07. 散りぬるを(2)

 がやがやと旅籠の中に入ってきた男たちは、汗まみれの体を拭っていた。その逞しい躰の表に踊る鮮やかな鯉や鷹――入墨はすっかり見慣れた。

 その輪の側、洗い立ての手拭いを入れた籠を置く。

「お結衣ゆいちゃん、今夜の飯はなんだい?」

 一人がそう言って手を振ると、残りも見向いてきた。

「あさりめし」

「かーっ! お沙也さやのやつ、手抜きしやがったな!」

「今夜は人が多いんですって。だから大変なの」

 結衣が言うと、皆が揃って口をへの字に曲げた。

「今日は敵手が多いぞ」

「飯の分配もさることながら、お結衣ちゃん争奪戦がだな」

「……あたしが何?」

 目を細める。彼らの溜め息が響く。

「弱腰になるなら表の女郎屋に行ってこいよ」

「てやんでい! 俺はお結衣ちゃんとの逢瀬を楽しみてえんだよ」

 一人がずいっと体を寄せてきて、結衣の肩に腕を回した。

「なあ、お結衣ちゃん。そろそろ一人に絞るってのはどうだい」

「ええ?」

 曖昧な笑みを浮かべていると、乗っかっていた腕がひょいっと持ち上げられた。振り向けば、煙管を咥えた相模さがみが見下ろしてきている。

「一昨日きやがれ」

 ふーっと煙を吹きかけられた大工が咳き込む。どっと笑いが起きた。

「お沙也、小督こごうだけじゃなく、お結衣ちゃんまで守りが固いんだよ」

 結衣の傍の男は肩を竦めた。

「マジ江戸っておかしいよ。なんでこんなに男くさいんだよ。娘っ子が少ねえんだよ」

「出稼ぎに来るのが野郎ばっかりだからだよ」

「そのせいで出会いが減るんだよ、出会いが!」

「それを差し引いても、所帯を持つって難しいよなぁ」

「特に俺らみたいな宿無しは」

 しょんぼりとした彼を交えて、大工たちはまた手と口を動かし始める。騒めく男たちに笑んでから振り返ると、相模は帳場に渋い顔をして座っていた。

「何か困ったことがあった?」

「今日は人が多いなと思ってるだけだよ」

 煙管から煙が昇る。瞬いていると、彼の隣にすっと人が座った。

小督こごう

 彼女の名を、相模が呼ぶ。ずきっと胸が痛む。

 背が高くてしっかりした体躯の相模と、華奢で可憐な小督。

「似合いだよなぁ」

 すぐ後ろに居た別の大工が言うのに、振り返る。

「さっさと夫婦めおとになっちまえばいいのにな」

「……やっぱり、そう、見えますよね?」

 キリキリ胃が叫ぶのを堪えて、もっと笑う。

 彼はくいっと首を傾げて。

「まあ、当人たちにしか分かんねえんだろうな。色の事なんか」

 言い放って、奥へと上がっていった。

 結衣は二人を振り向く。べったり張り付くわけでもなく、かと言って離れすぎず、膝をつき合わせた二人。

「呼びたてて悪かったな」

「お手当を頂戴」

 すっと出された白魚の手に、相模が丸い包みを落とす。それを懐に入れて、小督は戸口に向かった。

「小督さん!」

 慌てて追ったが。

「配膳はしないわ。あとは任せるから」

 雨の中に傘を広げて、彼女は去っていく。

 振り返れば、相模は黙ってまた帳面を捲っていた。

「おおい、お結衣ちゃーん!」

 その奥から呼ばれる。

「お茶が飲みたい!」

「はーい、ただいま!」

 叫び返して、炊事場に走る。

 一杯多く入れて、相模に持っていこうと思いながら。



 四十人分あさりめしをよそうのはかなり骨だった。

「お疲れ」

 炊事場の上り口に、沙也、伊織と三人並んで腰を下ろす。伊織は、はふ、はふ、と息を吐きながらめしを掻き込んでいた。

「それで、お沙也さん」

「何?」

「皆さんが来るのが早いってのと、あたしの関係って……」

 眉でハの字を書くと、彼女は盛大に笑った。

「気が付いた? 奴ら、誰があんたを落とすか競っているのよ」

 はあっと肩を落とす。

「あたし、兄様が見つかったら下総に帰るから」

「江戸で結婚は無しかい」

 沙也も、ふうふう、と椀の中を食べている。結衣もそっと啜った。

 貝と野菜を一緒に煮込んだ汁物で炊いた米と具が丼の中に山のように入れられている。最初に食べた時には何だかすっかり分からなかったあさり。この味と噛んだ時の感触にもすっかり慣れてしまった。

「江戸も楽しいんですけど、でもやっぱり、母様が帰ってこいって言ってるし」

 汁を飲み込んでから言うと、沙也は頷く。

「帰れるところがあるなら帰りなさい。それが一番のはずだから」

 そして、彼女ははあっと息を宙に吐いた。伊織も顔を上げる。

「母ちゃんとオレずうっと待ってるのに、父ちゃん帰ってこないよ」

「お黙り、伊織」

 ぶうっと頬を膨らませてから、伊織はまた飯を掻き込む。

 その頭を撫でて、沙也は目を細めた。

「まあ、江戸だろうが下総だろうが、い人見つけたらしっかり捕まえてなさいよ」

 伊織を見ながらの言葉だが、自分に向けられたものだろう。結衣は頷く。

 そして、ちくり、と胸の奥が痛むのを感じた。



 翌朝は少し楽だった。

 棒手売りの面々が明け六つ前に、飯も食べずに出て行ったからだ。橋の北側の市場から、江戸の市中へ青物を担いでいくのだという彼らは、ふんどし一丁で出張っていく。

 残りの客たちを食べさせて送り出した後、残された着替えを洗う。貴重な晴れ間を見上げながら、結衣は吹きだした。赤の他人たちのふんどしを洗うことにも慣れた、と思って。

「楽しそうじゃねえか」

 鼻歌混じりに広げていたら、笑いかけられた。

「相模さん」

 結衣も笑う。彼はどっかりと縁側に腰を下ろした。

「おまえさん、働くねえ」

「そ、そう?」

「飯の支度だけじゃなく、洗濯や繕い物をしてくれて助かってんだよ。お沙也と伊織じゃあ、掃除までで手いっぱいだったからな」

「う、うん」

「足りてないところをやってくれるってのは有難い」

 くるくると煙管を回している彼に、頬が熱くなる。

――う、動いているからだからね。

 盥の中に突っ込んだ麻布を踏んづけて、ざぶざぶと盛大に水飛沫を上げる。

 水に晒して、絞って広げて、大きく息を吐いたところで。

「ほれ」

 と、相模が何かを放り投げてきた。わあっと叫んで両手で受ける。

「飴?」

「昨日、伊織が持ってただろ?」

 瞬く。

「うん。分けてくれた」

「ちげえよ。俺が持って行けって言ったんだよ」

 もう一度瞬く。

「さっさと舐めねえと、溶けちまうぞ」

「それは困る」

 ぱくっと放り込む。彼の一重の瞳がさらに細くなる。

 むぐむぐと口を動かしていると、表から伊織が叫ぶ声がした。

「なんだよ、今度は……」

 相模が立ち上がる。

 いつぞやのように、ならず者に絡まれているんだったらどうしよう、と結衣もその背中を追った。

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