第5話 戸惑う僕と恥ずかしさをこらえる女の子
今度は迷ったりしないように地図に従って歩いていく僕。山口さんの地図はとても分かりやすかった。
「えっと、この道を右に曲がって、それからまっすぐ行って……」
しばらく行くと、僕は左側に川が流れている小道に出た。備え付けられているガードレールから下を見てみると、川との高さは結構あって、傍の川原には小石がたくさん転がっていた。前を向き直ると道が途中で途切れているように見えるので、どうやら坂道になっているようだ。
坂道を下って川と同じ高さまで下りると、道が二手に分かれている。ブロックの壁で仕切られた、まっすぐの道と斜め右に曲がる道。地図を確認しようとすると、いきなり大きな声が後ろから降ってきた。
「きゃああああ避けて避けて――っっ!」
「?」
後ろを振り返ると、自転車に乗っている女の子が猛スピードで坂道を急降下して僕に迫って――
(えっ、ええええええええっっ!?)
あまりにも唐突な事だったので僕は完全に不意をつかれた。僕が驚いているこの瞬間にも女の子は僕にどんどん近付いてくる。そして――、
「っっ!」
「あ――」
女の子はぶつかるまいと咄嗟にブレーキを使ってしまったのだろう。いきなりタイヤの回転を止められた自転車はそのまま力が働く方向に自身ごと女の子を放り投げる。避けたら着地時の衝撃が女の子に直撃することを理解した僕は、結局そこから動くことは出来ず――、
「きゃあああああああああっ!」
クリーンヒット。僕は身体全体で衝撃を受け止め、女の子の下敷きになってしまった。
「ったたたた……きゃ! だ、大丈夫!?」
「あ、あうああ……」
よく死ななかったと自分でも思う。僕の安否を心配する女の子の声が聞こえたから、死んではいないのでとりあえず大丈夫という事にしておこう。
「っ……まあ、とりあえず大丈夫――っっっ!?」
「? ――っ! きゃっ!」
目を開けた瞬間、僕は真っ赤になった。女の子は一瞬疑問符を浮かべたけど、僕が赤くなっているのに気づくと慌ててスカートの中を隠して立ち上がる。僕もボロボロの身体をなんとか起こしながら、倒れている自転車も一緒に起こして立ち上がった。
「あ、あの……なんていうか……その……ご、ごめん」
「そ、そんな……え、ええっと、その……私も、ぶつかっちゃったし……」
「…………」
「…………………」
どことなくというか、すっごく恥ずかしさが残る雰囲気。
女の子の顔も僕と同じで熱があるんじゃないかってほど赤い。
(こ、この状況じゃ、いったいどうすれば……)
当然僕の頭には、『女の子のスカートの中を見てしまった時の対処法』なんてひと欠片もインプットされてある訳がなかった。
「………………え、えっと……自転車、返すから。そ、それじゃあ……」
「あっ、う、うん……」
僕が早くこの気まずい状態から抜け出すため、強引に女の子と別れようとすると、ふいに一匹の白い子猫が僕と女の子の前を横切り、川の方へ走っていった。
「あっ……」
雰囲気を打ち切って女の子が猫を追いかけていく。僕も渡しそびれた自転車をひきながらその後についていった。
子猫が駆けていった河原には誰が不法投棄したのかちょっとした鉄骨、鉄板、木々の山があり、すごくひいき目にして見ると、家のようにも見える。雨風避けがわりにしているのか、子猫はその組み合わさった鉄骨の隙間に入っていった。女の子はその側に行くと子猫に向かって、
「おいで」
子猫は声を聞くと、素直に鉄骨の間から出て来ようとした。しかし元々バランスがあんまり良く無かったみたいで――。
「っ……」
「あっ……」
「にゃっ!」
鉄骨の山が少し崩れ、子猫はさっき入った隙間に挟まってしまったのだ。
「にゃ~ん……」
子猫は悲しそうな目で僕達を見つめる。さっき少し声を上げた女の子はすぐさま子猫を引っ張ったがびくともしない。僕もすぐに鉄骨の側まで行き、子猫を引っ張った。だがこれでは子猫の方が耐え切れないだろう。女の子は子猫に気を取られていたのか、今僕が傍に近づいたことで、僕がここまで着いてきた事に気づいたみたいだった。
