第30話 伏鳥さんはくたばりたいっ!その④

 目が覚めてからどれくらい時間が経っただろう。脈拍でおおよその時を刻んで二時間を過ぎたところで片耳が聞こえるようになった。地上では依然大雨が降り続いているようで、雨粒に打たれず地中に居る事が肯定されているような気さえした。


 感覚がこの状況を受け入れて始めている。恐怖や焦りを超越した達観の悟り。

 身体に覆いかぶさっている麗香がずりずりとその身を俺の胸に擦り合わせるようにして動き出した。やっと目を覚ましたのか。ワンピースの肩紐が千切れていて、自慢の豊満な胸がむき出しになっている。美しい裸体を目の前にしても不全なる下半身に反応はなく、高揚し、脈拍も上がる様子は無い。柔らかな質感の両乳房が谷間を作り、その先端に向かって枝分かれするように青白い毛細血管が浮き出ている。


 麗香は俺の頬を両手で挟むようにして顎の角度を持ち上げると、俺の顔をじっくりと眺め回した後、緋色の瞳を細めて唇を重ねてきた。


 おとぎばなしみたいな、白雪姫からの目覚めのキス。長い接吻が終わって麗香の顔が浮くと、感覚を失っていた俺の身体が末端から少しづつ震え始めて大きくむせ込んだ。器官に酸素が行き届いて体内に暖かさが満ちてくる。目を貸した俺を見て麗香は満足気ににんまりと微笑む。その瞬間、身を持って自分が置かれている立ち場を思い知らされる。


 俺は生かされているのだ。この不死身の伏鳥麗香の手によって。


――遠くで大勢の人の足音が聞こえる。土に埋葬されるというイレギュラーな非常事態にてとうとう幻聴が聞こえてきた。そのもやの人物達は麗香の図り事によって失踪扱いになった俺達を捜索しているんだろうな。その集団の中にはイチカと権多さんの声も聞こえる。そこに集まるようにして現れた他の足音。吉野と片岡の声も聞こえる。吉野は取り乱しているのか、男だというのに悲鳴のような金切り声を挙げている。それを諭すようにハルも小声で何かを話している。


 しばらくして足音が遠くなっていく。俺達がすぐ傍に居る事に気付いていないのだ。無理も無い。突然の土砂崩れにこの大雨だ。後になってこの付近を調べようにも捜索の手が届きにくい崖の下で数日もすれば地表が他の場所と同じように風が砂を運んで自然と整地されてしまうだろう。


 麗香がもう一度俺に擦り寄って口づけを浴びせた。初めて木苺を口に入れた時感じたような目が眩む酸味がいっぱいに広がる。麗香は身動きの取れない土の中で口移しにて酸素を中心とした栄養素を俺に提供してくれているらしい。土に埋まる前に身体に取り入れていたのか。それともそれはフシ特有の能力なのか。その表情からは真意の程は読み取れない。


 麗香は口が聞けないのか、それとも喋る必要がないと感じているのか。橙色に包まれた狭い空間の中で言葉を発する事も無く、俺の顔を眺めて微笑むだけである。



――麗香。おまえと初めて会った時、なんて酷い女なんだと思った。

 人の弱みを突け込んで相手を自分の思い通りにコントロールしようとする性格の悪い奴。そんな人間はどこの世界にも居る。


 でもお前はそんな連中とは違った。というかそもそも人間じゃなかった。わざわざそんな人間のフリをして近寄らなくたって良かったのに。お前はいつだって俺の欲しい回答を導き出して退屈しない学園生活を提供してくれた。すっかり魅入られてしまった。整えられた外面じゃなくて実直過ぎるその内面に。


――また頭の中に酸素がまわらなくなってきた。これだけ長い間、土の中に埋められているんだ。お前が居なかったらもう人間として生きられる活動時間をとっくに超えているんだろうな。


 壁になった土の中から彼岸花の根が顔を見せている。その蕾はこの位置から有毒性のあるその茎を精一杯、上に伸ばして秋口には燃えるような真っ赤な華を地上に咲かすのだろう。


 麗香がまた顔を近づけてきた。こんな美人と一緒に死ねる最期なら悪くないかもな。麗香と出会わなければ俺は今頃、中学時代と同様のつまらない人生を送っていた事だったろう。『限定モノ』としての魅力を失った俺に気付かないイチカを只のギャルだと認識し、放課後に吉野と片岡とクダを巻くそんな“ifの高校生活”。自由を謳歌する青春に時折訪れる漠然とした焦燥。それを繰り返して退屈な大人へと変わりゆく。そんな見え透いたオチが着く高校時代なんて初めから願い下げだった。


