第6話 順風

 ゴブリンの攻撃をひらりとかわし、剣の一撃で仕留める。鉢合わせてからほんの数呼吸の間に、相手は物言わぬむくろと化していた。

 ラークが武器を仕舞おうとした時、もうすっかり見慣れたが目の前に現れた。草むらから飛び出してきたゴブリンが、胸元を狙って一直線に剣を突く。ちょっと感心してしまうほど綺麗な剣筋だった。

 が消えたあと、体をわずかに横に動かす。突っ込んできたのゴブリンの剣が、まるで相手が避けるタイミングを見計らったかのように、最早何も存在しない空間を鋭く突いた。もし観戦者がいたなら、示し合わせた殺陣たてのように見えたかもしれない。

 ラークは一突きで魔物をたおし、今度こそ剣を鞘に戻した。未来視の腕輪が無ければ、危いところだった。

 相手の攻撃が来たのは、ちょうど先の敵を倒して油断した瞬間だった。故意に狙ったのだとすると、よく考えられた作戦だ。多少は経験のある冒険者なら、『狩り』や『駆除』と呼ぶほど容易に倒せるゴブリンだが、彼らもずっとやられっぱなしというわけでは無いのかもしれない。

 とは言え、どちらにせよ今のラークたちの敵では無かった。仲間たちの方を見ると、あちらの方でも二体倒したようだった。計四匹が集まっていたというのは、ゴブリンにしては珍しいことだ。

「腕輪には慣れたか?」

「はいっ!」

 ミーファが嬉しそうに返事する。サラは無反応だったが、元々彼女が攻撃を受けることは滅多にないので、まだ一度もを見ていないのだろう。もしくは単に、反応するのが面倒だっただけかもしれないが。

 腕輪を手に入れてから、既に数日が経っていた。効果について色々調べた結果、着用者に危険が迫った場合には必ず発動するということが分かった。『危険』の程度としては、少なくとも傷が残る程度、例えば魔物の攻撃等なら間違いない。危険以外にも条件があるようなのだが、まだよく分からない。

 言うまでもなく、相手の攻撃を完璧に予測できるというのは、圧倒的なアドバンテージだった。普通なら防ぐのが精いっぱいの鋭い攻撃でも、事前にことができる。それは防御面で有利なだけではなく、相手の攻撃の隙を突いたカウンターは、しばしば一撃必殺となった。

(もうこれは要らないかもしれないな)

 ラークは長年愛用してきた盾に目をやった。少なくとも一対一の戦いであれば、無くても全く問題ない。攻撃にも転用できる左手用短剣マン・ゴーシュにするか、もしくは両手剣でも使えるようになれば、大型の魔物とも戦えるかもしれない。そうなれば、もっと稼げる別の街へ移ることも考えられる。

「じゃあ、そろそろ行くか」

「はいっ」

 ラークは地図を確認すると、いつもの狩場のさらに西へと向かった。今日のターゲットはゴブリンではなく、とある魔物だ。ゴブリンと比べれば格段に危険な相手だが、今の自分たちなら余裕を持って倒せるとラークは判断していた。

 とりとめもない雑談に花を咲かせながら、森の中を進んでいく。奇襲を警戒する必要が無いので、精神的にかなり余裕があった。

(いや、あまり頼りすぎるのも良くないな)

 と、ラークは考え直した。腕輪の効果の全てを把握したわけではない。突然発動しなくなることだって、あり得なくはないのだ。

 水の音が、遠くの方から聞こえてくる。遺跡に行った時に川を渡った場所だな、とラークは思い出した。

(レインは何故俺たちを襲おうとしたんだろうか)

 それだけがまだ引っかかっていた。アシュレイなんかは、今まで行けなかった遺跡に挑戦するのに忙しく、もう彼らのことなど全く気にしていないようだった。

 あのあと街に戻ると、待ち構えていたスコットに平謝りされた。彼は何も悪くないとラークは思ったのだが、本人はとても申し訳なさそうにしていた。

 何故あんなことをしたのか、彼はレインを問い詰めたらしい。だが適当にあしらわれるだけで、まともな答えは帰ってこなかった。ザイルに着くと、レインたちはすぐに別の街に旅立ってしまったそうだ。

