さぎっちょ

「さぎっちょ行こうや」

「おう、行こ行こ」


 子どもたちの声が、はずんでいる。


「もち持ったか」

「持った、持った」

「燃えかすの枝忘れんと、持ってかえってくるんじゃよ」

「わかっとる」


 母親の呼びかけに答えるのももどかしげに、父は家を走り出る。

 

「バンドリの耳当てをしてるから、寒くても、ちったぁ平気じゃった」


 バンドリは、モモンガのことだ。


 子どもたちは誘い合って、枝にもちを刺したのを持って、いつもの野っぱらに集まる。

 

 雪に閉ざされる穴馬の子どもたちにとって、さぎっちょは、新年の何よりの楽しみだ。


 さぎっちょは、どんど焼きのことだ。


 野っぱらで火をたく、ただそのことが、穴馬の子どもらには、娯楽なのだった。


 

 奥越に春を呼ぶ、左義長さぎちょう祭り。


 穴馬のある大野市の隣り町勝山市の左義長は、派手だ。


 もとは正月十四日に行なわれていたが、勝山ではいつしか二月の第四土曜、日曜に開催されるようになった。


 左義長の日は、辻や河原に、松と竹で御神体の松飾が建てられて、御幣が飾られ、色とりどりの短冊の付けられた細縄が巻かれ飾り立てられる。


 男衆は長襦袢を着て櫓に乗り、三味線、太鼓に合わせて唄い、踊り、祭を大いに盛り上げる。


 夜半にどんと、一発の花火で、松飾は九頭竜川の河原に運び込まれて、火が放たれる。


 正月飾り、時代風刺を描いた絵行灯、干支人形の作り物、布張り飾りの押絵なども一緒に炎になる。


 その火であぶった餅を食べると無病息災、書初めの半紙が高く燃え舞い上がると字が上達する、竹の割れる音でその年を占う。


 どんど焼きは、御神体にお招きした歳徳神に、五穀豊穣を祈り、天へお見送りする儀式でもある。



 「さぎちょう」の名の謂われは、正月の毬打ち遊び「三毬杖さんぎじょう」からきているそうだ。

 左義長で燃やす門松が、毬杖を三本組み合わせた形に、似ているからだそうだ。

 「さんぎじょう」がなまって「さぎちょう」になった。

 穴馬では、もうちょいなまって、「さぎっちょ」になった。


 鎌倉時代、吉田兼好の手になる「徒然草」には、さぎちょうの起源が記されている。


「さぎちゃうは、正月むつきに打ちたる毬杖ぎちょうを、真言院より神泉苑しんぜんゑんへ出だして、焼きあぐるなり。『法成就ほふじやうじゆの池にこそ』とはやすは、神泉苑の池をいふなり。(百八十段)」


「左義長」と書くようになったのは、室町時代だそうだ。



 穴馬では、さぎっちょ、と言った。

 穴馬のさぎっちょは、勝山のように特別凝ったことはしなかった。

 ただ、どんど焼きで餅を食べられるので、子どもたちは楽しみにしていた。

 

 その年も、大人たちは、焚き付けを組んで、いつものように準備をした。


 田んぼの中にわらを積み上げて火をつける。


 神社での行事の日に、わらの他に燃やすものは、神棚に飾る御札や榊、紙垂しでなどだった。


 燃やした火に正月に残ったもちを木の枝に突き刺して焼いて、食べる。

 枝はうちに持ってかえって、翌朝、その枝を燃やして、雑煮にする。


 さぎっちょのために、わらや枝を集めて燃やしてあげるので、その火で焼いたもちには、まじないの力が宿る。

 それを食べると夏腹をこわさないと言われていた。

 迷信か縁起ものかどちらかとは誰も問わず、ただ、御利益があるとされていた。

 

 竹を節のところで切って、いっしょに燃やす。

 思いきり、はぜた。

 はぜて、じきに、笛の音が鳴りだす。

 不思議に長く、高くぴーーーっ、と長いこと鳴りだす。

 



「そん年は、11時間位もじゃった。長かったな」


 父は、焼いた丸餅を、さとう醤油にたっぷり漬けて、ふーっとさますよう息を吹きかけた。

 勢い余ってか、ぴゅーっ、とかん高い口笛になった。


「あんまり長いので、みなで、不思議がったんじゃよぉ」


 丸餅を美味しそうに食べながら、父はその時を思い出そうとするように、目を閉じた。




「神さまが来たでな、この燃え木に宿してな、もちを焼くんじゃよ」

「初めてじゃな」

「そうじゃな、初めてじゃ、こんな長いこと鳴いとるのは」


 大人たちの話しに、聞き耳をたてながら、子どもらは顔を見合わせる。


 竹の鳴く声に、耳を傾けていると、炎に歳神さまの顔が浮かんできた。


 父は身震いすると、思いっきり炎に、ふーっと息を吹きかけた。


 子どもの吐く息では、歳神さまはびくともしない。


「おかしなことせんで、早よ、火のあるうちに、もち焼いて食べ」


 大人にせかされて、子どもらは、餅を刺した枝を炎にかざした。


 竹は、まだ鳴いている。


 途切れることなく、高く。

 

 竹の皮の表面の穴から音が出るのかもしれなかった。

 それは、きっとそうだったのであろう。

 そんでも、そうでないもんを信じることをよしとするのが、暗黙の了解だったのだ。



 さぎっちょが済むと、春の訪れを告げる遊び、釘立くぎたてのできる陽射しの日が増えてくる。


 





追記 北陸地方の皆様、大雪のご被害に心よりお見舞いを申し上げます。


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る