第27話 英雄の息子⑧
「フハハハハッ!!行かせるかあぁッ!!」
その大地を揺るがす咆哮と共に、汽車全体に衝撃が走った。
車内が悲鳴に包まれる。
「なんだ!?」
桃太郎が慌てて窓から顔を出した。
駅のホームの上、車両の横に、太い2本の腕が見える。
「赤獅子…!」
「フハハッ!行かせはせぬ!行かせはせぬぞぉ!」
そう高らかに笑う赤獅子のまわりは土煙に巻かれ、体当たりが汽車を襲ったのだとわかる。
脱線こそはしなかったものの、未だにぐらぐらと揺れていた。
(話には聞いてたが…なんて力だ…)
「まさかこんなに早く来るとは…あっちはどうなった…!?」
予定では斑目のことは後藤達が時間を稼いでいる筈だ。
ところが奴にはあと3人の配下がいる。
(無駄に人員や武器を割く余裕はない…が)
こうしている間にも、赤獅子は距離をとり、再度こちらへ突撃する間を測っている。
先ほど衝撃を受けた汽車は、速度も遅く簡単に追い付かれるだろう。
次同じだけの衝撃がきたら、汽車は脱線する可能性が高い。
「チッ…!俺がひとりで行く!指揮は任せる!頼んだ、」
「大丈夫」
桃太郎が言い切る前に、その横をするりと通過する影があった。
「さぁッ!次でこの鉄塊は倒れるぞッ!」
赤獅子が吼える。
彼が力を込めると、足元は大きく削れ、まるで巨大な弾丸のようにその巨体が発進した。
ところが車両にぶつかる瞬間、その間に人影が滑り込んだ。
舞う粉塵の中で、赤獅子がにやりと笑った。
「来たか…!娘ッ!」
「……」
組み合った岬の右肩が嫌な音を立てる。
桃太郎が窓から身を乗り出した。
「鬼頭!」
「いいよ。行って」
自分より何倍も大きな体躯と組み合いながら、岬は静かに呟く。
「ここはミサキが通さない…!」
「良いぞ…!娘…!」
愉快そうに赤獅子が笑った。
「…避難が終わり次第また迎えに来る!生き残れよ!」
汽車の進む音と、桃太郎の声が遠くに消えていく。
(絶対に、守る)
奥歯をガチンと噛みしめ、岬が目の前の殺人鬼を睨み付けた。
「今の攻撃で出た怪我人を報告しろ!」
「軽傷が6人です!」
騒然とした車内を、桃太郎は走り回っていた。
指示を出しながらも、その頭では違和感の答えを探している。
『おそらく、斑目の狙いはお前だ。後藤』
桃太郎の言葉に、彼は眉間に皺を寄せた。
『何故私だ…?』
『…わからねえ。だが昨夜の様子といい、こんな回りくどい手口といい、お前を炙り出そうとしているのは間違いない』
人質としての価値が薄い雛乃を、わざわざ狙った理由はわからない。
だが心当たりがあるとすれば、暴走しかけた後藤を止めたあの時だ。
後藤にとって、雛乃が一般人よりも価値のある存在だと悟った可能性がある。
『あれを見てわざわざ雛乃を攫ったとしたら、何かあるぞ。気をつけろ』
(その何かは、一体何だ…?)
忠告はした。
あちらには愛子も、無事であれば雛乃もいる。
考え得る限りで最善の手をとった。
それでも桃太郎の胸中を支配する不安感は拭えない。
(俺たちの知らない事実がある…?)
子供の手当てをする彼の頭に、ふと一閃の光が走った。
「…まさか…!」
思い付いた仮説はあり得ないことだ。
けれどそれを裏付ける事実は確かに存在し、この答えが正解であると示唆していた。
「俺の名は赤獅子ッ!!」
男がそう宣言すると同時に、巨大な拳が岬を襲った。
「元の出身は異形闇試合ッ!返り血で真っ赤に染まる様子から付けられた二つ名だッッ!!」
「闇試合…?」
次々と放たれるそれを身体に受けながら、岬がなんとか応戦する。
ところが上手く力が入らない。
(右肩が…)
先ほど無理な姿勢で赤獅子を止めたせいか、彼女の右肩は思うように動かなかった。
それでも目の前の男は決して攻撃の手を緩めない。
「そうよッ!様々な異形の者たちを囲い戦わせる闇試合!鬼人や獣の蔓延るその地で、俺は無類の強さを誇っていたッ!」
「!」
(しまっ…!)
