祓え!退魔ガールズ

五千歩万歩

第1話 色は匂へど散りぬるを

「私、美しい?」


 多くの人が聞いたという言葉。女性の声でそう聞こえたという。

 もしそれに「美しくない」と答えてしまったら最後、八つ裂きにされてしまうという恐ろしい言い伝えがあった。

 ただ、それは都市伝説の一つとして人々に伝わり、そしていつしか興味すら持たれなくなったという。




 しかし、年に少なくとも一人はいる。その都市伝説に挑み、そして命を落とす者が。




 * * *




「化け女の怪?」


 淹れたての紅茶を一口すすり北条ほうじょう紅葉もみじが口を開いた。


「ええ。それが今回言い渡された司令ミッションよ」


 もう一人の少女、西園寺さいおんじかえでが新たに紅茶を淹れながらそう言う。


「ひと月ほど前から廃墟近くで女の声を聞いたという声がたくさん寄せられてるわ」


 紅茶を淹れ終わり楓はお気に入りのソファに腰を下ろす。


「『私、美しい?』っていう声をね」


「具体的な被害は?」


 紅葉が身を乗り出し訊く。その際に少し紅茶が零れ彼女は熱がった。


「その質問に『美しくない』と答えると八つ裂きにされてしまうらしいわ。言葉通り全身をね」


 楓はジェスチャー混じりに答える。


「エグいな……」


「そうね」


「ウチ、今回はパスしようかなぁ……なんて」


「ダメよ、司令だもの。決して逃れられないわ」


 楓はそう嗜めた。


「わ、分かってるってぇ! 冗談だよぉ!」


 紅葉は慌てて言った。




 * * *




「紅葉よ。西園寺の娘から聞いているとは思うが、次の捕縛対象は化け女の怪じゃ」


 紅葉の祖父である清玄せいげんが紅葉に今回の司令の話をしたのは彼女が新調した薙刀の試し振りをしているときだった。この薙刀は悪霊を祓うのに欠かせない退魔巫女にとって必須の武器である。


「はい、聞いてます」


 紅葉はすぐに正座をし薙刀を手元に置く。


「奴はこの辺りを根城としている怪じゃ。気を付けてかかるがよい」


「はい!」


 祖父の言葉に紅葉は気を引き締めた。






 夜もすっかり更け、辺りには人っ子一人もいない。

 暗闇を照らす街灯もまばらで、ただ歩くのでさえも不安にさせる。

 そんな場所にある廃墟に紅葉と楓は来ていた。

 二人とも巫女装束に身を包み、通例通りの緋色の袴を穿いている。髪はこれも通例通りの黒髪で、紅葉は髪をまとめている一方、楓は腰あたりまで伸ばしていた。

 手には薙刀を握り、いつ怪が二人に襲ってきてもいいように準備は整えてある。


「まさかこんな廃墟を夜に訪ねるとは思いもしなかったわ」


 楓は廃墟のほうを見ながら誰にというわけでもなく呟いた。


「ああ。昼でも不気味なのに夜だといよいよって感じだ……」


 対する紅葉は廃墟を背に答える。

 二人は背中合わせにして辺りを窺っていた。


「でも、司令だから仕方ないわよね。ビクついていてもしょうがないわ」


 と言う楓に対して紅葉は


「相変わらず楓は割り切ってるなぁ」


 と感心した。


「それって私に対する嫌味かしら?」


 その言葉が癪に障ったのか楓が紅葉のほうに向き直った。


「いやぁ、別にそんなつもりで言ったんじゃないんだけど……」


 紅葉は慌てて訂正し


「それよりも監視を続けないと」


 と話題を逸らせた。


「まぁ、別にいいんだけどね」


 楓はそう言うと再び廃墟のほうへ目を向けた。




 ここに到着してからすでに十五分ほどは経つがまったく何の音沙汰もない。

 ひょっとすると二人の退魔巫女の気配を感じ取り防衛本能を働かせて姿を現さないのだろうか。

 二人はそう期待しつつあった。


 が、そんな淡い期待はいとも容易く崩された。






「私、美しい?」


 廃墟のほうから二人にもハッキリと聞き取れる声がした。

 女性の声で実にか細かった。

 だが、これもハッキリしている。

 その声は、自分の根城に何も言わずに侵入する二人の退魔巫女を呪わんとするような恐ろしいものであった。


 二人は思わず息を呑んだ。何の前触れもなく発せられたその声に内心驚いていたのだ。

 怪に立ち向かう経験は何度だってある。しかし、いざ自らを呪わんとする声が聞こえるとやはりたじろいでしまう。それは退魔巫女でも変わらない。いや、寧ろ退魔巫女だからこそそう思うのかもしれない。

