん。これは円香さんの機嫌を直さないと、夕食が無くなるという事態が起こりかねない。今日はコンビニで夕食を買っていないのだ。
「そ、そういえば確かに、円香さんには紹介がまだでしたね。こちらは水島ゆずはさん。ほら、前に僕が家庭教師をすることになったって話。その生徒さんですよ」
円香さんには事前にアルバイトの事を話していた。そうじゃないと毎日どこで何をしているのか、変な誤解を持たれてしまう。
「初めまして、水島ゆずはと申します」
ゆずはさんは僕と初めて会った時と同じ挨拶をしながら深々と頭を下げる。
「……ふ~ん、そうなんだ。私は小春日円香。箕崎君の住んでいるアパートの大家っていう立場かな。いつも箕崎君がお世話になってるよ」
円香さんはゆずはさんとは対照的にぺこんと子供っぽい頭の下げ方だった。それから円香さんは僕とゆずはさんをじっくりと見比べる。そしてゆずはさんの大きい胸を真正面から凝視。円香さん、いくら自分より大きいからって、あんまり褒められた行動じゃないですよ。ゆずはさん戸惑ってるじゃないですか――なんて僕が思っていると、円香さんはようやくゆずはさんの胸から目を離す。
「ほんと、箕崎君にはもったいないよ」
そう言いながら円香さんは僕に近づいて、そっと耳打ち。
「箕崎君、先生って立場にかこつけてゆずはちゃんに変な事、してるんじゃないの?」
「なっ、何言ってるんですか円香さんっ!」
同じく円香さんにしか聞こえないくらいの声で答えた僕。
「だってあんな純情そうな女の子、箕崎君が放っておく訳無いし。まったくぅ、いったいいつ喰べちゃう気なの?」
「変な想像しないで下さいっ! 僕が女の子とちょっと関わりを持つとすぐそういう事に結び付けるんですから。僕とゆずはさんはそんな関係じゃありません」
「ふ~ん……まあ、そういう事にしておいてあげよっかな」
僕達が話している中、ゆずはさんは話の内容が気になるのか、僕達を不思議そうに見つめていた。
〇 〇 〇
「あっ、ゆずはお姉ちゃん! お~い!」
しばらく歩き、突然そんな子供っぽい声が響く。見ると、真実とこのみちゃんが買い物袋を手に下げ待っていた。どうやら待ち合わせ場所に到着したらしい。ここは自動販売機があるだけの何気ない道なので、たぶんこの自動販売機を目印にしたんだと思う。
「あれ? お兄ちゃんも一緒だったんだ」
そんな事を言ってくる天真爛漫女の子とは違い、このみちゃんはぺこりと頭を下げるだけだった。
「うん、偶然出会って歩く方向も同じみたいだったから」
僕が真実と話していると、突然ぐいっと袖が引っ張られた。今度は円香さんの口元に耳を近づけられる。
「箕崎君、親しげに話してるけど、この女の子達は?」
そういえば、円香さんはこの二人とも面識が無い。僕は再び小さな声で円香さんに説明。
「えっ、えっと、一応、さっき話した僕の生徒ですけど……」
「っ! 生徒って、ゆずはちゃんだけじゃなかったの!?」
「は、はい、まあ……」
それを聞くと、円香さんは驚きの表情を一転させて泣き崩れる仕草をしながら、
「知らなかったよ、箕崎君って三人の女の子をはべらせて……」
「っ!? だっ、だからそういう考えは止めて下さいっ! 僕は家庭教師でゆずはさん達は生徒。生徒が何人いてもいいじゃないですか」
「何話してるの? お兄ちゃん」
僕達のやりとりを見ていた真実が、不思議そうに疑問を投げかける。
「あっ、い、いや、なんでもないよ」
「?」
真実は少しの間内容を気にしていたけど、やがてゆずはさんの持っている紙袋に気付くと、興味をそれに移した。
「あれ? ゆずはお姉ちゃんもどこかで買い物したの?」
「? いえ、私は何も……」
「だってほら、お兄ちゃんとおんなじ袋持ってるし」
「あっ、これは真衛さんの荷物です。真衛さんがたくさんの荷物を持っていて、とても疲れていたので、私が少し」
そうゆずはさんが答えた時、このみちゃんの視線が少し鋭くなったことに気付いたのは、おそらく僕だけだ。このみちゃんにしてみれば、どうやら『姉さんの優しさにつけこんで荷物持たせるなんて……』みたいなことだと思う。
「そうなんだ。それで、中身は?」
「っ……」
真実の言葉で、僕は内心ギクリとした。今僕が持っているのは大量のアブノーマルグッズ。本当は円香さんの持ち物だけど、もしかしてこれを見られると、そういう趣味だと疑われるのは僕の方ではないだろうか。
「中身ですか? 特に聞いてはいませんけど……」
ゆずはさんの言葉に、真実は紙袋を凝視したまま、
「ふ~ん……そっかなるほど~」
嫌な予感――。
「ま、真実?」
「気になるなら確認しても構わないけど?」
「ちょっ、円香さ――」
「ほんと? それじゃ、ちょっとはいけ~ん」
真実は袋の中身をごそごそとあさりだし、中に入ってるものを取り出した。
「……これって、ゲーム?」
しかも真実が取り出したのは、よりにもよって男性向け恋愛アドベンチャーゲーム(初回限定版)だった。ブックカバー付きのライトノベルとかならまだ言い訳のしようもあったのかもしれないけど、これはさすがに言い訳出来ない。
「な~んだ、食べ物じゃないんだ。対戦ゲームでもなさそうだし。せっかく食べ物なら、少しおすそわけしてほしかったのにな~」
「えっ……?」
しかし、真実はすぐに興味を失ったみたいで、そのゲームを元の袋の中に戻した。ゆずはさんもくすりと笑っているだけ。
(そっか、ゆずはさんも真実も由緒ある女子校育ちで、こういうグッズとその偏見っていうのを知らないんだ)
そう気付いた僕は息を吐いて安堵した。今この時代にそれを知らないっていうのはかなり珍しいけど、何とかこの場は何事も無く家に帰れそうだ。
「…………」
――と思ったのは束の間だった。
「………………」
(こ、このみちゃん……?)
