第24話 英雄の息子⑤
「断る!」
村から少し外れた山の中腹の寺。
そのお堂の中で、後藤ははっきりと宣言した。
あちこちに包帯が巻かれた身体は、見るだけで痛々しい。
ところが今彼を悩ませているのは、肉体的な問題ではないのだ。
「わ、私は良いと言っている!」
「そういうわけにはいかんだろ…」
その様子を呆れて見るのは桃太郎だ。
雛乃も彼の前で困った顔をしている。
「でも酷い怪我ですし…少しでも回復はした方が良いですよ」
「だ、だからと言って…その、交際もしていない年頃の男女が、肌と肌を合わせるのは良くないだろう…」
「…大げさすぎんだろ」
後藤はこちらに背中を向けているが、耳の先まで真っ赤になっているのはよく見える。
雛乃は簡単な回復術が使える。
彼女の苦手な分野なこともあり、折れた骨がくっつくような効果までは見込めないが、出血を抑えたり痛みを和らげることは可能だ。
治療道具も薬も足りないこの状況において、使えるものはなんでも使っておいた方が良い。
そして今回、いちばん傷ついたのは斑目と相対した後藤で、彼が優先的に治療を受けるべきなのだが。
「面倒なことにならないよう、せっかく西園寺が見回りしてる時間に合わせたっていうのによ…帰ってきちまうから早くしろ」
「なぜ西園寺だ…?雛乃。君も嫁入り前の女性だ。気軽に男の素肌に触れるべきではないだろう」
(ここまで耐性がないとは…)
桃太郎ががっくりと頭をうなだれた。
雛乃の回復術は、直接肌に触れなければならない。
そうは言っても彼女自身の手を相手の傷口に当てさえすれば良いのだが、後藤はそれを嫌がったのだ。
理由は単純。
恋い慕う女性に触れられるのが恥ずかしいのだ。
仰々しく言っているが、ただ単に心の準備ができていないだけである。
まさかそれが原因だと思っていない雛乃は、戸惑いながら口を開く。
「まあ、触られることを嫌がる方は結構いらっしゃいますけど…私はもう慣れましたから。救命において恥じらいは最大の敵です。いざとなったら尻の穴まで手を突っ込みます」
「雛乃ォ!?」
後藤が変な声を出し、桃太郎が飲んでいた水を噴きこぼす。
すると次の瞬間、その背中を悪寒が走った。
「ヘェ…」
慌てて振り向けば、西園寺が扉の影からじっとこちらを見ている。
その目は暗い光が宿り、ずいぶん意味深だ。
(怖ぇ…)
彼の対象が自分ではなくて良かったと安堵していると、西園寺はずかずかとこちらに進んできた。
雛乃の前に立ち、にこりと天使のような笑みを浮かべる。
「相原さん。副署長がご不安に思われているようなので、軽傷ですが先に私の治療をお願いできますか?」
見れば、西園寺の頰も赤く腫れている。
「もちろんですよ」
雛乃もまた、女神のような笑みを浮かべながら手を伸ばしてぺたりと彼の頰に触れた。
ふたりがうっすらと白い光に包まれる。
西園寺は笑顔のまま、その顔に似合わない台詞を吐いた。
「あなたの力は信用してませんが、まあ無いよりマシでしょう」
「そうですよ。お顔は西園寺さんの唯一の長所なんですから、ちゃんと手当しないと」
間髪入れずににこやかに返す雛乃に、桃太郎はまるでごく普通の会話をしているような錯覚に陥る。
(すげえ…)
嫌がらせをされていると聞き心配していたが、この様子ならなにひとつ手助けはいらなさそうだ。
雛乃が手を離すと、西園寺の頰から腫れは引いていた。
「上手くなったもんだな」
「まだ苦手な方ではあるんですけど…本当にできる人は内臓の損傷もあっさり治しちゃうみたいですね」
それでも3年前に比べれば、だいぶ使えるようになった。
力の加減を誤って、逆に相手に怪我を負わせることも無くなっただけ、上達したと言えるだろう。
雛乃の目が死んだ魚のそれになった。
「…これが苦手ってことが黒鉄さんにバレた瞬間、街の診療所に放り込まれて、徹底的に鍛えさせられましたから…」
「…教育熱心だな…後藤。良いからやってもらえよ。状況が状況だ。回復するに越したことはないだろ」
桃太郎の言葉に、床に黙って座っていた愛子も同意する。
「そうじゃな。また斑目が襲ってくる可能性もある。その時怪我を引きずっているようではきついぞ」
「む…わ、わかった」
渋々と頷き、胡座をかいて雛乃に向き直る。
正面切って戦っていたので背中には殆ど傷がないが、顔や肩には大きな刀傷が残っている。
雛乃が目の前に膝をついて座り、後藤の肩へと手を伸ばした。
「筋肉すごいですね」
「は、早くしてくれ!」
(近い…!)