一瞬の隙をついて、赤獅子の鉄拳が岬の頭部を襲った。
「…っ!?」
脳が揺れ意識が遠のく。
視界が真っ赤に染まった次の瞬間、岬のみぞおちに衝撃が走った。
「カッ…!っは」
「この強さッ!この速さ!百獣の獅子王とは俺のことッ!」
高らかに宣言した赤獅子の前で、岬が崩れ落ちる。
ところが膝をつく寸前、びたりとその身体は止まった。
明らかに無理をした姿勢に、彼女の足はがくがくと震える。
「大丈夫だよ…ミサキが守るから」
それでも岬の膝は決して地面にはつかず、その口からはぶつぶつと声が漏れる。
頭から溢れる血は彼女の髪を濡らし、顔を赤く染めた。
赤獅子はその様子に、つまらなそうに目を細める。
「…ふん。頭がおかしくなったか」
「みんなでここから出ようね。ずっと一緒だよ」
焦点の合わない三白眼が、赤獅子を捉えた。
「だから、ミサキは絶対に負けない」
「は…?」
一瞬、赤獅子の目の前から岬が消えた。
呆然とする彼の視界の両側から、真っ赤な手のひらが映り込む。
「はっ、なっ!?」
首を折ろうとする腕を紙一重で避け、赤獅子が後退した。
先ほどまでの余裕が嘘のように、その背中に大量の汗が噴き出る。
(これは…この、死神に睨まれたような感覚…!」
「女…まさか貴様は…あの時の鬼男…!?」
鬼男。
当時、異形闇試合において、その最盛期を一際飾った戦士がいた。
赤獅子が唯一勝てなかった人物であり、正真正銘の無敗を誇った彼の通り名が鬼男。
当時たった10歳ほどの、少年であった筈だ。
赤獅子の首筋を、一滴の汗が流れた。
「あれは…まさか、女だった…!?」
岬がゆらりと立ち上がる。
邪魔だったのか、片腕で髪をかきあげると、左顔面が露わになった。
「やはりッ…!鬼男…!」
その目よりも左側に意識が集中する。
鬼男の名前の由来ともなった最大の特徴は、左のこめかみから突出した角。
記憶よりも短くなっているが、それは確かに、岬の耳の上から生えていた。
「鬼ッ!!男ォオオオッッッ!!」
粉塵を撒き散らし赤獅子が走り出す。
岬と組み合うと、心底楽しそうに笑い声を漏らした。
「鬼男は死んだと聞かされていたッッ!あの時は命からがら逃げ帰ったが…貴様と再戦できるのを、どれだけ心待ちにしていたことかッッ!!俺の人生に悔いはない!!貴様を殺してッ!俺は俺の生き方を貫くッッ!」
上から圧力をかけると、岬の腕はミシミシと音を立てた。
彼女のぼんやりした目が、ゆっくりと赤獅子を捉える。
そして静かに口を開いた。
「…ミサキを殺すのはあなたじゃない」
次の瞬間、赤獅子の巨体がまるで紙のように浮いた。
抜けた肩はそのままに、岬が片腕で持ち上げたのだ。
「なッ…!鬼、男ッ!この…ッ!」
状況を打破しようともがくが、彼女の腕はびくともしない。
「俺はッ!俺こそがッ!最強の男ッ、最強の男ッ…ッ!」
叫ぶ赤獅子が眼下を覗き、息を飲んだ。
影の中に彼女はおり、こちらをジッと焦点の合わない真っ黒な瞳で見ていた。
血にまみれ角を生やした姿は、まさに鬼と言うに相応しい。
「このッ…化物がッ…!」
赤獅子が言い終える前に、岬が腕を振り切った。
巨大な身体が地面に叩きつけられ、線路までもが宙を舞う。
「ああ…」
地面に食い込んだ赤獅子は動かない。
先刻までの喧騒が信じられない程静まり返ったその場所で、岬はがくんと体を崩し膝を付く。
「ミサキ、守りきれなかったんだ…」
太陽に背中を炙られる中、まるで雨のように地面に血が降り注いだ。
「後藤さんが…来ているんですか…?」
愛子の登場に、雛乃は手を止め驚いた表情を浮かべた。
