第8話 危機

 またあの夢だ、とラークはすぐに気が付いた。酒場のテーブルに、突っ伏す男が一人。もうこれで三度目だ。

 だが今回は、少し様子が違った。女性の店員の一人が近付いてきて、の肩を揺すり始めたのだ。やはり見覚えのない顔だ。

 やがて、机に突っ伏した自分がのろのろと頭をあげた。その顔を見て、ラークは目を見開いた。

 それが自分の顔だということは、不思議と確信していた。だが明らかに、自分ではない。

 老いた男が、濁った瞳を虚空に向けていた。

 呻くような、叫ぶような声を上げてラークは目覚めた。勢いよく身を起こして、周囲に目をやる。間違いなく、自分の部屋だ。深く息を吐く。

 まだ辺りは真っ暗だったが、再び眠る気にはなれなかった。あの夢の続きを見たくない――いや、見てはような気がしたのだ。

「なんなんだいったい……」

 思わずぼそりと呟く。明かりをつけて着替えようとした時、ラークはふと真っ黒な腕輪に目を留めた。

(……未来の出来事なのか? あの夢も)

 そう考えるとしっくりくる。いつも見ている二重写しの虚像とはずいぶん異なる形ではあるが、腕輪の効果の一つなのかもしれない。

(なら、あれはどういう場面なんだ?)

 虚像の例から考えると、自分の身に危険が迫っているのか。ただ、あれが本当に未来だとしても、少なくとも十年単位で先のことであるはずだ。そんな先の出来事を見せて、いったい何になると言うのだろう?

「くそっ」

 何となく不吉な思いを抱きながら、ラークは部屋を後にした。


 宿から外に出たラークは、訝しげに周囲を見回した。複数の冒険者らしき者たちが、そこらにたむろしている。この辺りは、普段滅多に人なんて歩いていないのに。そのうえ冒険者だなんて、同じ宿に泊まっているアシュレイ以外は見たことすら無い。

 街の北東の端という、何をするにも不便なこの地域は、宿があるべき場所としては最も不適当とも言えた。実際、ラークが借りている安宿を除けば、他に宿なんて無いはずだった。並んでいる個人の家すらも、空き家が多い。

