第25話 英雄の息子⑥


「こちらです…」


女性の案内に、雛乃がついていく。

仏堂の中や周辺、参道は人で溢れていた。

皆身を寄せ合って、ござや布の上、人によっては地面に直接倒れこむように寝ている。

(せっかくの祭りの日だったのに…皆さん満身創痍だ…)

平和な村を突如殺人鬼が襲ったのだ。

一旦は後退させたが、次いつ襲撃があるかもわからない。

まともに武器もない状態で、朝日を待つしかないのはさぞ不安だろう。


「こ、ここにはおりません。気分が悪くなったそうで、涼しいところで休むと言っていました」


目の前の彼女の声も、今にも風に飛ばされてしまいそうな程か細い。


「最悪の刀が…最悪の男の手に渡ってしまった」


愛子が雛乃の頭の上で、小さく呟く。


「儂の一族のせいで…後藤を含めて、皆には申し訳ないことをしてしまったの」

「そんなことは…愛子さん達も被害者です」


例え大和丸が存在せずとも、あの男は罪を重ねていただろう。

それでも、愛子の声は後悔と負い目に溢れている。


「大和丸が斑目に力を与えてしまったのは事実じゃ。彩諒の刀を…何故儂の先祖は手元においたのじゃろうな…あのようなバケモノ刀、さっさと処分してしまえば良かったものを…」


彩諒亡き後、あの二刀を引き継いだのは愛子の先祖だ。

(たしか…ふたりは友人だったんだよね…)

雛乃が少し考えて、それからゆっくり口を開いた。


「もともと、呪術というのは人を助ける為に生まれたものなんです」


この国の神呪術の歴史は古い。

今でこそ少しずつ廃れている技術ではあるが、昔はそれが全てを動かしていたと言っても過言では無かった。

それほど人の呪いが具現化しやすい、特殊な環境だったのだ。


「人の手から溢れた感情を、抑制したり、良い方向に使う為に開発されたのです。もちろん悪い方向に使う人もいますけどね…。でも、本来は人助けの為に作られたんですよ」


当然それを扱う呪術師も、善悪両方存在する。

人が制御できなくなった呪いを吸い取り、その力を別の事に使うこともできる。


「邦丸さん…でしたよね。その方も、呪術師だったそうですが…。ただ人を傷つけようと悪い刀を作ったわけではないのだと思います」

「……」

「悪戯に人を陥れるような人物なら、遺品を悪用することも処分することもなく、大切に後世に残そうとするご友人などいませんよ。もしかしたら、大和丸と弥生丸にはあの使い方以外に、本来の意義があるのでは…?」


雛乃の言葉に、愛子が黙り込む。

もう一度声をかけようとして、そこで前を歩いていた女が止まった。

いつの間にか、人気のない建物の裏まで来ている。


「あそこにいます」


そうして指さされた場所には、木の根元にもたれかかる人の姿。

こちらに背を向け、ぴくりとも動かない。


「大丈夫ですか?」


声をかけながら近づいて、全貌が見える位置に差し掛かった時、雛乃の足が止まった。

その顔に、人の肌ではありえない素材が現れたからだ。


「何これ…案山子…?」

「雛乃!」


愛子の声に足元を見れば、地面が円を描くように黒く光っている。

(しまった!)

慌てて円の外に出ようと振り向いた瞬間、その術を発動させた者と目が合った。


「斑目様がお呼びだ」

「なっ…!?」


ずるりと足元が地面に吸い込まれる。

(これは…)

この感覚には覚えがあった。

アメリアが使っていた術にどこか似ている。

そのまま愛子ごと身体が引きずりこまれた後、すぐに世界は反転した。


「ここは…」

「どこじゃ…?」


くらくらする頭を抑えて、あたりを見回す。

足の下には地面と、あたり一面生い茂った木々。

その光景に、寺からそう離れていない山の中だと予測した。

(アメリアさんの時は現実世界から異世界に入ったけど…これは…現実世界を移動した…?)


