たった一つの道
帰国してラクシュと別れ、成田から社長の席まで最短距離を歩いた。ドアを開けるとタヌキに向かって、サクが挨拶もせずに話し始めた。
「パソコンと喉に悪い。タバコを消してください」
「その態度に見合うほどの名案なんだろうな」
ハサウェイが葉巻を乱暴に灰皿へ押し付けた。サクが空気清浄機を最大にして、座りながらノートパソコンを開いた。
「企画の資料を作ってきました」
サクが真っ白なハンカチを口に当て、飛行機の中で作ったスライドを映す。俺は何も補足しなかった。サクが一通りの技術について淡々と話し、最後に冒頭のまとめを繰り返した。
「これで攻撃元を特定して、さらに根絶できます」
ハサウェイが眉を寄せ、じっと画面を見てからおもむろに口を開いた。
「……は?」
魂が抜けたみたいな声が、煙の消えた社長室に響いた。
「盾を作るのに飽きました。剣を作ります」
「お前はどういう会社で、なんの仕事をしていると思ってるんだ」
「サイバーセキュリティです」
「攻殻機動隊の見すぎだ」
「見たことありません」
「じゃあ何を見たんだ。ニューロマンサーがついに映画化でもされたのか」
「ラクシュみたいなこと言わないでください」
「こんな話を聞けばそう言いたくもなる!」
サイバーパンクSFの旗手と呼ばれた傑作小説ニューロマンサーは何度となく映画化の話が上がっているが、そのたびにポシャることで知られている。とラクシュが3日に1度くらい言うので、この会社の人間は誰でもそれを知っていた。
「業界の常識をいまさら言いたくないが、攻性防壁は犯罪だ!」
なんでもやってみろというこの男が、初めてサクのアイデアを真っ向から否定した。まあ、それはそうだろう。サイバーセキュリティは新しい軍だと言う奴は多いが、この両者はある点において全く異なる。攻められた時に守ることしかできないのだ。
専守防衛を鉄則とする自衛隊ですら、艦船や戦車には大砲がついていて、自衛官は鉄砲を持っている。装甲だけで人や財産を守ることはできないからだ。サイバーセキュリティはそうではない。飛んできた通信を遮断したり不適切な動作を停止させることは可能だが、悪人の損害を前提とする方法はない。
攻殻機動隊というSF作品では、電脳という人間の頭脳を回線に直結させる手段がでてきて、それをハッキングすることで人間を混乱させたり殺したりするシーンがある。さらにその対策に使われる攻性防壁で逆襲を仕掛けられるようにもなっている。というより、そのシーンこそが他のジャンルで見られない醍醐味なのだ。
当然、現実社会では脳をコンピュータにつなぐことはできないし、今のところリスクが高すぎてニーズにも見合わない。そんなわけで、人間を直接攻撃するセキュリティツールもない。せいぜいスプラッタ画像を流してぎょっとさせたり、極端な光を見せて気分を悪くさせるというお粗末なものだ。
サクが言っているのはそういう質のものではない。ハッカーの用意した拠点を突き止め、そこから犯人の痕跡を探し、本人を殺すのは無理であれ、カメラやマイクを使って犯人を特定し、可能であればデバイスやシステムを破壊する製品だ。
「攻性防壁ではありません。攻撃を受けたらその攻撃元にマーカーを送り、自動で攻撃者の元へたどり着く。これで相手の情報を正確に把握します。そこからさらにハッキングを実施します」
「同じだ。要するにウィルスを投げ込まれたら投げ込み返すと言ってるんだろう。踏み台を誤検出でもしてみろ。たちまち大惨事だ」
議論は白熱した。やるとすれば、まずは不正指令電磁的記録に関する罪と不正アクセス行為の禁止等に関する法律に抵触するのは間違いなかった。それに対しては最初に警察に売り込めばいいというのがサクの主張だった。
「官公庁に提言する力は俺にはない」
「だったら力のある企業ってなんですか。どこに行けばそれを作らせてくれるんですか。僕が転職するか、ルーグがその会社に買収されればできるんですか」
サクの声がでかくなってくる。こいつがこんなに押してきたのは初めてだった。
「お前が何を考えているかはわかったが、無理なものは無理だ」
「おい、とりあえず少し時間をおいて、できる範囲で……」
緩衝材みたいな言葉を混ぜようとしたが、サクはそれを押しのけた。
「僕は、ネットワークは自由にすべきだって言っているんです。法律なんてあんなもの、事実や習慣を追認するだけでしょう。実態を考慮してない、わけのわからないルールが山ほどあるじゃないですか。やられたらやり返す手段を認めて、そんなことで儲けようという気持ちを消し去ってしまえばいいんだ。殴られる一方なんておかしいですよ」
「それはわかる。しかしハッカーと言っても直接人間を殺すわけでもないからな……」
それを聞くと、サクは肩を震わせて大声を返した。
「殺せますよ! パソコンやIT機器を襲うだけがハッキングじゃない。社会インフラの制御システムや発電所、地下鉄や交通の管制システムだって制御を奪える。データを盗んでお金に換える話じゃない。止めたり動作を乱したりするだけで大惨事になるんです。その危険性をほったらかしておくなんておかしいでしょう!」
だからといって攻撃してきたやつを叩きのめしていいとは言えない。おかしいのはお前だと言いたかったが、とにかく話は止まらなかった。なんとか穏やかに話を持っていこうと、ガラにもない猫なで声を出した。
「なあ、もう少し実現しやすいっていうか、たとえば犯罪者のサイトを閉鎖するとかじゃダメなのか? それならほかの会社だってやってる。効果だって出てるし、それ以上の犯罪があったらFBIとかインターポールとか、そういうのがあるじゃないか」
「僕が今までなんのためにこの仕事やってきたと思ってるんだ。この時のためだ。ずっと練って、ついに頭の中から出てきたんだ。ここでできなければ別の会社でやる。それも無理なら僕1人でやる。もういろんな学会や勉強会にも出たし、苦手な英語の論文だって読んだんだ。そしてわかったんだよ。この構想を持っている中で、僕は誰よりも先端にいるんだ」
「……賛成したいが今の俺にはできん。ショウ、どう思う」
ハサウェイが消した葉巻をぐりぐりといじりながら言った。
「俺ですか?」
「サクの事なら俺よりわかるだろう」
「でもこの話は今聞いたんです」
「もう定時だ。帰ります。ショウ、外で話そう」
サクが立ち上り、俺の腕をつかんだ。
*
赤坂の喫茶店に連れていかれた。俺を見つめるサクの目は、明らかにいつもと違っていた。
「お前、どうしたんだ」
「どうもしない。くすぶってたアイデアが形になったんだ」
席につくなり、サクが話し始めた。
「これはできる。攻撃元を人工知能に探らせるんだ。攻撃パターンのいくつかをニューラルネットワークに組み込んで反撃の手順が組めるかテストしてみた。拍子抜けするくらい実装は簡単だ」
サクがジンジャエールを瓶から直接飲んだ。目の前に氷の入ったグラスがあることなど、気がついてもいないようだった。
「だからってな……どこに話を持っていく?」
「警察がダメなら自衛隊の指揮通信システム隊に売り込む。民間に適用する法律とは違う例外が通用するはずだ。まずそこに売って、品質が保証されたら軍民転用してもらう。これで民間人でも自分の身を守ることができる」
「お前がその旗振りをやるのか?」
「いいや、ハサウェイとショウにやってもらう。僕はできない」
「まてまて、俺だってコンサルの仕事が面白くなってきてるんだ。金融や通信や、他にも客が出てきてるんだぞ」
「そんなことどうでもいい」
「おい!」
思わず声を荒げた。
「何様のつもりだおまえ! どうでもよくはねえだろうがよ!」
「あるんだ!」
サクの唇が震えている。心の底から言葉を絞り出しているのがわかった。それでも今の言い方は明らかに一線を超えていた。
「俺の仕事はどうなるんだ?」
「もともと2人で受けた仕事だ。最後まで手伝ってもらう」
「仕事は選ばせろ。俺の権利だ。俺は手伝いたくなきゃ手伝わねえ」
「ダメだ。いまさらそんなの許さない!」
「落ち着けよ!」
大きくなった声が、さらに大きくなった。
「うまくいくかどうかわからない仕事に手を貸せってのは、相当なわがままだぜ?」
「わかってる! それでもさ!」
サクが俺の胸倉に手を伸ばした。こいつが俺の体に触れたのはいつぶりだろう。風呂屋に行った時ですら、こいつは背中を流されるのも嫌だという奴だ。ひねっただけでも折れそうな細腕に力の限りをこめて、五本の指が俺のシャツを握りしめていた。