 襲われたことは、結局ギルドに伝えないことにした。信じてもらえるかどうか微妙だったからだ。目撃者は多いが、それを上回るほどあっちは知名度が高い。

「それから」

 という、スコットの言葉を思い返す。

「シグルドさんが、文句があるならビヴロストに来い、って」

虹の橋の街ビヴロストか……)

 冒険者にとっては、魔術師たちの総本山である『学院』をようする街だ。北の山岳地帯にあり、ここからだと馬車と徒歩で五日ほどかかる。もっと早く着く手段もあるのだが、目の玉が飛び出るようなを取られるので、現実的ではない。

 何にせよ、わざわざ文句を言うためだけにそんな所にまで行くつもりはなかった。何故襲ってきたのかを聞きたくはあったが……。

「ラークさん?」

 名前を呼ばれ、はっとしてミーファの方に目を向ける。彼女は不思議そうに首を傾げ、ラークの顔を覗き込むように見ていた。いつの間にか、自分の世界に入ってしまっていたようだ。

「……悪い。聞いてなかった」

「ええー……」

 彼女は少し怒ったように目を見開くと、拳をぶんぶんと振りながら言った。

「そろそろ、例の魔物が見つかった場所ですよね、って!」

「……そうだな。警戒しながら進もう」

(気を抜きすぎだ)

 ラークは肩を回し、気合を入れ直した。


 何度かの休憩を挟み、三人はひたすら森を進んだ。これまでのように真っ直ぐ西を目指すのではなく、地図を塗りつぶすかのように、ある一定範囲を蛇行しながら進んだ。この辺りのどこかに、ターゲットがいるはずだった。

 だが、当初の目論見もくろみは外れ、ターゲットにはなかなか遭遇しなかった。どうしても必要な場合以外は逃げに走る獣と違い、魔物は見つけた相手に襲いかかる傾向が強い。だから近くを通りさえすればいいはずなのだが、もしかしたら別の場所に移動してしまったのかもしれない。

 もうすっかり日は傾いている。ミーファは時折話しかけてきたが、ラークの方は相手をする気力を失いつつあった。よく話題が尽きないものだと感心してしまう。

 今日はもう無理かもしれないな。ラークが思ったその時、

「っ!」

 声にならない叫びをあげ、体を硬直させた。頭上から振ってきた大きな影が、目の前に降り立ったのだ。と思うと、幻のように消えてしまった。

(ウィングキャット!)

 ラークの目は、キャットと言うにはいささか大きな灰色の体躯たいくと、額にはまる大きな赤い宝石を辛うじて捉えていた。ようやく見つけた、今日のターゲットだ。落下の勢いを乗せて振るわれた、鋭い爪の軌道を目に焼き付ける。

 今のは本物なのか、それとも腕輪が生み出した虚像なのか。速すぎて見た目には判断が付かなかったが、消滅したことを考えると後者の可能性が高い。即座に抜いた剣を、まだ視界には無い、両脚の爪の間をうような軌跡をイメージして突く。

 剣先は、高速で落下してきた魔物の額に、赤い宝石の中央に吸い込まれるように突き刺さった。軌道をほんの少し見誤り、爪が服をかすめたが、ぎりぎり腕に触れることはなかった。

 魔物は痙攣けいれんを起こしたかのように体をぴんと伸ばすと、そのまま地面に転がり動かなくなった。ラークはそれを見届けたあと、剣を引いた。

「びっくりしました……」

 ずっと固まっていたミーファが、ほう、と息を吐いてから言った。今のは見えていなかったののかもしれない。恐らく、魔物の攻撃の範囲に入っていなかったのだ。

「この魔物、かわいいですね! ちょっと可哀そうかも」

 気を取り直した様子のミーファが、暢気のんきなことを言っていた。ラークは改めて魔物を見てみたが、サイズの問題で、可愛いとは思えなかった。ミーファは猫好きなのだろうか。

 ちなみに、『ウィングキャット』という名前にも関わらず、ウィングは付いていない。恐るべき跳躍力と敏捷性から、そう呼ばれている魔物だ。

(しかし、こんなに簡単に倒せるとはな)

