猟犬の起動
六本木ヒルズの上層階からは都内のいろんな建物が見える。その景観は、すごいなという尊敬よりも恐怖のような感覚をもたらしてくる。密集した建物、それを維持する交通網や社会インフラ、それぞれをつなげるIT。途方もなさすぎて目が回りそうだ。
眼下の一角に、茶色い曲線を描いた高層マンションが見えた。広尾ガーデンヒルズだ。圓堂政嘉がデザインしたこのヴィンテージ・マンションは、部屋によっては1億でも買えない。以前は同僚と稼いだら住もうと冗談を言っていたが、今は金があってもそんな気分にはならないだろう。
景色を眺めながら、どうしてこんなところにいるのかと、また心の中で繰り返した。仕事が嫌いだと思ったことはない。会社や組織を被害から守り、犯罪を防止するのは面白い仕事だ。それでも、クー・フーリンの仕事を1人でやる違和感は消えない。俺にとってのIT技術とはサクの作った製品をあつかうことだったし、俺にとっての仕事というのは、サクが作った製品を売ることだった。
ロビーのソファで、電源を落としたパソコンを開いて画面のほこりをぬぐう。黒いスクリーンにラクシュの顔が反射した。
「よう」
ディスプレイに向かったまま短く声をかける。
「ナマステ……なんだこれ」
サリーの中身が俺のかたわらに突っ立った機械をなでる。犬型ロボットが顔をあげてラクシュへカメラを向ける。微妙な間をおいてから電子音を出した。
『ピコピコピューイ?』
「おっ、R2-D2だ」
ああ、なんか聞き覚えがあると思ったら、スターウォーズのロボットか。
『ピルリルリュー?』
「たしかに今日は涼しいねー」
「会話できんのかよ!」
「ふはははは、インドのC-3POと呼ぶがよい」
ラクシュのドヤ顔に合わせて後ろからも笑い声が聞こえた。昨日のエンジニア2人だ。五百旗頭は不在で、購入前の事前検証は彼らだけでやるらしい。ロボットを連れてこのオフィスのショールームに向かった。
部屋に入り、クー・フーリンをケーブルにつなぐ。このショールームは研究設備を兼ねていて、擬似的なオフィス環境が作られている。その中ではアマテラスの社員ではなく、決められた動作を繰り返すロボットのような自動ツールがエクセルを開いて意味のない数字を打ち込んだり、挨拶だけのメールの返信を書いたり、ブラウザで必要もない検索サイトで翻訳をしたりしているそうだ。
俺はラクシュとショールームのパソコンの前に座り、電源を立ち上げた。
「じゃあまず、クー・フーリンを動かしていない状態で、私たちの用意した攻撃ツールを流します」
「どうぞ」
ラクシュがパソコンを開いてツールを立ち上げた。このパソコンで、昨日アルトから借りた攻撃ツールのリヴァイアサンを使えるようにしてある。
「それでは、メールに攻撃を仕込みます。パソコンにウィルスを強制的にダウンロードさせる、現在主流の方法です」
アマテラスのエンジニアにテスト内容を説明する。目の色を見る限り、言っていることは伝わっているようだ。天然パーマのエンジニアが一歩前に出て、片手を前に出しながら了解といった。
「じゃあラクシュ、攻撃メール送ってくれ」
パソコンから命令が走り、リヴァイアサンのサーバーからショールームのテスト用パソコンへメールが飛んだ。内容は業務に関する取引先の連絡先そっくりに偽装したものばかりだ。『請求書をお送りします』と書いたメールを、バーチャルなキャラクターがクリックした。
「ウィルスダウンロードされたよ」
「アンチウィルスはどのくらい機能してる?」
PCが感染しそうになってもアンチウィルスが止めることはあるが、俺はそれをすり抜けるようにウィルスを作ってある。
「1つ殺されたね。でもパソコンのコントロールとれた。感染拡大させるねー」
乗っ取ったPCから別のPCへ被害を広げていく。さらにユーザー名とパスワードを一括管理するサーバーを占領した。これで、全ての従業員のパソコンにログインできる。
「はい制圧」
「とまあこんな感じで、やろうと思えば15分で乗っ取ることができます」
攻撃結果を画面に大写しにさせた。こうしたハッキングはそれほど難しいことではない。セキュリティエンジニアがこういう手法で悪事に走ることが少ないのは、たいていの場合は大した利益にならないと知っているからだ。情報を金に換えるルートを見つけるのは結構な手間だし、警察に怯えて日々を過ごせる人間は多くはない。しかし技術的にはやればできる。アマテラスのエンジニアたちには刺激的だったようだ。
「怖いツールを知ってますね。進藤さんに攻撃されたらなんでも盗まれちゃうな」
