加害者と被害者

 当面の問題は、俺たちが壇を殺した犯人と誤解されないかだったが、侵入方法の出来が良かったこともあり足はつきそうにはない。それに直接の死因は窓からの銃撃だ。俺たちが疑われる要素は完全に排除できることをアルトと確認した。


 逮捕の可能性がないとわかると、今まで以上にサクの情報をあさり続けた。もう昼も夜もなかった。完成していくフェルディアのプログラムが、俺たちの焦りに拍車をかけた。


「にしても、サクだけで本当に大規模な犯罪までやるかね……」

「できると思うわ。多くの人にとっての夢物語も、彼には現実の青写真でしかない。初めて彼にコンピュータを教えたのは小学生の時だったけれど、彼はあっという間に私を抜いてはるか彼方へ飛び立っていった」


 マドカさんも、俺と同じようにあの才能を心から信じていたのだ。しかしその思いは今は大きく違う方向へ進んでいた。奴の星へ向かって伸ばした手は、今は俺たちを絞め殺そうとしている。薄皮を積み重ねるようにフェルディアはできあがっていく。気にしても仕方がないとわかっていても、見ずにはいられなかった。


「マドカさん。ダークウェブで殺人依頼の記録を手に入れることができねえかな」

「やらないほうがいいわ。それを公開してる人にマークされるわよ。おふざけで舞い上がった子供が一生マフィアに脅される、そういう話はシャダイにいたころにさんざん聞いたわ。でも、なんで?」


「サクは殺しの依頼を仕掛けてるかもしれない。奴が1人でできるとは思えねえんだ。誰かに頼んでると思うんだよな」


「それはないわ」

「なんで……」


 マドカさんが首を横に小さく振った。


「そういう話、サクとしたことないのね。弟は、シャダイの人とは毎日のようにそんな話しかしていなかったのに」

「まさか」


「チームにダークウェブのマニアがいたのよ。彼、人殺しなんて頼まなくても自分でできるって言ってたわ」


 新しい情報は、もう希望を増やしてくれることはなかった。マドカさんがまた調査に戻った。何度か同じタイプをミスして、小さくマドカさんがため息をついた。横から見ていてもその機械の指は精巧で、速いタイピングにも耐えられていた。それでも本物の指に比べれば限界はあるのだろう。


 思って視線を外した時。


 マドカさんが突然右手でマウスをつかんだ。振り上げて目を閉じる。それをモニターに叩きつける直前で止めた。


「なにを……」


 言いかけたが続けられなかった。荒い息に続けて、マドカさんがマウスを乱暴にテーブルへ置いた。腰をあげて彼女を見る。荒い息を抑える彼女の目から涙がこぼれていた。


「水を持ってこようか」

「いいえ。なんでもないわ」


「水を持ってくるよ」

「……ごめんなさい」


 黙って立ち上がった。


 辛いのは俺じゃない。マドカさんの気持ちを考えていなかった。その事が悔しかった。抱いていた想いを忘れたくない。蛇口をひねるその手がどれだけ簡単に動くものなのか、初めて意識した。


 *


 数日が過ぎて、状況はアルトが来た日に変わった。


「100万円ほしいんだ」


 壊れたドアを避けて、挨拶も抜きにアルトが入ってきた。


「面白くねえ冗談を言うくらいなら来るな」

「冗談じゃないと言ったら?」


「不愉快なだけだな」

「面白くもなく愉快でもないけれど、100万円の価値はあると思うよ」


 物言いを気にもせず、アルトが片方の手を後ろに回し、傾いたテーブルにUSBメモリをことりと置いた。


「同業者からシャダイで使ってるメールの管理者権限を購入。壇のアカウントに設定されてる認証を解除。あの日、壇のパソコンから盗んだユーザー名とパスワードでヤマダ電機のデモ用PCからログイン。壇のメールボックスにアクセス。そのデータを引っこ抜いて入れてきた。100万円」


「何が入ってる?」

「開けてのお楽しみ。というか私は知らないよ。ほしいのはお金だけさ」


「よこせ」

「毎度あり」


 データをコピーして、メールを何通か確認してからアルトへ送金する。アルトは証拠を消すため、USBをハンマーでたたき壊してから出ていった。


 メールを片っ端から開いた。「例の件は明日の会議で決める」だの「今後の進捗は別のツールで実施する」だのゴミを処分するのに数時間かかったが、それでもまともな会話が連続しているものが見つかった。つい最近のものだ。壇の文章から始まっていた。


『何度も申し上げましたが、ハッキングツールを実際に使うことで保護ツールを普及させるという理屈は、倫理的な問題点が大きすぎて話にもなりません。これ以上の交渉はハサウェイ氏を交えてください。以上です』