「あ、あの、お願い、助けて……」
さすがに僕もこんな状態の子猫とそれを心配する女の子を放っておく訳にはいかない。僕は頷く。
「え~っと……」
そんなに落ち付いてもいられないけど、とりあえず状況の確認。
「鉄骨をどけていきたいけど、下手に動かすと崩れる可能性があるし……うん、それじゃあ僕が鉄骨を持ち上げて隙間を作るから、君はその間に子猫を助けて」
「う、うん、わかった」
「いくよ……せーのっ、っっ!」
僕は力いっぱい鉄骨を持ち上げた。重なった鉄骨は見た目以上に重くてほとんど持ち上がらなかったけど、かろうじてちょっとした隙間ができる。女の子はすかさずその中から子猫を助け出し、僕もほっと胸をなでおろしながら鉄骨を下ろした。女の子は抱いていた子猫を二~三度なでると、腕の力を緩める。
「さ、あなたはもう行きなさい」
猫は(にゃ~ん)と嬉しそうに一声鳴いて、走っていった。
〇 〇 〇
「子猫助けてくれてありがとう。えっと……」
「あ、僕は真衛、箕崎真衛って言うんだ」
「真衛君……か。私はこのみ。さっきの事で、なんだかちょっと疲れちゃったね」
このみちゃんは空のような透き通った瞳で僕を見ている。微笑みがより一層かわいさを引き立てる整った顔立ち、星の部分と合わせて流れ星にも見える髪留めをつけた髪は少し茶味がかかったミディアムヘアだ。身長から見て僕と同じ年ぐらいだろうか。
「……どうして、さっきからじっと見てるの? 私の顔、何か変かな?」
「あっ、いや、その……」
どうやらさっきから見つめていることに気づかれてしまったらしい。僕は急いで話題を変えようとして、
「あっ、あの、さっきの自転車の時の事、本当にごめん!」
蒸し返さなくても良い事を口走ってしまった。途端にこのみちゃんの顔が赤くなる。
「あ、も、もういいよあの事は……。悪気があった訳じゃないと思うし、あ、あの場面じゃ、しょ、しょうがないよ……。それに、その、あの……」
だんだん小さくなっていくこのみちゃんの声。
「と、とにかくその事はもういいから。わ、私そろそろ、帰るね……。じゃ、じゃあね、真衛君」
このみちゃんがそう言った時、
くう~るるるる……
そんな音が聞こえてきた。
「っっ!」
今のはどう考えてもお腹が鳴った音である。だけど、それは僕のお腹からは聞こえて来なかった。だとすると――。
「………………」
無言のこのみちゃん。だけどその顔の赤さは、もはや湯気が出るのではないかと思うほどにまで真っ赤になっている。
「あ、あの……」
確かに今会ったばかりの僕にお腹が鳴る音を聞かれては、女の子としてはすごく恥ずかしいはずだ。僕は何とかフォローしようと話しかけようとしたのだけれど――、
「――真衛君……」
顔を上げたこのみちゃんがそれを遮って、小さな声だけど僕に話し掛けてきた。あいかわらず真っ赤な顔のまま、時折目をそらしながら言葉を紡いでいく。
「その、ほんとに、さっきの事……謝りたいって、思ってる?」
「えっ……う、うん……」
僕は素直に頷いた。
「だったら――――」
〇 〇 〇
海苔が切れる音が僕にも届いてくる。このみちゃんはさっきまで真っ赤だった頬を緩めておにぎりを食べていた。
このみちゃんが食べているおにぎりは近くのコンビニで買ってきた物。しばらくしておにぎりを飲み込んだこのみちゃんが口を開く。
「えっと、ほんとにごめんね。ご飯、おごってもらっちゃって……」
そう言いながら、ビニール袋に入っている二つ目のおにぎりを取り出した。
「謝らなくてもいいよ。元々その……悪かったのは僕だし……」
このみちゃんが購入したご飯はおにぎり二つ。本当はおかずも買うつもりだったのだが、このみちゃんはかわりにアイスを買ってほしいと言ってきた。故にもう一つのビニール袋にはどう見てもご飯には見えないカップアイスと棒アイスが入っているし、別のお店で購入した袋に入れておけないソフトクリームは、今僕が持っている。デザートにアイス三つと言うのは僕からして見るとかなり多い気がするのだけど、購入したということは、やはり食べるのだろうか……。