「娘」


突然背後から降って湧いた声に、雛乃の全身に鳥肌が立つ。

急速に喉の奥がしまり、呼吸ができなくなった。


「先程ぶりよ」


振り向く時間も余裕もなかったが、月明かりに照らされて、影がゆらりと刀を振り上げた様子が見えた。

雛乃が死に物狂いで弓と矢筒を掲げた瞬間、その刃が当たる。


「っ!」


金属音のような奇妙な音がして、その衝撃で吹き飛ばされた。

背中を木の幹に打ち付ける。

(い、生きてる…)

弓も矢筒も斑目の一撃を到底防げるものではなかったが、雛乃の首と胴体はまだ繋がっている。

代わりに弓は折れ、彼女の手も痺れて使い物にならない。

斑目は跳ね返された刀をしげしげと眺め、突然遠くを見据えた。


「ヒヒ…化物が憑いておるようだ」


むき出しの刀を持ったまま、こちらに歩みよる。

その編笠からは、喜色を含んだ独り言が漏れた。


「お主を連れて行くのは難儀だろうとここで始末しようかとも思ったが、これでは仕方ない…まァ即刻我の頭を吹き飛ばさないところを見ると、攫うこと自体は良いのかァ」

「雛乃!逃げろ!」

「……っは…」


愛子の声は聞こえている。

その指示は全くその通りだとも思うのに、体が微塵も動かない。

(…怖い)

この男は本当になんの迷いもなく、地面の雑草を踏むように命を奪う。

斑目は雛乃の前でぴたりと足を止め、刀を鞘に戻した。

地面に横たわった愛子を見下ろす。


「ヒヒ…蛇腹から聞いていたが、本当に喋るとはなァ。人形。伝えろ。この娘の命は…」

「愛子さん!」


雛乃が愛子に手を伸ばした。

彼女が触った瞬間、人形の身体が軽くなり、愛子が浮く。

(これは…)

先程までほとんど動くことのできなかった手足が動いている。


「雛、乃…」


思わずまじないを解除した彼女を振り向いて、固まった。


「行ってください」

「…っ!」


その時の雛乃の表情を、愛子は忘れない。

あるだけの力を使い、まるで弾丸のように森から飛び出す。

拠点の寺に向かいながら、愛子は悔しそうに声を漏らした。


「馬鹿者…っ!」


人の命を平気で摘む殺人鬼の下で、雛乃はいつも通りの表情で、笑っていたのだ。






「ほれ」


まるで物のように放られる。

手を縛られている為受け身が取れず、雛乃の頰が地面に擦れた。

血が滴り落ちるが、それを気にせず顔を上げてあたりを見回す。

(ここは…)

山中の、眺めの良い開けた場所だ。

火を囲って、3人の人間の姿が視界に入る。

そのうちのひとり、顔に刺青のある男が雛乃を見て、ギョッとした表情を浮かべた。


「こいつがぁ!?なんだよ。巫女を連れてくるって言うから楽しみにしてたのに。さすがにこんなガキじゃあ勃たねえよお」

「ヒヒヒ。諦めろ」

「貴様っ!」


続いて立ち上がったのは女だったが、見覚えのある姿に雛乃が反応する。

あの時、住民だと思った女だ。

雛乃を騙し、罠に嵌めた人物。

(このが…)

見ている間にその顔はどろどろと溶け出し、不健康そうな男の顔になった。

桃太郎の資料の中にあった、蛇腹という男だ。

(間違いない…呪術師だ)


