平行線の先

 壊れたドアを壁にかける。1年を過ごしたほこりがたまっている地下室を見渡した。もう戻ってこられないかもしれないと思ったが、すぐにその思いは消えた。ここにはもう来なくてもいい。マドカのいるところが帰る場所だ。


 廃墟の階段を上り、路地を抜けて靖国通りに出た。薬は見つからなかったと言って、アルトも俺の後から出てきた。


「で、なに? その君の友達を殺す手伝いってことでいいんだね?」

「いや、そこまでの俺の護衛だ。邪魔が入ったら実力で頼む」


「そっちは殺していいのかい」

「追い払う程度にしてくれ」


「その注文に合わせるのはものすごく面倒だな。判断する裁量はもらうよ」

「わかった」


 技術者はどの業界でも似たような話し方をするんだなと思いながら、新宿御苑駅への階段を降り、幕張へ行った時と同じ拳銃をアルトから受け取った。改札の近くの柱に、地下鉄は動き始めているとを示す張り紙があった。


「サクだけは撃つかどうか俺が判断する。俺が引き金を引く。お前はそこまで来たらお役御免だ」


「ショウじゃ当たらないと思うよ。まあ一応撃ってみて、当たらなかったら私も撃つことにしようか。あと失敗した時の事も考えといてよ。予定通りいかなくて、特に私が殺された場合。その時はおしっこ漏らしながら泣いて謝ってね。運が良ければそれで助かるよ」


「拳銃ってのはそんなに当たらないもんか? 前に地下水道で撃った時はそれなりにまっすぐ飛んだように見えたぞ」

「いやこれが状況によりけりでねえ。君に貸したヒメネスアームズJ-22ってのはね、サタデーナイトってのに分類されるアメリカ屈指のダメな拳銃で、1万円くらいの安ものなんだ。数発撃ったら壊れるかもしれない。まともに飛ぶなんて思っちゃいけないよ」


「なんでそんなもの渡したんだ」

「首尾よく成功した時、あんたはビルを出てから警察に捕まるだろ。そのとき、この襲撃は不本意で、私が強引に連れて来たってことにしてもらう。だからベレッタやグロックなんかで殺したらやる気まんまんって扱いになって、印象が悪すぎるよ。サタデーナイトでガタガタ震えながら殺してれば、なるほどなんか事情があったんですねって勘違いしてもらえるさ。あ、言い忘れてた。絶対2人以上殺しちゃいけないよ。そうすると死刑になる可能性が飛躍的に上がるからね」


「ずいぶん考えてくれてるんだな」

「あんたは上客だからね。なに、心配しなさんな。街はこんな感じだし、2人とも逃げ延びられるさ」


 アルトと不愉快な取り決めを続けながらプラットホームを歩く。電車はなかなか来なかったが、あまり気にならなかった。頭の中を巡る言葉が尽きなかった。


 サクが何を考えてこの事件を起こしたのであっても、もう止めることは不可能だ。この事件は信念とか信仰というよりも、奴そのものだ。


 サクの父親の死は、事件を起こした動機ではない。もしそうなら相談する相手が多いほうがいいはずだ。犯人を突き止めて警察に突きだしたいと、俺やマドカに言ったはずだ。サクにとって父親の死とは、自分の無力さを知るためのきっかけだったが、全てではない。


 そしてサクはコンピュータに魅入られて全能感を持ったわけでもない。マドカの話によれば、誇大妄想に囚われた人間なら逡巡はしないからだ。狂気に走ったなら、シャダイですれ違ったときに見せた、今にも泣きだして俺の名前を呼ぼうとしたあの顔は作らない。小説や漫画のチープな悪役が見せる不敵な笑顔や大げさな身振りは、サクとは無縁だ。


 結局、多くの人間が持つ動機はサクには結びつかないのだ。金のためではない。愛のためでもない。名誉のためでもない。ただ、あの男は呪いに取り憑かれている。それは社会主義や共産主義のような革命思想とは異なる。リバタリアニズムと呼ばれる自由を追求する思想とも違う。知という力を際限なく使うための理想を求める、いわばテクノロジー原理主義だ。その力を思い知らせてやるという奴の声が、この東京を這いずり回っている。


