最終話 伏鳥さんのこれからと
もうどれくらい土の中に埋まっているかなんて考えるのも馬鹿らしくなる位の長い時が流れた。
生き続けたいと運命に抗おうとする意志と、今生の身を捨てて早く楽になりという願いで混濁する意識。その間に割って入るように麗香は俺に口づけをくれる。
幾度と無く繰り返される人としての堂々巡りと、フシによる甘美たる思考時間の延命行為。繰り返される接吻の中で俺はひとつの事実に気付いた。
麗香は俺の選択を待っている。人としての潔い死を迎えるか、フシとして永遠に近い時間をこの地下で過ごし続けるか。
ふいに
失っていた痛覚が蘇ってきて積土の衝撃を思いだしたように全身に鈍痛が周りだす。どうやらもう選択の余地には時間が無い。
選ばなければならない。人として独り、この場で死ぬか。麗香に看取られながらフシとしてこの場でつがいとして暮らし続けるか。
その時、死を間際にして、俺の頭の中に新鮮な空気が流れ込んだ。
麗香が口渡しでくれたフシたる瘴気ではなく、俺の体内で産み出したもの。
脳裏にこれまでの人生がフィルムを切り取ったように断片的に映し込まれる。
祖父から昔、聞かされた事がある。走馬灯という現象だ。このままだと確実に俺は死ぬ。でも身体は地中深くに埋まっている。だったらどうすれば。
そうだ、少し考えれば分かる事だった。
当たり前の話だ。麗香、どうやらお前が出した選択クイズは回答者離脱により不成立。……どっちにしろ遅かれ早かれ死ぬしかないなんてそんな回答、嫌に決まっている。
薄暗い土の中で、俺は今まで何をやっていた?こんなところで死ねる訳がないだろう。
全身に力を篭めて思い切り身体を揺り動かす。尻の下の土が崩れて手を伸ばして雨水を吸って軟らかくなった土を掻き分ける。ふっと下半身が軽くなる。身体におぶさっている麗香を跳ね除けて夢中で俺は土を掻き毟る。
さっき彼岸花の根が見えた。その花の生態には詳しくないが今居る場所はそこまで地中深くではないと想定できる。なぜそんな事にも今まで気付かなかったんだ?
中指の爪が剥がれて抉った土に赤い血の溜りがこびり付く。他の指も爪と指の間に小石が挟み込まれて鋭い痛みを覚える。
でもそんな事は気にしていられない。俺はこの場所から地上に還らなければならない。イチカや、ハル。クラスの馬鹿面を出迎えて、誰にも縛られる事無く、人として思いのままに生きてやる。
頭の上で何かが光った。小石一つ分のちいさな隙間から蜘蛛の糸のような細い光があふれ出している。やった。もうすぐで地上に出れるんだ。爪先を土に突き立てて支えていた足が宙に浮かんだように質量を失って震える感覚。
その気が緩んだその隙を悪魔はずっと待ち構えていた。
麗香が俺の片足を掴んでいた。
乱れ髪から覗く
遠馬、どうして?あたしと一緒にくたばってくれないの?
頭上の土へ腕を伸ばす俺の脳裏に口移しで寄越された麗香の想いが駆け巡る。
麗香、よく聞いてくれ。俺はこの場でお前と一緒に死ぬ事は出来ない。
俺はいつだって自分の事しか考えられない身勝手な人間だ。正直に言ってこの場に及んで死ぬ覚悟が出来ていない。怖いんだよ。自分を失ってしまう事が。
醜いだろ?子供臭いだろ?見損なっただろ?お前がどう思ってくれても構わない。俺は哀しいくらいに人間なんだよ!