雛乃の手が届く範囲での施術になるので予想はしていたが、こんなにも息遣いや香りが察知できるほど近いとは思わなかった。
「……」
そして背後で、西園寺がその大きな瞳を限界まで開いて、殺意を持って雛乃を見ている。
これが後藤の為でなかったら、どんな手を使ってでも邪魔しただろう。
視線で射殺さんばかりの彼の肩をガッと掴んで、桃太郎は外に向かって歩き出す。
「ほら見張りすんぞ。雛乃。あとはよろしくな」
「はい」
返事をしながら、今度は彼の顔の眉間に手を伸ばした。
真っ赤になって必死に平常心を保とうとする後藤に、まさか恋心が原因とは思わない雛乃は同情の念を送る。
(つらそうだな…後藤さんって潔癖っぽいしなあ…)
意識をそらすために、努めて明るく話題を振った。
「大丈夫ですか?痛くないですか?」
「へ、平気だっ!ま、まだ終わらんのか」
「すみません。あちこち怪我をされてますからね…このやり方だと傷をひとつひとつ触らないといけないんです」
「その口ぶりだと…他にもやり方があるのか?ならそっちで頼む!」
あまり正面を見ないように、後藤が言い放つ。
その返事に、雛乃は困ったように口ごもった。
「いやその…それはちょっと…。ええと、私の扱う治癒って、その傷に私が直接触れなくてはいけないんですけど、触れさえすれば手じゃなくても良い上に同時に治すこともできるんです。その…後藤さんは今全身に怪我を負ってらっしゃるから…」
「…つまり?」
「その…」
はきはき喋ることが多い雛乃が言葉を濁した。
純粋に疑問に思った後藤が、思わず前を向く。
目が合うと、これまた珍しく雛乃が恥ずかしそうに頰を染めて俯いた。
「た、端的に申し上げると…お互い全裸で抱き合うのがいちばん早いってことです」
梯子を登って、櫓の上に乗る。
小さな広場になっているそこは、松明の明かりで煌々と照らされていた。
祭りの会場から引っ張ってきたものである。
「岬さん」
「ヒナちゃん」
声をかけると、下を見ていた岬が振り向いた。
少し高台になっているここならば、寺の様子が一望できる。
「皆さん大丈夫そうですか?」
雛乃が問いかけながら、柵に手をかけ下を覗き込んだ。
大して広くはない寺の中にいるのは、避難させた一般人だ。
参道にはお堂の中に入れなかった人々が溢れている。
一旦は引いた斑目だが、また次にいつ襲ってくるか分からない。
それでも山奥の村落に太刀打ちできる装備も人手もあるはずがなく、祭りの後、全員が入るこの寺へ避難させたのである。
「騒いでる人もいたけど、大人しくなったみたいだよ。副署長の怪我は大丈夫だった?」
「ええ。一応治療はしたのですが…やはり血を流しすぎたのでしょう。急に倒れてしまって、少し寝ていらっしゃいます」
「そうなんだあ」
「……」
(あれは身体の不調のせいではないだろうがな…)
雛乃の頭の上に乗った愛子が考えあぐねる。
だが彼女がそれを知る術はないだろう。
「岬さん。ごめんなさい。無理させてしまって」
「無理なんてしてないよお。むしろミサキじゃどうしたら良いかわかんなかったから、指示してくれて良かった」
岬がにこにこと笑う。
祭りの最中、男が斑目であることに気づいた雛乃は、咄嗟に岬に指示を出したのだ。
彼女が言ったことは、彼を一般市民から離すように攻撃できないかということだけだったが。
「まさか、あんな大きなものを持ち上げて投げられるほどの力持ちだったとは、思いもしなかったです…すごいですね」
岬の手のひらを触る。
雛乃と違って、大きく硬い手だ。
「念のため治療はしましたけど、無理しないでくださいね」
「大丈夫だって!ほら!」
「わっ!」
岬が笑いながら、ひょいと雛乃を持ち上げた。
彼女の、髪に隠れた見えない左目が目の前にくる。
「ヒナちゃんぐらいの大きさなら、このまま投げて、お寺の屋根のてっぺんにのせられるよお」
「な、投げないでくださいね…」
一度頼んでおいて難だが、あの浮遊感は非常に苦手だ。
思わず岬の服を掴んだ。
「雛乃」
愛子が小さく声をかけてくる。
振り向くと、櫓の梯子に手をかけた女性がこちらを見ていた。
