陸幕の案件

「また我々の負けだ」


 ハサウェイが渋い顔で戻り、すぐに電話をすると言って、2つしかない会議室の片方へ向かった。気まずい空気が開発室に漂った。


 2016年11月。インターンから数えて1年以上の月日を投入し、ついにクー・フーリンは完成したが、その買い手がなかなかつかなかった。最初に作ったにしては出来のいい製品ではあった。クー・フーリンはさまざまな脅威や脆弱性情報を自動収集して分析し、異常な通信にも対応ができる。クラウド、ネットワーク、サーバー、PC、モバイルの保護製品としては業界水準の一歩先を進んでいるはずだった。


 それでも商談は先へ進まなかった。価格が高すぎるし、知名度がない。機能がどれだけ優れていても、それだけでは販売には至らない。アフターサポートが万全か、突然日本を撤退したりしないか、他でも使っているのか、そういう信用が必要なのだ。価格を下げたらどうかと言ったが、ハサウェイは決して許さなかった。価値があるものを安く売るとその先はないという理屈だった。そのあたりの判断は任せるしかないが、一つの黒い箱に5千万円という金額は、とても現実的には思えなかった。


「ユーザーから要望がないんじゃ改良のしようがないなあ」


 机に突っ伏しながらスマホを眺めていた、インドから来た新しい同僚が言った。


「せっかくラクシュに来てもらったのにね」


 サクが申し訳なさそうに答える。


 それを聞くとなお歯がゆい思いになる。ラクシュが入社したあの時。それはきっとうまくいくという、最初の予感を持てた日だったのだ。


 *


 ラクシュが来たのは、俺たちが入社して2ヵ月後の2016年5月。年金管理システムへのサイバー攻撃で、大規模な情報流出が明らかになったニュースの直後だった。その少し前にはバングラデッシュ中央銀行へのサイバー攻撃で8千万ドルが強奪されたり、ロスの病院ではランサムウェアで大混乱を起こすなど、セキュリティの話題は山盛りだ。こちらもこの流れに合わせたかったが、作り上げるためにはいくつも課題があった。


 第一は、人工知能に覚えさせる攻撃や問題行動のパターンをどこから集めるか。第二が画面設計や出力レポートなど、周辺部分の開発だ。


 ルーグにはできる人間がいないので、協力してくれる会社をさがすしかない。ハサウェイが取った手段は、インドのマハーラーシュトラ州ムンバイに本社を持つクリシュナ・コーポレーションと提携することだった。このIT企業は世界40カ国のオフィスと28万名の社員を持ち、さらに3分の1が女性という異色の新興企業だ。世界中へ提供しているプラットホームに大量の情報が集まっており、さらに開発の請負もやってくれる。


 これで人員は確保できたが、次は交渉で揉めに揉めた。メイン部分の説明は俺がやったが、細部の動作や画面など具体的なデザインが全く詰められない。開発管理をやれる人間が必要だ。目黒区の工業大学に留学していたラクシュを雇うことになったのは、そんな背景だった。


 初めて来た時、ラクシュは21歳。この会社で一番若い社員だ。こんなところで給料をケチったのかとハサウェイに文句をつけようとしたが、それどころではなかった。発注開始直後に、クリシュナが明らかに要求を満たさないプログラムを送り付けてきたのだ。何かが間違っているのだが、メールでは全く伝わらない。初日からラクシュに仕事を振る羽目になった。


「いきなり頼んでもいいですか」


 缶コーヒーを渡しながらおずおずと聞いた。


「へ? そのために雇ったんでしょ?」


 パソコンを貸すと、ラクシュは開発ツールとスカイプを突っ込みながら、クー・フーリンの設計を片っ端から教えろと詰めよってきた。俺がありえない早口で説明すると、それ以上にありえない早口で質問が飛んできた。細かい部分になると今度はサクと話し始めた。ラクシュはそのころから日本語もかなりできたが、話しながら片手で打ち込むメモは、俺たちに全く読めないヒンディー語だ。空になった缶コーヒーをタンとデスクに置いて、ラクシュが指を一本立てた。