極限状態に置かれて剥き出しに為った人間としてのそのあさましい本質。美しいフシを添えて永遠を生きられるこの場所は俺にとっての極楽浄土ではなかった。
麗香の腕を跳ね除けるようにして俺は上へ、上へと身体を伸ばす。そして遂にその瞬間は訪れた。
貫いた指で辺りを広げて、それに拳で穴を開ける。腕を通して頭を持ち上げて地上の光を身体に受ける。雨はとうに止んでいて雑木林の中で木漏れ日が俺の顔を暖かく照らしている。込み上げる涙を拭う事無く、上半身を穴から抜いて両腕に力を入れて腰から下を穴から持ち上げる。靴の脱げた左足の爪先を足元の草に向けると俺はようやく永い眠りから目覚めたように地中から地上への生還を果たした。
荒い呼吸で自分が今、生きている事を実感する。只の意味を成さない穴に成り果てた後方のその場所から静かな音が響いて少し経って麗香が顔を出した。
「そっか、遠馬は人として生きていくんだね。辛くなったら何時でもおいで。あたしはこの場所でずっと遠馬を…って、きゃっ!?」
穴から顔だけ出していた麗香の脇に手を入れて思い切りその身体を引き上げる。ただれた土の上で不老不死の美しい女性的な裸体があらわになる。
「遠馬、何をするの?あたしは遠馬を道連れにしようとしたんだよ。こんなあたしなんてもう生きてる価値…!」
「それ以上言うなよ」
麗香に歩み寄って千切れたワンピースの肩紐を新しく結び直してやる。びっくりした顔でおののく麗香の肩を掴んで額に刺さった枝を引き抜いて言ってやった。
「この大馬鹿野郎。あの時屋上で言ったろ、俺の前で死のうとするなって」
「ごめん」
様々な意味を含んだ麗香の謝罪が俺の胸に深く刺さる。せっかくの提案を蹴ったのは俺の方。謝らなければいけないのは俺だって同じだ。木漏れ日の下で膝を突く麗香の身体を思い切り抱き寄せる。
指でなぞると溝が出来るほど深い傷が刻まれた背中。生きているとは思えないほど弱い脈拍。少しずつ熱を持つ吐息。呆れ腐るほど長い間、人の愛に飢えていた身体。なあ麗香。俺の肩を涙で湿らせている恋人に俺は問い掛けてみる。
「フシは死んだら何処へ行くんだ?」
「分かんないよ。死んだことないんだから」
上擦ってはいるが、いつもと同じ口調の訊き慣れた麗香らしい回答。すると麗香は俺の身体を引き寄せて身体を重ねて一思いに泣いた。
「遠馬、ありがとう」
何泣いてるんだよ。馬鹿だな。気が付けば俺の瞳からも涙が溢れていた。林の中で嗚咽をあげる麗香を俺は何度もきつく抱きしめた。
――この日を持ってフシとしての能力を持った麗香は死んだ。今後、伏鳥麗香はひとりの少女として俺の隣で生きていく。
しばらくして林の向こうから誰かの呼び声が聞こえる。複数の人物がその声と同じ文言を復唱し、こっちへ近付いてくる。
立ち上がって、何処かへ走り去ろうとする麗香の手首を掴みとめてやる。
「なんで逃げようとするんだ」
「ハルちゃん達がやってきた」
立ち止まって耳を澄ませてみる。木々の間から聞き覚えのある声が通り抜けてくる。
「おーい、橘ー。居るんだったら返事してくれー」
「フシドリさーん。でてきてくださーい。貴女を葬るのは防人である私の役目なんですからねー」
近付く声を聞いて本当だ、と顔がほころぶ。この日も屋敷のみんなが捜索に来てくれたのだ。全員が口々に俺達の名前を読んでいる。ハルに至っては麗香に対して少年漫画のライバルみたいな言葉を口走っている。麗香が俺の手を解こうとして暴れ始めた。
「あたしのせいでみんながこんな酷い目に遭ったんだ!みんなに会わす顔が無いよ。あたしが身を持って償なわなきゃならないんだ!」
「償う?こんな山奥でどうするんだ?言ってみろよ」
問い詰める俺の顔を見上げると麗香は唇を噛んで俯いた。そんな顔すんな。顎を持ち上げて滲んだ真っ赤な瞳に告げてみる。
「再生能力が無くなっちまったから早速、適当な理由繕って死のうとしたんだろ。今までと違って何時だって死ねるんだ。だったらもうちょっと待ってみろよ。俺はおそらくお前より先に死ぬ。俺の一生なんてお前が生きてきた時間からしたらほんの一瞬だろ。それからでも遅くない」
「遠馬」
涙を拭うひとりの人間の少女と成った麗香のそのちいさな肩を両手で抱く。捜索に来た誰かが俺達の姿を見て驚いて大声を上げる。新たな旅立ちの時は来た。
「なあ、麗香」
「ん、何?遠馬」
「俺が一生かけてお前に楽しい世界を見せてやる。それまでくたばる楽しみを取っておけよ」
隣り合ってお互いの手を強く握り締める。一歩、一歩。歩みを進める俺達をみんなが祝福するように出迎える。歓喜の声の中で俺と麗香は長い時間見つめ合って強く頷いた。
人間とフシ。違う羽を持ち寄った不死鳥がまだ知らぬ空を飛べると信じて。
完――
伏鳥さんはくたばりたいっ! まじろ @maji
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