天然パーマのエンジニアが苦笑いしながら画面上のスイッチを押し、テスト環境を攻撃されていない状態に戻した。
「じゃあ、本番をお願いします」
ポニーテールのエンジニアが言った。アマテラスの技術者はこの危機的な状況にもかかわらず、冷静にこちらの話を受け止めていた。技術をしっかり把握している、やりやすい客だ。
「クー・フーリンを起動します」
俺が言うと、Qu Chulainnの文字を左肩に刻んだ画面が開く。画面の左側に配置された縦長の濃い青枠は設定を入れるためのメニュー、画面右側のクリーム色を背景にしたメイン画面は管理対象の表示だ。アマテラスで使っている機器が次々に登録される。通信している機器どうしが線でつながれた。乗っ取られることで大きな被害が考えられる重要なサーバーなどは最優先に分類され、より厳格な保護対象になる。さらにIT関係だけではなく、それとつながっているエアコンや監視カメラなども保護できる。
「ラクシュ、同じ手順で攻撃を頼む」
俺が頼むと、ラクシュが同じように攻撃メールをばらまいた。しかし今度はクー・フーリンが次々にそれを駆除していく。管理画面の中ではいくつかの機器が赤く染まるが、たちまちそれは緑色に戻っていく。攻撃検知と解決というマークが、刻々と画面の右上に表示されていった。
「守れてますね」
ふむ、と天然パーマのエンジニアがつぶやいた。
「この攻撃はヒープスプレーとuse after freeによりASLRを回避してウィルスをダウンロードさせる攻撃です。これをクー・フーリンで防いでいます」
「ええと?」
攻撃用語は知らないのか。ASLRという保護機能を避けて攻撃する方法の名前なのだが、そんなことはあとでググってもらえばいい。俺は画面を指さした。
「まあさっき成功した攻撃が、クー・フーリンを入れたことで失敗したという意味です。画面に駆除成功って書いてあるとおりですね」
「それはまあ、わかりますけど」
「じゃあ次に設定を変更して、パソコンがウィルスをダウンロードできるようにします。もう一度アタック。今度は感染したパソコンが不正な通信を試みますが、これもクー・フーリン本体がブロックします」
「ふむふむ」
「さらに不正通信も許可します。ここからが本番です。ラクシュ、乗っ取ったパソコンから感染を拡大してくれ」
ラクシュがキーを叩くと、隣のパソコンやサーバー群への感染が始まった。クーフーリン経由の通信は遮断されるが、経由しないウィルスは隣のパソコンへ移動した。
「やられてますね……あ、止まりました……か?」
ポニーテールのエンジニアが聞いたと同時に、ネットワークの網を走る赤い線が完全に停止し、それからスパナの画像が表示されて修復が始まり、たちまち赤い線が消えていった。
「滝が逆流してるみたいだ」
天然パーマがほうと息をついたところで、緑で解決の文字が表示された。
「これがクー・フーリンです。未知の技術であっても感染の拡大に気がつくと『恐らくは悪意のある行為だ』と人工知能が判断して修復するわけです」
「まともなツールを社内に配った時も消されたりしませんか?」
「やってみてください」
「なにか適当に……
「どうぞ」
天然パーマがパソコンにソフトウェアを配るツールを使った。クー・フーリンは沈黙したままだ。
「……インストールできますね」
「はい。破壊を目的としていたり、論理的に不自然な行為を人工知能で学習し、その挙動のみを閉ざして修復します」
ううん、と2人が感嘆の表情を見合わせた。
「前評判を聞いた時も思いましたけど、これ、本当に売れてないんですか」
「売る人が少ないのと、一時期不具合がありましてね。今は問題ないですけど」
「ふむ……わかりました。では次の日曜日。その直前にクー・フーリンを設置しておき、脅迫を拒否してみます。拒否したら即時攻撃すると言っているので、そこで利用してみます」
話に区切りをつけて俺たちは外へ出た。ラクシュは限定フィギュアがどうこうですぐに帰った。
売ることになったか。と、複雑な気分でロビーのソファにかけ、カバンからジンジャエールのビンと栓抜きを出した。まあ、どういうものかは伝わっただろう。今日はこれでいい。そう思って、ノートパソコンを開いて今日の結果を記録したレポートを開いた。
妙な記述が入っていた。
クー・フーリンが、リヴァイアサン以外からの攻撃をブロックしている。今日のテストでは、そんなことはあるわけがなかった。
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