第26話 英雄の息子⑦
「おっ」
村にほど近い山の中、日が明けたばかりの空の下。
双眼鏡を覗き込んでいた鷲尾が、興奮気味に声を漏らす。
「良い乳の女がいるなあ。あっちの女は尻が良い」
「……」
視線の先には、汽車に乗り込む人々の姿。
嬉しそうな鷲尾の反面、隣の赤獅子が不愉快そうな顔になった。
「若い女なら餓鬼でも良いのか。相変わらず貴様の性癖は理解できん」
「おいおい。俺だって、そもそもはあんな乳も毛も無えガキに興奮するほど変態じゃねえよ」
双眼鏡から目を離し、鷲尾が不満そうに口を尖らせる。
「だがあの瞳だけは極上だった…」
仏頂面から一転、数時間前のことを思い出したのか、恍惚とした表情に変わった。
「見ただろ?あの絶望的な状況の中、ガキの目に浮かんでいたのは、強がりでも捨て鉢でもない純粋な怒り!蛇腹ごときに命をくれてやるものかとでも言わんばかりだった!」
「フン。わからんな。女は従順に越したことはない」
「あの傲慢な目が、絶望を前に泣き喚くサマを見てえ…見てえなあ…あ〜。斑目サン、殺さずに俺にくれねえかなあ」
「それは残念な話だ」
任務のことを忘れた鷲尾から、赤獅子が双眼鏡を奪う。
それを覗き込んで、口を開いた。
「あの、女のような髪は、主人の指定したゴトウという男だろう」
双眼鏡の硝子の中には、長い髪をひとつにくくった男が映っている。
そのまま視線をずらし、全体を確認した。
「人質救出の為に人数が割かれた様子もない。やはりあの餓鬼には、人質の価値はなかったようだ」
「ぁあ糞…。殺されちまうんだろうなあ。もったいねえなあ。作戦失敗っと」
鏡を取り出し、後方に待機している斑目に合図を出す。
「ヒヒ…」
山の中、木の上でちかちかと輝く光を確認して、斑目は口を開いた。
「光が2回瞬いた。あれは〝作戦失敗〟の合図。こちらの人質になにひとつ反応を起こさなかった時に決めていたものよ」
その場合、人質の価値がない雛乃は処分し、全員で一般市民の元へ襲撃に向かう予定だった。
「ヒヒヒ…ヒヒヒヒ…」
編笠から笑い声が漏れた。
ぽたぽたと血が滴り落ち、地面が赤で塗りつぶされる。
「ハァ…合図を見たから、ここに居るわけないと、油断したなァ。良い戦略家がいたものよ。…その髪かァ」
血の出どころは斑目の肩。
その目の前に立つ男が、口を開いた。
「…髪は、両親の仇を取ると決めた時から、願掛けの為に伸ばしていたものだ。私にはもう必要ない。切っただけだ」
斑目の肩を穿つ刀を持つのは、後藤。
その特徴的だった長い髪は切り落とされ、代わりに一般市民の傍にいる桃太郎がそれを付け、後藤のふりをしている。
全ては雛乃の救出を諦めたと思わせる演出。
隙を突いて斑目に奇襲をかける為の、最後まで諦めなかった桃太郎の執念だ。
「…賭けではあったが、狙い通りお前は怪我をし、お前の取り巻きは一般市民に手を出せない。人質を置いて、仲間を連れ退却しろ!」
「ヒヒ…良い」
次の瞬間、斑目が胸元から拳銃を取り出した。
咄嗟に刀を引き抜き後ろに下がる後藤だったが、予想に反して斑目は空に向かってその引き金を引いた。
「…今の合図はなんだ」
音に反応して、ばさばさと鳥が飛んでいく。
肩から血を流しながら、斑目は心の底から楽しそうに笑った。
「ヒヒヒ…退却はせんよ。むしろ、我にとってこれほど理想的な展開は他にない。この機を逃すわけにはいかぬなァ」
銃口からは煙が漏れる。
普段銃を使うことのない斑目の銃声の意味は、〝全員殺せ〟の合図。
「ヒヒ…我の配下を侮ってもらっては困る。あやつらは異常者よ。自分が死ぬその一瞬まで、人を殺せたらそれで良いのだ」
「やはり…ここで決着をつけるしかない」
後藤が刀を鞘に戻す。
それを脇において、腰に挿していたもう一方の刀を手にとった。
「ヒヒ…弥生丸を使うか。余程もう一度我に負けたいと見える」
「黙れ」
後藤が口を開く。
弥生丸を目の前で鞘からゆっくり引き抜こうとすると、ずるりと黒い煙が広がった。
『後藤。弥生丸を使え』
作戦決行前、雛乃の元へ出発しようと準備をしてた後藤に、愛子が言った一言だった。
『だが、これは…』
腰に挿した刀を見て言い淀む。
前回の戦いが頭から離れない。
確かに身体能力の上昇は実感したが、この刀は心を暴走させる。
例えほんの少しの憎しみでも、何十倍に膨らませるだけの力をこの刀は持っている。
『それに例え心を犠牲にしても、私は斑目には勝てなかった』
『…雛乃が言っていた。大和丸と弥生丸は彩諒の意図した、本当の使い方があるのではないかと』
愛子は続ける。
『弥生丸は持ち主の感情を力に変える。憎しみで強くなれるのならば、別の感情でも強くなれるのではないか?』
『…別の感情?』
愛子の脳裏に、祭りの夜の情景が浮かんだ。