 剣を仕舞いながら、ラークは思った。探すのに手間取ったものの、戦闘にかかった時間はほんの一瞬だ。ゴブリン一匹よりも短い。

 ウィングキャットは、本来ならラークたちが相手できるレベルの魔物ではない。弱点の額の宝石は非常にもろく、なんでもいいから攻撃を当てさえすれば倒せるのだが、その当てるのが至難のわざなのだ。こいつらの敏捷性は、飛んでくる矢を回避できるほど高い。

 ラークの口元には、自然と笑みが浮かんでいた。こいつを一匹退治しただけで、ゴブリンの数十匹分の報酬が手に入る。それだけ厄介な魔物だということだ。

「ラークさん!」

 ミーファがにこにことしながら言った。

「仕事はこれで終わりですよね。早く寝るところを決めて、ゆっくりしましょうよ」

「そうだな」

 ラークは頷く。野営の準備は早い方がいい、と思いながら、辺りに顔を巡らせた。


「こちらが報酬になります」

「……ありがとう」

 いつも通りのやりとりを終え、ギルドの職員から金貨を受け取る。ただし、軽く十を超える枚数を手渡されたのは、久しぶりのことだった。数えるのにだいぶ手間取ってしまったが、正しく二十枚あった。

 三人に六枚ずつ分けると、余りが二枚だ。余った金貨は装備を買うための費用として取っておくルールなのだが、今日は皆の夕食に使うことに決めていた。中央広場のレストランとまではいかないが、それなりの店に行く予定だ。

 女性陣二人は、店の前で待ち合わせして先に宿に帰した。二日間も街の外に出ていたことだし、今頃お風呂でゆっくりしているだろう。

 約束の時間までは、自分の準備の時間を考えてもまだ少しある。どこで時間を潰そうか考えていると、

「やあ、ラーク」

 声をかけられ、振り返った先にいたのはスコットだった。相変わらず、にこにことほがらかな笑顔を見せている。彼は、殊更ことさら嬉しそうに言った。

「機嫌良さそうだね」

「……顔に出てたか?」

「うん。いいじゃないかべつに」

 口元を歪めるラークに、スコットは声を出して笑った。

「仕事は上手くいってるみたいだね」

「まあ……な」

 今回に限って言えば、そうだ。次からもそうだと願いたいが……。

 ちなみに彼には、腕輪の効果は教えていない。レインからも、詳しいことは何も聞いていないそうだ。

「そっちはいつまでこの街に居るんだ?」

 ラークはふと気になって聞いてみた。スコットたちの実力では、この街は少々窮屈だろう。元々の活動場所は、レインと同じく大陸の中央部だそうだ。

「まだもうしばらくは居るよ。親戚の挨拶あいさつ回りも残っているし」

「親戚?」

 眉を寄せて、ラークは尋ねた。

「もしかして、この街出身なのか?」

「うん、そうだよ。言ってなかった?」

「初めて聞いた」

「そっか。ちなみにリーダーも同じだよ。後から知ってびっくりしたんだけど」

「すごい偶然だな」

「ほんとにね」

 スコットは口元を押さえて笑った。ミーファが里帰りかなんて言っていたが、あながち間違いでもなかったようだ。

「ラークの故郷は、ここの近くの農村なんだっけ」

「ああ」

 最近帰ってないな、とラークは思った。近いとは言っても、馬車を乗り継いで数日はかかるのだ。もう少し稼ぎと貯蓄が増えるまでは、帰る気になれなかった。

「あと、これはほんとはまだ秘密なんだけど……」

 スコットはちらりと周囲に目を向け、声をひそめた。

「近々ギルドから大きな依頼が出るんだよ。コボルト退治の」

「コボルト? 東の山岳地帯のか?」

 ラークは眉を寄せる。『王国』と呼べるほどに大きな群れを作り、領域を侵す者には容赦のないコボルトたちだが、外に出てくることは滅多にない。こちらから手を出さない限り害は無いので、これまで退治の依頼なんて出たことがなかったはずだ。

「うん、鉱山の一部を奪う計画らしいよ。主体は国軍なんだけど、冒険者も結構連れていくみたい」

「鉱山を奪う、か……」

 コボルトたちが東の山岳地帯にむのは、良質な鉱石を掘り出すためなのだそうだ。掘り出したものをどうしているのかまでは分かっていない。魔物たちの間で流通しているだとか、実はコボルトは鉱石を食べるのだとか、どこかの人間の国に密かに流されているという噂まである。

