強硬手段
午前11時に目が醒めた。日差しが降りてこない場所で生活していると、起きる時間が不規則になりがちだ。シャワーを浴びた。
サクを見つけるためにマドカさんと出した結論は、シャダイの壇に会うということだった。ゲイ・ボルグを実装したクー・フーリンがフェルディアからの攻撃を防ぐと伝えるのだ。何かしらの協力につながりそうには思えた。
「私から連絡を取ることはできるけれど……」
マドカさんはそう言ったが、俺が止めた。彼女は自由には動けない身だ。どこからであれ情報が漏れたらまずい。ウォンが調達した新しい義手義足はインターネットにつながっていてハッキングを食らう可能性がある。正午になる直前に、電話をかけた。
「シャダイ・コーポレーションです」
録音の声だ。何度か番号を押すとすぐに彼の内線へつながった。
「進藤さん? どうも、久しぶりです」
「直接会いたい。時間をくれ」
「ええっ? いきなりどうしたんですか。要件から言ってくださいよ」
「電話では言いにくい話だ」
「いや、ちょっとまってくださいよ。私も一応忙しい身なんですよ」
「フェルディアの対策製品が俺の手元にある。これを渡したい」
声から不機嫌な色が消えた。沈黙が気まずく、思わずたたみ込みたくなったが、壇が話すのを待った。
「……どこまで知っていますか?」
「それを話したいんだ。周りに人はいるか」
「いや、ここには。アナログ回線じゃあるまいし、盗聴はされないでしょう。そのまま話して大丈夫ですよ」
「フェルディアの開発を手掛けていたマサチューセッツ州の研究所で起きた爆発。あの主犯は木更津朔だ。それは知っているな?」
何かを言おうとして、それから沈黙した気配があった。
「サクが持ち逃げした未完成のフェルディアが遠からず完成する。大規模な犯罪につながるかもしれねえ」
それを聞くなり、壇が慌てて話し始めた。フェルディアの開発は資金不足で中断した。テロの話は別件だ。それだけだと話を打ち切ろうとした。
「ハサウェイさんの部下らしい威勢の良さは結構ですけどね、君じゃなければ黙って切るところですよ」
壇がべらべらとまくしたてる。しらを切っている部分も本当に知らない部分もあるようだ。ただ、その境目は際どいように感じた。
「もう一度言うぞ。ゲイ・ボルグを差し込んだクー・フーリンを使って、フェルディアの攻撃を防げるよう協力してくれ。ルーグもイライジャのチームも無い今、サクの能力と危険性を理解できるのはあんただけなんだ」
「逆でしょう。私たちにはそれがわからなかったんですよ。もし私があなた達をはっきり理解していれば、なんとしても雇うと言いましたよ。それをハサウェイ氏に出しぬかれて終わったと。私が間抜けだったと。それだけですって。もう……」
中途半端な言い方で、声が遠ざかった。
「どうした?」
「進藤さん。その話、誰から聞きました?」
「なんだと?」
一瞬、正直に答えかけたが、マドカさんやイライジャに教えてもらったとは言わない方がいいように思った。シャダイが事故だと言い切ったサクの犯罪について、こいつはもっと深い事情を知っている気配があった。
「いや……いや、なんでもないです」
これ以上は電話では無理だな。俺は声色を変えた。
「そうか。悪かったな、変なことを聞いてよ」
言うなり、受話器越しに奴の気が抜けるのを感じた。
「いや、気にすることはないですよ。とにかく、久しぶりに声が聞けてよかったです。狭い業界だし、また会うこともあるでしょうしね」
逃げ切ったという安堵が、その口調に交じっていた。
「いやいや、また会えるのを楽しみにしてますよ。じゃ、お元気で」
間違いない。こいつとは手段を選ばず会うべきだ。
*
走って歌舞伎町のゲーセンに入った。奴はいた。射撃ゲームに興じている。終わるのも待たずに肩をたたいた。
「こいつよりもっと面白いゲームがある」
振り返るアルトの顔が、すぐに明るく輝いた。こいつは人の顔色を読むことだけは恐ろしくたけている。金を取れると悟ったのだろう。
「あんた、本職は情報屋じゃねえっていってたよな」
「うん。本職はシューティングゲーマー」
「冗談で言ってるんじゃねえんだ」
「冗談は言ってないよ」
剃刀が斬りつけてくるような笑顔だ。こいつが実弾の撃ち合いができることはウォンから聞いていた。ついに暴力団に暴力を頼むまでになったかと思ったが、これしかなかった。
「仕事は俺の護衛だ。12時間でいい。幕張のシャダイ・コーポレーションに潜入して、そこの重役を尋問する。実力行使が必要になるかもしれねえ」
「詳しく聞こうじゃないか」
アルトが上機嫌で答えた。
車でアルトの事務所に寄り、大きな荷物を取ってから廃屋に戻った。アルトはマドカさんの姿に少し目を大きく開いたが、すぐにふふっと笑って俺の背を小突いた。
「彼女ができたんだね」
「そういう愛想は聞きたくねえよ」
俺はiPhoneを机に置くと、録音した壇との会話を再生した。
「確かに、事情を知っているように聞こえるわね」
マドカさんが言った。俺はアルトに話を要約して、壇と話せる状況を無理やりにでも作れるかを聞いた。
「依頼、受けるよ」
アルトは壊れかけのパイプ椅子に座り、長い足を組み替えながら答えた。
「今の条件でできるか」
「できる。ただ、拉致ってのは2人じゃ厳しいな。大暴れするタイプの人かい」
「いや、身柄を預かればその先は話が通じると思う。ただもっと人数がいるか?」
「うーん、迷うけど抑えたいなあ。私達の仕事はできるだけ少人数でやる方がいいんだ。万が一何かあったとき大量に検挙ってのは避けたい。外に呼び出せないかな。車に乗せて運ぶのが簡単なんだけど」
「わかった」
050ナンバーで取った使い捨て用の回線で、今度はシャダイの総務につなげる。俺から先に切り出した。
「お世話になっております。わたくし、タカクラジ清掃のゴトウと申しますが」
「お世話になります」
「本日、そちらのビルで特殊な配管の清掃がございまして、これからお伺いすることになっています。お手続きについて教えて頂いてもよろしいでしょうか?」
「お待ちください」
保留音が鳴ってから、数分を待たずに、そんな予定はないという返事が来た。声に疑いが混じっている。狙い通りだ。
「あ、えーと、かなり長いこと点検が漏れてたと聞いているのですが、間違いございませんでしょうか?」
「担当の者に繋ぎます」
転送され、同じようなやり取りを繰り返す。
「失礼ですがどの場所が対象なのでしょうか?」
相手の苛立ちが強くなってきたが、ためらいはなかった。パソコンからハッキングテストの手順書を取り出す。特殊な配管の技術的な問題点と作業内容を細かく説明し、場所を正確に特定、さらに普段入ってる業者の名前を出した。これを聞いてほっとしたらしく、入り口のドアにある電話で自分の名前を呼ぶようにと言われた。
一見怪しそうに見せておいて、この情報を持っているなら大丈夫だろうと気が緩んだところで約束を取りつける。騙す手としてはよくある方法だが、完全に犯罪だ。それでも、一度手に入ると信じたサクの消息には、どうしても替えられなかった。
「それではあと3時間くらいということで、よろしくお願いいたします」
短い沈黙を経て電話が切れた。アルトがクスッと笑う。
「見事な詐欺だね。うちのメンバーになれるよ」
「お断りだ」
アルトが大きな鉄のアタッシュケースを机に置く。三重の錠がかかっていて、別々の財布やポケットから鍵を取り出し、最後に指紋を押し当てて開けた。中には、初めて見る鉄製品が油紙に包まれていた。
「最近おまわりさんが厳しくて、なかなかこっちの方で稼げない。久々だよ」
「普段、訓練とかしてるのか」
「まあ、君とゲーセンでね」
拳銃は詳しくないが、ゲームで見たデザインによく似ていた。