確かにあの時、復讐に駆られた彼はただの獣のようで、纏った雰囲気も斑目によく似ていた。
それでも後藤は、あの殺人鬼とは違う。
『雛乃がお主に突っ込んだ時、暴走状態だったにも関わらず、お主は刀を手放した。復讐を諦めてまで雛乃を守った』
『……』
『斑目の力の根幹は、この世の全てを呪う強烈な憎しみじゃ。あれと競おうとするな。お主を今日まで支えてきた、斑目には無いもので戦え』
(無いもの…)
抽象的な話だ。
心の持ちようで勝てる相手なのか、それは直接相対してみないと分からない。
『頼む…』
黙ってしまった後藤に、愛子は切実な声で小さく呟く。
無機物でしかないはずのその目に、一筋の光が煌めいた。
『儂の先祖が守ってきたものが、一族の命を奪ったものが…ただの人斬り包丁ではないことを、どうか証明してくれ!』
ゆっくりと息を吐く。
(…ああは言われたが、この男に対する憎しみが晴れるわけではない)
弥生丸を鞘から抜きながら、後藤が思いをはせた。
それほどまでに、両親がいなくなった日々は、寂しく孤独で、悲しい記憶だ。
(それでも私は…復讐の為、自分の為に戦うのは終わりにしなければならない)
「私は…」
(守る)
この刀に懸けられた想いを。
これからこの男に手をかけられるかもしれない犠牲者を。
心の底から惚れ抜いた彼女を、守る。
「私は、英雄の息子だ!」
勢い良く刀を引き抜いた。
(ほお…)
前に対峙した時とは違う感覚に、斑目は編笠の奥で笑った。
「やはりあの娘が…お前の鍵かァ」
時は少し遡る。
斑目と後藤が戦う場所からほど近い民家。
住民は避難しており人っ子一人いない村の中に、雛乃と蛇腹はいた。
「ま、斑目様にはああ言われたが、す、少しぐらい早く殺しても良いかな殺したい殺したい殺したい」
蛇腹が柱に頭を打ち付ける。
飛び散る血に、雛乃がその背後で身じろぎした。
手を縛られた彼女の体の下には、円を描くような模様が描かれている。
蛇腹の呪術だ。
(この上にいると…力が抜けていく…)
「っ…」
「く、苦しかろう?それはお、俺が特別に作り上げた呪術。神通力の類を相手から取り上げる術だ」
「…趣味が悪いですね」
「だ、黙れ!お前の神術、その術式は見たことがあるぞ!花京院の巫女のものだ!」
蛇腹のその言葉に、雛乃がぴくりと反応した。
「俺は、か、花京院の巫女十数人と戦ったことがある!わ、罠をかけて、こ、この神通力を吸い取る術の中に入れてやったら、全員ぶんの力を取り上げることができたわ!」
「……」
「じ、神通力を取り上げた花京院の者など怖くはない。その後はじわりじわりと嬲り殺しにしてやった!」
蛇腹は嬉々として続ける。
「お前も限界まで力を吸って、その後で殺してやる!た、楽しみ楽しみ楽しみだなあぁあ」
「……」
雛乃が息を吐いた。
性格こそ褒められたものではないが、蛇腹は一流の呪術師だ。
自身で術式を発明するその器用さと、何と言ってもその膨大な呪力が彼の呪術を支えている。
(…疑問には思ってた。人を殺し続ける斑目が、呪詛の影響を受けない理由)
過去の三國の事件でも、被害者から呪われた殺人者は思うように行動ができなくなっていた。
それ以上に大量の人間を殺している斑目が、人から呪われない筈がない。
「ま、斑目様は常に上質な呪詛を抱えている。そ、それを俺が吸収して、力へ取り込むのだ。その量たるや膨大!それは俺だけが扱える!」
「…だからあなたは、大量の呪力を持っているのですね」
「鬼ヶ島に行く前から、ま、斑目様とは面識があったのだ。年に数回、お、俺の、俺を頼って、こちらに来てくれた。今度はお、俺を連れ出してくれた!あの期待に応えねば!俺は!俺を!」
次の瞬間、家の外から銃声が響いた。
蛇腹が壊れた機械人形のように、ゆっくりと振り向く。
「この合図は…ここ、こここ殺していい合図…」
興奮からか、おぼつかない足取りで雛乃の元まで来た。
その瞳は暗い光を宿している。
「まだ力の全部は吸収できていないようだが、こ、これだけ吸えれば良いだろう。…や、やっと殺せる殺せる殺せるッ!」
「…自分の欲望を叶える為に、都合の悪い私をネチネチと消そうとする」
興奮する蛇腹をよそに、雛乃は小さく呟く。
目の前で武器の
「その人の為を思っているようで、本心は自分の欲まみれ。その気持ちの悪い忠誠心を見ていると、誰かさんを思い出して本当に腹が立つんですよ」
どこかで西園寺がくしゃみをする音が聞こえた気がする。
それを直接聞かされた蛇腹は、ぶるぶると震えながら、怒りで顔を真っ赤にした。
「き、ききき貴様…死んだ方がマシと思わせてやるッ!切り刻んで爪を全部剥いで、そそそのあと、」
言い終わる前に、バキンと聞きなれない音が蛇腹の声を遮る。
音の発信元を見れば、雛乃の下にあった術式が壊れていた。
(こ、壊れる?)