 集団の中には、一昨日おとといに酒場で会った女性冒険者の姿もある。彼女はじっと地面に視線を落としていた。いったい、朝っぱらからこんな所に何の用事なのだろうか。

 ラークが近づいていくと、女性冒険者は緩慢な動作で顔を上げた。彼女の目元が赤く腫れていることに気が付いて、ラークは少し気後れしてしまった。

「何かあったのか」

 そう問いかけたが、彼女は再び俯いてしまった。その代わりに、隣にいた男が苦い表情で言った。

「こいつの……知り合いが死んだんだよ」

「知り合い?」

 ラークの背筋に、ぞくりと悪寒が走った。

「ああ。アシュレイってやつだ」

 驚愕きょうがく悲憤ひふんの感情に、口元が歪む。男は、同情するかのように目を細めて言った。

「お前も知ってるのか?」

「……ああ」

 ラークは深くため息をついた。連絡が取れないと聞かされた時から、まさかとは思っていたが……。

「誰かに襲われたのか?」

 もしかすると、腕輪の存在を知った何者かが、奪うために殺したのか。彼は他にも高価な魔道具をいくつか身に着けていたから、そちらが目当てという可能性もある。

 だが男の返事は、完全に予想外のものだった。

「いや、城壁の上から落ちたんだよ」

「……なんだと?」

 ラークは思わず聞き返した。城壁から落ちたやつなんて、聞いたことがない。そもそもそんな場所に、何の用事があると言うのか。

 不意に、アシュレイとの最後の会話の記憶がよみがえり、雷に打たれたように体を強張らせた。彼は、確かこう言っていた。「城壁あそこに登る夢を見た」と。

「金や装備が奪われた様子はないそうだ。一人で登って、一人で落ちたんじゃないかと、言われているようだ」

 男は、隣の女性冒険者の方を気にしながら説明した。誤って落ちたのか――何故そんな所に行ったのかはともかく――もしくは、自殺したのか。

 別の男がぼそりと言った。

性質たちの悪い遺跡のトラップに掛かったのかもしれん」

「そうだな。その可能性も十分にある」

 最初に話していた男が、ゆっくりと頷いた。トラップの中には、その場で死に至らしめるのではなく、徐々に精神を壊していくような物も存在する。

 ラークは思わず、服の上から腕輪をぐっと握った。この魔道具が関係しているんじゃないかと、そんな考えが頭に浮かんでしまった。

 いや、今のところ、こいつは自分に利益しか与えていない。あの奇妙な夢以外は。

 彼らに別れを告げ、ラークはミーファとの待ち合わせ場所に急いだ。様々な考えが、頭の中をぐるぐると回っている。未来視、夢、アシュレイの死。これらは互いに関係しているのか、それとも全くの無関係なのか。

 何の結論も出ないまま、目的地であるがらくた屋の前に着いてしまった。仲間二人は、既に店の前で待機していた。ラークの到着が遅れたからか、それとも難しい顔をしていたからか、ミーファは不安げな表情をしていた。

「アシュレイが死んだ」

「え」

 短く伝えると、少女はぽかんと口を開けた。

「城壁から落ちたそうだ。何故かは分からない」

 そう告げたとたんに、ミーファの顔が恐怖に歪んだ。その表情に若干の違和感を覚えたものの、深く考える余裕は無かった。

「行くぞ」

 さっさと店に入ろうとしたが、ミーファが付いてこない。立ち止まり、眉を寄せて振り返る。少女は自分の胸元をぎゅっと掴みながら、かすれた声で言った。

「あ、あの」

「なんだ」

 ぶっきらぼうにそう返すと、ミーファはびくりと体を震わせた。その目にじわりと涙がにじみ始めるのを見て、ラークはぎょっとしてしまった。ぽろぽろとあふれ出す涙を隠すように、ミーファは顔を手で覆った。

 側に寄ったサラが、背伸びして友人の体をぎゅっと抱きしめた。ミーファはそれに寄りかかるようにしながら、しゃくりあげて泣いていた。

「最低」

 呆然とするラークを、サラは横目で睨みつけた。少女の瞳に怒りがこもっているのを目にして、ラークはたじろいだ。

「……すまん」

 ミーファが泣き出した理由は分からないが、自分が最後の一押ひとおしをしてしまったのは間違いないようだ。ラークは素直に謝った。

(まいったな)

 周囲にちらりと視線を送る。人通りの少ない路地裏ではあるが、逆に言えばもし誰かが通ったら、こんな場所で女の子を泣かせている男を見て、果たしてどう思うか。即座に衛兵に連絡されてもおかしくない。

「なあ、サラ」

 声をかけると、再びきっと睨まれた。苦笑いしながらも、ラークは言葉を続けた。

「店に入らないか。ルカに頼めば、落ち着ける場所ぐらい貸してくれるだろう」

「……わかった」

 サラはこくりと頷くと、ミーファに何事か話しかけ、背中を押してゆっくりと歩き始めた。ミーファはその間も、ずっと泣いていた。

 ラークは息を吐いてから、先に店の扉を開けた。ルカには迷惑をかけることになるが、背に腹は代えられない。まさかこの状態のミーファを放り出しはしないだろうなんて打算的なことを考えてしまって、自分で自分が嫌になった。

 今日のルカは、ちゃんと椅子に座り、作業机で何やら書き物をしていた。来客者に気づくと、ほわんとした笑みを顔に浮かべた。

「あらラーク、いらっしゃーい……って、どうしたの?」

 続いて入ってきた二人を見て、目を丸くする。ラークは苦い表情で言った。

「悪い、ちょっと休ませてくれないか」

 ルカは一瞬眉を寄せたが、すぐに笑顔に戻って言った。

「いいわよ、その辺に座ってて。奥にどうぞーって言いたいところだけど、座るとこないのよねー」

「……ここより酷いのか」

「こんなもんじゃないって」

 さらりと恐ろしいことを言うと、ルカはいそいそと外に出ていった。他の客が来ないように、店を閉めておくつもりだろう。場所を借りるだけのつもりだったのだが、ずいぶん手間を取らせてしまったようだ。