僕がそんな事を考えている間にも、このみちゃんはおにぎりを食べ終え、ちらっと僕を見た。
「っ……はい」
視線がソフトクリームに向いている事に気付いた僕はそれを渡す。このみちゃんはそれを受け取ると、口に持っていく――寸前で僕を見て、その手を止めた。
「……? どうか……したの?」
「えっと、真衛君も食べない? 私だけ食べてると、悪い気がしてくるし……」
僕にソフトクリームを差し出してきたこのみちゃんに、僕は一瞬心を揺さぶられた。僕に気を使ってくれるのは嬉しいけど、それはかなり問題がある。このみちゃんは気付いていないのだろうか――、
「えっ、えっと、その、それは……」
言いよどんだ僕を見て、このみちゃんもどうやら僕の意図を察したらしく、頬を染めた。
「あっ、ちっ、違うよ? 私は別のを食べるから、真衛君に勧めたわけであって……」
「う、うん……」
「……………………」
「…………………………」
この沈黙は今日いったい何度目だろうか。やっぱりまださっき出来事が、僕とこのみちゃんの気恥ずかしさが抜けないことに影響しているみだいだ。今だってこうやって二人っきりでベンチに座ってるし。僕は沈黙を破ろうとして、さっきの疑問をこのみちゃんに投げかけた。
「え、ええっと、どうして、そんなにたくさんアイス買ったのか気になるんだけど……」
「えっ? あっ、これは……」
このみちゃんは少し迷っていたけど、やがて、
「お、おごってくれたから言うけど、その、笑わ……ないでね?」
「えっ……」
いきなりそう念をおされた。まあ念をおされた以上はその希望に答えてあげるべきだと思う。
「う、うん、大丈夫、笑わないよ」
「――本当?」
確認の問いに僕はうなずく。それを見たこのみちゃんは、何度かちらちらと僕の様子を伺った後、おずおずとした様子で口を開いた。
「じゃ、じゃあ言うけど、その――――――きなの」
「えっ?」
重要な部分だけこのみちゃんの声が小さくなり、うまく聞こえなかった。
「だ、大好きなの、アイス……。子供の頃から、ず~っと……」
言いながら思わず目をそらすこのみちゃん。そんなこのみちゃんがかわいくて、つい口元を緩めてしまった。
「あーっ! 今笑ったでしょ! だから、あんまり言いたくなかったのに……」
「っ、ご、ごめん……」
僕が謝る間も、このみちゃんの気持ちはどんどん沈んでいく。
「そ、そりゃあ、私だってこんな好み、直そうかな~って思った時もあったけど、どうしてもアイスに目が向いちゃって……。す、好きな物はやっぱり好きだし、それを我慢するのもストレスになっちゃうし……。だから、真衛君や他の人に何言われたって……」
ついには涙まで瞳に浮かんできたこのみちゃん。さっきのこそばゆい沈黙は無くなったけど、コンプレックスな部分を聞いてしまった僕が全面的に悪い気がすごくするというか……。なおも自分を責め続けるこのみちゃんの言葉を、僕は自分の言葉で途切らせた。
「でも、その……かわいいって、思うんだけど……」
「えっ……?」
戸惑うこのみちゃんに、僕は言葉を続けた。
「好きなものは誰にでもあるものだし、それがアイスだって何だって、僕はその人の個性だって思う。だから、そんなに自分を責めなくても大丈夫だよ」
その言葉の最後に僕はにっこり微笑んだ。それを聞いたこのみちゃんは河原での時と同じように顔を染め、そして、少し口を尖らせた。
「そ、そんな……フォローなんかしても、騙されないんだからっ!」
このみちゃんはビニール袋に入った残りのアイスを持つと立ち上がる。
「私、もう行くね。お、おごってくれてありがと。それじゃ」
このみちゃんは顔を真っ赤にしたまま歩いていき、自転車に乗ると、かなりのスピードでペダルをこいでいってしまった。
僕はこのままここにいてもしょうがないので、とりあえず再び目的地の家に向かって歩いていくことにした。
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