落ちぶれた男

 サクは高校のころからの友達で、大学も勤め先も一緒だった。本名は木更津きさらづさくという。ITセキュリティの開発プログラマで、10代の頃から人工知能関係の学会で注目されていた。


 あまり体が丈夫ではなく、色白に眼鏡、穏やかな態度に柔らかい言葉づかいで、女受けするキャラクターだった。ジョブズのような有名人にあこがれるタイプではなく、ひたすらソフトウェアを作ることが生きがいの職人肌だ。このサクがメインで開発していたのが、俺が直接販売できる唯一の商材、クー・フーリンだった。


 俺たちが勤めていたルーグ・セキュリティの売り上げは、当時ほぼクー・フーリンに依存していた。ところがサクが失踪して会社は解散となり、俺やラクシュを含む全員が失業することになった。若い天才が何をしようとしたのか、何が奴を追いつめたのか、誰にもわからなかった。


 同僚は起業家のような生き方が嫌になったのだと言ったが、奴を知っている俺には納得できなかった。会社がつぶれて以来、俺は毎日のように奴の行方を追っていた。別の会社に勤めなかったのも、サクと組んで売りたかったからだ。


 それでもラクシュのいう通り、金が尽きて食えなくなるんじゃ話にならない。ウォンに家賃を待ってもらうのもそろそろ冗談ですまない。今はこの案件を進めるしかない。都営新宿線を降り、初台のオペラシティビルに入った。


 K5とかいう、立てたロケットみたいな形の警備ロボットが通り過ぎていく。それを横目に見ながら2階オフィスロビーのホールへ向かった。吹き抜けとなっている広い空間の中央に、ポツンと黒い等身大のブロンズ像が立っている。その虚ろな視線の先に、マフィアとタヌキを足して3で割ったみたいな白人が立っていた。窪んだ目でタブレットを見おろしている。最近は目の下のクマが消えないので、悪いパンダみたいでもある。俺が近づくと、じろりと視線をこちらに移した。


「コンプライアンスが云々で、部外者を表だって入れるなという話だ。貨物用のエレベータへ回ってくれ」


 変わらない鈍重な英語で、前置きもなく男が言った。以前、俺たちを雇っていた社長だ。今はこのビルに入っているバングゥ警備保障でITセキュリティの顧問をやっている。アーネスト・バーソロミュー・ハサウェイというのがこの太くて白いアメリカ人の本名らしいが、俺は心の中でタヌキと呼んでいた。


「コンプライアンスって法令順守って意味だろ。エレベータとか関係あんのか」

「上の指示だ。いちいち言い返してられん」

「お勤め人は大変だな」


 頭を英語に切り替え、皮肉から切り出した。


「何度も言ったが、俺は機会を見つけてまた会社を立ち上げる」

「そうかい」


「その時はまた俺のところに来い」

「そんな話はその時にしてくれ」


 会うたびにまた来いと繰り返しているが、こいつももう60だ。何かをやり直すには年を取りすぎていた。それにもう一度会社を作ったとしても、いまさら過去の仲間が集まるとも思えない。魅力的な話ではなかった。


 10階の執務室に入る。アクリルの壁を隔てた向こうに、ブウンとうなり声のような音が響いていた。サーバーを収める巨大な金属ラックに大量のマシンが置いてあり、その一つを借りるつもりだった。


「接続情報はこれだ」


 タヌキが革張りの椅子に座りながらモニターをこちらに向けた。ナップザックからパソコンを取り出し、その情報を打ち込む。ハサウェイが葉巻に火をつけた。電子機器の前で煙を吹かすなと何度言っても、まったく聞く耳を持とうとしない。


「誰かに売れたか?」


 ネットワークにつなげながらタヌキに言った。


「いや、バングゥ警備から売るのは無理だ。自社ですら使おうとしない。先月この会社の個人情報まで盗まれた形跡があったのに、それでもやらないそうだ。これまで売ってきた製品のメンテナンス費用が欲しいだけなんだろう」


 タヌキが煙を吐きながら葉巻を灰皿の縁に置いた。俺は目をあわせずに、クー・フーリンの管理ツールへアクセスした。


「どんな優秀な製品だって、今は2年もすれば追いつかれるぜ。クー・フーリンもそのうちお払い箱だな」

「そうはさせん」


 タバコの煙が部屋の中を駆け回っていく。こいつと過ごす時間はいつも指が重く感じる。設定情報を入れるだけなのにやたら時間がかかった。さっさと機器を取り出して帰ろう。煙を払ってから、俺はパソコンを閉じた。