規模スケールのでかい話だな」

「ある意味、戦争みたいなものだよね」

 スコットは肩をすくめた。

「まあそんなわけで、うちのリーダーにお誘いがかかってるんだよ。報酬はかなりいいみたいだから、ラークも考えといたらいいかもね」

 そう言って、彼は手を振りながら去っていった。

(コボルトか)

 ラークは、以前に群れを離れたコボルトと出会った時のことを思い出した。直立した犬のような姿の彼らは、身体能力的には『不器用だが足の速いゴブリン』とでも言うべき存在だ。特に苦戦することな敵ではなかった。

 だが群れを相手にするとなると、話は別だ。人間のように高度な戦術をとることは無いものの、数が多いというだけで十分に脅威となる。

(これがあればいけるか?)

 袖を少しまくり、腕輪に目をやる。これを使いこなすことができれば、自分より遥かに強大な魔物とも渡り合えるんじゃないかと、そう思っていた。

 ラークは袖を直すと、ギルドを後にした。


 ミーファが描いたごく簡単な地図を見ながら、ラークは目的の店へと向かった。彼女が選んだ今日のレストランは、中央広場から繋がる東通りの途中にあるようだ。空は徐々に蒼暗あおぐらくなっていったが、魔道灯が整列するこの通りは、闇とは無縁のようだった。

 街の東端の貴族街まで伸びている東通りには、中央広場に次ぐ高級店が並んでいる。途中に大きな教会があるため、金持ちばかりが歩いているわけではないが、やはり身なりの良い者が多い。

 ラークも一応、見苦しくはない程度の――要するに、破れたり汚れたりはしていない――服は着てきていた。過去に身分の高い人たちに会うために買ったのだが、袖を通したのは久しぶりだ。冒険者の中には、貴族の依頼を受けて屋敷に頻繁ひんぱんおもむく者もいるが、毎日ゴブリン退治しかしていない自分にとっては無縁の世界だったようだ。

 やがて、目的の店が見えてきた。中央広場の店と比べると、地味な外観だ。凝った作りの飾り看板と、窓の下枠にある植木箱の花が、唯一目立っていた。

 店の前に立つ、二人の若い女性の後姿が目に入った。落ち着いた装いの女性と、ひらひらとした可愛らしい服を着た背の低い女性、というより少女が並んでいる。服はデザインが少し古いものの、素材も作りも良いだろうことが遠目にも分かった。

 背の高い方の女性は、アップにした髪を、草花を模した髪飾りで留めていた。必然的に彼女に近付くことになったラークは、緩やかな曲線を描くうなじを目にして、どきりとしてしまった。見てはいけないような気がしながらも、視線を外すことができない。

 くだんの女性が、不意に振り返った。目を逸らすタイミングを逃したラークの頭の中に、無遠慮に見つめていたことに対するの言い訳の言葉がいくつも浮かぶ。だが、

「あ、ラークさん」

 その女性に、いやミーファに名前を呼ばれ、ラークはぽかんと口を開けたまま固まってしまった。両手を体の前で重ね、穏やかな笑みを浮かべるミーファは、いつもより大人っぽく見えた。

 ラークがほうけているのを見て、ミーファの表情が徐々に不安げなものに変わっていった。彼女はおずおずと尋ねかけた。

「えと、私の恰好、変でしょうか?」

「いや、綺麗だなと思って……」

 つい本音をそのまま口に出してしまった。今度は、ミーファがぽかんとする番だった。少し間を置いたあと、みるみるうちに頬が赤く染まっていく。

「な、なに言って……ラークさんもそういうお世辞言うんですね!」

「ああ、いや……」

 もごもごと曖昧に答えながら、ラークはなんとか視線を移動させた。

 その先に居たのは、人形のような愛くるしい恰好をした少女だった。じいっとこちらを見上げてくるサラは、いつもより一層幼く見える。服は本人の趣味なのかミーファの趣味なのか、それとも他の誰かなのか。

