天狗
「
村人が総出で、声を張り上げる。
「かえせー」
「かやせー」
山の峰に木霊が走る。
「
峰を走った木霊は、木々を震わす。
「かーやーせー、-、ー」
「かーーーやーーーせーーー」
村人は、手に手に稲わらでなった縄を持って、振り回している。
三尺ほどの縄が弧を描く。
ぐぅん、ぐぅん、と、空を割く音がする。
天狗にさらわれたかもしれん村のもんを探す縄の音が、夕空に吸い込まれていく。
手に持つ縄は、左
正しい縒りの縄は、右縒りとされていた。
左縒りは扱いずらい。
だから、嫌われる。
天狗にさらわれたもんは、ういもんになる。
うちもんになったら、正しいもんではなくなる。
左縒りの縄みたいもんになる。
だから、左縒りの縄で探す。
それが、村の決まりごと。
村人たちは、うわさする。
「姉さんは、なんでさらわれたんかの」
「栗を拾いに行って、知らんまに、天狗のすみかに入ってしまったんじゃろ」
「天狗ってこたないじゃろ、山で迷ったんでないか。栗の木に、石を当てたもんがおったじゃろ。どの木の下にも、たんと落ちとったでの。拾っとるうちに、日が暮れてしもたんじゃろ」
「それも、天狗のしわざじゃなかろうか。わざと、栗を落として、すみかに誘い込んだんじゃ」
「天狗の嫁取りか」
「そうじゃ」
「だったら、結納がたんまりくるだろうさ」
「結納などせんじゃろ、天狗は」
「結納せんかったら、親父がだまっとらんじゃろ」
「まだわからんしな」
「だんないこと言っとらんで、次は、あっちの山行くぞ」
父は、父の父――祖父からその話を聞いて、今の時期の栗はうまいから、姉さんもつい欲張って、山の奥まで入っていってしまったのかもしれんな、と思った。
この姉さんというのは、自分の姉のことではない。
若い娘のことを、そう呼んでいる。
学校帰りに、栗の木の上を狙って石を投げると、バラバラッと降ってくる。
いがをよけながら、降り終わるのを待つ。
それから、渋皮をとって、生のままかじる。
かさかさ、かりかりしていた、
お菓子などめったに手に入らなかったから、生栗は、ごちそうだった。
持って帰ったのを煮て干すと、飴みたいな甘いもんになった。
バナナといっしょの甘さだった。
「姉さん、天狗のうちで、うまいもん食ってるかもしれんな」
「食ったら、もうだしかんぞ」
「なんで」
「そりゃ、天狗のもん食ったら、天狗になってしまうがな。天狗の嫁さんじゃ」
父は、口をへの字にして、祖父を見た。
「だしかんようにならんように、探しとるんじゃ」
祖父は父に「心配せんでもええ」と言って、少し休んでから、また、左縄を手に村人たちと出かけて行った。
姉さんは、二日ほどたってから、谷の岩陰で見つかった。
村人が声をかけたが、しばらくはぼーっとしとって、自分が誰だかわからんようになっていた。
「こだけてしまったか」
と、祖父たちは心配したが、三日、四日と過ぎるうちに、だんだん、元にもどっていったそうだ。
追記
方言の意味
「かやせ」返せ。
「ういもん」嫌な者。ここでは普通の状態ではない者。
「だしかん」だめな事。ここでは人間ではなくなる事。
「こだけ」魂が抜けたような状態。
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