虎ノ門ヒルズ

 虎ノ門ヒルズの正面は封鎖されていた。車寄せから入る。最上階まで一気に行けるはずのエレベーターは動かず、オフィスへ向かった。


「かなり人がいるな。車の荷捌き場から入って、貨物用のエスカレーターを使うか」

「いや、そっちは申請がいるみたいだよ。乗用エレベータで上へ向かおう」


「入館のカードがいるぜ」

「まあそうだね。どこかで手に入れないとね」


 止まっているエスカレーターをアルトと上がる。見回りらしい男が俺達に近づいてきた。警備員の制服だ。アルトがつぶやいた。


「手ごろな体格だ。あれなら行ける」

「あのー、すいません。こちらは立ち入り禁止になっているんですけど」


 制服の男が大股で近づきながら言った。


「あ、すいません。最上階のホテルへ、備品を取りにきました」


 アルトがにこやかに答える。


「すいませんがお引き取りください。表に立ち入り禁止って書いてありましたよね」

「あーじゃあ、この電話番号にかけてもらえますか。事情が事情なんで、出ると思いますけど」


「え、私が?」

「はい。ここのテナントのオーナーからの連絡ですけど、行き違いになってるみたいですね? 電話すればすぐわかりますので」


「じゃあ防災センターで」

「急ぎなんです。ここにかければわかります」


 アルトに押し切られ、男が渋々とスマホを取り出した。受話器の奥で電子音が鳴る。その瞬間、アルトががら空きになった男の左腰に手を伸ばした。


「あ、おい!」


 男が目を下にやろうとするよりも早く、アルトが警備員の腰から特殊警棒を取り出した。振り出しながら男のこめかみに命中させてスマホを奪い、赤いマークをタップする。


「くそっ、なんだおまえら……」


 答えず、アルトが左手で服の袖をつかみながら、一歩で男の背後へ回る。制服を引寄せながら警棒で後頭部を3度めった打ちにした。糸が切れたように男が倒れた。


「殺してねえだろうな」

「大丈夫だと思うけど、後遺症どうこうまでは保証できないね」


 言いながらアルトが服をはぎ取り、ショルダーバッグからガムテープを取り出して口の周囲を何度も巻き、さらに後ろ手に固定する。給湯室に転がした。


「はいそっち向いて」


 アルトにくるりと体を半回転させられる。1分もかけずに、アルトが給湯室から出てきた。奪った制服と靴を身に着けている。


「似合うかな。まあこれでカードは手に入った。次は君が私を連れて備品を取りに行っているというシナリオになるね」


 エレベータに向かう。もう後戻りはできない。警備員のカードでセキュリティゲートをくぐり、貨物用のエレベータホールへ。上に向かうエレベータを呼ぼうとしたが、アルトがその腕をつかんだ。


「ここから先、何にも触ってはいけないよ。痕跡を残さないように。訴えられたときに複数の犯罪に関与しているとわからないようにね」


 アルトが手袋をはめた手でボタンを押す。


「……わかったよ」

「不満かい? これがプロのビジネスだよ。君のお金につりあう仕事をする。私は職人なんだ」


 慣れるしかない。アルトがボタンを押したが、エレベータは来なかった。


「うーん、ランプは点いてるのになあ」

「動かないようにしてるんじゃねえかな」


「警備が?」

「いや、サクがだ」


 エレベータホールに戻り、スイッチを押す。1台、低層階のみ移動できる奴しか動いていなかった。乗って17階まであがったとき、戸が開くと同時に、強烈な圧が俺たちの体を叩いた。


「なんだこれ?」


 アルトが顔をそむける。熱風が顔を襲う。エアコンが明らかにおかしな動き方をしていた。


「子供だましじゃねえか」

「いや、40度超えてる。長い時間いたら死ぬね」


 アルトが戻ろうとエレベータのボタンを押したが、反応する前にカゴの電気が落ちた。


「なんだこりゃ」

「エレベータだけ電気を切られた」


 廊下はまだ熱気が漂っている。


「分電盤のブレーカーを落とすか」

「それをやっても温度がどれだけ下がるかな……非常用階段に行こう」


 全身を包む高温に耐えながら鉄のドアを開ける。


「……まずいね。こっちはガスだ」

「なに?」


 鼻に意識を集中させた。たしかに異臭がする。踊り場から飛ぶように駆け上がって鉄のドアにしがみつく。鍵がかかっていた。


「走ろうか」


 アルトに続いて階段を駆け上る。22階の鍵があいていた。転がるように2人でオフィスの廊下に出る。ドアを閉めた。この階には熱気はない。あたりは重苦しく静まり返り、物音はなにも聞こえなかった。


「階段から離れよう。ドアが吹き飛ぶかもしれない」


「防火戸なのにか?」

「防爆戸じゃないからね。まあ、都市ガスだと濃度次第じゃなかなか爆発しないからセーフと思いたいけどね。それでも換気を止めれば理屈の上では爆発させられる。非常階段ならどこでも行けるって常識をひっくり返されたな」


 吹き飛ばされたらどのみち酸欠で終わりだが、とにかくそこから速やかに離れた。


「誰もいねえな」

「これじゃ怖くて上の階にはこられないものね。警察も消防もここは後回しだろうし、地震や天災じゃないから何を優先するべきかわかんないだろうな。実のところ、それが最大の問題かも」


 反対側の貨物エレベータも動かなかった。そもそも階段の近くにあるやつを使う気にもならない。非常階段への扉を開けると、やはりさっきと同じ臭いが漂っていた。


「ふむ……」


 乗用エレベータホールの前へ行こうとドアを開けた。そこでスプリンクラーが動作し始めた。非常ベルの音と同時に、天井から急に水が吹き付けてくる。


「げげっ!」


 アルトが俺の手を引く。慌てて走り、乗用エレベータのホールで手近なボタンを片っ端から押した。一機、ドアが静かに開いた。転がるように乗り込み、閉めるボタンを連打する。


「あ、あぶなー」

「なんでだよ? 水だろ?」


「コンセントから電気を引っ張ればたちまち感電だよ! 怖いなー。軍隊やマフィア相手とぜんぜん違うぞ。セオリーが通用しないのはきついね」


 ボタンは一番上だけが反応した。そこに到着すると、またも熱風が吹き荒れていた。だんだんこの仕掛けの意図がわかってきた。


「アルト、見えてきたぜ。中層・高層のエレベータは下層階に行かないように設定しておいて、中継ぎだけができるようにしてる。そして乗り継ぎの階は廊下をこの温度にしておいて、人間の移動時間を制限する。そうすると、エレベータの動作で確実に侵入者の居場所がわかる」


「となると、もう私たちの行動は割れてるってわけだ」


 アルトが苦笑しながら、熱気の中で次の高層へ向かうエレベータを呼ぶ。上がって出るたびに電源が落ちた。上に行くしかない。オフィス最上階の35階まで着いた。そこもエアコンが異様な音を立てていた。上へ向かうエレベータがない。


「あと1階上がればいいのだが、その1階を上がるにはどうするか……」


 アルトが割れた窓を背に廊下の奥をにらむ。しかしその目はすぐに別の方角を向いた。


「これ、なんの音だろう」

「エアコンの事か?」


 アルトが声量とそのトーンを一気に下げた。


「いや違う。いいかい。私が伏せたら、その真後ろに入って同じ姿勢で伏せて」


 アルトは拳銃を両手で持って膝たちになり、間をおいてさらに廊下の中央に伏せた。慌ててその足元に同じように伏せる。


「おい、端によらなくていいのか?」

「素人は黙っとれ」


 ブーン、という鈍い音とともに、廊下の角からそれは姿を見せた。アルトが伏せたまま発砲した。チィンという音に続いてガタッと何かが床に落ちる音がした。曲がり角の陰になっていて見えない。アルトがもう一度引き金を引く。2つ目の音。白い物体が廊下の中央に落ちた。


「ドローンか!」

「黙っとれ! いくつ飛んでるか聞こえない!」


 鋭い小声を残して膝たちになって振り返り、銃をもう一方の通路へ向ける。それからもう一度最初の方向へ向いた。


「やれやれ。もういらっしゃらないようですな……」


 吐き捨てるようにアルトが額をぬぐって機械に寄る。


「カメラと拳銃がくっついてる。多分マイクもだ。でも、なぜ……?」

「なぜってなんだ?」


「殺す気なら非常階段でガス爆発。追い出す気ならエアコン暴走とスプリンクラーと電気で十分。なぜコストの高いドローンと拳銃を使う?」

「顔を見て確実に仕留めるためだろ」


「それもおかしい。なぜ顔を見て確実に仕留めたいなんて思う……?」


 アルトがひとしきり考えて、それからドローンのそばで立ち上がった。


「わかった」


 言うと、アルトが突然、俺に銃口を向けた。

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