アマテラス情報通信
翌日の夕方。都営地下鉄六本木駅で降り、扇情的なデジタル広告が踊る地下道を歩いててヒルズへ向かった。外は雨が降り始めている。スタバに入ってジンジャエールを頼み、ないと言われた。
「ナマステ」
南アジアからやってきたオタクが手を振ってやってきた。ロイヤルミルクティーに山盛りのシナモンを乗せ、丸テーブルに置く。
「あれ? ショウ、コーヒー飲めるの? エンストしたりしない?」
「俺は何でできてんだよ。で、打ち合わせるようなこと、ほとんどないんだよな」
「うん、おさらいだけ。まず会うのは
ラクシュがミルクティーを飲みながらすらすらと言った。
「意外と手際がいいな」
「もっと褒めていいよ」
「今度にしとく」
「ちぇ」
空になった紙コップを捨ててエレベータに乗る。大理石のようなデザインを施した内装はいつ見ても豪華だ。オレンジ色から紫に変わる床を見つめて上の階へ。受付に入ると、すぐに依頼人は来た。
小柄だが技術職と思えないくらいがっちりした肩幅が目に留まった。灰色の背広に落ち着いた朱色のネクタイ。四角い顔の上に整った鉄色の髪が厚くそろっている。大きな目をしっかりと俺に合わせてきた。その後ろからエンジニアと思われる男女1人ずつ。会議室に通されると、依頼人がまずラクシュを見た。
「
恐ろしく
「日本語で大丈夫ですよ。ラクシュミー・シャンディラ。クリシュナ・コーポレーションの技術営業です。以前、そちらのエンジニアからお話はうかがっています」
ラクシュが答えてほほえむ。
「ご出身はどちらですか」
「ハイデラバードです」
「優秀な方の多いところだ。あなたのような若い才能が活躍できるところと聞いています」
「ええ。あたしもクリシュナに能力を見出されまして」
2人が力強く手を握る。
『なに格好つけてんだよ、おまえオマケだろ』と苦い目を向けた。
『ハッタリかますくらい勝手でしょ?』という意味のウィンクを返してくる。こんな奴とアイコンタクトができる自分が嫌だ。
俺は日本式に名刺を交換した。男は受け取ると無骨な指を開き、座るようにうながした。
「詳細に踏み込むとかなり量があります。ただそれは別途申し上げたい。こちらからの依頼は一つ。クー・フーリンの導入と運用の支援です。事前テストが成功すれば、採用は半ば決定とお考えください」
「……ずいぶん端的ですね」
パソコンを出して机に置いたが、起動はしなかった。先に話を聞いたほうがよさそうに思った。
「クー・フーリンだけがこの問題を解決できると考えています。究極的に言えば、今日、この場で言いたいのはそれだけなのですよ。
それで解決できないなら、我々は会社を一から変えなければならない。ネットワークをインターネットから切り離し、全てのパソコンを机にくくりつける。スマホもタブレットも社内のサイトやフォルダにアクセスさせない。伝言は紙とボールペンでやってもらう。21世紀のIT企業がそうなるわけです」
淡々と、しかし重さが伝わるような言い方だ。あらためて現代の仕事というのを思い知らされた。そんなことになればアマテラスの仕事は昭和まで巻き戻り、売り上げは崖下に蹴り落とした石ころの軌跡みたいなグラフを描くことになる。
「何度も攻撃を受けているんですね?」
「6回です。前回の攻撃は1ヵ月前で、複数のパソコンが乗っ取られてファイルが暗号化されました」
ハッカーがパソコンやスマホのファイルを勝手に暗号化して、戻したければ金を払えというのは5年くらい前からメジャーになった攻撃だ。有名なものとしては、アメリカの病院でカルテが軒並み暗号化されたというのがある。医師や看護師が紙とペンで業務をする羽目になり入院中の患者も危険にさらされ、世界に衝撃が走った。この手の暗号化ウィルスは身代金を意味するランサムという単語を由来として『ランサムウェア』と呼ばれている。
「ただ普通と違うのが、翌日に突然問題を解決するためのカギが私に送られてきたというところでして。しかも同じメールに日付が指定してあり、今度はもっと大規模にやると書いてありました。何度もこういう脅迫状が届くのです」
「追跡はどの程度まで進んでますか」
「正直、進展はないようなものです。警察にも届けましたが、証拠になるものを渡し、それで終わりです」
言われると、同席していたエンジニア2人、ひょろっ白い天然パーマの男と栗色のポニーテールの女が、そろって首を縦に振った。アマテラスほどの大手が抱えるチームで対応できないなら、相当な難題だ。
「わかりました。では攻撃の詳細は後ほど確認するとして、本題に行きます。クー・フーリンの事はどのくらいごぞんじですか?」
パソコンの上に手を乗せた。
「知っていますよ。かなりね。もっというと、私は君に会ったことがあるのです。君が髪の毛を黒く染めた日に」
「えっ?」
開こうとしていたパソコンを閉じ、五百旗頭の顔を見た。
「あの時は100人もいたから記憶に残っていないでしょう。私は自衛隊にいたことがあるのです。指揮通信システム・情報部長として。当時の階級は陸将補でした」
目を閉じて、男が穏やかな微笑を浮かべた。
「……失礼しました」
深く頭を下げた。1年ほど前にこの製品を陸上自衛隊に販売したことがあったのだが、彼はその時の客だったのだ。
「驚かせて申し訳ない。切り出すタイミングがなくてね。ですが必要なのはその時の思い出ではなく、この問題を防げるかです。まあ久しぶりですし、製品説明もお願いしますよ。うちのエンジニアにはまだ馴染みがありませんし」
五百旗頭が声の音を下げた。となりの技術者も興味ぶかそうに俺の目を見つめている。深くうなずくと、改めてパソコンを開いてプロジェクターにつないだ。黒い箱が画面に浮かぶ。
「それでは改めまして、これが――」
「プレステ
突然ラクシュが横から言い出す。五百旗頭のとなりに座っていた2人が下を向いてふきだした。
「クー・フーリンのハードウェアです」
言ってからラクシュの腹を小突いた。何しに来やがった。足を引っ張るな。
「一般的な2ユニットサーバーの大きさで」
「縦横高さの比率は1:4:9。モノリスと呼ばれ、スターゲートを開き人類を宇宙のかなたへ転送、スターチャイルドへ進化させます」
ラクシュがペラペラと続ける。目の前のエンジニアが笑うのをやめない。
「なにしに来たんだてめえは」
横を向いてラクシュをしかりつける。誰も古典的SF名著の話はしていない。
「だってまじめすぎるじゃん! 笑いがないよ笑いが!」
「だからって邪魔する奴がいるかっ! まじめにメモ取ってろよ!」
「ちえー」
咳ばらいをして再開した。
「この本体以外に、保護したいサーバーやパソコンにソフトウェアをインストールして利用します」
黒い箱の写真をアニメーションでぐるりと回した。
「この製品はメインの機能としては、次世代型アンチウィルス、次世代型ファイアウォール、それから」
「放射熱線がございます」
「ねえよ」
「背びれが光るのが予兆でして」
「ねえって」
「新幹線爆弾および数百キロの血液凝固剤を流し込むことで停止できます」
「いい加減にしろ」
ラクシュをにらむと、ぷいっと横を向いた。アニメとマンガ以外に映画もオタクだったのか。五百旗頭まで笑っている。自衛隊にいた人間だからゴジラがわかるんだろうか。
「熱線はわかるので、それ以外の機能を説明してもらえますか」
五百旗頭が笑みを崩さない。せめて怒ってくれ。かえって辛い。
「ええ、なんだ……まずアンチウィルスですが、これはパソコンやサーバーにインストールしてウィルスなどを駆除します。機能を補完するサンドボックス機能などもついており……」
自分でも説明がやっつけになってくるのがわかった。まあそこらへんにあるセキュリティ機能はたいてい積んでますと言ってるだけなのだが、空気がくだけすぎて困る。女性のエンジニアがまだ小刻みにポニーテールを揺らしていた。そんなに面白い冗談に思えないんだが、俺の感性が鈍いんだろうか。
「ただ、この製品は既存のセキュリティ機能を積み上げただけではなく、深層学習を利用した人工知能により、攻撃に応じて対処できるようになっています」
「
一瞬、その男の名前に言葉が止まった。五百旗頭は俺の反応に気づかなかったようだ。そのまま話を続けた。区切りのいいところで五百旗頭が割って入った。
「実際にどう動作するかを見たい。我々はかなり大きな規模のテスト用環境を持っています。すぐに試用へ入りましょう」
明日以降の予定を決め、五百旗頭が立ち上がった。あいさつをかわし、ミーティングはたった30分で終わった。
エレベータで深々と頭を下げる。そして扉が閉じた直後。写楽が描いた浮世絵みたいな形相を作ってラクシュをにらみつけた。
「お前のせいで失敗するかと思ったじゃねえか!」
「いやー、これでいくらでもFGOに課金できるねえ」
ケラケラと屈託のない笑顔。あれだけ商談をひっかきまわして謝ろうという気配すらない。
「まー結論は決まっていたよ。100%ね。ショウを連れてきて顔を見せる。それだけで成功間違いなしの出来レースだもん」
「だとしても得するわけじゃねえだろ!」
「まあまあ」
ひどい目にあった。もう今日のことはさっさと忘れよう。あとこいつの持ってくる仕事はもう絶対にやらねえ。チーンとエレベータの音。
「ねえ」
曲面で作られたガラス張りのレストランの前を歩いていたとき、ラクシュが後ろから声をかけた。
「同人誌のネタならねぇぞ」
「ちゃんと、仕事取れてるじゃない。クー・フーリンで」
ラクシュがそれまでのふざけた顔をやめていた。言われる前に察した。
「そりゃまあ、何度も売ってるしな」
「じゃあもういいじゃない。普通に働いて、普通の格好しても。あんな変なとこ住まないでさ。オフィス通いになるんだから、その髪もおろしたら。地毛だって奇麗な黒なんだし」
「これが趣味だって言ってるじゃねえか」
答えたが、ラクシュが言いにくいことを切り出そうとしているのはわかっていた。
「ねえショウ、よくないよ」
「今日だって何も言われなかったじゃねえか」
「そうじゃないよ。まだこだわってんでしょ。サクの事」
ラクシュが寂しそうに俺に目を合わせた。俺は何も言わなかった。
「よくないよ」
「俺の勝手だって言ってんだ」
「いつまで探すの?」
「見つかるまでさ」
「本人が選んで、あたしたちから離れていったんだよ」
「それを本人に会って、本人から聞くって言ってんだ」
「……あたし帰る。またね」
ラクシュが背を向け、地下鉄の改札を足早に通り過ぎた。俺は地上に出た。雨は止んでいたが、地面はまだぬれている。
髪は黒くしてもいい。そんなことは大した問題じゃない。譲れないところはそこではない。
サクという名前を聞くだけで、針を飲み込んだような痛みが体の中を走る。
それはこの1年、ずっと探していた男の名前だった。
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