さっきまであんまり話さなかったこのみちゃんが、何だかかなり警戒した目つきで僕を見ていた。そしてすかさずゆずはさんと真実に近づき自分の方に引き寄せる。つまり僕から遠ざけた。
「え、えっと……」
「真衛先生、どうして真衛先生がそんなもの持ってるんですか?」
どうやらこのみちゃんはこれがどんなものかを知っていたらしい。何故か呼び方と言葉遣いが他人行儀になってるし。
「こ、このみさん?」
「ど、どうしたのお姉ちゃん?」
ゆずはさんと真実はかなり困惑状態。当然僕だって別の意味でどうしていいかわからない。
「そ、それは、その……」
「私の解釈からすると、真衛先生はそういったご趣味がある、という事でいいんですか?」
「い、いや……これはその、僕の隣にいる人の物で……」
「言い訳なんて見苦しいですよ? そういうものは男の人がやるものだって知ってるんですから。私はともかく、姉さんや真実と関わるのはもう少しお待ち頂けます?」
このみちゃんの言う事はだいたい合ってるんだけど、それはただ単にこの人が特別な趣味をしているだけであって――なんて説明しても信じてもらえないだろう。口をつぐむ僕に、このみちゃんの視線が突き刺さる。そんな時、
「大丈夫、箕崎君は怪しい人じゃないよ。私が保証する。ちょっと言いにくいんだけど、それ、私の私物だから」
「円香さん……」
驚いた。こういう時、円香さんは真っ先に僕を困らせるために、事実を捻じ曲げるような気がしたのだが。
「そ、そうなんですか……」
円香さんの言葉で、ようやく僕はこのみちゃんの鋭い視線から解放された。このみちゃんは下を向きながら僕に近づいてくる。そして、何かを話そうとするけど、言いにくそうにしばらく言いよどんでから、再び口を開いた。
「ご、ごめんね、真衛君。その……疑っちゃって……」
呼び方も言葉遣いも普通に戻ったし、僕はこのみちゃんが普通に接してくれればそれで良い。それに僕だって少しは円香さんの影響を受けているはずだから、まったく間違っているという訳ではないし。ちょっとここでは言う勇気が無いけれど。
「ううん、僕は気にしてないよ。このみちゃんは、ゆずはさんや真実を守ろうとしただけなんだし……」
そしてここからは少し声を小さくして、このみちゃんに耳打ち。
「その代わりって訳じゃないけど、円香さんの事も差別しないでほしいかな……。あんな人でも、一応良い人だから……」
僕としては、精一杯円香さんのフォローをしたつもりだったのだけど――、
「えっ、どうして? 別に私、差別したりしないよ?」
「えっ……?」
だって僕は警戒した目を向けられた挙句、さんざん文句を言われた気がする。てっきり円香さんのような趣味の人を嫌悪しているのかと思っていたんだけど――。
「だってあの人、女の人でしょ? 同じ女の人なら、姉さんも真実も別に危なくないし。男の人だったらまず私を通してもらわないと」
「…………」
どうやらこのみちゃんは別にそういう趣味自体が嫌いな訳では無く、本当にゆずはさんや真実を守りたかっただけらしい。円香さんの言葉も、その理由が無ければ信じなかったかもしれない。そこまで男女差別というのはしてもいいものなのだろうか……。
「さて、誤解も解けたみたいだし、まだこの二人は紹介してもらってないよ? 箕崎君」
円香さんから紹介を促されたので、僕は荷物をいったん置いた。
「えっ、えっと、じゃあ、円香さん。こっちは数日前から僕の生徒になった、このみちゃんと真実」
僕の紹介にこのみちゃん、真実がぺこりとお辞儀。真実は慣れていないのか、少しお辞儀がぎこちなかった。
「こちらは僕の住んでいるアパートの管理人さんで、小春日円香さん」
「箕崎君がお世話になってるよ」
円香さんもあいかわらず子供っぽいお辞儀をした――だけならよかった。
「まあ、ゆずはちゃん達も箕崎君に変なことされないようにね。この前私を押し倒してきたから、私すっごく心配で……」
そんな話をすぐさま作り出し、さも本当のように語りだしたのだ。
「っ……」
「えっ……」
「おにい……ちゃん?」
さっきは助けてくれたのに、どうやらまたいつもの円香さんに戻ってしまったらしい。円香さんの問題発言に、ゆずはさん、このみちゃん、真実の表情も変わる。この前というか約三年間ずっと押し倒され続けてきたのは僕の方なのに――。
「ちっ、違っ……円香さんっ! 変な嘘言わないで下さいっ!」
僕の反応が予想通りなのか、口元に笑みを浮かべる円香さん。もはや完全に面白がっていた。
「実は私のアパートには私と箕崎君しか住んでなくて、箕崎君はそれをいいことに、毎日私にあんなことや、こんなことを……」
「ま、真衛君、やっぱり……」
「真衛さん……」
「お兄ちゃん……。お兄ちゃんがそんな人だったなんて……」
だんだんと後ずさっていくゆずはさん達。結局円香さんが最後に冗談ということを話すまで、僕は批難の視線を浴びせられ続けたのだった――。
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