断りたい依頼
ハンカチには緑色の髪をしたイケメンキャラがプリントされている。その向こうに小柄な体と浅黒い肌。ふわっと広がったショートヘア。そして、インド伝統の赤と金色をあしらった派手な服。サリーとかいうやつだ。
リラックスした笑顔が俺を見つめていた。原色の鮮やかな布がひらひらゆれる。
「いつ入ってきた?」
「今だよ。相変わらず鈍感だよねー。アンテナみたいなツンツン髪なのにパケット受信できないの?」
流暢な日本語で女が答えた。勉強のためか、こいつは俺と話すときは英語を使わない。
「ウォンに用か?」
「ううん」
こいつはラクシュミー・シャンディラ。通称ラクシュ。たしか24歳。インド共和国ハイデラバードとかいう、俺と一生縁のない地域からやってきたオタクだ。日本に留学後、インド資本の会社で働いている。この国のマンガとゲームに狂ってなにがなんでも大陸に帰らないと言い張っており、住所は秋葉原という筋金入りだ。
「用は君にだよ」
「金はねえぞ」
「知ってる。髪の毛に使ってなくなるんでしょ? 30年前のロッカーみたいな赤い爆発ヘア」
「人の趣味にケチつけんなよ」
「そして真っ黒なレザージャケットに皮パン、銀のリベット。本気でそのファッション格好いいと思ってんの? 今時それで自称ハッカーとか、まとめサイトで爆笑される設定だと思うよ」
サリーの中身がべらべらどうでもいい話を始めた。まいったな。こんなところをウォンに見られたら……
「なにもかもすべてが終わる日が来た……」
なんてタイミングの悪い奴だ。
俺の家主はこの世の最後でも来たかのように口を震わせ、柱にしがみついていた。医者より役者をやったらどうかと思う。
「僕の家にそんな若い女の子を連れ込んでいたずらなんて! なんてうらやま違ったひどい奴なんだ、僕というものがありながら!」
「ショウ、ホモなの?」
「BLの話はよそでしてくれ」
「さあはやくその鬼畜から離れるんだ! そばによると妊娠するぞ! 僕は医者だ!」
ウォンがラクシュを手まねく。反対の手は俺に向けた。この空間にはまともな人間がいないのか。
「用ってまた同人誌のネタ探しか」
「まさか。手伝ってほしいんだよ。セキュリティの仕事取れそうなんだけど、ショウに仕事回したくてさ」
「なんだと?」
頭にパチンと風船が割れたような音が聞こえた。目が覚めて活力はよみがえり、札束の幻覚を見ながら飛び跳ねる。
「マジか、助かる!」
陰鬱な気分が吹き飛んだ。仕事が来た! これで肉と野菜が食える!
「受けてくれるかな?」
「まかせろ! 外行くぞ!」
「気をつけろお嬢ちゃん! そいつは親切なふりをして君を暗がりに連れ込んで」
ラクシュの手首をつかみ、瓦礫の山を越えた。ついに高貴で知的な俺様の能力が役に立つ日がきた。数カ月ぶりだ。喜び勇んで直したばかりのドアを開ける。けたたましい音を立ててぶっ倒れた。知るか。
*
ニートだから知らなかったが、外は夜だった。一晩中やってるカフェを目指す。壁は茶色のレンガ、緑の木製ドア。外に吊ってあるカンテラは本物だ。ドアを引くとチャイムが割れた鍋みたいな音を立てた。
「入るぜ」
「ショウか。この前サイフ忘れたってウソ忘れてないからな」
「払う払うすぐ払う! なにしろ今日は仕事の話なんだ。こいつが成功したらすぐ払う!」
木目がくっきり見える手製の椅子へ、ニスの匂いを感じながら深くかける。バリスタがメニューも持たずにやってきた。
「ラクシュ、なに飲む」
「チャイ」
それだけ聞いて戻っていく。
「俺には聞かねえのかよ」
「お前、ジンジャエール以外飲むことあるのか?」
「建前ってもんがあるだろ」
「ねえよ。それよりそのジンジャエールの貸しさっさと払え。1万4千円な」
まずい、もうすぐ家賃を超える。どおりで行きつけなのに日に日に態度が悪くなってくるわけだ。仕事が見つかってよかった。本当によかった。しみじみとアニオタの依頼をかみしめた。ラクシュがタブレットを出す。
「んじゃ始めますか。まずお客さんはアマテラス情報通信ね」
「おお、すげえな」
日本最大の総合ITメーカーだ。通信・情報システムをあつかってる会社で、連結で社員は17万人。去年の売り上げは5兆。低迷が続く日系企業の中でも入社できればまず安泰と言われる、現代の荘園だ。
「本社のCSOから、直接の仕事だよ」
「なに?」