「ショウ! なんのためにセキュリティやってきたんだ!」
「いや、そりゃ、面白いからだよ!」
「面白いだけでどうするんだよ! 命賭ける気ないのかよ!」
「もう人生をセキュリティに突っ込んでるのは確かだよ! それでいいじゃねえか! 自分の開発は合間の時間にやれよ!」
「面白いからやるだの、できる範囲でやるだの、そんな生き方できないよ!」
「仕事をなんだと思ってんだよ! どんなエンジニアだってもう少し冷めてるぜ!」
「他の奴なんか知るか!」
サクは波打つ緑の瓶を握りしめて震わせている。頭を抱えて机に両肘をついた。
「勘弁してくれよ。全然わかんねえよ。自分の思い付きのために人から金や時間をぶん捕って、それで満足か?」
「違う。ネットワークの世界を自由にするため、無意味な悲劇を繰り返さないためだ。それが絶対に必要なんだ。僕はこれしか知らないけれど、僕の作るもので世界がどうなるかはわかる」
「どうなるってなにが?」
「悪意に抵抗する力が手に入る。アーロン・スワーツが目指すような自由な社会を達成するためには武器がいるんだ。武器が無いからスワーツは世の中の圧力に負けた。殺された。弱かったからだ」
「この前その話は聞いたけどよ。スワーツってのはデータを盗んで、逮捕されたのを苦に自殺したんだろ?」
「違う。あれは自殺じゃない。社会と法律による他殺だ。しかも論文データの公益を主張するのが目的だった。間違っていたから殺されたんじゃなくて、弱かったから殺されたんだ。そんなバカな話があってたまるか。身分を偽装してFBIの追跡をくらましてとことんまで逃げて、世論を味方につけながら活動すればよかったんだ」
「よくねえよ! どう考えたっていいわけねえだろ、そんなこと!」
「いいや、できるんだからやれって話だよ。だったらこれこそが僕の生きる意味だ。聞いてよ、ショウ。いろんな考え方があるのは知ってる。いろんな人がいるのも知ってる。食うのが大事だ、寝るのが大事だ、会社が大事だ、金が大事だ、女が大事だ。そんな奴がいるのは知ってる。でもそんなのは僕にはでたらめだ。でたらめだ。嘘っぱちだ。人生にはセキュリティしかない!」
サクの剣幕に負けて、俺は完全に押し黙った。
気が抜けて辛さだけが残ったジンジャエールを、氷の入ったグラスに注いだ。喉に液体を落として押し黙り、自分でも聞き取れない独り言をつぶやいてから、ゆっくり顔を上げた。
「ハサウェイに相談するから、お前の頭の中を全部吐き出せ。俺が仕様をまとめて他の奴らに説明する」
ついに、俺はそう言ってしまった。なぜここまで思い込んだのか……重ねて聞きたかったが、サクの話はここで終わるわけではない。意気込みの話が終わったら、次は技術の詳細だ。
俺たちはバーを出て、当時俺が借りていた青山のマンションに戻り、夜を徹して話をまとめた。畳み込み層やプーリング層の特徴などの細かい数学が絡む部分も出てきた。
「ここ何書いてんだ?」
「ルンゲクッタ法のアルゴリズム」
「常微分方程式? この分野ってそんなの使うのかよ?」
「僕のやり方ではね」
「ここでブロックしてる保護の意味がわからねえ」
「GitHubからオプションとコードを取り出して実行するタイプのトロイの木馬がある。その動作を検知する」
今までの打ち合わせの中でも最難関に入り込んでいた。こんな話は一線のエンジニアでも理解できるやつは少ないだろう。さらにサクの話題はあちらからこちらへと切り替わるので頭の疲労が凄まじい。モニタはもちろんA3のコピー紙も次々に埋め尽くされた。作られたマインドマップは東京の地下鉄路線図のよう。ホワイトボードは赤青黒の部分のほうが多い。久々に一睡もしなかった。
翌日。ふらふらになって会社にたどりついた。ハサウェイが俺たちの出した結論をじっと読み込み、それから重々しく口を開いた。
「防衛省に提案ができる企業に当たってやる。とっとと帰って寝ろ、ガキどもめ。士気が下がるからほかの社員に徹夜をしたと言うなよ」
いらだちで葉巻の山を崩しながら、鬼のように顔を変形させてハサウェイが約束した。俺をカチカチ山のタヌキにする気かと言われて、24時間ぶりに俺たちは笑った。
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