「じゃあ、持っていくよ」

「そのラックには入ってないぞ」


 ハサウェイが火を消しながら言った。パンダみたいな目が少し細くなっている。今日は機嫌がいいらしい。


「ショウ、お前、ボストン・ダイナミクスは知っているな」


 珍しい単語が煙の中から出てきた。


「面白い歩き方するロボット作ってたとこか」

「そうだ。今はソフトバンクに買収された。本当は蹴られても立ち上がるところが肝心なんだが、まああの歩き方で知られたビッグ・ドッグのことだ。実はあの人工知能はかなり優秀でな。人混みをすり抜け、視覚から得た情報をもとにぶつからずに歩ける。それでお前、クー・フーリンをどうやって運ぶつもりだった?」


「でかいタクシーを呼ぶつもりだった」

「金がかかるだろう。なので、こいつに入れてみたぞ」


 ハサウェイがバチンと指を鳴らすと、ギイと音を立てて、黄色と黒に塗られた樹脂製の胴体がノコノコと入ってきた。普通の犬よりもかなり大きいが、俺の腰くらいまでの高さだ。


「もう売ってんのか?」

「テスト用に借りたんだ。警察の許可を得たから公道も歩ける。こいつと一緒に電車で帰れ。新しいものに触れろ」


 ハサウェイが何本目かの葉巻に火をつけ、煙をゆらした。口をポカンと開けて、ロボットとタヌキを交互に眺めた。


「なんだその顔は。笑ってほしいのか?」

「そうじゃねえ。いくらクー・フーリンだからって本当に犬にする奴があるかよ」


「うまい冗談だとくらい言えんのか」

「勘弁してくれよ」


 クー・フーリンという名前はケルト神話という伝承の英雄から取っていて『鍛冶屋クランの猟犬』という意味だ。しかしその製品を犬型ロボットに詰め込む必要はどこにもない。


「わざわざこんな事やったのかよ。いつ売れるかもわからねえのに」

「このくらい俺でもできる。ちなみにお前の情報も入れておいたから、文字通り犬のようについていくぞ。おい、こいつがショウだ。お前の主人だ」


『ピルピルピューイ?』


 クー・フーリンを搭載したロボットは奇妙な電子音を立てて俺の隣に来た。


「受け取れ。こいつに未来を見ろ。夢を見ろ。他人に笑われるくらいでかいやつを」

「ったく、変な奴ばっかりだよ」


「凡人と付き合って凡人で終わるのか?」


 俺を雇った時にも、こいつはそう言った。俺は答えなかった。


「ショウ。もうサクのことは忘れろ」


 ハサウェイが俺の背中にもう一言投げかけた。それにも答えなかった。ガシャガシャ歩くロボットと一緒にオフィスを出て、地下鉄に向かった。


「あーなんだっけあれ」

「ユーチューブで見たー」

「結構おっきいねー」


 すれ違う制服の女子高生が笑いながら通り過ぎていく。六本木までは大江戸線だ。駅員に止められ、許可を見せると気をつけるように言われた。生返事を投げつけて、長いエスカレーターを降りた。


 ハサウェイと話すのは辛かった。学べ。作れ。人と話せ。興味を持て。夢を持て。説教ばかりだ。奴ができなかったことを俺に押しつけ、それが自分の価値だと思っているんだろう。iPhoneをいじって奴と会った事を忘れようとした。


 ガランとした電車に乗り、前にロボットを座らせる。ラクシュからラインが来た。


(会社で新型aibo買った)

(ショウも買うべき)

(すごい)

(かわいい)

   (そんな金があるか)

(みんな持ってる)

(ショウだけだぞ)

   (流行の問題じゃねえ)

(日本人のくせに空気読めないとか草)

(買わないとSNSにさらされて人生狂うぞ)

   (知るかそんなこと)

   (金が入ってから考える)

(写真撮ったから送るね)


 返事もせずにクローズ。漢字を書けるのはすごいが、ろくな表現を覚えない。次はウォンにメッセージを入れた。


   (戻るのは夜になりそうだ)

   (欲しいもんあるか?)

(実験台の美女を3人くらい!)


 返事もせずにクローズ。iPhoneをポケットに突っ込んでジャケットをロボットへひっかけた。周りに変な奴しかいないのは、多分俺が悪い。

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