車椅子の女

 廃墟に戻ってニートらしくマックを晩メシにしてから、深夜にもう一度テスト結果をながめた。クー・フーリンは調べたファイルを格付けする仕組みがあり、正常、疑わしい、感染、不明のどれかに分類するのだが、それとは別に「デバッグ」というものを用意してある。ゲーム的にいうと裏技で、開発者用のテストデータを検出するためのものだ。このレポートを出すには特殊なファイルが必要で、アマテラスの社員は持っていない。ラクシュもそんなファイルを流してはいない。


 テスト用のファイルはクー・フーリンの内部に隔離する仕組みになっている。俺はそのファイルを取り出して、Linuxというシステムを入れたパソコンにコピーした。その中でアンチウィルスを最新にアップデートしてからネットワークへの接続を切る。こうすればウィルスに感染しても被害が波及する可能性は少ない。


 ファイルを開くと、インターネットのアドレスが1行だけ書いてあった。


 使い捨てができるテスト用の回線を経由してインターネットに接続した。さらにリンク先以外のサイトにつながらないよう設定した。次はサイトのアドレス調査だ。チェックツールはトレンドマイクロとかシマンテックという会社が無料で提供している。どれも引っ掛からなかったので、問題はないようだ。


 先方から接続元を判断できないよう、Torブラウザでリンクをクリック。黒地のサイトへ飛ばされた。なぜかクー・フーリンのロゴが中央に配置されている。その下に数行、手書き文字をスキャニングした日本語が書かれていた。


『クー・フーリンには限界があり、アマテラスのシステムは守れない。しかもその欠陥は近い未来、世界に深刻な危機をもたらすことになる。人工知能の調節が必要だ。私は貴方のスカアハとなって、クー・フーリンの強化に協力したい』

 

 その下に緑のフレームで描かれた見取り図が表示された。明日、訪問する予定の豊洲にあるアマテラスのデータセンターだ。その一角に、赤いマークが記されていた。


 ずいぶん手が込んでるな。


 攻撃とは思えない。単純なメッセージだ。しかも、俺だけに伝わるようにしてある。これはどういう意味だ?


 *


『またまた新作が出たので今日は安室の女になる予定! 同行は無理だからおひとり様でよろしくねー!』


 翌日、ラクシュからのメールは全く意味がわからなかったが、とにかく午前中にアマテラスが実際に使用している情報資産が入っている場所へ向かった。豊洲で降り、海岸に鎮座する巨大な円筒型の建物へ向かう。


 ここはいわゆるデータセンターだ。サーバーやら巨大なルーターやらが大量にあって、多くの企業が情報資産を運用するために間借りしている。堂々とした入口を潜り抜けると、いつものエンジニアたちと何重もの鍵がかかったドアを抜けて、照明を落とした近未来を思わせる回廊を進んだ。ゲームの空間を思わせる無機質な美しさを詰め込んでいるように見える。どこをどう歩いたのかも思い出せないような経路を経て、アマテラスが使っているサーバールームに到着した。クー・フーリンはすでにここへ送ってある。ポニーテールの女性エンジニアと一緒に設定内容を確認した。


「じゃあ明日の日曜。脅迫に対してノーを突き付けます」

「わかりました。あ、ところでその、ラクシュさんは、今日は……?」

「あー、なんか私用らしいっすよ」


 俺が答えると、なぜか恥ずかしそうに視線をそらした。


「なんか伝言とかあるんすか? でもラクシュに?」

「えっと、おそ松さんの……いえ、なんでもないです。私から連絡します」


 なるほど同類か。あいつはこの手の仲間を作るのは本当にあっという間だな。


「カードキー、返しますかね」

「あ、いえ預かっててください。いつこっちに来てもらうかわからないので」


 俺はロビーにおいてある奇妙な曲線を描いた巨大な赤いソファに腰かけた。スマホを開くとブラウザの中で、赤いマークは昨日と同じように光っている。少し深くかけ直してから、かつての思い出にふけった。


 高1の夏、俺は初めてコンピュータウィルスに感染した。パソコンが危険だからこのソフトウェアをインストールしろ、という表示を見て、指示通りにしたらたちまち動きが遅くなったのだ。結局Windowsを再インストールする羽目になった。それ以来、妙なものを見つけても興味に負けて触ることはしないようにしてきた。


 その俺が、今回に限っては好奇心が上回りそうになっていた。理由は『クー・フーリンに限界がある』という表現だ。ずいぶん変な表現のように思う。当然のことだが、どんなセキュリティ製品も限界はある。それは『俺ならどんな金庫でも鍵を手に入れて番号を知ってれば開けられる』というのと同じだ。


 なぜそんなことを書くのだろう。それにいたずらではないとしても意図はなんだ。謎の人物に教えられた見取り図ををもう一度見た。このフロアの一角が、くっきりと赤い輪に包まれていた。行ってみるかと心が動いていた。