「ききき貴様のせいだぞ!」

「っ!」


注視していると、蛇腹が飛びかかってきた。

そのまま馬乗りになって、彼女の顔を思い切り殴打する。


「貴様のせいでっ!ま、斑目様のっ!右手がお怪我をっ!し、死んで償え!」


両の拳が飛び交い、地面に真新しい血が飛んだ。

蛇腹が前屈みになってもう一度拳を振るおうとした瞬間、雛乃の瞳と視線がかち合った。


「ヒッ!」

「!」


頰は鬱血し唇からは血が流れているのに、彼女の目は蛇腹だけをジッと見ている。

痛みも苦しみも感じさせないその開いた瞳孔の気迫に、蛇腹の身がすくんだ。


「どけ」


それを外野で見ていた鷲尾が前に出る。

上にいた蛇腹を押し出し、雛乃に顔を近づけた。


「なんだよ。思ったより楽しめそうじゃん。へへ…」


野卑な息を漏らす。

べろりと血が滲む頰を舐め、雛乃の足に手をかけた。


「蛇腹、鷲尾。そのぐらいでやめておけ。我は今化物に喧嘩を売りたくはない」


喧騒をかき消す、静かな声が響く。

鷲尾の動きが止まり、蛇腹が土下座をするように地べたに這いつくばった。


「えー…ここからだったのに…化物はアンタだろ。俺、今日女を持ち帰れなかったから、溜まってるんだけど」

「こ、この女だけは殺したいです。殺させてください!」


口々に不平不満を漏らすふたりに、火を囲っていた最後の男が、ガンと地面を殴った。

大地がわずかに揺れ、続いて飛び出した声に今度は大気が揺れる。


「五月蝿い!主人の命令に口を挟むな!黙って従えッッ!!」


昨夜、岬と戦っていた赤獅子だ。

鷲尾が雛乃から離れ、つまらなそうに宙を見上げた。


「チッ、せっかく俺の息子が反応しそうだったのによ」

「ヒヒ…世が明けるまであと2時間もない。その後で好きなだけ襲えば良いだろう。蛇腹、我の目的を達成するまで、その娘には手を出すなァ」

「わ、わかりました…」


(やっぱり、桃太郎さんが言っていたように、日が昇ったら襲撃をかけるつもりなんだ…)

会話に耳を傾けながら、雛乃がごろんと身体の向きを変えた。

口に溜まった血を吐き出す。


「主人。そもそも奴らはこの餓鬼を助けに来るのか?」

「わからんよ。ヒヒ…この娘、自分で交渉条件を蹴りよったからなァ」

「つ、使えなかったら俺が殺す殺す殺す」


向けられる、突き刺すような殺意の中でも、雛乃は目を閉じない。

探すものは一縷の望み。

(…生きたい)

ごちゃごちゃに絡まりあった感情の中で、確かにそう思った。






「…作戦に変更はない。朝日が昇れば避難開始だ」


桃太郎の言葉が、しんとした室内に響きた渡る。

愛子はぎしりと顔を動かした。


「それは雛乃を見捨てるということか」

「……」


何故人質をとったのかはわからないが、恐らくは助けに来いということだろう。

雛乃の命も、持ったとしても朝日が昇りきるまで。

全員が避難し終える頃には手遅れだ。


「…それでもこっちは数百人の命を抱えてる。迂闊な行動はできねえ。俺たちをふたつに引き離し、その隙に本隊を叩くのが目的かもしれない」


後藤が前に出た。


「…私が単体で雛乃を助けに行くのは?」

「駄目だ。鬼ヶ島の連中よりお前は強い。対斑目戦であいつらもそれを確認した。お前がいるだけで抑止力になる」

「……」

「さらに言えば、お前は斑目には一度負けている。その状況で斑目以外に何人いるかわからない所へ、ひとり送り出すことはできない。…かと言って誰か付けられるような余裕もない」


桃太郎の言うことは正論だ。

彼はこの場の誰よりも観察眼に優れており、いつだって客観的に結論を出す。


「元々人が足りねえんだ。これ以上人員を割いていたら全員死ぬ」


桃太郎は自分に言い聞かせるように、口を開いた。


「まして雛乃は…今は俺達の身内だ。一般市民よりも優先することはできない。あいつも、それを分かってるから…ああしたんだろう」

「……後藤」


愛子が出ていこうとする男に声をかける。

彼は足を止め、振り向かずに答えた。


「少し夜風に当たって来る」


短く答えて、後藤はその場を後にした。

彼のいた場所を見てみると、畳に血が点々と足跡のように続いている。

傷口は全て治療してあるので、おそらく爪が食い込むほど手を握りしめていたのだろう。

(無理もない…)

雛乃は斑目の言葉を途中で遮った。

おそらくあの時、男は彼女の命の期限と、引き換え条件を口にしようとした筈だ。

雛乃が生き残る、唯一の道。

それを彼女は自ら潰した。

自分の命よりも、数百人の命を優先させろと、そう言ったのだ。


「馬鹿者が…」


愛子がそう呟く横で、桃太郎は机に肘をついて必死に思索にふける。

(何故雛乃なんだ…?)