「覚悟してくださいね。私、売られた喧嘩は買えって教えられているんですよ」
その上に立つのは、いつの間にか縄を解いた雛乃の姿。
呆然としている蛇腹の顔に、思い切り拳を叩き込んだ。
「がっ…!」
その細い肢体が吹き飛び、襖に突っ込む。
それを尻目に、雛乃は縁側から外に出た。
庭には池があり、石橋もかかっている。
かなり大きく、立派な家だ。
「貴様ァアッ!」
怒号に呼び止められ、振り返った。
頰を真っ赤にさせた蛇腹が、怒り狂った様子で杖を構えている。
「ききききき貴様ッ!許さん許さん許さん許さん!殺す殺す殺す殺す!!」
それを地面に突き刺すようにぶつけると、大地が轟いた。
池にさざなみが立ち、埋め込まれていた石が揺れる。
「ハァ…ハァ…お、おお俺の力を全て集約させた、呪力の塊!喰らえ娘ぇえええ!」
背後からずるりと這い出たものは、黒々した人の背丈ほどもある大蛇。
よく見れば透けており、家や物に触れても影響はないが、あれは人間が食らってはひとたまりもない。
本物の蛇のように腹ばいになって、ずるずると進んでくる。
「人から掠め取った、意志もないただの力…純粋な力同士のぶつけ合いなら、負ける気はしません」
雛乃が手を掲げた。
まるでなにかを地面から引き抜くようにその手を勢いよく挙げる。
「私利私欲の為に、たくさんの人を傷つけて…例えその過程に同情すべきところがあったとしても、結果を私は許さない!」
「なっ…!?」
雛乃の背後から、まるで津波のように姿を現したのは、蛇腹の蛇より何倍も大きい、巨大な白い龍だった。
(お、おお、おかしいだろう…)
見たことのない大きさに、蛇腹が狼狽する。
雛乃の神通力は、全てではないにしてもかなりの量を減らした。
さらに彼女はその前に人の治療を行っており、そもそもが万全の状態ではなかったはずだ。
「な、なんだこの力の容量は…!」
「あなたたちに安らぎなど与えない!地獄で永遠に苦しみなさい!」
雛乃が言い切り、勢いよく手を下におろす。
その動きに連動して背後の龍も、蛇腹と蛇に突っ込んだ。
「ま、斑目様アァアア!」
あまりの力の差に為すすべもなく、龍に飲み込まれる。
蛇腹の断末魔が響いた。
蛇腹が次に目を覚ますと、まだ現世にいた。
(い、生きている…)
ぎちぎちに縛られて柱に固定されているが、命まではとられていない。
目の前で身支度をしていた雛乃が、起きた蛇腹に気がついた。
「確か…五発でしたよね」
「え?」
「あなたが私を殴った回数ですよ。あなたの腰が入っていない拳など大したことはないのですが…やはり女と男ですからね。同じ顔でも女性の方が価値が高いとも言いますし」
「あ、あの、何を…」
「うん!決めた!」
雛乃が光り輝くような笑顔で振り向いた。
蛇腹は嫌な予感が止まらない。
対して、彼女は手にぐるぐると布を巻きながら、嬉しそうに口を開く。
「とりあえず顔面を五十発程で採算が取れますかね。確かさっき一発殴ったから、あと四十九発!張り切っていきましょー!」
「いや、そのウゴォッ!」
(怖ぇ…)
その様子を隅の方で見ながら、愛子は元々良くない顔色をさらに真っ白にさせていた。
途中から後藤と別れ、雛乃を助けに来たところだったが、これでは助けなど必要なかった気がする。
『その…この件が片付けば、彼女に想いを伝えたい』
出発前、頰を赤く染めて、恥ずかしそうにそう言っていた男を思い出す。
どこが好きなのかと冗談半分で聞くと、真面目な彼は真剣に考えてから口を開いた。
『誰にでも優しく、淑やかで…あと、どこか儚いところが、守らなくてはという気持ちにさせられる』
(今のところ、ひとつも当てはまっていなさそうに見えるが…)
今が何発目か宣言する雛乃は、本当に楽しそうだ。
目の前の惨劇を止めるのも忘れて、愛子はしばし思考を停止させた。
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