「だいたいわかった。あとは話しながらなんとかしようじゃないか」


 その直後、バイタリティあふれるこのオタクを雇ったのが大正解だとわかった。ムンバイが業務時間に入った直後のタイミングでダイヤルをクリック。インカムをつけてスカイプで会話しながら相手のモニターを共有し、さらに同じパソコンで開発ツールを立ち上げてその場でいきなり開発を始めた。


 最初は俺たちに聞こえるように英語で話をしていたが、白熱してくるとヒンディー語が入り始めた。時折サクに相談する時だけ日本語になる。打鍵とまくしたてる3ヵ国語をBGMに、みるみる修正が進んでいった。照らし合わせる中で、ラクシュが画面の上で指を止め、サクの首をひっぱってその行へ視線を導いた。


「ここのクラスの__new__っておかしくない?」


 このあたりになると俺はもう全く頭がついていかなかった。サクが画面を追ったが、頭に疑問符を浮かべてラクシュを見た。


「__new__は__init__の前に確実に呼ばれるからそれでいいはずだけど」


 ところがそれを聞いてラクシュも怪訝な顔になる。


「このクラス、シングルトンにされてるよ」

「え? それなら動かないね」


「え?」

「え?」


 ラクシュとサクが顔を見合わせる。


「えーと君、名前、サク君だっけ。それは気づこうよ」

「いや待ってよ。そんなことする人いる?」


「いくらでもいるよ。このプログラマはそのやり方で慣れてるんでしょ」

「そう……なの? ずっと1人で作ってたからなあ」


「あー、人と仕事するってこういう事だよー」

「うーん……そうかあ……」


 2人の会話が早すぎて内容はさっぱりだったが、とにかくサクが人の指摘を受けてプログラムを修正するのを初めて見た。この山を越えたあたりから一気に改修が進んだ。午後5時、メンバーがモニタをのぞき込む中でラクシュがアプリケーションを起動する。ブラウザに深い青色をベースにした細い左メニューと、クリーム色のメイン画面が表示される。トップにはレタリング屋に頼んだ独特な筆記体で『Qu Chulainn』。どれをクリックしても正しく動作した。


「よーし、できた! これぞシュタインズゲートの選択だ! エル・プサイ・コングルゥ!」


 ヒンドゥー教かなにかの呪文を唱えて、ラクシュがスカイプを切った。まさか1日でけりがつくとは思わなかった。一般論としては、プログラムというのはそんなにハイスピードでできるものではない。サクが書く場合でも、1行を打つより考える時間がはるかに長いことも多いのだ。タイピストのようにキーボードを連打するプログラマはドラマの中にしかいないと思っていた。しかし俺の中の常識は、ごくまれな条件とラクシュという人間が重なることで完全に崩れた。


「ショウ」


 一部始終を見ていたハサウェイが俺の肩に手を置いた。その得意そうな顔に、俺は思わず吹き出してしまった。


「新入社員の事で話があると言っていたな」

「忘れちまったよ」


 笑いをかみ殺しながら、俺はラクシュを歓迎することにした。


 *


 そんなわけで数ヵ月後にクー・フーリンは形になったが、売れなければ話にならない。テーブルの上にダースでおいてある緑の瓶の栓を開けた。マドカさんがヨーロッパに行ってから、俺たちは2人とも市販品のジンジャエールを買うようになっていた。比較的味が近いウィルキンソンの辛口だ。あのときの味とは違うとわかっていても、この炭酸飲料を飲む習慣だけが残った。


「俺と営業でなんとかしねえとな」


 俺はコンサルタントという肩書がつき、クー・フーリンの設計を手伝いながら技術をハサウェイや他の営業に教えたり客先で使用手順を教える仕事も始めていたが、とにかく売れなければどうにもならない。


 焦りが背中をつついていた。これ以上成果が出ないと会社が消滅してしまう。しかしそう思えば思うほど、何をやればいいかと体が動かなくなる。波が静かな時は誰でも舵をとれるという、誰かの言葉が俺を笑っていた。


「またどこかの大手にセミナーの開催でも依頼してみるか……」


 モニターに映る緊張した自分の顔から目をそむけた。が、それとほぼ同時に会議室のドアが開いた。


「そんな話はいらん」


 ハサウェイが葉巻をくわえながら俺たちをにらんだ。


「火が消えてるからって口にはさんだまま来るなよ。力を入れた航空会社もダメだった。進んでる商談は1つもねえぞ」


「いいや、アマテラス特機から連絡が来た」


 残っている葉巻の臭いが俺の鼻を刺した。


「自衛隊のシステム作ってるとこか」

「そうだ。アマテラスグループの子会社だ。陸自が前線基地を展開した際に使用するセキュリティ製品としてCOTS品の評価をすることになった。ここにクー・フーリンを出す」


「コッツヒン? なんだそりゃ」

「Commercial Off-The-Shelf。要は市販品だ。軍事関係でも民間企業が作った製品を使うことがあるのはわかるだろう。その基準に合致するかをテストするんだ。もっとも優秀な機能を備えた製品が採用になる。内密だが、防衛省の予算は5億」


「5億?」


 頭の上から声が出た。


「10台買って、ようやく釣りが出なくなるな」

「そうだ。もちろんアマテラス特機が検査や技術検証で上前をはねるんだが、そんなことはかまわん。機能だけの勝負というところがいい。知名度も価格もほとんど関係ない、俺たちが勝負しやすい領域だ」


「相手は?」


 ラクシュが聞いた。相手というのは、ここでは似た製品を持つライバル企業の事だ。


「アマテラスが候補に挙げた製品はアトラス、ナタク、そしてクー・フーリンだ」


「ほほう。でもアトラスは敵じゃないかなー」


 ラクシュの声は軽い。サクも隣で首を縦に振る。アトラスの機能をサクが用意した人工知能で上書きするのが、クー・フーリンのコンセプトだったからだ。


「そうだ。今回の事実上の相手はナタクだけと考えていい」


 ナタクは台湾の企業斉天大聖セイテンタイセイ公司が作った製品で、アジア人にまともなセキュリティ製品は作れないというジンクスを一瞬で過去のものとした。日本でも急成長を遂げており、金をかけた広告のおかげで売り上げも順調らしい。アンチウィルスのテンセンニャンニャンを旗艦に、新分野にも乗り出していた。


「斉天大聖は日本法人だけで5,000人。グループ全体だと5万人の大所帯だよな」

「そんな事、関係ないよ」


 サクが割って入った。


「製品の本質は性能だ」


 それはそうなのだが、実力勝負でも強敵だ。その企業の噂は他の会社からも聞いていた。


「ニーズはなんなの?」


 ラクシュが聞く。ハサウェイによると、どこかの紛争地域に情報機器を含むシステムを展開するとき、パソコンばかりでなく軍用品もインターネットへ接続するケースがあるらしい。前線基地に展開したネットワーク内への侵入を防ぐのが趣旨だそうだ。クー・フーリンの用途と完全に一致していた。


「評価は来月だ。3人とも来い。この案件は絶対に受注する。ショウ、製品の説明はお前に任せるぞ。軍に長所を詳細まで説明しろ」


「日本は軍じゃなくて自衛隊な」


「まぜっかえすな。いいか。防衛にいる人間はとにかく厄介でな。自分たちが常に最高のものを持っていて、民生品なんかオモチャだと思ってる連中が山ほどいる。その固い頭を壊しに行くんだと思っておけ。この製品はお前たちのためのものだと必ず言え。アマテラス特機と陸幕に、他のガラクタとの違いをわからせろ」


 ハサウェイの言葉に力が入ってきた。これまでのバクチとは違うようだ。今回は被害事例も市場のニーズも書かず、機能だけを資料に詰め込むことにした。アマテラス特機の技術者や陸自の技官ならそれでも通じるのだそうだ。


「3社の製品を比較するテストでは実際の環境と同じセットを使うそうだ。海幕、空幕、情報本部、同盟国からも見学が来る。今回はサクとラクシュも支援に入れ」


「オッケー。いやー、燃えるねえ」


 ラクシュの軽口は気にならなかった。心配なのはただ1人、隣の細い男だ。こいつを放り投げて世界の頂点まで届かせるのか、また失敗か。肩にずしりと重いものを感じた。

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