「ヒヒ…釈然としない顔よ」


その笑い声に、雛乃がぴくりと反応した。

鷲尾達は移動し、今ここにいるのはふたりだけだ。


「我の目的が気になるかァ」

「…ええ。わざわざ攫うのなら、私じゃない方が都合が良いですから」


雛乃は決して強くはない。

だが彼女には、それを補う機転の良さと、特殊な術がある。

その扱い辛さの上に、明らかに一般人では無く警察の身内。

わざわざ呪術を使って潜入までさせた引き換えにしては、割りに合わない人質なのだ。


「誰も助けには来ませんよ。計画も変わりません。私は住民の皆さんよりも優先順位は低いですから」

「ヒヒ…来ぬなら来ぬで良いのよ。その程度ならお主である意味はないからなァ」

「……」


(やっぱり…他になにかの目的があるんだ)

考え込む雛乃に、斑目はまるで手がかりを与えるかのように先の言葉を紡ぐ。


禍患カカンという一族を知っているか」

「……確か、神呪六大しんじゅろくだいの一家ですよね」


まだ神術と呪術が人に身近だった頃、そのふたつの扱いに特に長けた家系が存在した。

それぞれ得意とする業は違ったものの、当時最高峰の技術を持った家は六家あったので、総称して神呪六大と呼ばれたのだ。

六家は立場面でも政治面でも強大な力を持っていたが、科学の発展と時代の移り変わりにより、そのほとんどが衰退し没落した。


「今となっては、まともに一族として形を保っているのは花京院と夢楽座ゆめらくざぐらいだと聞いていますが…」

「ヒヒ…その通り。禍患も以前はほんの少しだけいたのだがなァ。我が全て殺してしまったよ」


その禍患が得意としたものが、戦である。

他国との略奪戦争や自国の内戦を確実に解決するため、一族の中から優秀な兵士を輩出することに心血を注いだ。

時には呪術を使って、時には同血かそれよりも強い者と交配を繰り返し、やがてその血筋からは戦闘に特化した肉体を持つ者が生まれ始める。


「それはほんの少し修練を積めば、小さな子供でさえも、熟練の剣士と対等に渡り合える程だった…人間の枠を超えた新しき人種!純粋な力の世界!あァなんと、なんと…」


そこで言葉を切り、斑目は興奮を抑えるようにゆっくり息を吐いた。


「…だが人は、自分より優れている者を忌み嫌うものよ。次第に禍患は、呪われた人間と呼ばれ、疎まれるようになった」

「あなたは…」

「ヒヒ…そうして生まれた一族の最高傑作が我。唯一この世に残る、純血の禍患よ」


(唯一…)

この男が、皆殺してしまったのだろう。

にわかには信じがたいが、証拠は未だ衰えるどころか最盛期を迎えている斑目自身の強さだけで十分だ。


「性悪説は知っているな?娘。お前は、人間は産まれながらに悪と決まっていると思うか?」

「…私には分かりません。けれど、善悪両方あるから、人間は理想を目指して努力をするのだと思います」

「ならば初めから呪われた人間は?人を殺すために生まれた罪深き種族は、その血の限り悪なのか?」

「…いいえ」


雛乃の言葉に、斑目がこちらを向く。

顔は一切見えないのに、笑ったような気がした。


「我は見たいのよ。その真実を」

「……?何を…」

「娘。お前にはその礎となってもらう」


斑目が笠に手をかけた。


「は…?」


山の頂から光が漏れる。

それが眩しくて眼球を焼くのに、雛乃はその光景から目が離せない。


「ヒヒ。良い夜明けよ」


男が笑う。

実年齢は40歳を超えているのだろうが、彼の顔はずっと若く見えた。

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