第4話

男と女は靄にかかった景色をお互いに

見ていた。


男は自身の使命にすべてを捧げて

いる、そう自負しながらも

なぜ、自分には使命以外の

意味もない下らない日常が

かけがえのないものと感じる瞬間

が訪れないのか、と思った。


ガイルは窓ガラスの向こうを

覗き込んだ。

使命を自負する姿は男の人生を

表し、その光は揺るぎなく誇り

高く、しかし、どこか手放す場所を

探しているように見えた。


男は獣医師であった。


待合室には彼を待つ、

犬や猫たちがいる。

寄り添うのは人間であり

彼はあまり人間を見てはいない。

あまり得意ではないのだ、人間を

相手にすることが。


「もう終わるよ、よし、頑張ったね。」


重い皮膚病の白い犬は

被毛が禿げてただれた皮膚が

剥き出しになっていた。

痛い注射を施す時、静かに目を

閉じて耐える健気さなに医師は

心を寄せた。


「いつか、毛は元に戻りますか?

これじゃあね、外歩いても

ジロジロ見られてね。」


飼い主の言葉に

医師は少し眉間にシワを寄せた。


「内蔵の病気ではありませんし

散歩が大好きなら連れて行って

あげてください。根気よく治療し

ストレスを和らげ完治を目指しましょう。」


飼い主はやれやれ、という

表情でうなづいた。


白い犬は医師を見た。

医師は心の中から言葉をかける。


怖がらせないよ、ただ、

診せてくれたらいい。


白い犬は静かに瞬きをした。


こうして医師は

この日常を繰り返してきた。


ガイルは白い犬の傍らで

胸に手を当て会釈をした。


少し戸惑いながら白い犬は

言った。


僕は皮膚が弱いみたいで。

迷惑かけちゃうな。

お父さんもお母さんも

忙しいのに。


清らかであるが故に

その瞳は不安と悲しみに揺れる。


「どうかお大事に。

あなたは病を治すことだけ

考えたらいい。」

ガイルは白い犬に息を吹きかけた。

白い犬は風を追うように瞬きをした。


「早くよくなろうな。」

飼い主の男は白い犬を抱いて

診察室を後にする。

財布を開けて首を横に振りながら

会計をする女を気にする白い犬。


医師は診察台を拭きながら

舌打ちした。


「動物を何だと思ってるのか。

エサを与えて囲ってりゃいいって

もんじゃない。」


しかし

診察に訪れる動物たちがいなければ

経営は成り立たない。

開業し10年、地域に根ざし

医療に従事し、同時に利益をあげて

従業員を抱えて、いつしか医師と

して経営者として成功した自分が

目指した場所に辿り着いたと思う

反面、小さくて穏やかなもう一つ

の自分の側面があるような気がする。


小さくて穏やかなもう一つの側面。







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