ずれっこ

「ほれ、また、だしかんようにしてしもうた。なんべん言うても、ずれっこじゃな」


 何遍も同じことを言われても忘れてしまったり、慌ててやって失敗してしまったり。

 そんでも肝が据わっておって、人がようせんことをやったりするんで、大目に見てもらっている。


 それが、ずれっこ。


 そそっかしいけれど、人並みはずれたすごいことができた父の父――祖父は、村で知られたずれっこだった。


 祖父の何がすごいといって、村のもんが恐れてしまってよう潜らん青淵あおぶちに、魚を見つけたらすぐに飛び込んで潜れることだった。


 祖父は、夏になると、もり魚籠びくをかついで、魚を突きに出かけるのが常だった。

 途中、村のもんと会うと、必ず声をかけられた。



「おいっす、どこ行くんじゃ」

「青淵じゃ」

「魚突きに行くんか」

「そうじゃ」

「何突いてくるんじゃ」

「川ますじゃ」

「川ますか」

ぬしじゃ」

「主か。でかいやつじゃろ、それで突くんか」

「そうじゃ。主はでかくて太いでな、見つけたら、潜って一突きじゃ」

「青淵でか」

「そうじゃ。言うたじゃろ、青淵じゃ」

「青淵は、気ぃつけんと、あそこは、流されっぞ」

「わかっとるわい」

「わかっとってもな、ずれっこじゃからな、心配しとるんじゃよ」

「わかっとる。いってくるわ」

「おう」



 青淵へは、谷川を遡っていく。

 慣れた岩場を、ひょいひょいと、祖父は身軽に渡っていく。


 もどって来る時には、囲炉裏で焼くと美味いいわな、よく獲れるうぐい、賢くてあまり獲れないあまご、蜂蜜としょうゆであめ煮にするあじめどじょう、ひれのトゲは痛いが甘露煮が美味いあかにこ、海のきすみたいな白い魚のきす、他にも、びし、ずくんぞ、はりっぽ……など、山奥の清流の川魚が、魚籠の中で跳ねている。


 岩が大きくなって、急流になって、しばらく行くとちょっと開けて、滝が見えてくる。

 ざばざばと滝の水が流れ落ちているところが、青淵だ。


 青淵は、暗くて深い。


 水を穢すもんは何もないから、どこまでも澄んでるはずなのに、滝の水が流れ落ちて白い飛沫をあげるので、底の方まで見えそうで見えない。


 青淵は、怖い。


 じっと見てると、たいていのもんは吸い込まれそうになって、目が回ってしまう。

 はっとした時には、尻餅をついて、銛も魚籠も流されてしまっている。



「青淵の主に、馬鹿されたんじゃ」

「主か、二尺(約60cmちょっと)はあるじゃろな、そんで、速いからな、ようつかまらんでな」

「ずれっこは、一尺半(約45cmちょっと)よりでかいの突いたでな。主もそのうち突くじゃろ」

「銛で突かれるんは、ういことじゃからな。うまいことせんと、あたんされるでな、気ぃつけんと」

「魚が人にあたんするじゃろか」

「そりゃ、主じゃからな。人よりわれが偉いんじゃくらい、思っとるかもしれんじゃろ」

「そうかもしれんな」

「かなわんな」



 村のもんの噂話の通りに、祖父は、岩場から青淵をじっと見ていて、背鰭が閃くのを見つけた瞬間に、すっと飛び込んで、銛の一突きで主のでかい川ますを仕留めたそうだ。


 銛ごと主に引かれて、青淵の底が目の前に迫ってきた時は、さすがのずれっこの祖父も、ぞっとしたそうだ。


 そんでも、銛で突かれた傷ですぐに弱って、祖父は主を岩場に引っぱり上げることができた。


 夏でも、心臓が飛び跳ねるほど冷たい時のある青淵に、何のためらいもなく飛び込んで、一突きで主を仕留めた祖父は、さすがずれっこじゃと、やんややんやとほめそやされたとのことだ。




追記

 方言の意味

 「だしかんように」駄目なように

 「ういこと」嫌なこと

 「あたん」仕返し

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