 麗香、今まで生きてきた永遠に近い人生で、出会ってきた幾千の男の中から俺を選んでくれてありがとう。こうなってしまった以上、お前と死ねるなら本望だ。









――なんて言う訳ないだろう。


 なんで俺がここで死ななきゃいけないんだよ。ふざけんなよ。意味わかんねえ。


 自己再生能力を持つフシは想い人同士である人間とつがいにならなきゃ死ねないだって?そんな話知るかよ。お前の物語に俺を巻き込むな。人知れず勝手に滅びてろ。


 止めろ。顔を近づけんな。人間に寄生して生き永らえる汚らわしい生命体。邪魔だ。どけよ。その顔を殴りたい。造りもんの身体を蹴り飛ばしたい。でももう手遅れだ。全部ダメ。この土ん中で暴れたって解決しない。


“みんなの注目の的である伏鳥麗香さんとお付き合いするとスクールカーストが上がります(ただし生涯を渡って付きまとわれます)”。


“全知全能の伏鳥麗香さんとお付き合いすると『前の状態』で蓄えた潤沢な金銭と彼女を取り囲む優秀な人物に恵まれ、退屈しない人生を送れます(ただし永年培った経験則により常に思考を読まれて行動を弄ばれます)”。


 いちいち脚注が多すぎるんだよ。お前は。本質が読みづらくってしょうがない。 カッコ書きが多すぎて主題を伝えられない馬鹿に見える。


 そういえば俺はお前が学生の本分である、勉強をしている所を一切、見たことが無い。なのにお前はいつもテストで満点に近い点数を採っていたよな。いいよなー、お前は。正答ページを見ながら数学ドリル解くような卑怯なやり方でも「これがあたしの体質です」の一言で片付けられるんだから。


……ああ、そうだよ。なんだよ只の言いがかりだよ。退屈な人の人生を何度もやり直しているような生涯を過ごしている事には同情する。さっき言った事を差し引いてもお前が優秀なのは認めるよ。


 でもいいか、これだけははっきりと言っておく。

 別の種別であるフシと人間。塩基配列がほとんど変わらない人とチンパンジーが同じ社会で生きられないように相互理解は不可能だ。歴史を紐解いても双方には複雑な事情が混在してる。俺達が日々解いている勉強・哲学なんかより分かり合う事は難しい。


 そんなのもう、とっくに理解しているはずだろ?俺に何を期待してるんだ。フシとして生きる中で何度、齢を重ねても自分の生き方が理解わからない?


 あの時、自覚してたよなお前は。自分が傲慢だって。その通りだよ。何時、俺がお前と一緒に死にたいなんて言ったんだよ。自分が世界の中心か?


 俺は自分の意志を無視されて勝手に相手に思い込まれて何かと決め付けられるのが一番嫌いなんだ。


 こんな狭くて汚らしいところなんて一秒だって早く抜け出したいって考えてる。邪魔するならお前だって容赦はしない。



 さっき、ハルから貰った注射器がポケットに在るのを思い出した。


 お前が俺に寄って来たお陰で土の中に身体が沈んで肘を曲げられるようになったのをお前はまだ知らない。気付かれないようにゆっくり手をポケットに忍ばせて、針のキャップを捻り取って、次にお前が俺に擦り寄ってきたらこの注射針で、お前の身体を……


 お前の身体を。

 麗香の身体を俺はどうしたいんだ?


 ふっと身体から力が抜けていく。頭からぼーっと意識が大気に混じって抜けたように集中力が散漫化し、目の前が滲んでいく。その時になってようやく気が付いた。


 俺に麗香が殺せる訳無いじゃないか。


 機能不全の意識の中でせめぎ合いを続ける想い人への愛と憎。救助の手も届かない暗い土の底で、もはや俺は麗香の補助無しじゃ生きられない身体に成り果てた。


 あの時、血を啜っていた頃に気が付けば良かったんだ。麗香は時間を掛けて少しづつ俺に成り始め、俺は麗香の体質に近付きつつある。


 互いが互いを支えあう、持ちつ持たれつの美しいつがいの模範例モデルケース


 いつだってそうだ。人は独りになる覚悟がないから一つになる。


 もしこの状況下で独りになってしまったら俺は……


 麗香が俺の手を握ってくる。汗で柔らかく湿った腰元の土に指から滑り落ちた注射器の針が突きたてられる。

 

 麗香が俺に口づけて身体に息を吹き込んでくれる。ああ、今回もまた彼女に生かされたという実感。でも確実に、その悪魔が接吻を繰り返す度に、俺がおれじゃなくなっていく。


 暗い土の中で想い人とふたりきり。一分一秒人間としての死が近づいてくる。


 麗香、俺は何を思えばいい?



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