蔑みと流布に無縁な男の子 ダンボールにご用心

第15話 棘がついた心の中には何秘める

 春休みも半分を過ぎて、山口さんに経過報告を求められた僕はまた、会社の自動ドアの前に立っていた。確かにここには前に来たことがあるけど、何度来ても会社という場所は、決してリラックスしながら入れる所ではない。僕は会社の扉を前にして、少し緊張しながら中に入っていく。

「失礼しま――」

「いったいどういう事なのっ!?」

 いきなり思わず目を閉じてしまうような大きな声が、会社内に響き渡った。見ると、右側の階段があるあたりのところで、山口さんが誰かと口論になっているみたいだった。

「い、いや、そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないか。君だって、近い年の仕事仲間がいた方が、心に余裕が出来たりするだろうし……」

 ……口論というよりは、山口さんが一方的に怒鳴られているみたいである。忙しく歩き回っていた社員の人達も歩くことを止め、山口さんの方を見ていた。

「そんな事、誰が頼んだっていうのよ! 余計なおせっかいなんて必要ないわ!」「ま、まあまあ、少し落ち着いて――」

 そこで山口さんの視線が僕を捉える。

「っ、噂をすれば、君の仕事仲間――」

「っっ!」

「――候補の真衛君が来たみたいだよ……」

 相手が後姿だったからよくわからなかったけど、山口さんが言い直したのはきっと、その相手に睨まれたからだと思う。そして、その人は振り向いた。

「っ……」

 山口さんに向かって怒鳴っていたので、若くても二十代くらいの人だと思っていたのだけれど――。

「…………」

 女の子だ。二十代の女性を通り越して、たぶん僕とほとんど年が変わらないくらいの、少し背が低めな女の子。今は柳眉が吊り上っているけれど、喜怒哀楽で今以外の表情にしたら、きっとすごくかわいい顔をしていると思った。

「うっ、えっ、ええっと……」

 長くはない髪の下から発せられる彼女のきつめな視線に思わずたじろぐ僕。

「リシアちゃん、そんなふうに睨みつけたら、真衛君が何も言えないじゃないか。紹介するよ真衛君。彼女はここで働いてもらっている秋坂あきさか リシアちゃんだ」

「えっと……よろしく、リシアちゃん」

 山口さんの紹介で、僕は何とか挨拶が出来た。

「…………」

「…………」

「…………」

 挨拶が返されない、気まずい沈黙。

「あ、あの……」

「……名前」

「えっ?」

「あなたの名前は? 初対面の人には、まず自分から名乗らない?」

「あっ、ごっ、ごめん……えっと、僕は箕崎 真衛って言うんだけど……」

「――ふ~ん、箕崎……ね。変な苗字」

「あ、あはは……」

「まあいいけど。じゃあ箕崎真衛、私があなたに言いたい事は一つだけ。それ以外に、あなたと話すことなんて無い。正直言って話したくないわ」

 グサグサと突き刺さる言葉の雨。僕ってそんなに悪いことしたのかな――なんて思いながらも、僕は続きの言葉を待つしかない。

「私は……私は、あなたと一緒にはいられない」

「えっ……」

 もちろん僕は、リシアちゃんの言葉の意味が分からなかった。僕とリシアちゃんは、今日この場所で会ったばかりなのだ。

「そこにいる青年さんからあなたのことは聞いたわ。私は、あなたと仲良くなんて出来ない」

「…………」

「私を呼び出した用がそれだけなら、私はこれで帰らせてもらうから」

「リシアちゃん……」

 山口さんのつぶやきに何も答えず、リシアちゃんは出口を目指して歩き出し、僕の傍を通り過ぎる直前で足を止めた。

「箕崎真衛……」

 そして――一言。

「何で私の居場所を……奪うのよ……」

 それは僕にしか聞こえないほどの小さな声。リシアちゃんはそんな言葉だけを残して、出口の自動ドアをくぐっていった。


            〇 〇 〇


「……真衛君すまない、気を悪くしなかったかい?」

 社員の人達も再び歩き始め、会社内に騒がしさが戻り始めた頃、山口さんが僕を気遣ってくれる。

「はい、大丈夫です。えっと……」

「リシアちゃんのことかな?」

 山口さんは僕が聞きたいことを予測していた。僕は頷く。

「さっきも言った通り、彼女はここのアルバイト社員みたいなものだよ。といっても、暇な時にちょっとした雑用をこなしてもらっているってだけだけど。真衛君が初めてここに来た時も来ていたんだ。その時は、ここに出てこなかったみたいだね」

「そうなんですか……」

「うん。だけど、同時に少々厳しい人生を歩んできた境遇の子でもあるんだ」

「……?」

「真衛君にはまだ話していなかったね。それを聞けば、少しは彼女の態度を許してもらえるんじゃないかって期待したいな。もし彼女のことが気になるなら、僕よりもずっと詳しい人がいるから、その人に連絡してみてもいいけれど……今後のこともあるし、どうだろう?」

 山口さんが疑問形で僕に訪ねてくるということは、要するに僕にも知ってほしいのだろう。これから先ここで何度も会う相手なら、彼女への接し方の参考になると僕も思った。

「はい。出来れば彼女の事情を理解しておいた方が良いと思いますし」

「そう言ってくれると嬉しいよ、社内での悪い空気はなるべく避けたいからね。それに、僕は真衛君の方が彼女を救えるとも思っているし」

「えっ……? でも、僕はかなり嫌われていたみたいですし……」

「確かに今はそうかもしれない。だけど、僕達大人は表面上で彼女に接することは簡単でも、その心の奥まで踏み入ったり親友みたいな関係になることは、中々難しいんだ。僕達がその気でも、君達の方がそう思わなかったりする。彼女が大人ならあまり年齢は関係ないかもしれないけれど、思春期の彼女には、同じ年代の君のほうが適任だと僕は思うな」

「っ…………」

 山口さんのまっすぐな視線に、僕が言葉を返せないでいると、山口さんはその固い表情を崩した。

「あはは、話を戻そうか。その人は今雅坂学園に勤務している先生なんだ。リシアちゃんと仲良くしていた時期があったみたいだよ。明後日くらいに雅坂学園へ行ってみるといい、その人には、僕から連絡しておくからね」

 そう言いながら微笑んだ山口さんは、ふと、何かに気がついたような顔をする。

「っ、そうそう、経過報告を聞こうかな。生徒達とは上手くいってるだろうか」

「っ、はい。三人共とても良い生徒達ですよ」

「それは良かった。これからも頑張ってほしいな、真衛君」

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