「そうだが…?あやつも前回とは違うようじゃ。そう心配はいらないと思うが」
「…いえ」
助言とは裏腹に、言葉を濁し唇を噛む。
続いて顔がボコボコに腫れ上がった蛇腹をぽいと捨てて、代わりの弓と矢を背負った。
愛子を振り返る。
「行きましょう!今ならまだ…」
雛乃が言い終える前に、背後の障子が音を立てて倒れた。
続いて部屋に飛び込んできたのはふたつの人影。
「後藤さん!」
「雛乃!」
(良かった…無事か)
彼女を確認し、後藤がほっと息を漏らす。
続いて目の前の男を睨み付け、大きく口を開いた。
「人質も解放された!もう逃げ場はない!観念しろ斑目!」
「ヒヒッ」
斑目は一笑すると、踏み込んで刀を振るう。
それを紙一重で避けた後藤が、刀を滑らせると、斑目の着物が裂けた。
真新しい血飛沫が飛ぶ。
「後藤さん!」
その勢いのまま、ふたりは庭へと躍り出た。
(いける…!)
後藤が息を吐いた。
昨夜とは大きく違う。
刀から流れ込んでくる力を、自分で制御できている。
「これならば…勝てる!!」
金属音がして、斑目の刀が吹き飛んだ。
それは地面に刺さり、続いて被っていた編笠に亀裂が走る。
「……」
ぱらりと、あっけなく編笠が落ちた。
斑目は顔を手のひらで覆い、ゆらりと立ち上がる。
指の隙間から、その〝斑目〟がぎょろぎょろと動いているのが見えた。
後藤がこみ上げる想いを押し留め、刀の切っ先を向け口を開く。
「顔を見せろ。これで終わりだ。お前は、私と父に負けたのだ…!」
「…ヒヒヒヒ」
「…何がおかしい」
「父…父かァ…」
斑目は興奮を落ち着かせるように、ゆっくり息を吐いた。
後藤をじっと見て、唇を開く。
「優秀すぎる、とは思わなかったかァ?」
「…なんの話だ」
「あの凡人の両親に対して、お前が天才すぎる話よ」
「父と母を愚弄するか…」
額に青筋を浮かべる後藤の背中に、声が飛んできた。
「駄目っ!後藤さん!聞く耳を持たないで!」
「雛乃…?」
その顔は、彼女らしくない表情だ。
止めるべきか止めないべきか、悩んでいるように見える。
斑目はその様子に唇の端を吊り上げて笑った。
「ヒヒ…ならば、そもそもの話をしてやろう。両親に似ていないと、疑問に思ったことはないか?」
「…私は祖父に似ている」
「ヒヒヒッ!それは不安がるお前に取り繕った、両親の言葉だろう!真実だとどうやって証明する?」
「何…?」
後藤の表情が強張る。
斑目は畳み掛けるように先を続けた。
「お前の父はなぜあの時、我の姿さえお前に見せなかったのか、疑問に思わなかったか?」
「!」
「母親はそこで死んでいるのに、何故嘘をついてまで我から遠ざけたのか、その理由を知りたくはないか?」
「ふ…ふざけるなッ!」
後藤が叫んだ。
震える語尾から動揺が伝わる。
(何故この男が、そのことを知っている!)
「ならば貴様は、全ての問いに答えられるとでも言うのか!」
「あァ。答えられるとも」
自信満々にそう言い切った斑目は、ゆっくりと顔を隠していた手のひらを除けた。
「なっ…!」
「っ…!」
驚く愛子の横で、雛乃が目を閉じ唇を噛む。
皺や傷の違いはあったものの、斑目は後藤とよく似た顔で、笑った。
「なァ、息子よ」
目の前の光景に声を出すことも忘れて、後藤は呆然と立ち尽くす。
すべての音がまわりから消え、足元にぽっかりと穴が開いたような感覚。
その穴は地獄へと、真っ逆さまに落ちる穿孔だった。
相原雛乃の呪解奇譚 エノコモモ @enoko0303
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