明らかな真贋
「髪、黒に戻しとくかな」
「えっ?」
「えっ?」
独り言のつもりだったのだが、サクが心底驚いたような顔。ラクシュがものすごくいやらしい笑顔になった。最終評価の前日、ふと口にした俺の言葉で事務所が騒然となった。
「いや、背広でこの頭ってどうよ」
「地毛じゃなかったの?」
予想より数段上を行くサクのボケが炸裂した。
「当たり前だ! 染めてるところ何度も見てるだろ?」
「そういえば……」
まだ驚愕の表情だ。本当にこんな汚い赤が生えてると思ってたのか。
「ヒャッハーがアイデンティティじゃなかったの?」
続いてラクシュが口を開いた。
「ぜんぜんここにアイデンティティねぇよ! なんとなくだ、なんとなく!」
「つまりモヒカンにするってことかぁ」
「言ってねえから!」
ラクシュがゲタゲタ笑う。なんだこいつらは。
「もういい、このままで行く」
「黒くしておけ」
タヌキの命令で帰りに薬局によることにした。プライベートに踏み込む良くない上司だ。パワハラで訴えてやる。
*
当日は東京にしては珍しく雪が降っていた。電車はかなり遅れたが、昼には関係者全員が市ヶ谷に集まった。
ルーグ・セキュリティからは俺たち4人。アトラスを販売しているティーターン&カンパニーからは日米の技術者とその通訳などが来ている。話題のナタクを作った
「ショウ」
サクが俺の袖を引っ張りながら、周りに目を配っている。厚いメガネをすり抜けて、不安と焦燥が届いてくるのがわかった。
「働くのはソフトだ。俺たちはオマケだ。お前が自分でそう言ってたろ。誰がいようが気にするんじゃねえよ」
サクの背中を軽く叩いて言った。
「その通りだ」
ハサウェイが俺たちの後ろから声をかけた。このころ、ハサウェイはかなり日本語が聞き取れるようになっていた。
「お前は世界に出る。その素質がある人間は本当にわずかだ。人工知能という分野には、技術者の努力だけではどうしてもたどり着けない領域がある。そこに至るにはコードを書くだけでなく、独特な美しさを描けることが必要になる。他の製品がいかに芸術性を欠いていて、お前の才能とどのくらい開きがあるか、お前はそれだけを見ていろ」
それまで施設を見まわしていたラクシュが、ハサウェイの言葉にクスッと笑った。この芝居がかったセリフが好きらしい。ガンダムのブライトさんや攻殻機動隊の荒巻上司みたいだとよく言っていた。どちらも見たことがないし、俺にとってなにより似ているのはスターウォーズのジャバ・ザ・ハットだったが、こいつの言葉でサクは落ち着いたようだ。上司という人種はこいつしか知らないが、悪くない方なのかもなと思った。
リノリウムの床にケーブルと端末とその他のデバイスが丁寧に並べられた、体育館みたいなホールに入った。高い位置に並ぶ蛍光灯がまぶしかった。関係者がいくつかの前提を簡単に話すと、すぐに制服の技官が立ち上がって俺たちに向いた。
「それでは適用評価の最終試験として模擬戦を開始いたします。ゲーム感覚の評価方式ではありますが、この結果が直接の採用可否に関わるとお考え下さい。よろしいですね」
ティーターンの技術者たちが製品を取り付けにかかった。配線を終えると管理用の端末を立ち上げ、大スクリーンに投影する。スタイリッシュなデザインだ。模擬戦で使うネットワークが光の格子で表示された。それぞれへの攻撃と対応が一目でわかるよう吹き出しが出るようだ。まさしく近未来のセキュリティ製品という風格があった。
「おー、無駄にかっこえー」
ラクシュがケラケラと笑う。肘でわき腹を突っついてやめさせた。
「設定は既に入っていますね。それでは開始します」
アマテラスのエンジニアがハッキングツールを動かした。最初に不正メールが大量にばらまかれた。自衛隊の技官たちが、詐欺メールにひっかかったふりをしてクリックをする。10人中8人が感染した。
「感染してますが、それは何を使ったって仕方ありません。我々のレスポンス機能で修復できます」
ティーターンの技術者が得意そうな声を出すなり、修復が始まった。続いてネットワークに対して別の攻撃が仕掛けられた。DoS攻撃と呼ばれるサーバーを侵害する攻撃だ。これも検知に成功し、攻撃元を特定して赤ランプで表示した。だが、そこでティーターンの白人が小さく舌を打った。
