第5話
ガイルは大通りを歩きながら
四方からの風を感じていた。
そしてクラクションや工事中の音に混じり行き交う人の言葉が天に舞い上がり消えていくのを見ていた。
憂鬱や焦燥、悲しみもすべて天に
言葉は昇る。浄化するために。
ルリビタキはガイドであった。
小さな鳥は冷たい空気の中を
舞いながらガイルを先導する。
月を染める存在にガイルは
こうして辿り着いた。
ガイルを連れて来た
ルリビタキはかわいらしく
柔らかなさえずりで挨拶し
飛び立つ。
獣医師と詩人。
長い年月、深く沿うことのなかった
二人の心情が捜し求め慈しみあう
という気づきの元にお互いを心に
留めている。
しかし、
実際に関係を深めるのには
沿わない時間が長すぎること、
その幻想にただ揺れ、
個として生きることに馴染み
愛を交わしあぐねていた。
医師は検査室の壁にもたれ
溜め息をついた。
「先生はああして
小さな部屋に籠るのが日課だから
。ちょっと変わってるのよ。
感情の起伏が激しいし。
でも自分さえ前に出て診察していたならそれで保てるみたい。」
看護士の噂話が聞こえたが医師は
壁にもたれ目を閉じてじっとして
いた。
ガイルは少し離れ彼を見ていた。
医師はただ自分の背中にそっと手を
当てるようなさりげなく静かな
安らぎが欲しかった。
医療現場は壮絶であり過酷で
あった。物言わぬ小さな命は
人間を至上とするこの世界では
ないがしろになることもあり、
またどんなに医療技術を駆使した
ところで天命には逆らえず、
また、自由診療という壁から
治療を断念されてしまうことも
ある。今、この治療をしたら
命は繋げるのに、という想いと
小さな命ゆえの儚さと。
医師にならなければ良かったと
思い巡らせることもあった。
彼は左目を抑えた。
疲れを感じると左目が痛む。
偏頭痛を誘発し痛みからの
解放を求め鎮静剤を飲む、
その繰り返しであった。
「先生、いいですか?」
聞き馴染みのある医師仲間の
声がした。
「お忙しそうですね、先生。」
からかうような言い方に
医師は返した。
「そちら様も。
高層マンション内に分院を
オープンとか。」
「噂早いね。
まあ、お互い、10年選手で
ここまで辿り着いたしな。」
医師は眉間を軽く叩いた。
そして息を静かに吐き出すと
仲間に笑い返した。
「体調悪いのか?」
「いや、大したことない。
目が疲れる。いつものことだ。」
「しかしお前は
いつまでも青年臭いな。」
「からかうな。40半ばにもなって。」
「どこかでいつも子供じみている。」
その言葉に医師は少し
イラ立った。
いつも子供じみた。
自分は息も絶え絶えの猫を
抱えて泣きながら走っていた
子供の頃とあまりかわらないかも
しれない。泣くことはしないだけ。
「うちの妻が心配していたぞ。
せっかくいいお嬢様を紹介したの
に結婚にまだ結びつかない、と。」
医師は彼女の美しい額と
眉間、そして長い睫毛と
オーデコロンを思い返した。
「普通に
会ってるしうまくやっているよ。」
「普通に会ってるしうまくやっている、か。そんなこと言ってたら
また逃すぞ。15も年下を妻すると
いうのも世間的にはステイタス
だろう?」
「価値観はさまざまだ。」
男と女は互いに靄のかかった
景色を見ている。
その靄が晴れた時、
安らぎの中で胸を高鳴らせ
ぬくもりに涙するだろう。
靄が晴れたならば。
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