05. 色は匂へど(5)

「嘘をついてまで、売らなきゃならない理由って何だろうね」

 越後屋が煙を吐く。相模もまたニヤニヤしながら煙と視線を叔父に向ける。

「陸奥での凶作も落ち着いたと聞こえるし。見た感じも、娘を売らなきゃいけないほどお金に困っているではないし」

「それでも売りたい事情があったんだろ」

 くっくっと相模は喉を鳴らして、視線をずらした。

 土間にいた男たちが順々に立ち上がる。

「相模。こいつ殴っていいか?」

「程よくならな」

 彼らの手からゴキゴキッと不穏な音が響く。太い腕の持ち主たちに囲まれて、叔父はひいっと叫んだ。

「勘弁してくれ!」

「いやいや、痛いだけだからいいじゃないか」

「それが困る!」

「足があれば、国には帰れるぞ」

「なに、腕が残れば十分だ。這いずって行けるからな」

 男たちはけたたましく笑う。叔父はへなっと尻もちをついた。

 その前にすとんと相模が降りる。

「可愛らしい姪御さんだっていうのにねえ」

 彼は屈みこんで、煙管を咥えたまま叔父に喋りかけた。

「その姪御さんとご一緒に、何をしに江戸まで来た?」

「それは」

「兄様を捜しに来たの!」

 咄嗟に叫ぶ。

 相模は結衣に振り返ると、にっと笑い、頷いた。

「姪御殿の主張はこうだが。あんたの主張は?」

「私は…… 私は……」

 政五郎はあわあわと口を動かして、視線を越後屋へと動かした。

 送られた方は静かに煙管をふかしている。

「楠見さんちは、下総儘田宿の本陣なんだそうでねえ」

「へえ、ご名士じゃねえか。当主は政五郎さんかい?」

「今の感じだと、この娘さんの兄上殿じゃないかって気がするけど」

 越後屋はひんやりとした表情で続ける。

「政五郎さんには兄上がいる。兄というから、この人のほうがご当主だろうねえ。ところが、二年前に亡くなったってことは、今は御嫡男が後を継いだと考えるのが順当じゃないかな?」