喜び勇んだ気分が見えない何かに抑えられた。CSOというのはチーフ・セキュリティ・オフィサーの略で、企業のセキュリティ関係の重役だ。大物すぎる。子会社とか営業所レベルの話じゃないのか。俺みたいなフリーに声をかけてくる立場の人間じゃない。ラクシュだって、そんな奴にひょいひょい会える仕事はやってないはずだ。勤務先のクリシュナ・コーポレーションも、そういう仕事に強い会社じゃない。
「まあスーパーハッカー君、話は最後まで聞きなさい。ある事業部で攻撃を食らって商材の情報が流出しかけてね。対策かけなけりゃってなってるのよ」
ラクシュは俺の右肩に左手を乗せると、楽しそうにタブレットを読み続けた。ラクシュのタブレットに目を落とした。メモアプリに『サイバー攻撃対策のためのセキュリティチームの見直し、およびツールの増強』と書かれていた。
左手で頭を支えながらラクシュのタブレットを受け取る。セキュリティ用のツールを紹介してくれという内容で、できる分野の仕事ではある。が、やっぱりなんで俺なんかに頼むのかわからない。
「ショウ、肝心なところ読み飛ばしてる」
「ん?」
適当にスワイプしていた画面を上に戻した。
「依頼内容はセキュリティ製品の説明、導入、設定、利用者への教育、問題が起きた時の質問対応。要するに使えるようになるまで面倒見ろってんだろ。まあ普通だぜ。炊飯器や洗濯機じゃねえんだからよ」
「じゃなくておいくら万円?」
「どこでそういう古い日本語覚えるのお前。えーと、なに? 1年で50万? ふざけんなよ! だいたい何も決まってないのに、なんでもう値段がついてんの?」
「米ドル」
「は?」
ぎょっとしてラクシュとタブレットを交互に見た。たしかに米ドルだ。50万ドル。今のレートなら6000万円。インドから来た女が同じ言葉を繰り返す。同じ数字にしか聞こえない。
「なんでここだけドルなんだよ? なんかの間違いじゃねえのか? 5年の契約とかじゃねえよな? でなけりゃ5人連れて来いとか?」
「違う違う。ショウくんたった1人を1年雇うのにこんなにくれるの!」
いよいよ確信できた。これだけの金額がついているという事は……
「クー・フーリンを売ってほしいってこと」
「降りた!」
「だめ!」
やっぱりか。とある事情で、ごく少数の人間だけが販売できる製品、クー・フーリン。アマテラスはそれが欲しいわけだ。期待されているのは俺の能力ではなく、それか。
「実はだね。アマテラスは目下攻撃者に脅迫されてるんだ。きっとその裏には大きな陰謀がありましてですね」
「今さらあれは売りたくねえよ! アマテラスが倒産しようが天の岩戸に隠れようが知るか! 契約してなきゃ他人だ、パス!」
「いやいや落ち着きなさいよ、ロッカー兼ハッカーくん。ヒャッハー水だ女だと明日も見えない生活続けるより、絶対お金持ちになっとくべきだって!」
「肩パットも釘バットも買った覚えはねえ!」
「そうかなー」
俺の逆立った赤毛をなでながら、ラクシュが別のファイルを開いた。
「売り込みに行ってた大手企業は全部テストで落とされたの。クー・フーリンでなけりゃ絶対ダメって言われてるんだよ? でなけりゃあたしにこんな話こないって。ねー、お願いしますよう。スーパーテクノロジーをお持ちのツンツンヘアーくーん」
「気持ち悪い、やめろっ」
「気持ち悪いとは何事だ。この大金が目に入らぬか! ついでにあたしの会社にもピンハネさせろ!」
細い手で襟首をつかむラクシュの頰をぐいと押し戻す。この女の最高に機嫌がいい時の笑い方だ。ああ、と、絶望感が襲ってきた。間違いない。ラクシュがこういう態度をとっているという事は、この仕事のどこかに欲望の琴線に触れるところがあるのだ。
考えてみれば、こいつの持ってくる仕事なんて、これまでもこんなのばっかりだ。フリークというかパラノイアというか、とにかくこの女はこの手のリスクが高くて危険な匂いを感じる話がたまらなく好きなのだ。薬も酒もやらないが一種のジャンキー、完全な中二病だ。
「最初の商談は来週でアポ取ってるからね。議事録も提案書も報告書も手伝うよ。会社からこの仕事の権限、全部もらってるんだ。あたしが取らなきゃ誰も取れないからね」
愛らしい笑顔をこちらへ向けて俺の手を握りしめてくる。今回限りでこいつと仕事をするのはやめよう。絶対にやめよう。放置した風呂みたいなラクシュのぬるい手を感じながら、決意を新たに固めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます