突然の別離

 結論としては、できるの一言だった。法的・営業的な問題を抜きにすれば技術的には問題ない。世界各国のデータサイエンティストとエンジニアに相談したが、すべての相手から『複数の条件排除が前提だが、ポジティブに考える価値がある』と返ってきた。製品を作るメドはつき、サクはこの新しい反撃型の製品をフェルディアと名付けた。


 ハサウェイはこれを売るため、ルーグ・セキュリティそのものをどこかに買収させることにした。多数の研究者を持ち官公庁に深く入り込んでいる大手企業でなければダメだ。白羽の矢が立ったのは、かつて俺たちの客だったシャダイ・コンピューティングだった。


「開発一部本部長のだんというのがお前らを知っていたぞ。ルーグ買収を前提とした共同開発を受けるそうだ」


 壇は3年前には担当部長だったはずだ。出世したのだろう。サクとラクシュは早速シャダイの技術開発のメンバーと顔合わせに行き、以降はそちらに滞在することが多くなった。一方の俺とハサウェイは、この構想を理解して採用したいと思う客を探した。


「ショウ、来週からアメリカだ。今度は3か月かかるから向こうで生活できる準備をしておけ」


 俺とハサウェイは、シャダイの営業たちとバージニア州アーリントンへ向かった。米国国防総省にこの製品を採用する余地があるかと話をするためだ。あると言えばフェルディアの開発は確定する。


 ペンタゴンの人間はかなり言葉を濁してはいたが、同様の製品を独自技術で保有しているようだった。秘密保持契約を結び、軍の指揮下で開発をやったほうが良いのではないか、とシャダイの営業と相談になった。悩みどころだ。おそらく米軍は俺たちの知らないさまざまなデータを保有しているはずだ。その情報を組み込めるなら、俺たちは軍事産業としての成長が見込める。


 民業のままか、軍事産業か。悩むところだが、ハサウェイ個人としては早く民間へ売りたいようだった。法規制のゆるい国に売る方向へ舵を切りたいのだ。米軍との商談は時間がかかりすぎて、会社の体力がもたないそうだ。


 俺たちはワシントンD.C.のホテルで、このまま米軍との関係を作るべきかを議論した。結局シャダイの営業はアメリカに残り、俺たちは帰国した。


 *


 日本に戻り、ひさびさにサクの顔を見たとき、それまでの忙しい毎日を忘れるような違和感が生まれた。あの赤坂のカフェで持論を主張していたサクの覇気が、ずいぶん薄れたように思えた。


「疲れたか?」


 アメリカの甘ったるいチョコレートを土産置き場に置きながら、サクに言った。


「いいや。何もないよ。明りのせいじゃないかな」


 声はしっかりしていたが、この言葉ではっきりおかしいとわかった。そういうごまかしをする奴じゃない。何かがあったのは間違いなかった。


 技術的な課題があるとかではない。それならサクは俺の理解なんかおかまいなしに、すべてを吐き出して整理に協力してくれと泣きついてくる。作りたいものができないことが屈辱で、自分の能力はどうでもいいのがこいつだ。


「困ってるなら言ってくれよ」

「当り前だよ。今までだってそうしてきたでしょ」


 不自然な目の細め方、不自然に釣り上げた口角。下手な嘘だ。ただ、だとすれば何がうまくいっていないのか。そして何を隠しているのか。


 結局、俺は聞かなかった。サクの内側に踏み込まないようにしたかった。この繊細な才能を何よりも大切に扱い、本人が望む未来を作るのを手伝うと決めていたからだ。


 そして、それは後になって大きな後悔に変わることになる。


 クリシュナとの契約は終了し、フェルディアだけでなくクー・フーリンの改修や追加開発もシャダイに頼むことになった。しかし少したって、シャダイは突然ルーグの買収を含めて白紙撤回すると言ってきた。深い事情はわからなかったが、データサイエンティストとエンジニアがまとめて会社を去ったらしい。


 結局、ルーグはフェルディアの開発をあきらめて東証に上場する方向に切り替えた。そしてハサウェイがとんでもない額の株を配ると言いだした夜。サクは俺のパソコンに『僕は殺される』という謎めいたメールを残して姿を消した。


 そこから先は転がるように何もかもが破綻していった。サクの失踪でファルディアもクー・フーリンも開発ができず、会社は消えた。ハサウェイはサクがいなくなったことについて何も言わなかった。愚痴も激怒もなく、ただ淡々と後始末の日々を過ごした。最後の日、ハサウェイは現金で給料を渡した。


「帰ってこられるようにする」


 ハサウェイとの最後の挨拶がそれだった。返事はしなかった。


 出口でラクシュが街路樹に体を預けていた。


「サク、いなくなっちゃった」

「ああ」


 苦手な空気だ。ラクシュは明らかに泣きだす一歩手前だった。しかも俺がその気持ちを受け止めるわけにはいかなかった。


「あたし、クリシュナに就職する」

「いいじゃねえか。世界有数の大手企業だ」


 一言話すたびに、ラクシュが喉を落ち着かせようとしているのがわかった。


「なんか楽しいこと見つけなきゃね。新しいこと」


 同意の言葉すらかけられず、足早に地下鉄に向かった。青山の14万円のマンションを引き払い、ウォンの廃墟に移った。その場しのぎを繰り返す生活はこうして始まった。マドカさんにはずっと連絡がつかなかったし、貯めた金を吐き出して探偵に頼んだ人探しは全て空振りだ。ウォンの診療所に通っていたアルトにも捜索を依頼したが、虚しく日が過ぎるばかりだった。


 東京にいるはずだった。サクは英語が読めても会話ができない。能率を考えればやはり居場所は日本だ。そしてITセキュリティに関わるとすれば、この街しかない。地方の企業でサクの仕事に金を出す会社はない。


 後悔は大きかった。サクの頭の中にあったプランは、俺やハサウェイが考えていたものと何かが違っていたのだ。だが、それはどう違っていたのか。気づけなかった自分をずっと許せなかった。


 *


 長い回想を終えて、俺は体を起こした。パイプベッドがぎちっと音を立てた。服を詰めてある白ペンキを塗った鉄の缶、転がったジンジャエールの瓶、そしてサクが残した黒い帆布のナップザック。


 今、俺はそういうところで生きている。


 あの日以来、俺は酒を辞めた。毎日ウィルキンソンのジンジャエールだけを飲むようになった。ITで生きる人間としてはあまりにも非科学的な願掛けだったが、そうでもしなければやっていられなかった。マドカさんの手製のジンジャエールが飲めなくなってから、サクは毎日2本、必ずこのウィルキンソンのジンジャエールを飲んでいた。この緑色の波打った瓶が、俺の中に残った奴との記憶をとどめてくれていた。


 『僕は殺される』というのがどういう意味かは今もわかっていない。誰かに誘拐されたのか? それとも殺されそうだと思って逃げたのか? 本当に死んでしまったのか?


 フェルディアは難しい位置づけのソフトウェアだった。しかしそれを作ったからといって殺される筋合いはない。


 今でも思う。あの時、アメリカに行かずにサクと一緒にいたら? 俺は今こんなことをやっていなかったかもしれない。だがその仮定はもう意味をなさない。手は一つ。情報につながる唯一の道は、あの車椅子の女だった。

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