「へえ」

 相模の笑みはどんどん深くなっていく。

「あんたは、年若いご当主の後見人か――それじゃつまらないか?」

「あ、当たり前だ!」

 政五郎が叫ぶ。

「兄も、兄の子もいなくなれば…… ゆ、結衣もいなくなれば、次の名主はわしじゃ!」

「邪魔者を遠ざけるために身売だなんて、良く考えたなぁ」

 ふいっと煙を吹きかけられた叔父はむせ始める。

 立ち上がった相模が振り返ってくる。結衣ゆいは肩を落とし、俯いた。

 ぐにゃり、湯呑みの形が、自分の膝の影が歪む。ぽたり、滴が落ちる音がする。

「あーあ、また泣いちゃった」

「今のは叔父貴がいけねえんだよ」

「そうだよなあ。裏切られちゃたまんねえよな」

「ほれ、これで顔拭きな」

「おーい、もう一杯お茶持って来いよ」

 ずいっと手拭が突き出され、傍に湯気を立てた湯呑みを置かれる。

 きょとんと見上げると、笑われた。隆々と盛り上がる肩や二の腕から受ける印象とは全く違う、底抜けた明るさの笑みだ。

 ふっと肩の力が抜けた。ぐすん、と鼻をすする。香りのいい煎茶に胸の奥も軽くなる。

 相模がまだ喉を鳴らしているのも聞こえた。

「めんどくせえ話に巻き込まれるたあ、越後屋も落ちたもんだねえ」

「うるさいよ、相模」

 よいしょ、と越後屋は立ち上がる。

「金を渡す前で良かった。後始末はお願いしますよ」

 来た時と同じように、彼は静かに出て行く。

「良かったわね」

 けらけら笑いかけられて振り向けば、最初にお茶を持ってきた女がいた。

「あの人、女衒ぜげんなのよ。買われたら、行き先は吉原かしら品川だったかしら」

 袖で口元を隠しながら、彼女は笑い続けている。

 結衣は眉を寄せて、戸口を、その前に座り込んだままの叔父を見遣った。相模が下駄の先でその叔父を小突いている。

「良かったと言い切れるもんかねえ」

 ひいっと情けない声を上げて、それでも叔父は動けずにいた。

「肝の小さい男だな。よく此処まで無事に旅してきたもんだ」

「帰りは一人で寂しく帰ってもらいましょ」

 それっと大工の一人が叔父を通りに蹴り出した。

 昼間だが、人影のないそこ。叔父はぎゃっと叫んで、走り去る。

「おお、行っちまった」

「無事に下総まで帰れよー!」

 やいやい怒鳴る大工たちとは逆に、相模は苦笑いを浮かべた。

「あんたにはどうやって国に帰れって言うんだろうな」

 なあ、と振り返られて、結衣は首を横に振った。

「あたし、帰れない」

 ぐっと拳を固めて、叫ぶ。

「売られるために江戸に来たわけじゃないの――兄様を探しに来たの!」



 名を楠見くすみ賢太郎けんたろうという。

 下総の国にある奥州街道宿場町の本陣を切り盛りしているのが楠見家だ。

 先の当主・庄左エ門しょうざえもんが老齢に差し掛かってから、後妻と儲けた子供が賢太郎と結衣の兄妹。その彼の亡き後は賢太郎と、叔父の政五郎が家政を担ってきた。

 そのきびきび働く賢太郎を、下総を広く治める藩主が気に入ってくださったのだ。

 是非に仕えに来い、ということで江戸に連れて行かれてしまったのが、一年前。



「春には帰ってくるという約束だったのですが、藩主様が、お江戸で大変大事なお役目を頂いたとかで、兄も帰ってこれないことになって。そればかりか……」

 と結衣は溜め息を吐いた。

「文さえ届かなくなったんです」

「ふうん」

 相模が何度目か知れぬ煙を吐き出す。

「だが、わざわざ捜しに来たってことは。それだけじゃなかたんだろ?」

 こく、と頷く。

「同じく江戸で藩主様にお仕えしている、近野こんの辰之助たつのすけ様とおっしゃる方からご連絡があって、行方が知れぬと言われました」

「何か理由が?」

「分からないんです。書置きも言伝も何もなく、突然、藩屋敷からいなくなってしまったようで」

 結衣はぎゅっと着物の袖を握った。

「あんなに真面目な、曲がったことの大嫌いな兄様が黙っていなくなるなんて信じられなくて。きっと、何か困ったことがあったに違いないと思って、叔父様に相談したんです。そうしたら、江戸に捜しに行ってみようと言ってくれました」

 それを信じてきたのにこのざまだ。また、じわりと目が潤む。

 横に座った相模は静かに煙管を加えていたのだが。

「捜しに来たって言うんだから、健気じゃないか」

 ぐすん、と大工の一人が鼻を鳴らした。見れば、五人が五人とも瞳を潤ませている。

「こんなに思い詰めてやって来たってのに、冷たく追い返しちまうのかよぅ」

「江戸の町はそこまで厳しくねえぞ」

 わらわらとふんどし一丁の男たちが相模を囲む。相模は殊更背筋を伸ばして、煙を吐いた。

「くそ、吸い切っちまったじゃねえか」

「煙草を入れ替える前に決めちゃいなさいよ」

 ずいっと煙草盆を動かして、傍に座っていた女も笑う。

「もちろん、面倒を見てあげるんでしょ?」

 ぴくっと相模のこめかみが動く。大工たちが手を叩く。結衣も真っすぐに見遣る。

 彼は大きく息を吐き出して、そして笑った。

「頼れって言ったのは、俺だからな」

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