 ラークは少し逡巡しゅんじゅんしたあと、蓋つき収納具チェストに座ることにした。ルカが使っていた奥の椅子を除けば、商品の上ぐらいしか座るところがない。サラに促され、ミーファも近くの家具に腰を下ろしていた。サラはその隣に立って、友人の頭を優しく撫でている。

 すすり上げるミーファを、こっそりと――でないとまたサラに睨まれそうだったので――見ながら、ラークは少女が泣いている理由を考えた。自分の対応が悪かったのもあるだろうが、それだけではないだろう。アシュレイの死が何か関係しているのか、もしくはコボルト退治が嫌だったのか。いや、よく考えてみたら、数日前から様子がおかしかった気もする。

 そもそも、さっきは何を言い出そうとしたのだろうか。いずれにせよ、まずはちゃんと話を聞かなければ。

 ルカがばたばたと出入りする間に、ミーファも少しは落ち着いてきたようだった。サラに話しかけられ、言葉少なながらも返事していた。

「はい、どうぞ」

 店の奥から出てきたルカは、いつの間に用意したのか、ティーカップの乗ったトレイを手にしていた。全員に、暖かい紅茶の入ったカップを配って回る。ミーファは目元を拭うと、顔を上げて受け取った。

「どうせまた、ラークのやつが無神経なこと言ったんでしょ? ごめんねー、昔から気が利かないやつだから」

 ルカの言葉に一瞬反論しそうになったが、やめておいた。その通りかもしれないと思ったからだ。

 だがミーファは、小さく首を振った。

「いえ、ラークさんのせいじゃないです。私の問題です。ごめんなさい」

 そう言って、頭を下げる。ルカは困ったような笑みを浮かべていたが、やがてラークの方をちらりと見た。その視線に急かされるようにして、尋ねる。

「ミーファ、さっきは何を言おうとしたんだ?」

「……あ、いえ、もう、大丈夫なので……」

 ミーファは弱々しく笑った。明らかに無理をしている。ラークが気づいていなかっただけで、ずっと思いつめていたのだろうか。そう思うと、胸が痛んだ。

「大丈夫じゃないから、その……泣いてたんだろ」

 ラークが言うのを聞いて、ミーファは顔を伏せた。サラにまた睨まれたが、気にせずに言葉を続ける。

「さっきは悪かった。俺に、話を聞かせてくれ。悩みでもあるのか?」

「……」

 答えは無かったが、辛抱強く待った。サラは、ミーファの隣に座ってじっと見守っている。ルカはいつの間にか、店の奥に消えていた。

「……くだらないこと言うなって、怒るかもしれないですけど」

 やがて、ミーファは躊躇ためらいがちに話しだした。

「変な夢を見たんです」

「夢?」

 その単語を聞いて、ラークはぎくりとした。相手はそれには気づかずに、こくりと頷いて説明を続けた。

 彼女が言うには、山道のようなところで、自分が何かから必死に逃げている夢を数日前から繰り返し見ているらしい。同じような『何かから逃げる夢』なら、以前にも見たことはある。ただその夢は、自分を客観的に見ていたり、意識がはっきりしていたりという奇妙な特徴を持っているそうだ。

(俺の夢と同じだ)