 客先の事務所を勝手に歩き回ったのは初めてだ。ともすれば警備に止められて何を言われるかわからない。それでも俺の足は廊下の奥に向かっていた。借りたキーでドアは全部開いた。視線の先に灰色のドアが見える。脇に設置された電子錠は動いていないようだ。鍵はかかっていなかった。手前に引く。ドアは何も音を立てなかった。


 部屋を特徴づけるものは少なかった。天井は全面が光源となっていて、それが白一色の壁を照らしていた。なんだか夢の中みたいな空間だ。中央にはベッドが一つ。その横には何かの計器がおいてあり、おそらくは医療用のものだ。


「なんだこりゃ」


 こんなところで生活をする人間がいるんだろうか。医務室なのか仮眠室なのか。かすかな擦過音に続く冷房の風は常にどこかしらかから当たってくる。


 突然、反対側のドアが開いた。壁に生み出された長方形に目を向けた。


 最初にシルエットが見え、その輪郭は徐々にはっきりとしてきた。電動式の車椅子の上に、異様な姿の……人間が座っている。反射的に身を引いて腰を落とした。真っ白な空間をわたってくる姿は、まるでディスプレイの中で拡大するグラフィックのようだ。


 向きを変えるために車輪が床をこすったが、何も音がしなかった。白、黒、灰色の曲線が作る大きなカバーに覆われた後輪に、黒いスプリングを曲げて円形にしたような前輪。4駆らしく、アームにつけられたコントローラーでかなり細かく角度を調節できるようだ。


「こんにちは、進藤さん」


 声が耳に届いた。聞き取りにくいかすれた声だが、口調から女だとわかった。


「明るすぎるようね。照明を落としましょうか」


 光がわずかに収まると、はっきりとその姿が見えた。何かを言おうとしたが、喉の奥をごくりと鳴らすことしかできなかった。


 車椅子の上の異様な容姿が、俺の目の前で止まった。仮装か? 何かの冗談か? 小さく片手を口の前に出すと、目を細めて彼女が笑った。


 女の顔は、右目の周囲以外、ほとんどが金属の仮面に覆われていた。鼻は半分ほど見えたが、額、左目、両頬、口まで銀色の曲面が覆っている。左目の眼窩にあたる場所には、顔の形に添ったくぼみが作られていた。


「顔色が悪いわね。驚かせすぎたかしら」


 女が俺の手を取った。反射的に腕を動かそうとしたが外れなかった。肉の感触じゃない。女の左手は義手だ。皮膚で覆われた部分は前腕の半分くらいまでで、その先は断裂した筋肉の残存部を利用して動かす、たしか筋電義手とかいう機械だ。


 普通の手のように動いていたが、腕の表面はアクリルのような透明の素材で、内部の構造がはっきりわかる。螺旋状に連なるパイプとコードの間に発光ダイオードが明滅していて、様々な表示が流れては暗転して別の表示に変わる。脈と体温を示すと思われる数字が流れた。


「なんだ、あんた」


 機械を振り払い、女に向かって初めて口を開いた。


「話す気になったのね」


 黒い車椅子の上で、ノイズの混じった声を出した。胴体の上半身は残っているようだが、脚部はワイシャツの下に続く機械に固定され、つま先は見えない。恐らく両方とも膝のあたりで切断している。義手を見せつけるように女が髪を掻き揚げた。艶やかな黒のストレートが、グラデーションをつけた曲線を描いた。


「あんたが俺のスカアハか?」


 メッセージに書いてあった言葉を繰り返した。スカアハというのはアイルランドの神話に出てくる女神で、クー・フーリンの武術の師匠だ。7つの堅牢な城壁と9つの柵を備える難所に住んでいるというが、データセンターにいるという話は聞いたことがない。


「そうよ」


 女がかすれた声で言う。胸の奥がざわついた。あまりにも非現実的すぎて言葉もない。それなのになぜか、女の意思を感じる隻眼に吸いよせられた。何かを言おうとしたが、それがなんなのか自分でもわからなかった。女は義手を俺の目の前に出し、続く言葉を遮った。俺が口を閉じるのを確認して、右の手を俺の手に重ねる。フラッシュメモリだ。車椅子が向きを変える。俺は慌てて顔を上げた。


「聞きたいことはあるでしょうけど、わたしの用はこれだけよ。まずそれを受け取って。それから先のことは中身を見てから考えればいいわ。私は警戒しているの。でも、あなたが自分の意思を私に教えてくれるなら、私はあなたに少しずつ情報を渡していく。最初はそれよ」


「おい、待てよ」


 答えず女は背を向けた。出ていく前に、彼女は生きている方の目を向け、思いもよらない言葉を俺に刻み込んだ。


木更津きさらづさくは生きているわ」

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