「あっと……」
『大規模感染に対する緊急遮断』と英語で表示され、ネットワークが全て凍結した。外部からの侵入は遮断したが、端末からもネットにつながらなくなっている。
「回線が細すぎる。先進国の環境を想定している製品だぞ」
ティーターンのエンジニアが眉を吊り上げて抗議した。
「前線に近いところではこのレベルの回線を使用しなければならない場合もあります。設定値は用意していませんか」
制服の陸自技官が機械が作ったような声で言い返した。アメリカ人が両手を振って反論する。
「いや、それはないが、回線の飽和率が高いからブロックしただけだ。アトラスの処理能力を超えたわけじゃない」
「では仕様通りということで、それを評価対象とします」
「あの、ブロックしたことが失敗という意味ではありませんので……」
「この結果で評価すると申し上げました」
アマテラス特機の人間が横からフォローしかけたところを、制服組の自衛官が情け容赦のない声で遮った。民間では見ないタイプの言い方だが、防衛に関わる人種とはこういうものなのだろう。テストは20分もかからずに終わった。苦々しい顔でティーターンの連中が機器を外した。
次は斉天大聖公司のナタクだ。
正直に言えば、アトラスがどこかでボロを出すことは予想していた。所詮はベンチャー企業の買収を繰り返して既存技術を積み上げ、ブランドだけを張り替えた製品だ。だがナタクは違う。世界各国とサイバー戦争を繰り広げてきたハッカー集団、中国
アメリカの同盟国である日本が、共産圏の製品を導入するわけにはいかない。そこで自衛隊が目をつけたのがこの台湾企業だ。かつて台湾海峡は国民党と共産党が向き合う対立の海だったが、今やそこは通商と投資の海となり、続々と人材交流を進めている。両国の発展が生み出したナタクも、その由来である孫悟空を助けた道士のように、あらゆる脅威を退ける可能性があった。
自衛隊のチームから、ナタクに同じような攻撃が仕掛けられた。アトラスが全閉にして解決した攻撃もナタクは淡々と処理を続け、最終的には回復した。だが、いくつかのテストを終えていく中、突然、攻撃側のサーバーに情報が抜かれているとアラートが鳴った。これは攻撃側が用意した警告で、ナタクからではない。
「いまのはなんだ?」
ハサウェイがつぶやいた。
「ルートキットですね」
サクが答えた。攻撃者がパソコンへ侵入するためのツール一式をインストールさせたのだ。ハサウェイが英語でゆっくりとサクに続けて聞いた。
「いつ入れた?」
「パソコンを見ないとわかりませんが、攻撃側は最初のエクスプロイトでメモリ上に直接ウィルスを注入、ルートキットを強制的にダウンロードさせて感染を拡大させ、標準コマンドを使って情報を送信させたようです」
サクがたどたどしい英語で答える。目はじっとナタクの管理ツールを見つめていた。
ルートキットはカーネルというシステムの根幹部分に埋め込んで検知を逃れる仕組みがあり、いったんパソコンへ仕込まれたら普通のアンチウィルス製品には見つけられない。だがその前の注入は技術的にはメジャーな方法だ。ナタクが防げないのは意外だった。
「検知してたみたいだけどな」
反対側から俺も英語で声をかけた。
「何度も繰り返し注入して、検出のタイムラグを突いたんだと思う。凝ってるけど、たしかに僕がハッカーならそこまでやる」
ナタクのテストは30分後に終わった。かなりの量を検知して対策したが、結論としては失敗だ。自衛隊の用意していたサーバーには、パソコンや監視カメラのデータがなにもかも吸い上げられていた。素直に恐れ入ったという顔でため息をつき、台湾人たちが機器を取り外した。
「よし、行け」
ハサウェイが指示を出した。俺たちはクー・フーリンの黒い箱をつなげて立ち上げた。思ったより気楽だった。何しろ前の2社は失敗のようなものだ。うまくいけばラッキー、ダメでもともとだ。
設置は練習通りに行けた。管理ツールにログインして各端末にソフトをばらまく。