 ラークは小さく唸った。やはりあの夢は、未来視の腕輪と何らかの関係があるのだろう。自分たちに共通するものと言えば、それぐらいしかない。

「夢は、毎日進んでるみたいなんです。今朝は、石につまづいて転んじゃって、それで、振り向いたが、悲鳴を上げて……」

 その時のことを思い出したのか、ミーファは両腕で自分の体をぎゅっと抱きしめた。少し間を置いて、言葉を続ける。

「そこで、目が覚めました」

「何に追われてたんだ?」

「分からないです。見るのが怖くて……」

「そうか……もう一つ。夢の中のミーファは、何歳ぐらいだった?」

「え? 今と同じぐらい、だと思いますけど……」

 ミーファは不思議そうに答えた。ラークの夢のように、十年単位で先の出来事というわけでは無いようだ。

 ラークは小さく息を吐くと、腕を組みながら言った。

「実は俺も、同じような夢を見た」

「え」

「いや、同じようなというと語弊があるか。俺の場合は、酒場に居る自分が見えているだけなんだ」

「そうなんですか」

 ミーファはぽつりと言った。しばしの間、沈黙が続く。

 やがて、少女は意を決したように口を開いた。わずかに震える声で、一つの疑問を口にした。

「あれって、やっぱり、腕輪の力……未来に起こることなんでしょうか?」

「そうかもしれない。俺も、同じことは考えていた」

「です、よね……」

 少女は項垂うなだれ、再び泣き出しそうな顔になっていた。

 ラークはともかく、彼女が見たのは命に関わるような危険な出来事だ。ミーファを救うためには、何をすればいい?

(情報が足りないな)

 そもそも、あの夢が本当に未来の出来事なのかどうかもまだ分かっていない。もしその通りだとして、腕輪が見せる未来をどうすれば変えられるか。

 アシュレイに遺跡のことを教えた何者かなら、腕輪について何か知っているかもしれない。だが今となっては、その人物に連絡を取る手段が無い。やはり、無理してでも聞き出しておくべきだったか。

「おかわりいるー?」

 奥にある扉から、ルカがひょっこりと顔を出した。その時になって初めて、ラークは自分がティーカップを持っていることを思い出した。当然、一滴も減っていない。

「いや、いい」

「そう?」

 残念そうに言うと、ルカは頭を引っ込めた。その一瞬あと、ラークは急に表情を変え、小さく叫んだ。

「待った!」

「んー?」

 再びルカが、部屋の中を覗き込むように顔を出す。ラークは真剣な表情で尋ねた。

「前に、魔道具技師の知り合いが居ると言ってたよな?」

「そうよー。最近急に暇になったみたいでさ、やっと魔道具の修理やってもらえたのよねー」

 ルカはにへらと笑った。ラークも少しだけ口元を緩める。そういうことなら、尚更なおさら都合がいい。

「そいつを紹介してもらえないか? ミーファの問題を解決するために、聞きたいことがあるんだ」

「いいわよー。一日中引きこもってるようなやつだから、今から会いに行ってみればいいんじゃない? ちょっと待っててね、地図くから」

 ルカは作業机に着くと、鼻歌交じりでさらさらとペンを動かしていた。ラークは小さく息を吐いた。

(これで一歩前進できるといいんだが)

 まずは、腕輪についてできるだけ多くの情報を得たい。対策を考えるのはそれからだ。

 今後の計画を考えていたラークに、しばらく黙っていたミーファが、おずおずと話しかけた。

「あの、ラークさん。今日はお仕事の準備をしないと……」

「いや、あの仕事は断ろう」

「え」

 あっさりと首を振るラークを見て、ミーファはきょとんとした。

「元々、俺たちが受けるには難易度が高い仕事だ。それに、にはなるべく近付くべきじゃない」

 単純に考えれば、山に行きさえしなければミーファの『未来視』は決して実現しないはずだ。そう上手くいくかどうかは分からないが、危険を遠ざけることができるのは確かだろう。もっとも、今度は別の『夢』を見ることになるのかもしれないが。

「……ありがとうございます」

 ミーファはぺこりと頭を下げた。

「できたわよー」

 折りたたんだ二枚の紙を、ラークはルカから受け取った。片方は地図のようだ。もう片方を顔の横に持ち上げて、ラークは聞いた。

「これは?」

「紹介状みたいなものだから、あいつに渡しといて」

「分かった。……ありがとう。この借りはいつか必ず返すよ」

 ルカは目をぱちぱちとさせた後、くすりと笑った。

「気にしなくていいって。じゃ、行ってらっしゃい」

「ああ」

 二人を連れて、店を出る。閉まりつつある扉の向こうに、ひらひらと手を振るルカの姿が見えた。

「頑張ってねー」

 ゆっくりと頷いて、ラークは歩き出した。


 魔道具技師が住んでいるのは、がらくた屋と中央広場を線で結んだちょうど中間辺りのようだった。大きな家が多く、大商人などの裕福な者が主に住んでいる地域だ。魔道具技師という希少な職業に就いているだけあって、儲けているのだろうか。

(どんなやつなのかちゃんと聞いてくればよかったな)

 ラークは首筋のあたりをいた。勢いで飛び出してきてしまったが、よく考えたら男か女かすら分からない。

 目的地に近づくにつれて、立派な屋敷が並び始める。庭は無く、入り口の扉が直接道に面している。過去に行ったことのある貴族街の屋敷と比べると、広さは同等だが華美かびではない。住民層の違いだろう。

 地図に従って辿り着いたのは、この地域にしては比較的小さな家だった。頑丈そうな木の扉をノックすると、すぐに中から返事が返ってきた。

「はーい……うわっ」

 声がした直後に、どさどさと、何かが崩れるような音が聞こえてくる。しばらくの間、どたばたと片付けるような気配が伝わってきた。ラークは眉を寄せながらも、大人しく待った。

「すみません、お待たせして……どちら様?」

 一度は勢いよく開かれた扉が、慌てて引き戻された。隙間から、不審げな表情の若い男が顔をのぞかせている。

「突然訪ねてきて、申し訳ない」

 ラークは軽く自己紹介を済ますと、ルカから預かった紹介状を渡した。差出人の名前を見て、男はようやく警戒を解いたようだった。

 男は紹介状を読むと、ふんふんと頷いて言った。

「なるほど、ルカさんの弟さんですか」

「……弟?」

 訝しげな表情で聞き返す。あんな姉を持った覚えは無い。

「え? 違うんですか?」

 男はルカの手紙をじっと見つめながら、首を捻っていた。どういう風に紹介されているのか少し、いやかなり気になったが、いくら自分のことが書いてあるとは言え、他人当ての手紙を見るのは不作法だろう。

「まあいいや。こんなとこでは何なんで、とりあえずこちらにどうぞ」

「ありがとう」

 彼に従って、屋敷の中に入る。ミーファも不安げな表情をしながらも付いてくる。最後にサラが、重そうな扉を苦労して閉めていた。

 廊下に並んだ部屋の大半には、これでもかというほど本が詰め込まれていた。魔道具に関するものばかりではなく、地理や歴史の本などジャンルは多岐に渡っていた。

 まるで図書館にでも来たみたいだ。この本だけでもひと財産だろう。サラがいちいち立ち止まって眺めているものだから、毎回ミーファが引っ張ってきていた。

「どうぞどうぞ」

 案内されたのは、それなりに立派な応接間だった。他の部屋と同じく、壁は本棚に占拠されている。

 男はテーブルに溜まったほこりを手ではたき落としてから、来客者にソファーを勧めた。

「それで、話というのは?」

「この魔道具を、調べて欲しいんだ」

 ラークが腕まくりして腕輪を見せると、男は興味を引かれたように、身を乗り出して覗き込んできた。

「ほう、なんでしょこれ。黒曜石? じゃないみたいだし……もう少し、詳しく教えてもらっても?」

「ああ」

 小さく頷くと、ラークは腕輪について分かっていることを、洗いざらい話した。効果だけではなく、手に入れた遺跡の話まで全部だ。男は、特に夢の話に興味を引かれたようだった。

