第6話 大木の下で涙を流すちっちゃな女の子
並木道を歩く僕。周りの木には少しだけ春を感じさせるように、桜が蕾を膨らませている。
「それにしても、ずいぶん遠いなあ……」
もうかなり歩いているのになかなか着かない。ふと地図を見てみると――。
「あれ? ここをこう行くから……」
――車が一台通り過ぎる。
「――と、遠回り……」
どうやら道を間違えたらしい。遠回りしているのだから遠いのは当然だ。しかし――ちゃんとした地図があるのに道を間違える僕はやっぱり方向音痴な方なのだろうか。
ううん、今日はたまたま間違えただけだ。少し余裕を見せて地図をしばらく確認していなかったのだ。人間誰にでも間違いはある。きっとそうだ。そう自分に言い聞かせると、今では目的地に近くなってしまった遠回りな方の道を歩いていく。
「ええっと……」
「――っく……ひっ……」
(?)
最初は気のせいかなと思って僕はまた歩き出した。しかし、その声はだんだんはっきり聞こえてくる。
「ひっく……ひっ、すん、すん……ひっく……」
(泣き……声?)
その泣き声は、側にあった広場の中から聞こえてくる。さすがに泣き声を見て見ぬ(聞いて聞かぬ?)ふりをして通り過ぎたりすれば、きっと後で気になって仕方が無いだろう。
広場の中に入っていくと、そこはとても幻想的な風景だった。何故だろうか、すすり泣きもより一層大きく、こだまするように聞こえてくる。
(うわぁ……)
幻想的と言うには、少々色合いが足りないかもしれない。葉を散らせた木々に囲まれて、広場の中心に位置する大木。まだ肌寒いのに青々と葉をしげらせたその一番大きな木の下に、小さな女の子がうずくまっていた。他には誰もいない。
「ひっく……ひっ、ひっく……」
(――ふう。ま、見たからにはこのままっていう訳にもいかないかな……)
とにかく今は風景よりも泣いている女の子を方が気になる。僕は止めていた足を動かして、女の子に近づいていった。
〇 〇 〇
すすり泣きの音量は落ちていく。時々落ちてくる葉っぱを浴びながら、僕は女の子の側まで来た。女の子の髪はふんわりとボリュームがあり、両側でプラスチックのリングに束ねられている。話しかけるタイミングが無かったので、少し声をかけにくい。
「え、えっと……どうしたの? こんなところで」
それでも僕は勇気を出して女の子に声をかける。女の子は泣きながら、こちらを向かずに目の前にある木を指差した。
(? この木が何か……)
そう言いながらその大きな木を見回してみると、
(っ、なるほど……)
僕には女の子が何故泣いているのかがわかった。木の枝に長めのリボンが引っ掛かっている。たぶん風にでも飛ばされたのだろう。
(少し高いけど……たぶん、大丈夫かな)
僕は枝に引っかかっているリボンを取ると、地面に着地。
「はい、リボン」
僕が女の子にリボンを渡すと、女の子は目をこすりながら泣き止んだ。女の子は涙目を見られたくないのか俯いたまま、小さな声を発した。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
「どういたしまして」
僕も微笑みを返事と一緒に女の子に送る。しばらくして涙が乾いたのか、女の子はもう一度目をこすってから顔を上げた。
(う、うわ……)
無意識に僕の頬は赤く染まる。かわいらしい顔立ちをした小さな女の子は、大きくて吸い込まれそうな瞳で僕を見上げていたのだ。うるうるした瞳で見つめられていることに耐え切れなくなった僕は目を逸らして、
「き、君……名前は?」
何か話さないと間が持たなかった。
「――
真実ちゃん――。身長はまあ、140㎝くらい。小学何年生なんだろうか。それともかなり小さめの中学生? いろいろな事を考えている僕に対して、真実ちゃんは束ねている片方の髪にリボンを結びつけながら、