着ているもので住民のひとりだろうと察する。
「調子が悪いと訴える人がい、いるので、見ていただきたいのですが…」
「わかりました。連れて行ってください」
岬に別れを告げ、愛子と共に梯子を降りる。
女性は申し訳なさそうに声を漏らした。
「お忙しいのにすみません…」
「大丈夫ですよ。朝日が上ればここから離れられますから、それまで辛抱してくださいね」
安心させようと笑顔を向ける。
未だ空はとっぷり暗闇に包まれてはいるが、果ての方はわずかに明るくなっていた。
(あとほんの数時間…)
『明朝、ここを出る』
警察官と雛乃、全員を集めて桃太郎は口を開いた。
『今、俺の部下の
この村には通信手段が無い。
ここからいちばん近くの町までは汽車だと一駅だが、山を降りなくてはならず、また当然こんな真夜中に機関車は走らない。
他にも馬車という移動手段はある。
しかしながら、斑目達がこのあたりの何処に拠点を構えているのかわからない為、音や振動が伝わり襲撃されることを恐れたのだ。
ただでさえ少ない人員である。
早さよりも確実性を取った。
『ただこれだけの田舎だ。あのふたりが無事に着いて、そこから警察に連絡しても直ぐに応援は来られない。例え数人が来てもどうにかなる状況じゃない』
桃太郎が淡々と続ける。
『俺らが優先するべきは、斑目一行の逮捕じゃない。一般人の避難だ』
現状では警官の人数が少ないこともあるが、なにより一般市民が多すぎる。
通常は100人足らずの村だが、今は祭りの時期ということもあり人口は膨れ上がっている。
食料の問題もあれば、皆戦闘とは縁がないごく普通の農民だ。
今でこそ落ち着いてはいるが、また襲撃があった時は混乱状態に陥る可能性がある。
そうなった時、この人数では守りきれないだろう。
『この村に1日以上いるのは無理だ。隣町には、汽車の車庫があった。だから、ふたりにはできる限り早く、始発より前にこちらへ汽車をよこすよう頼んである』
暗い山の中を、徒歩で列を成して避難させるのは襲ってくれと言っているようなものだ。
一度に移動させるので多少の危険は伴うものの、まだこちらの方が安全だと見越した。
『俺が見た奴らと西園寺の話からして、おそらく斑目のまわりを囲うのは3人。赤獅子、鷲尾、そしてこれは憶測だが…後のひとりは
そこで言葉を切り、桃太郎が資料を取り出した。
数枚の写真の中には、岬と戦った大男と、西園寺が遭遇した顔に刺青のある男が写っている。
『鬼ヶ島攻略の際、踏み込んだ俺らの目に映ったのは死体の山だった』
鬼ヶ島は、この国最大の犯罪者の拠点であった。
すでに戦力は少しずつ削った後ではあったが、それでも警察が大量の戦力を注いで解決しようとしていた案件だった。
それをたったひとりの男が、皆殺しにしたのだ。
『…それが斑目だ。それは後藤には言ったな』
ところがその際、数人の手配犯が姿を消していた。
散り散りに逃げたとも、斑目についていったとも言われており、その真偽のほどは定かではなかった。
『今回の俺らの任務は、そいつらが斑目とともに行動しているかどうかの確認と、その捕獲だった』
ところが一転、斑目だけが捕まり、鬼ヶ島の連中は出てこなかった。
もともと噂の範疇を出なかった話だ。
ならば斑目とは違う他の場所に隠れたのだろうと、再捜査の構えをとっていたのだが。
『雛乃が聞いたところによれば、逮捕された斑目は偽物だったんだろう。今回の指揮官は見たことがあった。詰めが甘いやつだ。勲功を立てたと浮かれて、確認を怠りやがった』
吐き捨てるようにそう言い、桃太郎は全員の顔を見た。
『あいつらは快楽殺人犯だ。金銭が目的じゃない。狙いは一般人だ。避難させる時、おそらく何らかの手を打ってくるだろう』
強大な相手に、人も武器も足りないどころか、数百人の人間という重荷がある。
それでも持ちゆる駒を全て使って、全員で生き残らなければならない。
『今夜と明朝が勝負だ。気を抜くなよ』
「優しそうな父ちゃんと母ちゃんだな」
桃太郎の声に、後藤が顔を上げた。
「先に寝てしまってすまなかったな。すぐに見張りを代わる」