「なかなか凄そうな魔道具ですねえ。いやあ、実に興味深い」

 全部説明し終えると、男はぶつぶつと何事か呟きながら、考えをまとめているようだった。ラークは少し待ってから、言った。

「調べてもらえるだろうか。大した額は出せないが、礼はさせてもらう。効果だけでも分かれば……」

「いやー、とりあえずお金はいいですよ。軽く調べてみますね。ちょっと手を出してもらえます?」

 言われた通りに手を差し出すと、男は腕輪を掴んで呪文の詠唱を始めた。魔法はすぐに発動したようだったが、結果に満足がいかなかったのか、男は首を傾げていた。再び、恐らくは別の呪文を唱えだした。

 男は何も見ず、何も書き留めることなく、次々に新しい魔法に移っていく。魔法に詳しくないラークでも、これが相当な技量を要求する行為だろうということは分かった。何しろ、あのサラがぽかんと口を開き、きらきらとした尊敬の眼差しで男の作業を見つめているほどだ。

「なるほどなるほど」

 やがて、男は納得したように何度も頷くと、手を離した。ラークは期待と緊張がい交ぜになった感情を抱きながら、尋ねた。

「何か分かったのか?」

「ええ、ええ、色々と。まずですね、この腕輪の効果は、未来を見せることではありません」

「なにっ?」

 驚愕きょうがくに目を見開く。なら、今まで自分たちが見ていた物は、いったい何だったというのか。

 だが男は即座に手を振って、言葉を続けた。

「あっと、ちょっと言い方が悪かったですね。あなたがたが見ているのは、確かに未来の出来事なのかもしれません。もっと調べないと何とも言えませんが……」

「……どういうことだ?」

 ラークは混乱した混乱した表情で聞いた。男は腕輪を指さしながら言う。

「つまりですね。その腕輪は、着けたものに未来視の能力を与える魔道具だということです。未来を見せるのではなく」

「何が違うんだ」

「色々違いますよ。例えば、今あなたが腕輪を外しても、既に得た能力を失うことはないはずです」

「……なるほど」

 と言うことは、仮に何らかの手段でこれを外せたとしても、夢は見続けるということか。また一つ話がややこしくなった。

「一方で、なので徐々に向上していく可能性があります。初めは夢は見なかったんですよね」

「そうだ」

「つまり、能力の向上の結果、夢を見ることができるようになった可能性も……いや、違うかな。夢は無意識の領域、単なる成長の副作用なのかも……」

 男は俯き加減になって、再びぶつぶつと呟きだした。自分の世界に入ってしまった男を引き戻すため、ラークは強引に割り込んだ。

「そのあたりのことは、調べて分からないのか?」

「あ。ああ、一つ大事なことを言い忘れてました」

 はっと顔を上げ、男は言った。

「その魔道具なんですけどね、強力な反分析アンチアナライズの魔法がかかってるんですよ。これを潜り抜けつつ詳しく調べるのは、私にはちょっと無理ですね」

「じゃあ、あの夢が本当に未来の出来事かというのも」

「分かりませんねえ、私には」

「そうか……」

 ラークは小さく唸った。

「調べられそうなやつに心当たりは?」

「うーん、この街では無理でしょうねえ多分。魔道具技師なんて私しか居ないと思いますよ」

「なら、どの街へ行けばいい」

「そうですねえ」

 男は首を傾げて少し考えたあと、言った。

「魔道具技師が多い街って、大陸中央部まで行かないと無いんですよねえ。この辺で可能性があるのは、虹の橋の街ビヴロストぐらいですかね」

「……シグルドが居る街か」

 ラークは僅かに眉を寄せた。レインも一緒だろうし、できれば会いたくない。既に別の街に旅立っていればいいんだが。などと思っていたら、

「もしかして、シグルドと知り合いなんですか?」

 男は目を見開き、急に声量を上げて尋ねた。ラークは若干気圧けおされつつも、頷いて答えた。

「顔見知りなのは確かだ」

「はー、それはすごい」

 感心したように頷きつつ、言葉を続ける。