「ほら、早く行きましょう!」

 ミーファにぐいぐいと肩を押され、ラークは店の扉を開いた。

 行きつけの酒場などとは大きく違い、間接照明で控えめに照らされた店内には、落ち着いた雰囲気が漂っていた。もちろん、下品な笑い声をあげる客も、大声でわめくような客もいない。壁には様々な題材の絵画が飾られていた。

 ラークは少しだけ緊張しながら、奥の席に着いた。店員から渡された紙の束を、小さく頷きながら受け取る。

「……」

 文字がびっしり書かれたそれがメニューだということに、ラークは一瞬気づかなかった。単に種類が多いというだけでなく、一品ずつ事細かに説明が書かれている。

 全てに目を通すことを早々に諦め、ぱらぱらと紙をめくる。たくさんある肉を焼いた料理の中から――何故焼くだけなのにこんなに種類があるのかよく分からなかったが――『おすすめ』と書かれたステーキを選んだ。少し迷ってから、煮込み料理を一品ひとしな、それからチーズを頼むことに決めた。

 女性陣に目をやると、二人は顔を寄せあって料理を選んでいた。ミーファは真剣な表情で、紙に沿わせた指をゆっくり下に動かしている。どうやら、このメニューさくひんを読破する心づもりらしい。

 いつもと比べて見た目の年齢が反対側にずれている二人は、まるで仲の良い姉妹のようだった。全く似てはいなかったが。

 ミーファの方をじっと見ている自分に気づいて、ラークは視線を大きく外した。幸い、本人は気づかれなかったようだ。

 店内をぐるりと見回すと、客の中には冒険者の姿もちらほらあった。次の仕事の打ち合わせなのか、何事か真剣に話し合っていた。

 客層やメニューに書かれた値段から考えると、この店は最初の印象ほど『高級店』ではないようだった。ちょうど、自分たちのような人間が、奮発して美味しいものを食べに行く店といった感じだ。ミーファもそういう店を選んだのかもしれない。

「すみません、時間かかっちゃって」

 他のテーブルを眺めていたラークは、申し訳なさそうに言うミーファに視線を戻した。気にするなという風に、緩く首を振る。

「いや、せっかくこんな店に来たんだ。ゆっくり選んで好きなものを頼めばいい」

「そうですよね! 今日ぐらい、高いの頼んでもいいですよね……?」

 何故か自信なさげな疑問形になるミーファ。どうやら値段で迷っているらしい。ラークは苦笑しながら言った。

「予算は金貨二枚もあるんだ。そうそう無くならないぞ」

「そ、そんなに使うんですね……」

 ミーファは緊張の面持ちで、改めてメニューに目をやる。サラは先に決めたのか、無表情で何もない前方を見つめていた。そうしていると、本当に人形のようだ。

 ようやくミーファが決断したあと、店員を呼んで皆の注文内容を告げた。その若い男性は、少し不思議そうに言った。

「お飲み物は、後で注文されますか?」

「……ああ」

 言われてみれば、全員食べ物しか頼んでいない。ラークはほんの少しだけ悩んだあと、すぐに答える。

「適当な……赤ワインを頼む。二人はどうする?」

 エールと言いかけて、途中でやめた。ミーファもすぐに追随する。

「私も、同じものをお願いします! サラちゃんは?」

 サラがこくりと頷いた。

「同じのでいいの?」

 また頷く。

「じゃあ、それで、お願いします」

かしこまりました」

 店員はうやうやしく頭を下げ、しずしずと店の奥へと消えていった。ラークは思わずサラの顔を見てしまう。酒を頼むとは思わなかったのだが、実は酒好きだったりするのだろうか。酔うと果たしてどうなるのか、想像もつかない。

