開発と販売

「もーちょい。もーちょい」


 サクが手をひらひら、右へ、右へと動くようにふっている。


 画面いっぱいに点が広がる巨大なグラフ。その中を赤い線が複雑にのたうち回り、2色に分けていった。サクの作った人工知能はいくつものスマホアプリに対して、ゲームやビジネスなどにジャンル分けしている。キーワードではなく、アイコンと説明文とレビューだけを見て判断する仕組みだ。


 結果のレポートがパソコンに表示された。


「終わった。早いよ!」

「今までで最高じゃねえか?」


 2014年の11月、サイバーセキュリティ基本法が可決した月。俺たちは出会って4年、21歳、東都情報大学の3年になっていた。


 サクの才能はここで炸裂した。こいつの叩くキーボードから、毎日のように新しい未来が生まれていた。新しい論文が出るたびに、サクの人工知能は進化していった。


 一方の俺は情報システム科でリスクマネジメントを選んだ。プログラミングはド素人からのスタートだったが、サクとマドカさんのおかげでそれなりにできるようになっていた。環境が変わることで、それまで気が付かなかった自分の能力も伸ばすことができた。俺は意外にも、いろんなことができるタイプだった。広くネットワークやら経営工学やらにも手を伸ばし、研究会にも参加。そしてJNSAというセキュリティ関係の非営利法人のパーティでサクの成果をもっと売り込むべきだと言われ、営業のようなことも始めていた。


 一方で、隣に女座りしている優男はまるで変わらなかった。澄んだ声、ふわっとした茶髪、真っ白な肌。銀色の細いメガネ。工学部にしては珍しいくらいモテるのも変わらない。それでも年に360日、盆と正月以外は告白されていると噂が立っていても、サクは特定の相手を一人も作らなかった。コンピュータが恋人だった。


 俺たちは事務所と称して代々木から少し歩いた、明治神宮のそばの8畳間を半額ずつ出して借り、ほぼ毎日そこへ入りびたった。そしてついに、サクの数ヵ月引きこもった成果が出ようとしていた。


「99.97%だ。前回より0.06%も高いぞ」


 俺は結果を説明用の資料に整理した。前から似たようなことはやってきたから、データを入れ替えるだけで完成だ。


「さすが僕たちだね」

「お前の実力さ。じゃあ売ってくるぜ。晩メシ作って待っててくれよ」


 サクはエプロンをつけてキッチンへ。俺は真っ黒な革ジャンと革パンに着替えてドアを開けてマンションの一階へ。買ったばかりのヤマハYZF-R3に乗って日本橋箱崎町のシャダイ・コンピューティングへ向かった。ヴィトンやタグホイヤーが並ぶ表参道を横切ってバイクを飛ばし、六本木ヒルズを右に見て走る。東京タワーが徐々に大きくなってきたところで車体を倒し、地下駐車場へ。メッセンジャーバッグを背負い、よし、と声を出してコンクリートを踏んだ。


 もう俺たちの生き方は完全に決まっていた。両目に見えるのはサイバースペース。真っ黒な端末ターミナルに輝く、緑の半角英数字シングルバイト。全ての時間をITのために使っていた。


 今回の仕事はマドカさんが回してくれたやつだ。彼女は大学に残って研究を続けながらシャダイの契約社員になり、時々俺たちにも仕事を回してくれた。最初は簡単な仕事をしていたが、社内に人脈ができると人工知能の研究部門があるという話を聞き、俺たちはそこの請負作業を始めた。これで学費も生活費も払えるようになったのだ。


 シャダイのロゴは白十字で、それが刻まれたドアもわざとらしいくらい白い。俺はエントランスで革ジャンを脱ぎ、インターホンの受話器を取って担当者につないだ。


「事業開発のだんです」

「アプリ認識ツールの件で来ました。進藤将馬です」


 重々しい金属のサウンドに合わせてドアが開いた。ロビーは赤の壁と白の床という組み合わせで、四方の巨大なモニターにさまざまな都市の風景が次々に現れては消えている。その向こうからだん征四郎せいしろうという担当者がやってきた。


 痩せていて背が高い。オールバックの黒く染めた髪、高い鼻、鋭い目。コンピュータ企業よりも金融業にいそうな男だ。応接間みたいな会議室に通してもらい、小さな冷蔵庫からコーヒーを2つ出して机に置いた。俺たちは柔らかいソファに深くかけた。


「木更津君はどうしていますか。マドカさんとサクさん、どっちも」


 壇のほうから口火を切った。


「サクのほうはまあ、今日持ってきた奴を作ってます。マドカさんは名刺にはデータサイエンティストって書いてますね。データ設計スキルや統計学の知識を持つエンジニアなので」