「ルーグ・セキュリティ、進藤と申します。準備を整えました」
「始めます」
攻撃はそれまでと同じように始まった。途中からサーバー群への攻撃が認められて、情報漏洩を試みる通信が走る。アラートが上がった。
「これは、手動対応せよというメッセージですか?」
審査をしている技官が言った。アトラスでもこの対処はできていた。
「いえ、続くメッセージをご覧ください」
俺が画面をにらみながら答える。動いてくれよと祈りながら。体育館みたいな部屋に張りつめた空気が続く。すぐに修復中を示すメッセージが表示され、ファイアウォールによる通信断が始まった。これで漏洩はブロックできる。
「修復が終了すると通信断は自動的に解除されます」
ほう、とアマテラス特機のメンバーが低い声を出した。
だが、そこで生き残っていたウィルスが動作したらしく、サーバーのファイルを暗号化する動作が走った。ランサムウェアだ。
「ダミーサーバー019で、ファイルがいくつか暗号化されましたね」
「プロセスを確認してください」
アマテラス特機の発言に俺が答えた。この回復も可能なはずだ。
「えーと、動作は止まってますかね……?」
「はい。こちらも自動修復が始まります」
俺が言うと、少し遅れてスパナの画像が画面に表示された。管理画面に次々と修正項目が表示される。少し経ってからクー・フーリンは3MBのレポートを吐き出して停止した。その間、俺はマウスに手を触れることすらなかった。技官とアマテラス特機の技術者に、こちらから声をかけた。
「終わりですか?」
「こちらの試験は以上です。先ほど、ナタクのテストでも使用したルートキットの動作を確認しますね」
アマテラス特機の技術者たちが用意したサーバーを確認する。ルートキットは埋め込まれていない。怪訝な顔が俺たちに向けられ、エンジニアの1人が俺に声をかけた。
「この攻撃システムは断続的に1千回ずつの注入を試みるんですが、性能劣化しないまま全部防げてるんですか?」
「試行回数の合計を教えてもらえますか」
「1万回です」
「確認します」
俺はクー・フーリンのレポートツールを出した。ルートキットを仕込むためのウィルスが検出されていた。クー・フーリンはそれを98.3%の確率でウィルスと判断して自動削除していたのだ。駆除回数をカウントすると、それはきっかり1万回を示していた。
会議室にざわめきが起こる。それが徐々に静まり、最後にしんと会議室に静寂が流れた。
「……すごいな」
画面を見つめ、それまで眉ひとつ動かさずにいた技官たちの小さなつぶやき声が全員の耳に届いた。自衛隊側が結果をレポートに出した。感染しそうになったファイル、盗み出されそうになったデータ、その他諸々の攻撃の記録が表示されたが、テスト用のシステムは最初の状態から何も変わっていなかった。クー・フーリンはすべての脅威を押し戻して、誰の手も借りずに自動修復に成功したのだ。
じっと画面を見つめていたサクが、そっと眼鏡を外して袖で目を拭いた。
パン、パン、パンと手を打つ音が聞こえた。目を向ける。斉天大聖公司の重役だ。髪を綺麗に整えた四角い顔が、見事だと語っていた。
ティーターン&カンパニーの社員が笑顔を作り、遅れて俺のところに来てでかい右手を出した。
「未来ある若者の手を握らせてくれ」
サクの右腕をつかみ、その手を握り返させた。この手を最初に握る資格があるのは間違いなくこいつだった。
「テストは以上で終了とします。本結果を基に指名競争入札を行いますので、以降の手続きについて……」
幕僚があれこれと事務的な話を告げてから解散になった。クー・フーリンを荷造りして事務所へ送り、建物の外へ出る。空を覆う雲はもうなかった。ラクシュがサクの肩に手を乗せた。
「あたしさ」
「ん?」
サクがラクシュを見る。
「歴史に残ることの目撃者だな」
「そんな大げさな話じゃないでしょ」
「いや、あるさ」
ハサウェイは仏頂面のまま残る雪をザクザクと踏みしめていたが、突然2人の話に口をはさみ、もう一言つけたした。
「これで世の中が変わる」
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