 それはともかく、ラークはふと前から気になっていたことを聞いてみた。

「金は何に使ってるんだ?」

「え?」

「仕事の報酬だよ。生活費に全部消えてるわけじゃないだろう。もしかして、服を買うのが趣味なのか?」

 彼女たちの服装に目をやる。二人とも、探さないとなかなか無いような服だ。値段はよく分からなかったが、結構高いのかもしれない。

「あ、いえ。ええと……」

 ミーファは迷うように視線を彷徨さまよわせたあと、言った。

「孤児院に寄付してるんです」

「孤児院?」

「はい。私たちが……私とサラちゃんが、育った」

 隣の少女に目を向けると、柔らかい笑みを浮かべる。サラも表情を変えはしなかったものの、じっと見返していた。

「私たちが居た頃も、出て行った人たちがたくさん寄付してくれてたんです。だから、今度は自分が恩返しする番だと思って」

「そうだったのか」

 ラークは感心したように言った。いくら生まれ育った場所とは言え、今の少ない稼ぎの中から寄付に回すなんて、自分にはとてもできない。

 ミーファは自分の服に目を落とし、胸元を摘みながら言った。

「この服は、孤児院を出る時に貰ったんです。冒険者になったら、偉い人と会う機会もあるかもしれないからって……今のところ、全然ないですけど」

 あはは、とミーファは笑った。同じ状況のラークとしては、肩をすくめるしかない。

 さっきの店員が瓶入りのワインとグラスを持ってきて、全員にいで回った。グラスは歪みがほとんど無い高級品で、中に入った液体は濃縮され尽くされたかのように赤く、いかにも美味しそうだ。

 最初に注がれたサラは、他の人を待たずに早速味見していた。やっぱり好きなのかもしれない。

「ラークさんは、何にお金を使ってるんですか?」

 店員が去っていったあと、ワインを口にするラークにミーファが尋ねた。ラークは思わず手を止める。

 改めて聞かれると、何に使っているのだろう。酒は時々飲むものの、それで稼ぎが全部無くなるほどではない。かと言って、貯金も大してあるわけではない。

 最近買った物を思い出してみる。使うかどうかわからない投げナイフや、存在すら忘れかけていたお守り。一つ一つはそこまで高いわけではないが、そういうのが溜まり溜まって、金が無くなっているのだろうか。

 ミーファはじっと回答を待っている。だがラークが黙り込んでしまったのを見て、何かに気づいたかのように、はっと顔を強張らせた。

「あっ、べつに、無理して言わなくても大丈夫ですからっ!」

 顔を赤くしながら、慌てた様子で手を振るミーファ。言いたくないから黙っているのだと勘違いしたようだ。それにしても、いったい何を想像したのだろうか。

「……」

 このまま黙っているか、それとも、自分でもちゃんと把握していないことまで含めて説明するか。とりあえずグラスを傾けたところに、サラがぽつりと言った。

「女?」

 直接的すぎる――いや、直接的ではないのかもしれないが、とにかく衝撃的なその言葉に、ラークは危うくワインを吹き出すところだった。

「さ、サラちゃん……!?」

 顔を引きつらせたミーファは、引き気味に体を反らした。

「違うの?」

 サラはこてりと可愛らしく首を傾げ、わずかにとろんとした目でラークの方をじっと見ていた。もしかして、酔っているのだろうか。

「ちょ、ちょっと! サラちゃん、飲むの早いよ」

 ミーファが焦ったように言った。よく見ると、もうグラスは空になっている。

「美味しかった」

 そう言うと、サラは早速店員にお代わりを頼もうとしていた。彼女が口だと悟った店員は、喜々としてワインの種類について説明を始めた。サラはふんふんと頷きながらそれを聞いている。ラークもちょっと興味を引かれ、最終的に同じものを貰うことにした。

「飲みすぎないでね……?」

 ミーファがサラに恐る恐る言った。ラークは何とは無しに聞いてみる。

「弱いのか?」

 すると、サラはふるふると首を振った。

「お酒は、好き」

「ほう」

「ラークさんも、サラちゃんにあんまり飲ませないでくださいね……」

 なんて怯えたように言うものだから、ラークはつい笑ってしまった。よっぽど酒癖が悪いのだろうか。

「そう言われると、飲ませたくなるな」

「美味しい」

「だめだめ、駄目ですっ!」

「……まあ、今日は美味うまいものを食べに来たんだ。味が分からなくなるほど酔っぱらってしまったら勿体ない」

「うん」

「そうですよ!」

 ほっとした様子のミーファを横目で見ながら、ラークはにやりと笑った。

「飲むのはまた今度にしよう」

「楽しみ」

「ええ……」

 困ったような、呆れたような表情を見せるミーファ。

 そうこうしているうちに、料理が追加のワインと共に運ばれてきた。ラークの目の前に、肉がたっぷり入った煮込み料理が置かれる。煮詰まった汁と、後から乗せられたハーブの緑の対比が印象的で、見るからに美味しそうだ。