「今は脚光きゃっこうを浴びている分野ですね」


「統計モデルを専攻してましたし、人工知能はずっとサクと一緒にやっていますね」

「彼女は専門を持っている上、Hadoopハドゥープをかなり細かくわかりますからね。本当はこの研究開発部門で彼女を雇いたい……」


 壇が冷たいコーヒーを飲みながら言った。


 マドカさんの専門はビッグデータ関連技術だ。2004年あたりからグーグルに導入された技術が注目を集めて、それ以来ビッグデータ処理技術は急速に普及した。


 ビッグデータというのは名前のわりに意味がわかりにくいとよく言われるが、要するに今までのソフトウエアで扱うには大きすぎるデータのことだ。たとえばツイッター、フェイスブック等に記録される億兆にも上るデータの処理は、今までのデータベースソフトでの分析は難しいので、ビッグデータの一例という事になる。他に身近なものでは世界中の天気や人の位置情報、テレビの視聴履歴などがある。


 これがビジネスになるとわかり、突然ブームが始まっていた。マドカさんの技術的な関心は、大量データをどう効率的に処理していくかだ。収集したデータを人間が分析して意味を見つけるのは難しいので、人工知能を使う。サクのプログラム技術とマドカさんの分析技術は、お互いを支え合う分野だった。


「では、君たちのほうを。進捗が著しいと連絡があったんで、期待しております」


 壇がかすかに首を倒しながら言った。目の形は変わらないが、この態度が笑顔を意味している。


「はい、アプリケーション分類のツールですけど、ついさっき、3回目のテストに成功しました」


 スクリーンに結果を表示すると、客が顎に手を当てて身を乗り出した。


「この数値が今までは試験でも15秒を切れなかったのですが、俺たちのツールならコンスタントにその数字を出せます。新しく米国国防高等研究計画局DARPAにいた研究者が発表したアルゴリズムを使いました」


「ダルパ?」


「新技術開発や研究をやってるアメリカ国防総省の機関ですね」


 DARPAは軍事と大学などの基礎研究をつなぐ組織として注目されている。研究の幅は広い。人工知能はもちろん、ドローン給油機や植物を食べて移動する偵察機、果てはPTSDの対策ができる脳インプラント、生物兵器を駆除する病原菌などかなり奇抜なものまである。サクの研究も、この組織に所属していた科学者たちの研究成果に支えられている。


「なるほど。では弊社で今の内容について確認がとれ次第、社内会議にかけましょう。基本的には前向きだとお考え下さい」

「ありがとうございます」


 まずはこれでよしだ。シャダイ内でこの説明書類が承認されれば採用される。


「それと、ちょっとこの話からはずれるのですが、構いませんか」

「え、はい」


 良いことを伝えようという態度だ。いつもはよそよそしい色の肌が少し違うように見えた。


「君たちは大学院に行くのですか。それとも就職する予定ですか」

「いやあ、なんともまだ。多分サクは進学で、俺は就職でしょう」


「2人で弊社を受けてみませんか」

「あー……」


 はっきり言われると驚きはするが、そろそろ来るかなとは思っていた。仕事をするなら、シャダイはうってつけの会社だ。日本の情報サービスでは業界最大手に位置しており、海外にも多くの子会社を持っている。待遇はまず悪くないだろう。


「……そりゃ、できれば」

「では、君たちを上へ推薦してみます」


 思わぬ話に飛び上がりたかったが、ぐっと抑えてビルを出た。間違いなく朗報だ。サクとマドカさんへメッセージを送った。マドカさんから先に電話が来た。


「ショウ君?」

「はい。スマホ見ました?」


「よかったじゃない、おめでとう。サクも受けるんじゃないかな」

「多分。いや、まだわかんないですけどね。今六本木からの戻りなんですけど、そういう話題があっただけで」


 マドカさんは大学院に進学してから目黒の小さなアパートに住んでいる。茗荷谷の女子大でこの前修士論文を書き終わったらしい。


 実をいうと、初めて会ったころに抱いたあこがれの気持ちはまだ続いていた。しかも嫌われてはいないようだし、彼氏の気配もない。ただ、サクとの3人の関係を崩したくなくて、告白はしていなかった。それに個人的な話は、もう少し稼げる実力をつけてからにしたいと思っていた。今日、それが少し進んだように思えた。


「ショウくん、今日、晩は? よかったら3人で食べましょうか」

「えっと、そっすね。ただ事務所でサクが作るって話になってて」


「じゃ、そっちまで連れていってよ。バイクでしょう?」

「あ、いいっすよ。行っていいですか、そっち」


「ええ。ただ残念でしょうけど、服は着ておくわね」


 この冗談を毎回言ってくる。そのたびに閉口したが、文句は言わなかった。彼女は今でもサクと遊びに行くと辛い自家製のジンジャエールを作ってくれる。相変わらず性格はおおらかで勉強は熱心で、そして少し抜けていた。


 目黒のマンションの前で、珍しくジーンズ姿のマドカさんが待っていた。メットを渡し、髪をまとめて俺の後ろに座ってもらう。渋谷の大交差点を経由、表参道を横切ってラフォーレ原宿を見ながら明治通りを北へ向かう。その日の多幸感は、初めてサクにあった晩にも並ぶくらい大きかった。


 しかし結局、その夕方に思い描いた未来は来なかった。それどころか、3人の誰もが全く予想もしていなかった方向へ道が引かれていった。食事をしている最中、サクとマドカさんのスマホが同時に振動した。マドカさんは言葉を失って手で口をおさえ、サクは短く、身内に事故があったとだけ答えた。

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