その3 美少女看護師リエ

 ぼくは鴨川かもがわミツル。看護師3年目。スエヒロ記念病院で働いている。

 男。

 中肉中背。

 ロン毛まではいかない。

 彼女いない歴、もうすぐ1年。


 あごがれの人は、いる。

 いるんだけど、飲み会でヒゲづらの男に口びるを奪われた。ほぼ1年ぶりのキスだった。

 なんでこうなるかなあ。


「そりゃあ、いわゆる美少年だからに決まってるでしょ」


 タバコをくわえながら、リエはアヒル口をとがらせた。

 石母田いしもだリエ。同僚の看護師。

 女。

 スリムなはずが、すこし体重増加中?

 ベリーショートまではいかない。

 彼氏いない歴、不明。


 サユリさんから逃れてぼくがたどり着いたのは、いつもの溜まり場。

 喫煙室。

 患者さまもスタッフも関係なく、ヤニが大好きな猛者たちが集う場所だ。見捨てられていた物置スペースを急ごしらえで改造したような部屋の作り。それはこの先、世間が彼らをどう扱うか、暗示しているようだった。


 リエは、あさってのほうを向いて煙を吹き出した。


「あたしが思うに、横芝よこしば先生は女にフラれまくって、もう男でもいいと思ってるのよ」


「そうかなあ。ぼく、オモチャにされただけのような気がするよ。それに、いま先生はサユリさんに気があるかもしれない」


「だれ? それ」


形成外科うちに入院中の患者さん。色っぽい美人」


「あんた、なんで患者さまをファーストネームで呼ぶのよ」


「あ、しまった。いや、本人が名前で呼べって——」


「バッカじゃないの? ほんとダメねえ、男ってヤツは」


 そう吐き捨てると、リエは荒くれ者のような仕草でタバコをくわえる。化学添加物をいっさい使っていないという、めずらしいタバコだ。

 彼女のきゃしゃな口びるは、害が少ないらしいプレミアムな煙を大きく吸い込んだ。この時ばかりは彼女の胸がけなげにふくらみ、ピンクのナース服がピチッと張った。

 おびただしい数のタバコの微粒子たちは、少女の肉体の奥深くに向けていっせいに侵入し、末端の肺胞すべてに到達しただろう。そうして彼女に麻薬的なリラックスを届けた。

 と思われた直後、大きな圧とともに勢いよく戻ってきた。

 つまり、リエは見つめるぼくの顔にプーっと吹きかけた。

 もう、煙たいってば副流煙。


「それこそ遊ばれてるのよ。わかんないの?」


「そうなの?」


「そうよ。男を惑わすのが、そういう女の生きがいなのよ」


「決めつけは、よくないよ」


「まあ、惑わされるかどうかは自己責任」


 もしもリエがタバコを吸わずに、黙って大人しくしていたならば。

 きっとスゴイことになっている。

 なぜなら、そこらのアイドルたちよりルックスは確実に上なんだから。

 天井に向かって、リエが煙を吹き上げる。

 欲がないよなあ、この子は。


「そんなことよりさあ。今朝の話、きいた?」


 向き直ったリエが、耳元でささやく。


「分娩室のベッドに、血だらけの胎盤があったってさ。もう知ってる?」


 知ってる。たいがいの職員はもう知っているはず。


「昨日の晩、おさんはなかったっていうのに、おかしいわよね」


 誰かがひとりで出産したのだろうか。時間がなくて、そのまま置いていったのだろうか。


「入院中の妊婦さんはいま5人いて、お腹が大きい職員はふたりいるの。でも、ぜんぶ無関係」


 それ以外の患者さんで、妊娠中だった人物を探れば……。


「周囲に血は一滴も落ちていなかったってさ」


 美少女の目は、なぜか輝いていた。


「なんか、不思議よね」





 ここは、スエヒロ記念病院。

 6階建て、クリーム色、築20年、ボロい。

 何の落ち度もなさそうな職員たちが働く総合病院。

 その院内の空気が、ちょっとした非日常の色に染まっていた。

 みんな気味悪がっていたし、診療の妨げにならないかと心配していた。

 ワクワクしている人間なんて、探偵を気どるぼくと、相棒のリエだけだったかもしれない。



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