「ねえ、お兄ちゃんの名前は?」
再びその小さな口を開いて訊いてくる。
「えっ……ああ、ごめんごめん。僕は真衛。まもるって言うんだ」
「そっか……。お兄ちゃんは、この不思議な場所の事、知ってたの?」
名前を聞いた後、立ち上がった真実ちゃんが今度はそう訊いてきた。
不思議な場所、たしかにそうだ。冬に葉っぱが落ちない木は聞いたことがあるけれど、この時期にこんなに青々と葉がついている木なんて、かなり特別だと思う。この木の周り全体に魔法がかかってるんじゃないかっていうくらいの異空間。もちろん、僕の記憶には無い。
「ううん、知らなかったよ。こっち方面に来るのは初めてだから」
そう言って、証拠とばかりに山口さんからもらった地図を見せた。
「――好きなんだ、ここ。どうしてだかわかんないけど、ここに来ると、気持ちがすっごく落ち着くんだ。お兄ちゃんも、なるべく他の人に言いふらしちゃだめだよ」
真実ちゃんの念押しに、僕は頷く。僕の返事に真実ちゃんも笑顔を見せた。
「うん、ここのことは絶対秘密。それじゃあ、きっと眺めがきれいだから、二人でこの一番大きな木に登ってみようよっ!」
一番大きな木を指差して真実ちゃんが駆け出した時、
「あっ!」
「っ……」
僕の方を向きながら駆け出したのがいけなかったのだろうか。地面のくぼみに躓いた真実ちゃんの体が宙に浮かび、そのまま地面に叩きつけられた。着地の衝撃を膝で受け止めたので、きっと膝を擦り剥いているだろう。木がすぐ近くにあったので、頭をぶつけていないだけ幸いだろうか。
僕が急いで真実ちゃんに駆け寄ってみると、予想通り、真実ちゃんの瞳に涙が浮かんでいた。
「う……い、痛いよ、お兄ちゃん……」
苦笑いを浮かべた僕は真実ちゃんを抱き起こした後、そのまま膝と背中に手をまわして抱き抱え(いわゆるお姫様だっこ)、近くにあった木製で背もたれのあるベンチに座らせる。膝を見てみると、左膝に赤く血がにじみ、そこからたった今、血が一滴流れるところだった。
「うわ、これは少しひどいかな……。近くにあれば今薬を買ってくるよ。場所はどこ?」
前にも言ったようにこっち方面に初めて来た僕はここの地理に疎い。
「う、うん……。すん、ここを出た後、左に曲がって、少し行ったところを、右……」
「わかった、ちょっと待ってて」
「うん……」
僕はそう言い残すと、頷く真実ちゃんに背を見せて走り出した。
〇 〇 〇
道のりは走って往復五分もかからなかったから、真実ちゃんを長い時間待たせることも無かった。
真実ちゃんの涙はもう新たに流れることは無くなっていて、消毒液をつけた時はさすがに少し痛がったけど、傷の痛みに少しは慣れたみたいだ。仕上げに包帯を巻いて、何とか傷の手当ては完了した。
「これでよしっと。大丈夫? 立てる?」
「うん、ありがとう。それでね、お兄ちゃん。ぼく、そろそろ家に帰らないといけないんだ。ほんとは、お兄ちゃんと景色を見てからのつもりだったんだけど、もう出来そうにないし……」
「っ……そっか……」
どことなく残念ではあるけれど、真実ちゃんはリボンが木に引っかかったというアクシデントでここに留まっていたようだし、用があるのなら仕方の無いことだろう。
「じゃあお兄ちゃん、またどこかで会えるといいね」
真実ちゃんは手を振り、公園の外に走っていった。
よく考えたら、お兄ちゃんって呼ぶなら名前聞く必要ないんじゃないかとも思ったけど、今さらそんな事を追いかけてまであの小さな女の子に言っても仕方がない。女の子を見送った後、僕はまた目的地である家を目指して歩き出した。
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