第参雨『放浪人・2』

それから一日過ぎた翌日。


「うぅ…ん……。」

「せ、先生……この人、起きはるやろか…?」

「心配しなくてもじきに目を覚ましますよ。あの様子じゃまともに寝ていなかったんでしょうし、満足したら目を覚ます筈です。」

「ひゃ、ひゃい…。」


心配そうに耳をぺたりと垂れさせ言う小狐の頭を、わしゃわしゃと優しく撫でて『先生』は言う。


「あとは彼の『強運』に任せるしか、ありませんしねぇ?」

「きょううん、ですか…?」

「はい。まぁ……此処ここに来られただけでも十分それを証明しているでしょう?」

「あ……。」


小狐が『先生』の言葉にやっとその事に気付いたように間抜けな声を洩らす。

その様子に『先生』は少し微笑みつつ、「分かりました?」と揶揄からかうように言う。その眼には慈しみの情が深く現れていた。

その時、寝ていた旅人が小さく呻き、薄らぼんやりと目を開ける。


「んん……? 此処、は──?」

「目が覚めましたか、旅のお人?」

「ぇ…? あ……ッ…。」

貴方あなたはここの子供が気付かなかったら野垂れ死にしていた所なんですよ? こんな田舎、倒れていたら野垂れ死にしても文句の一つも言えませんよ。」

「す、すいません……長らく寝ていなかったものでつい…。」


旅人はぽりぽりと頬を掻き、謝罪を述べる。

が、『先生』はぱたッ…とゆったりした動きで扇子を扇ぐと旅人を一瞥するだけで何も言わない。

暫くそうして旅人がだらだらと冷や汗を流し、困惑した顔を小狐に向け助けを求め出し始めた時、やっと『先生』が口を開いた。


「……貴方、何をしたんです?」

「「……え?」」

「簡単な推理ですよ。貴方はんでしょう?」

「……それ、は…。」

「『先生』……。」

「……まぁ自分はあまりその事には興味ありませんが。…小狐、薬湯を持ってきてくれませんか、部屋にありますので。」

「あ、あいッ!」


バタバタと部屋を出ていった小狐に呆れつつ慈しみの籠った目で眺め、完全に姿が見えなくなってから旅人に視線を移した。

足を崩し胡座に近い体制を取り、その膝の上に肘を乗せ、掌に顎を乗せつつ閉じた扇子で旅人を指しつつ、意味深に言う。


「さっきは小狐が居るから言いませんでしたが……貴方、このままいけば確実にこの数日間で死にますよ?」

「なッ…。」


『先生』の突然の言葉に旅人は思わず言葉を失う。比喩でなく、顔が真っ青になってしまっている。

そんな旅人相手に『先生』はどうでも良さげに、あたかも今思い出した風にこう続けた。


「あぁ因みに……自分は別に『先生』では無いのでこの呼称は適切では無いんですよねぇ…。」

「『先生』では、無い……?」

「はい。自分はたまにの手当をしますがそれ専門では無いのでね。…此処から動けないのは、正しいですがね。」


くすくすと扇子で口元を隠しつつ楽しげに『先生』は笑い、旅人を見下ろす。

旅人が何故かを問おうとしたと同時に小狐が薬湯の入った急須と湯のみを乗せた盆を持って戻ってきた。

小狐に『先生』が何処か気怠そうに礼を述べる。


「やぁ有難うー。最近寝不足で上手く動けそうにないんですよねぇ…。」

「え”、それははよ寝た方がええんや……あー…。」

「ぇ、ちょ、その悟ったような目、此方こちらに向けないで下さいますか!?」

「だって『先生』の寝不足は確実に貴方も一役買っているかと…?」

「うぐっ…そ、それは……。」


小狐の容赦ない棘混じりの言葉に旅人が何も言い返せずに口を閉じる。少なからず旅人にも自覚はあるらしかった。


「まぁまぁ小狐、意地悪はそれくらいにしておやり。どうやら彼には他に話す事があるようだしね?」

「むぅ……『先生』が言うなら、仕方ないです…。」



小狐は頬をぷくぅっと膨らませつつ大人しく『先生』の隣に腰を下ろした。


ぱしぃんッ


「「!!」」


暫し静かになった部屋の中に凍てつくような音が響く。無論それは『先生』が自身の掌に扇子を打ちつけた音であった。

『先生』が小狐の隣でニッコリと笑みを浮かべた。……黒すぎる笑みを。


──か、かか様が怒られた時よりも怖いや…ッ!


『先生』の普段見せぬただならぬ笑顔に思わずきゅっと尻尾が丸まり股の間に隠れるようにして収まる。

それくらい、今の『先生』の笑みは怖い。関係の無いはずの小狐が条件反射的に怯えてしまうほどに。









「──さぁ、話してもらいましょうか? 自分はタダ働きしたつもりは毛の先程も持ち得ていませんからねぇ…?」









──『先生』はどうやら何か小狐には分からぬ事で怒っているようだった。

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終わりなき終焉を 壱闇 噤 @Mikuni_Arisuin

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