予期せぬ銃撃
「お前……」
はっきり、お互いの顔を見て向き合っていた。その視線を切るように、アルトが足早に俺の前に出て俺の腕をつかむ。手の平がぴったりと二の腕に張り付き、俺は無理やり前に歩かされた。思わず横をにらんだが、アルトは平静を保ちながらゆっくり横に首を振った。
サクは俺の横をすれ違うときに、もう一度俺に目を合わせた。両目がかすかに震えている。それを隠すように前を向きなおした。
「ダメだ」
俺が何か言うより早く、アルトが答えた。
「わからないことが多すぎる。予定を崩さないでくれ」
アルトが俺だけに聞こえる声でささやき、食い込ませた指を緩めて先を歩いた。
「私たちは拳銃を持っているんだ。おかしな素振りは許されないよ」
アルトの背を見て歩き続ける。どっと頬を冷や汗が流れ落ちた。震える足を交互に出した。
なぜここにいる? なにをしていた?
足音が消えていく。すべての答えがそこにあるのに、それが手をこぼれる砂のように消えていった。目的の部屋に着いた。ドアは黒いペンキで塗られた鉄製だ。その奥に踏み込む。
「……いやはや、先手を打たれたか」
静かにアルトがつぶやいた。
「なにが……」
「ショウ、絶対に声を出さないで。あと、先に口をふさいでおくといいよ」
重ねて聞こうとする前に、アルトが俺の口へ人差し指を突きだした。
「うーん」
アルトの目線の先。声は出さずに済んだが、心臓が締められるように感じた。机に男が伏せている。痩せた体格から壇だとわかった。テーブルに鮮やかな色の液体が流れている。アルトが拳銃を抜いて姿勢を低く、素早く左右に目を飛ばした。誰もいなかった。
「カーテンはなし。クローゼットもなし……窓が開いてる……?」
アルトが窓へ拳銃を向けて、振り返って机に伏せた壇を見た。
「窓から、ね」
アルトは何かをいじってから戻ると、俺の手首をつかんで外へ誘導した。
「ドキドキしてるかい。収まるまで待とう。一時間くらいでそのドキドキは消える」
アルトは平然と貨物用エレベータへ向かい、俺と地下へ降りた。駐車場をぐるぐる歩けと言われた。何度もそこを周るうちに、確かに徐々に落ち着いていった。それから何事もなかったかのように一階へ戻り、アルトが偽の調査記録を受付に渡して適当な挨拶を並べ、退館した。駐車場に入る前に、警察の鑑識は足跡を調べるから靴を捨てると言った。工具箱には周到に予備の靴が入っている。アルトが俺たちの靴を手に持ち、痕跡を残していないと確認して幕張を離れた。
カローラが高速に乗ったところで、俺は全身の血液が逆流したような悲鳴を上げた。
*
「吐かなかったのはありがたいよ」
廃屋までアルトに肩を借りて戻り、うつ伏せでベッドにうずくまった。
「契約はもう終わりかな? 護衛は成功したから報酬はもらうよ。振込先教えるから後ほどよろしく」
書類を何枚かコピーしたよという程度の軽い声で、アルトは出ていった。車椅子が診察室から出てくる。死人のような俺の顔に、思わず彼女も声を失った。
起きたことをすべてマドカさんに話した。舌がもつれてうまく話せなかった。頭の中でうまく整理できなかったこともあったが、それ以上にサクが間違いなく犯罪者となった事実を受け止められなかった。見知らぬ国に迷い込んでいるようだった。自分が今まで感じていた世界が、常識が、全て間違っていたのだと言われているように思えた。
今までは探すことだけが目的だった。探し当てて、話を聞けばわかるという予想を立てていた。事実の重さに耐えられず、どうかしているような態度で、身振り手振りを添えてわめくことしかできなかった。
彼女は黙って俺の話をうなずきながら聞いていた。向けられている視線も耳に届く相槌も、何もかもが刃物のように刺さった。痛みに耐えながら俺は話し続け、疲れきってついに話を区切った。
「サクが殺したところを見たの?」
マドカさんが言った。
「いや。みてねえ。だから証拠はねえよ。いや、そうだな。サクじゃないかもしれねえ。関係ないかも。誰かに脅されてるのかも。普通、あんなことはできねえよな」
