04. 色は匂へど(4)
敷居を跨ぐなり、声がかかった。
「なんでえ、見ねえ顔だなぁ」
土間に二人、上り框に三人。男たちが胡坐をかいている。
皆揃って、白いふんどし一丁。日に焼けた皮膚の下は逞しく盛り上がっている。
そして、背中や肩、二の腕には、藍色の鯉や朱色の蛇が踊っている。入墨だ。
各々、片手に持った椀の中身を啜りながら、遠慮ない視線を
「今、女の仕事なんかあったのか?」
「さあね」
「
首を傾げた彼らの視線を一身に浴びたまま、肩を上下させて、呼吸を整えて。
「相模という方は」
と声を絞り出す。
「なんでえ、相模に用か」
「仕事か? それとも色か?」
がはは、と笑われて、顔が火照る。
その笑っている中の一人がふらりと立ち上がって、結衣の正面に来た。一歩退いたところを、肩を掴まれる。
「おいおい、逃げるなよ」
「あーあ、泣いてるじゃないか」
座ったままの一人が溜め息を吐く。別の一人がのっしのっしと歩いて、帳場の向こう側へ顔を突っ込んだ。
「おおい、客だぞ!」
ややあって、
「客? 聞いてねえよ」
「そうは言っても、ご指名だぜ」
溜め息まじりに、彼は帳場へと出てきた。
鴨居に
まじまじとその顔を見上げる――土間に突っ立った結衣からは、床上に立つ彼の顔はものすごく高いところにあった。
一重の瞳に、薄い唇。尖った顎。ところどころ伸びた鬚。
「あなたが、相模殿?」
問うと、彼は首を横に倒した。
「改まって呼ばれるような者じゃねえよ。で、あんたは誰だ?」
「結衣です」
きっと見上げる。
「ああ。思い出した」
彼はにっと口の端を上げた。
「早速厄介事か? まあ、座れ」
とん、と爪先で框を叩かれる。彼もどっかと座りこみ、奥に置いてあった煙草盆に手を伸ばした。
ひゅーっと誰かが口笛を吹く。
「おおい! 茶だ、茶ァ持って来い!」
「お
「おめえら、静かにしろ」
暖簾の向こうに叫ぶ男たちへと相模が呻くと、彼らはぎゃっと笑ってから、土間に戻ってきた。
そのまま、あちらこちらに散らばったノミやら鎚やらの手入れを始める。
框に浅く腰かけて、結衣は瞬いた。
「こいつらは大工なんだよ」
相模は煙管に刻み煙草を詰め、火を熾していた。
「昼前まで仕事して、戻ってきたところだ。明日も何かねえか、探してやらねえとな」
「ここは旅籠じゃないの?」
「正しくは口入屋なんだよ」
「はあ」
ふわり煙が細く立つのを見つめていると、目の前にずいっと湯呑みが突き出された。
それを持った腕を辿っていくと、笑い顔の女と目が合った。何処かで見た、と一瞬考えて、あっと叫ぶ。
「また会ったわねえ」
今朝、飯を出してくれた女だ。
「越後屋さんに行ったんでしょ? どうだった?」
目を細める彼女に、相模が煙管を向ける。
「余計なことは訊かねえで、茶を出したらすっこめ」
「いいじゃないの」
くすくす声を立てる彼女に視線だけ送って、相模はまた煙を吐き出す。
「取り敢えず、飲めよ」
促され、湯呑みを持ち上げた。ひりつく喉にちょうどいい熱さの渋みが流れていく。
「で、どうした?」
喉が湿った頃合いに、結衣はぼそりと呟いた。
「売られそうになったから、逃げてきた」
まあ、と女が声を上げる。土間の男たちもざわりと揺れた。
「そこそこ可愛い顔してるもんな」
「馬鹿野郎、顔が良くなくたって売れる時は売れるんだよ」
「遠回しに不細工だって言ったな、おめえさん」
「混ぜっ返すない! おめえら、女の子が困ってるのに黙ってていいのかよ!」
なあ、と土間の男たちの視線が相模に集まる。彼は眉ひとつ動かさない。
「それは困ったもんだな。あんた、叔父と来たって話してなかったか?」
「その叔父様に売られそうになったの」
言うと、また目の前が湿って歪んだ。ごしごしと手の甲で擦る。あーあ、と誰かが声を上げた。
「泣くなよ。吃驚したのは分かるけどよぅ」
そこで戸ががらりと引き開けられた。
「邪魔するよ」
暖簾を潜ってきた壮年の男に、相模は笑いかけた。
「噂をすれば、越後屋の旦那じゃねえか」
羽織の袖を揺らして入ってきた男は、入り口に仁王立ちになって、ぎろりと中を見回した。
「売り物が逃げたんで探しに来たんだよ」
冬の北風よりも冷たく刺さる声だ。ぎゅっと身を竦める。また視界が滲む。
相模はくっくっと喉を鳴らす。
「その逃げた売り物が此処だとよく分かったな」
「千住宿でこういう拾い物をするのは、あんたしかいない」
大きな溜め息を吐いて、越後屋は框に腰を下ろした。
結衣のすぐ隣だ。身を竦める。だが、彼は見向きもせず、羽織の袂から煙管を取り出した。
「火をもらうよ」
そう言った越後屋の横に、相模が煙草盆を押し出す。
彼は殊更ゆっくりと、煙管を咥えた。
「ちょいと愚痴ってもいいかねえ?」
「おう、どうぞ」
ぷかぷかり煙を浮かせながら、相模が笑む。越後屋もふーっと煙を宙に飛ばした。
「下総くんだりから話が来るから面倒そうだと身構えておけば、本当に面倒な話だったんですよ」
煙が宙に散らばるより早く、越後屋は次の息を吐き出す。
「父親が娘を連れて江戸に行くから買ってくれっていう話でだったんですけどね」
「父親が?」
相模が結衣を向く。なので、首を横に振って見せる。
「ここに逃げ込んできたのは、叔父に売られそうになったから助けてくれっていう娘御なんだけどね」
相模がニヤニヤ笑いのまま言うのに、越後屋の眉が跳ねた。
「叔父?」
底冷えする視線が結衣に向いてくる。
「叔父、です」
ひっと息を呑んでから、震える声で応じた。
「一緒に来た
すると、越後屋の極寒の視線が今度は戸口の方へと動いた。釣られて見れば、真っ蒼な顔の叔父が突っ立っている。
「どういうことなんでしょうね、政五郎さん?」
越後屋がまた煙を吐き出す。
「売られる事情を話しておけと伝えたのにお話になっていない。娘さんだという話だったのに、実は姪だという。私に嘘を吐いておいでだったのかな?」
「嘘は良くないなあ、嘘は」
畳みかけるように相模が笑うと、政五郎の顔はさらに蒼くなっていった。
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