 核兵器が多くの命を奪ってから、終末を扱う話題は無尽蔵に生まれた。ニュースでも口コミでも教育の場でもフィクションでも、人類が絶滅する話がいくつも取り上げられた。しかしITは今まで、そうしたジャンルの圏外にあった。複雑で難しく、爆弾のような直接的被害のイメージを持ちにくかったからだろう。サクはそれを塗りかえた。俺たちの住む世界が胡蝶の夢なのだと気づかせたのだ。


 電車が来た。アナウンスが流れ、どのくらいの頻度で電車が出ているか、どの駅まで行けるかなどの説明が細かく入り、それからドアが開いた。俺たちは並んでその中に入った。ガラガラだった。ゴミだらけで変な臭いが漂う中、7人がけの真ん中に並んで腰掛けた。


「何を考えてる?」


 アルトが言った。


「どうしてもやりたいことがあって、それをやると多くの人が死ぬとしたらどうする?」

「ん? どうだろう。理由によるかな」

「将来、もっと多くの人を救えるかもしれないからだな」


 アルトの乾いた笑い声が、誰も乗っていない地下鉄に響いた。


「お前の笑い声、気分が悪くなる」

「ごめんごめん。バカにしたわけじゃないよ。ただ、その想定はきれいすぎるなって思ってさ」


 そういうとアルトは視線を床に落として、少し声を下げて話し始めた。


「だいたい想像は着いてると思うけど、私は暴力団の家に生まれた。その関係で若い頃はかなりの期間ロシアにいた。両親は日本人だったけれどロシア語が話せて、ロシアと日本との間で金を動かす仕事をしていた。法律では認められていない金をね。必要があれば暴力も使う。人にほめられる仕事じゃなかった。それでも、両親は私には優しかった」


「へえ」


「母は私が幼いときに白血病で死んだ。父が死んだのは私がロシアの外国人中学校に通っていたころだ。殺されたんだ。刃物で刺されて。私が戻った時、父はまだ意識があってね。どうしてこんな仕事をしたんだって聞いたよ」


 アルトが薄い笑顔を見せた。嫌な話をするときに限って、こいつはそういう笑顔をわざと作った。


「父は言ったよ。それしか選べなかった。他のものを見たことも聞いたこともなかった。世界にはそれしかなかった。それ以外の世界を見せてくれたのはお前だけだった。俺の代わりに生きてくれればいい。そんなことをたどたどしく話してから息を引き取った。


 世の中は広いよ。すばらしい生き方がたくさんある。すばらしくない生き方もたくさんある。ただね。他人から見ればバカみたいな生き方でも、そいつにとってはそれ以外何もないんだよ。父みたいにね。犯罪をやったり、明らかにでたらめな宗教にハマったり、儲からないバクチや実らない恋愛にバカみたいな金を払ったりする奴がたくさんいる。でも、私にはわかるよ。それしかないんだよ。理屈はあとからつけるんだよ。まずそれをやって、次にそれをやって、最後までそれをやるんだ」


 地下鉄の線路が大きな音を立てて、アルトは少し言葉を控えた。次の駅で、最後に言った。


「君の友達もそうさ。ちょっと他人と違うだけだよ。それが私の答えだよ。より多くの人が救えても、ただ人が死ぬだけでも同じさ。その人がそういう人だってだけだよ」


「俺はどうしてもそうは思えねえ」


 ん? と、アルトがこちらへ目を向ける。


「もし、そんなに一人ひとり、全てやることなすことが完全に違うなら、世の中はもっと、はるかにでたらめになってるはずだ」


「なってるじゃないか。今、まさに」


 アルトが電車の外に指を滑らせた。


「終わらせるよ」


 サクの顔が浮かんだ。奴が1つの道しか選べないなら、俺にできるのも1つだけだ。アルトは同情とも嘲笑ともとれるような、複雑な深みを目に浮かべた。


「そうだね。私には君のような生き方はできないし、君なりの考え方があるんだろうとしか言えないけれど。それならぜひ、私の代わりに夢見て欲しいよ。もっといい世の中を。たいして多くを捨てなくても、生きていける世界をね」


 霞が関に着いた。ドアが開くと、壊れたエアコンから吹き出す熱風が流れ込んできた。ホームへ踏み出した。


「虎ノ門まで歩くぜ」

「うん、いいとも」

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