「こいつはグロックって奴か」
「いいや」
アルトはふふっと笑って油紙を丁寧にはがした。
「カイ・クラファーって人が作った新興企業の製品をなぜか入手できてね。大金を払って買ったのさ」
「犯罪者確定だな」
「脅すのも拉致するのも犯罪だよ。程度の問題さ。君にも別の鉄砲を貸すから、撃ってみてくれないか。試射ができる場所はある?」
奥にある地下通路なら何をやってもそうそう問題にはならない。作業員の制服に着替えて暗い下水道に向かい、生まれて初めて俺は銃を手に取った。
「本番では必ず私が撃ってからセーフティ外す。落ち着いて構えてできるだけ上を握る。目と照門と照星と的を合わせる。引き金を引く。ゆっくり」
アルトが俺の手に手を添えてレクチャーする。その腕が思っていたよりも細く、肉付きもないことに気がついた。
「お前、筋トレとかしないのか」
「たまにジムに行くよ」
「意外と華奢だな」
「そらまあ、性別的な限界がありまして」
ぎょっとしてアルトの横顔を見た。喉が平たい。しかもそれまで気がつかなかったが、短い髪から届く香りは女性用のものだった。
「アルト」
「へ?」
「あんた女だったのか?」
「ええええ? え? そうだよ? なんだと思ってたの? 男だと思ってたの?」
「この前女連れだったしよ。口調だって」
「ありゃ彼女じゃないよ! ものすごい鈍感だね。初対面とかだと間違われるけど、これだけ会っててわかんなかったのショウだけだよ」
「服が男じゃねえか」
「仕事にこの格好が便利なだけさ」
「年とかいくつなんだ?」
「聞くなよ失礼だな!」
その通りだったが、地味にひびいた。普通に生きていても驚くような事があるというのを、久々に感じた気がした。
「あんた、ウォンのところに通ってたのは体格変えるためとか……」
「普通に持病だよ! ものすごいデリカシーのなさだね。そんなんじゃあんたずっと童貞だぞ?」
怒られた。大事の前だし、プライベートな話はもうやめよう。
*
アルトのカローラにはエド・シーランの曲が何度も流れていたが、ほとんど耳に入らなかった。さっきの驚きはおさまり、サクの事を考えていた。恐らく次に奴と会うときは警察に引き渡すことになるか、それとも……
それよりも最悪な手段を考えることになるかもしれない。殺意を持って動いている相手だ。自分の姉まで殺そうとした。俺も標的になる可能性がある。
サクは今もプログラムを書き続けているはずだ。生きていて頭がはっきりしている限り、あいつの頭の中は必ず人工知能で埋め尽くされている。セキュリティの必要性を知らしめる目的のために、災害をもたらすことを手段として。矛盾に満ちた論理だが、あいつのそばであいつの背を押してきた俺にとって、それは不自然ではなかった。
海浜幕張駅のそばに車を止めた。指定された住所はシャダイの敷地に入る。奇妙な消毒の匂いが鼻を突いた。受付には電話が1台だけおいてある。取り上げるとさっき電話した女があっさり俺たちを通した。
「終わりましたらご連絡いたします」
俺の説明にはいと答えて、そいつは戻っていった。工具箱を開けて拳銃を取り、アルトが腰に差した。
「場所はわかるのかな」
「一通り、事務所を見せてもらったことがあるからな。本部長室ってのがある」
小声で話しながら歩く。がらんとした廊下だった。人が少ない時間のようだ。角を曲がったときに、反対側から誰かの姿が見えた。
手にしていたケースを取り落とした。足を止めたが拾うことができなかった。偽装のために用意していた工具箱からナットが一つ音を立てて転がり、そいつの足元で倒れた。
夢でも見ているのだろうか。
窓から差し込む西日が姿を背景に溶かしていたが、その髪型にも、その眼鏡にも、そのワイシャツにも見覚えがあった。
サクが目の前にいた。
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