 ついに見つかった。サクは壇を脅迫していたのだ。しかし何を要求していたかはわからない。


『上層部からの指示に従い、現在の研究成果をすべて引き上げる方針とします』


 次の返信で、シャダイは訴訟の準備に入ると書いてあった。読む限り、壇はフェルディアをハッキングに使用することには反対していたのだ。数日後、壇からさらに返信があった。


『電話で話した通り、これ以上のやりとりは無用です』


 URLのアドレスが張ってある。アップローダーだ。その中にプログラムが入っていた。壇はサクにプログラムコードを渡していたのだ。


 ウォンがマドカさんを連れて帰ってくるなり、俺はPCを抱えて見せにいった。


「マドカさん、このプログラムわかるかな」

「いきなりね……」


 居室用の車椅子に乗り換えてマドカさんが画面をのぞき込み、その片手がキーボードの上を走る。中身はだんだんわかってきた。これはパソコンやサーバーのようなデータを盗む仕組みではない。発電所のシステム、地下鉄、オフィスビルのエアコン、エレベータ、医療系システム、作業現場のシステム。そうした産業への攻撃に使うものだ。


 工業セキュリティは、コンピュータセキュリティとは質がやや異なる。データが盗まれて金に換えられるとかの話ではなく、動きそのものが問題になる。コントロールが奪われると社会インフラが停止しかねない。


「これはいつできていたの?」

「タイムスタンプは半年前。サクに渡ったのは先週みたいだけどな」


「これはどういう事? イライジャが処分したのに誰が?」

「殺された壇だ」


「彼はエンジニアではないのに!」


 アプリケーションに取り込んで俺のコンピュータで動かしてみた。


「壇が隠していたのはこれだ。あいつは回線の盗聴なんかできないって言ってたが、サクが壇のパソコンをのっとっていればできる。シャダイはクー・フーリンを使っていないからな」


「待って。でもフェルディアのプログラムはここ数日は動きがなかったわ」

「全く?」


「ええ。突然ペースが遅くなったって思ってたのよ」

「わざとだ」


「どういうこと?」

「サクは俺たちのアクセス履歴を見ていたのさ。誰かに読まれていると知っていて、わざとペースを落としたように見せかけていたんだ。完成していないように思わせるために」


「そんな……」


 俺は新しく組み上げたフェルディアで、手元のテストサーバーに入れたクー・フーリンへ攻撃を試みた。


「ゲイ・ボルグで防止はできる。ただクー・フーリンを買ってなきゃ話にならねえ」

「……手遅れね」


 言うなり、マドカさんが姿勢を崩した。


「どうした」

「いえ、少し……」


 言いかけて目を閉じる。驚いて体を支えた。気を失いかけている。わずかに痙攣しているように見えた。


「ウォン!」

「はいはいここに!」


 白衣をつかんで飛び出してきた。脈を診ながら目を開いて寝台へ運ぶ。2人でベッドに持ち上げると、彼女はすぐに目を覚ました。


「ごめんなさい。驚いて……」

「マイディアショウ君。患者の健康は最優先だ。彼女をちゃんとした病院に連れていくよ」


 ウォンが聴診器をしまいながら言った。


「マドカさん、もう無理だ。俺は警察に行く」

「わかったわ。でも気をつけて。これから先は、いつ何が起こるかわからない」


 マドカさんがベッドからわずかに体を起こし、目で答えた。


 *


 タクシーで警察に行ってすべての事情を話したが、話が専門的すぎると言って取り合ってくれなかった。想像通りだが仕方がない。明日、対応できる人にもう一度話してくれと言われた。出たところで今度はラクシュから連絡が来た。


(飛び入り仕事でクトゥルフTRPGに参加しそびれたー)

   (俺に言ってどうすんだよ)


(アキバに帰るのだるいー、新宿で休ませてー)

   (勝手にしろ。鍵どころかドアもねえぞ)


 既読はつかなかった。戻ろうともう一度車を捕まえる。窓から見える街の様子が何かおかしかった。そこらじゅうで事故が起きている。アルタ前の電子看板デジタルサイネージに、不気味なドクロの絵が表示されている。新宿に戻って階段を下りると、妙な気配があった。


 壊れたドアを踏み越えると、いつもやたら強くしている冷房が切ってあった。マドカさんはウォンと病院に行っているはずなのに、誰かが車椅子に座っている。座っている姿は不自然に傾いていたが、髪型とサリーで、すぐにラクシュのものだとわかった。


「なんだ、もう来てたのか……」


 返事はなかった。


「どこで寝てんだよ」


 返事はなかった。階下まで降りる。床が鮮やかに赤い。


「ラクシュ?」


 駆け寄って体を起こそうとする。崩れて床に倒れ、サリーがその体を追いかけた。背中が引き裂かれ、いびつな円を描いていた。


「ラクシュ!」


 体をあおむけにした。両目が恐怖を焼き付けられたように見開いている。首に手を当てた。脈はなかった。耳を口元に当てたが、呼吸も止まっていた。

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