 チーズは、大きな一つの皿を丸ごと占拠して出てきた。色と質感が微妙に違う数種類の塊を、ラークはまじまじと見つめてしまう。チーズとは、こんなに多種多様な食べ物だったのか。

 ステーキはまだお預けのようだった。向かいの席を見ると、二人はどちらもパンとスープを頼んでいた。ミーファは透明な薄いスープ、サラは赤味がかったどろどろとしたスープだ。

 ラークは手始めに、二種類のチーズを食べ比べてみた。ナイフで小さく切って、それぞれ口に入れる。

「……」

 確かに美味しい。それに、ワインともよく合う。が、種類による味の違いはよく分からなかった。

 次の塊に取り掛かろうとした時、ふと視線を感じて顔を上げた。サラが、じいっとこちらを見ている。その視線には、何らかの期待がこもっているようだ。

 無言で皿を押してやると、少女はぱあっと顔を明るくして――とは言いすぎだが、確かに喜びの表情を見せて、いそいそとチーズの塊を切り分け始めた。

 そんなやり取りには気づかず、横でスープを飲んでいたミーファが声をあげた。

「わ、美味しいです、これ」

 頬に手を当て、とろけるような笑顔を浮かべる。ラークは妙に落ち着かない気分になって、手元の煮込み料理に目を落とした。

 しばし、皆無言で料理を楽しんでいた。サラはチーズが気に入ったらしく、小さな欠片をちまちまとかじっている。その合間には、両手でワインのグラスを持ち、ゆっくりと傾けてほんの少しずつ飲んでいた。時々ちらちらと向けられる、友人の視線を気にしているのかもしれない。

 煮込んだ肉を豪快に口に入れているラークに対し、ミーファが不意に問いかけた。

「ラークさんって、もしかして……パン嫌いなんですか?」

「いや?」

 質問の意図を、少し考えることになった。そう言えば、パンを頼んでいないのは自分だけだ。

「今日は美味い肉を食べるつもりだったからな。パンを混ぜずに肉だけを食べたかったんだ。分かるだろ?」

「ええと……分かりません」

「分からない」

「……そうか?」

 頭ごなしに否定され、ラークは若干傷ついたように言った。ミーファがテーブルの真ん中あたりに押しやられた大皿を指さす。

「だいたい、チーズ頼んでるじゃないですか」

「チーズは問題ない」

「……やっぱり分かりません」

 ミーファは不服そうに言った。

 やがて、全員のメインの料理が運ばれてきた。ラークは早速ステーキにかぶりつく。ほとんど焼いただけのような品だったが、いくらでも食べられそうなほど美味しかった。昨日の夜に食べたミーファの手作りも良かったが、やはり素材の質が違う。

 女性二人は、大皿の魚料理を分け合っていた。深い皿からこぼれそうなほどのソースの海の中に、煮魚がまるで泳ぐように盛り付けられている。その周りには様々な野菜や貝類などが浮かんでいて、見た目にも楽しい。ミーファがどれから食べようか悩んでいる横で、サラは黙々と中央の魚を攻略していた。

 魚といくつかの野菜を自分の皿に取り分けながら、ミーファが言った。

魔物って、報酬多いんですね。びっくりしました」

「そうだな。今回は運が良かったのもあるが」

 ゴブリン以外の魔物退治の仕事は、常にあるとは限らない。その上、報酬もまちまちだ。難易度に全く見合わない額が設定されていることも珍しくない。

「一日に金貨三枚なんて、遺跡に行かないと無理だと思ってました」

「ここじゃきついが、他の街へ行けばそれくらい稼いでるやつも多いよ」

「そうなんですか! 全然知りませんでした」

「俺も外にはほとんど出たことないから、また聞きだけどな」

 いつの間にかだいぶ減っているチーズを取りながら、ラークは言った。

 冒険者になってから結構な年数が経つが、自分もまだまだ知らないことは多い。腕輪を手に入れたこの機会に、色々挑戦してみるべきかもしれない。

「次はもっと稼いで、中央広場の店にでも行けるようになりたいな」

「はいっ」

 輝くような笑顔で、ミーファは頷いた。

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