「もし可能なんだったら、彼に助けをうべきですよ。有名な魔道具技師ですからね、彼は」

「あいつは冒険者だろ?」

「どっちが本職かは知りませんけど、とにかく魔道具技師としては超一流ですよ」

「そうなのか……」

 天は二物をというやつか。もちろん、魔術師と魔道具技師なら、必要とされる技術が近いというのはあるだろうが。

「あの、ラークさん」

 ミーファの声に振り返る。

「どうしてシグルドさんの居る場所を……?」

「ああ、ミーファは聞いてなかったか。スコットから伝言を受けたんだ。『文句があるならビヴロストに来い』と……」

 そこまで話して、不意にある考えが浮かんだ。

「もしかすると、彼は腕輪のことを知っていたのかもしれないな」

「え?」

「俺たちに起こる問題のことも分かっていて、助けるために行き先を告げて行ったのかもしれない」

 ミーファはぽかんと口を開けた。

「じゃあ、レインさんの遺跡の……あれも」

「そうかもしれないな」

 ミーファが言いたいのは、腕輪を奪うために切りかかってきたことだろう。手遅れになる前に腕輪を外そうとしたと考えると、説明がつく。

「じゃ、じゃあ、ビヴロストに行けば助けてもらえるでしょうか?」

 ミーファは表情を明るくして言った。ラークは頷きかけたが、一つ大きな問題があることに気づいた。

「……そうだな。ただし、ビヴロストに行くならを通らないわけにはいかないぞ」

「あ……」

 ミーファは言葉を失った。それは、彼女の『夢』に近づいてしまうことになる。

(コボルト退治の仕事をやめるのを決めたばかりなのにな)

 ラークは苦々しく口元を歪めた。逃れられない運命を見せつけられているかのようで、うすら寒いものを感じた。

 とりあえず、ここでできることは終わった。ラークは立ち上がると、男に手を差し出した。

「ビヴロスト行きを検討してみるよ。いきなり押し掛けたのに色々助けてくれて、ありがとう」

「いえいえ、全然構いませんよ。面白いものを見せていただいて、こちらがお礼を言いたいぐらいです」

 男と握手を交わす。本当に行くかどうかは、よく検討する必要がある。そう思っていたのだが、

「ラーク」

 出し抜けにに声をかけられ、虚を突かれて固まった。彼女に名前を呼ばれたのなんて、これが初めてじゃないだろうか。ゆっくりとこうべを巡らせると、強い意志のこもった瞳が、真っ直ぐに向けられていた。

「今日、準備して。明日出発」

「……だが」

 反論しようとしたが、サラはそれをさえぎり、きっぱりと言った。

「お願い」

 ラークは相手の真意を探るかのように、眉を寄せて見つめ返す。

 何も言わずに従ってくれと、サラの瞳はそう訴えていた。理由は分からないが、何か深い考えがあるのか。

「分かった、そうしよう。ミーファもいいか?」

「はい」

 二人が首肯すると、サラは席を立って魔道具技師の男の側へと近づいた。首を傾げる男に向かって、言った。

「本を、読ませて欲しい」

 横で見ていたラークは、突然何を言い出すんだろうと思ってしまったが、口出しはしなかった。これも、彼女の『考え』に関係しているのだろうか。

「どの本ですか?」

「たくさんある。今日読めるだけ」

「むむ?」

 男は少し迷うように首を傾げた。一冊ならともかく、読めるだけとは厚かましい頼みだ。だがサラは、懇願するように言った。

「いつか手伝う、仕事。だから」

「……分かりました、構いませんよ」

 男は少女の熱意に押されるようにして、笑顔で頷いた。

「ありがとう」

 サラはぺこりと頭を下げた。話がまとまったのを見て、ラークが言った。

「じゃあ、サラ。明日の朝に北門で会おう」

 彼女はもう一度頷くと、無言で右手を差し出してきた。ラークは多少困惑しながらも、その小さな手を取り、力強く握り返した。

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