「それなら、あなたを見てすぐに飛びついてきたでしょうね。サクはもう脅される家族も友人もいないはずよ。あなたと私以外には」
「それは……」
「私だって信じたいわ。けれど推理小説のような結末は来ない。思いもよらない真相なんてない。父が死んでから、サクと長い話を何度もしたわ。その中で彼が何度も繰り返したのが、今のまま、こんな社会に守られる生き方が許せないっていう言葉だった。ルーグに勤めて久しぶりに連絡が来た時も、その気持ちは消えていなかった。何年もの間に煮詰められていたようにすら思えたわ。インターネットの世界は自由だって。規制ではなく、自由が全てを解決するって信じて……」
マドカさんの話を否定したくても、俺と奴の関係がそれを許さなかった。答えは一つしかなかった。証拠が無くても事実は一つだ。サクは壇も殺したのだ。俺たちの追跡に気づいて。
*
深夜になっても寝つけなかった。記憶の欠片が意味もなく次々に現れては消えた。想い出の中でサクは隣にいた。舞いおちるイチョウの葉を赤トンボが横切る季節に、俺たちは赤坂御用地を歩いていた。
「ショウ、これ読める?」
隣から寄せてきたサクのタブレットに、見慣れない単語が表示されていた。
「キュー・チューライン……? なんだこれ、英語じゃねえよな」
「クー・フーリンって読むんだよ。アイルランドの英雄の名前さ」
「アイルランドってどこだっけな。アイスランドとは違うんだよな」
「イギリスの隣の国だね。クー・フーリンはイギリス人の起源アングロ人と戦った先住民の、ケルト人の信じていた神話に出てくるんだ」
「へえ……」
「製品の名前、これにしようと思う」
秋晴れの空を背に、少し恥ずかしそうにサクが言った。
「ITツールって、もう少し機能が想像つく名前つけねえか?」
「大手に買収されたら名前は変わっちゃうかもね。でもハサウェイはいいっていうよ、きっと。ルーグって、このクー・フーリンの父親の名前だもの。ハサウェイはアイルランド系アメリカ人だからね。うちの研究施設もアイルランドだし。多分、そういうのに縁があったんだと思う」
「なんでそんなこと知ったんだ。俺ちっとも知らなかったぞ」
「僕の母もアイルランド人なんだ」
「なのか」
「ヨーロッパしか知らなかったでしょ」
「ヨーロッパの国ってイギリスとフィンランド、スロバキア、ロシアくらいしかわかんねえな」
「
「しょうがねえだろ縁がねえんだしよ。お前アイルランド行ったことあんのかよ。想像もつかねえよ」
「母を連れていったよ。父が死んだ時、姉さんと3人で故郷のメイヌースって街に。お城があって釣りとゴルフが人気で……まあ、田舎だったかな」
いまいち鮮明なイメージが浮かばなかったが、なんとなくこいつに似合っているような気はした。淡色で描かれた水彩画の題材みたいな草原を連想した。
「ピンクや紫のヘザーに、青い春リンドウに。すごくいろんな植物があってさ。帰国してからもリンドウ育ててみようかなって思ったんだけど、芽は出なかったな」
「植物好きだよな、お前」
「なんかしら育ててるね。唯一のIT以外の趣味かも。暗いかなぁ」
「そんなことねえだろ。いい趣味さ。事務所が殺風景にならなくていい」
「バイクとレザーファッションの人に言われてもね」
「いい趣味さ」
言い切るとサクが笑った。
「僕は東京でいいよ。コンピュータがないとさ」
うたたねをエアコンの音がさえぎった。灰色の配管が走る天井の隅に、大きなクモの巣が張られているのが見えた。
体を起こして裸電球を点け、洗面所の蛇口から直接水を飲む。正気でいなければならない。奴が正気を保っている限り。そうしなければ、なにもかもが終わってしまう。それがわかっていても、全身をめぐる嫌悪感が今にも俺の脳を食い荒らしそうに思えた。
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