「西園寺と、村の男衆に代わってもらったから大丈夫だ。怪我してんだから休んどけよ。…それにしても、お前変わんねえな」
桃太郎が後藤の手元の、古びた写真を覗き込んだ。
そこには小さいながらも眉間に皺を寄せ精悍な顔付きをしている彼と、にかりと気持ちよく笑う男性、そして穏やかに微笑む女性が映っている。
「…似ていないとよく言われたよ。私は祖父に似ているらしいからな」
写真の四隅はすでに丸くなり、色も褪せている。
それでも大切に持ち歩いている彼に、今回の事件にかける想いが垣間見えるようだった。
「作戦。同意してくれて有難うな」
「…我々は警察官だ。私情よりも市民を優先するのは当然だ。それに…父なら、そうしただろうと思ってな」
後藤が、目の前に植えられた桜の木を見つめる。
その根本で絨毯のように敷き詰められた花弁に、最期に会った時の父を思い出した。
桃太郎が隣に腰掛けるのを待って、静かに口を開く。
「…私は未だにわからない」
「何がだ?」
「なぜ…父親はあの時、嘘をついてまで私だけを逃したのか」
後藤の脳裏に思い浮かぶのは、彼の両親が殺された時の光景。
母はその場で絶命していたのに、父は母を捜せと嘘をついた。
桃太郎は食糧の干し魚をかじりながら、口を開く。
「そりゃあお前…お前に生きてて欲しかったんだろ」
「…そうではない。私の力不足はあったが、あの人は私を子供扱いするような人ではなかった。父も致命傷は負っていなかったあの状況ならば、ふたりで斑目と戦いそれから逃げる方が確実だった」
勝てなくとも逃げる事はできただろう。
それでも彼の疑問は、両親亡き今迷宮入りだ。
「まあ、確かに違和感のある話だけどよ。父親の意地もあるだろうし、状況が状況だ。正しい判断ができなくなることもある、だ…おい…あれ…」
桃太郎が言葉の途中でふと遠くを見て、ぴたりと固まる。
「……?」
彼が指差した方向に、不思議に思いながら視線を配ると、何かがぼんやりと光っていた。
楕円状の形をしたものが、こちらに近づいて来る。
「…!?」
「いっ!?」
それが何かわかった瞬間、慌てて立ち上がりその場から大急ぎで逃げ出した。
「な、なんだあれは!」
「わからねえ!わからねえけど死ぬほど怖え!」
ふたりめがけて、有り得ない速度で空中を滑るように移動するのは人の生首だった。
髪を振り乱して、泥だらけのまま無表情でこちらに向かってくる。
桃太郎が躓き、思わず後藤の足を掴んだ。
「待って待って無理!」
「早く立てえええ!!」
もたもたしている間に、それは手を伸ばせば触れられる距離まで近づいた。
((雛乃!!))
半泣きのふたりの脳裏に、専門家の顔がよぎる。
想像の彼女はグッと親指を突き立て、頼もしそうな笑みを浮かべている。
「神宮寺!懺悔させてくれ!今一瞬だけ、君と死ぬのかとがっかりしてしまう自分がいた!」
「俺もごめん!そんなつもりなかったし神に誓って何もなかったけど、朝起きたら雛乃が隣にいたことあ、」
「何を逃げておる!後藤!神宮寺!」
その生首から、ぴしゃりと名前を呼ばれて固まる。
「え…」
「待て神宮寺。今の発言は何だ?」
「腰を抜かしている場合ではないぞ!」
真顔で追及してくる後藤を無視して、その声の主をよく見ると、愛子だった。
揃っていた髪はボサボサになり、泥に塗れているが、よく見れば市松人形だ。
白い顔だけが暗闇に浮かんでいたので、生首に見えていたのだろう。
「そうでなくても人形が追いかけてくるだけで充分怖えよ…」
桃太郎の言葉に、後藤がハッと我に返った。
「き、君は呪詛なのに自由に動き回れて良いのか!?」
「雛乃が解除してくれたのじゃ!まずいことになった!」
自由に体を動かせないよう、制限がかかっていたはずの彼女は空中を浮遊し、その小さな体で引きずるように何かを持っている。
見覚えのある、折れた弓と矢筒だった。
「雛乃が連れていかれた!!」
「!?」
「な…!」
強い風が吹き、桜の木から大量の花びらが落ちる。
目の錯覚か、わずかな月明かりに照らされた桜は、血のような紅に見えた。
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