 二人の薙刀の持つ手に力が入る。これは退魔巫女としてというよりも一人の人間として本能的にそうさせたのかもしれない。


「ど、どこ?」


 紅葉はそう言葉にした。自分でも驚くほど情けなく聞こえるその声は果たして相手に届いただろうか。


「どこにいるの!?」


 今度は強気に、怪に臆することなく言ってみる。が、返事はなかった。


「『入ってこい』ってことなんじゃないかしら?」


 ここで楓が口を開く。視線は廃墟に向けたままだ。


「廃墟に、ってこと?」


 無駄だとは分かっているが一応尋ねてみる。そして返ってきたのは


「もちろん」


 やはりであった。


「わ、分かった……」


 紅葉は頬を二、三度軽く叩いて気合いを入れ直し、薙刀に霊力を込める。これによって怪の力を封じ拘束するのだ。楓も同様のことをする。


「じゃあ行くわよ」


「あ、ああ」


 覚悟を決めると二人は廃墟の中へと足を進めた。




 * * *




 廃墟の内部はジメッとしていた。しかしそれは湿気によるものだけではない。淀んだ霊力が辺りに充満しているのである。それは紛れもなく怪によるものであった。


「イヤな感じだなぁ。ここにいるだけで吐きそうかも」


 紅葉がそう悪態をつくと楓も同意した。


「本当に。相当な恨みの念を感じるわ」


 まったくだ、と紅葉は呟く。


「さっさと終わらせよう。こんなとこ、すぐにでもおさらばしたいよ」


 そう紅葉が言ったときであった。ふと、背後に何かが掠めるのを紅葉は感じ取った。


「な、何だ!?」


 すぐに向き直り薙刀を構える。が、そこには何もいない。


「どうしたの?」


 楓が紅葉に声をかける。


「いや、何かが背後に──」


 と、再び紅葉の背後を掠めるものが。


「ぐッ!」


 紅葉はそちらのほうに薙刀を構える。が、やはり何もいない。


「完全に遊ばれてるわね」


 楓のその言葉に呼応するように周りにあるものが奇怪な動きを見せる。蛇口からは独りでに水が出て、箒が空中に舞った。まるでそれは二人をからかっているようであった。

 果たして怪は二人を客人として迎えているのか、それとも敵として襲いかかるのか。が、先ほどの声は限りなく後者に近かった。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」


 紅葉は薙刀を構える。だが、決して動きを捉えようとはしない。目で動きを追ったとして相手に弄ばれるのが目に見えているからだ。


「望むならどちらも出てほしくないわね」


 楓も紅葉と背中合わせにして薙刀を構える。


「まったくだ」


 紅葉と楓は静かに目を閉じた。






「私、美しい?」


 再び声がしたのはそれから一分もしない頃であった。先ほどよりもハッキリと聞こえる。


「やはり近くにいるわね」


 と、そのときであった。楓の背後を何かが掠めた。そして声も。


「こんなに呼びかけてるのに、どうして何も答えてくれないの!?」


 どこか感情的に聞こえるそれはひどく寂しそうであった。


「答えれば私たちを殺しちゃうでしょ?」


 楓はそう答える。


「答えによってはそんなことしないわよ!」


 怪はそう言い返す。


「どうかしら? 怪の言うことなんて当てにならないわ」


「本当よ!」


 紅葉はそんなやり取りを何も言わずに見ていた。

 おかしな光景だ。片や人間に危害をくわえる恐れのある怪、片やその怪を祓う退魔巫女。まったくおかしな光景だ。


「じゃあ、証明してみせるから答えてご覧なさいよ!」


 そう提案したのは怪のほうだ。


「分かったわ。答えてあげるわ」


 楓も同意する。そういうところは素直なのだと紅葉は思う。


「私、美しい?」


 怪が尋ねる。先ほどよりもぞんざいではあるが。


「そんなの、姿を見せてくれないと答えようがないわ」


 楓はそう答える。


「あ、確かに」


 納得したのは紅葉だ。確かに姿を見せなければ美しいかそうでないかは答えようがない。それに今さら気付いたのか、怪も「あぁ」と漏らしたのが聞こえた気がした。


「分かったわよ! 姿を見せればいいのでしょ、見せれば!」


 そう言うと、声は暫し聞こえなくなり辺りには沈黙が流れた。

 と思うと、次の瞬間には二人の目の前に一人の女性の姿があった。


 その女性は、髪型はリボンを付けた束髪崩し、矢絣柄の小紋を身に纏い、海老茶色の女袴を穿き、編み上げのブーツを履いた、いわゆる大正時代の女学生の雰囲気を醸し出していた。


「これでどう? さぁ、答えなさい! 私、美しい?」


「……えと」


 楓はその女性の姿を見て言葉を詰まらせた。美しいのだ。自分がもし男だったら確実に好きになっていたかもしれないと思う。今見て美しいと思えるなら当時の人が見たらどう思ったのだろう。絶世の美女と思ったのか。


「美しいわ……」


「え!?」


 驚いていたのは女性のほうであった。


「ど、どうして!? どうしてで美しいって言えるの!?」


「どういうこと?」


 楓は尋ねた。すると、女性が顔を俯かせる。


「私……同窓生から『美しくない』『醜い姿だ』と罵られてきた。それが辛かった。死にたいとさえも思った。こんな私がいなくても世界は何事もなく回っていくのだろうと」


 ここで女性は言葉を詰まらせた。果たして何を思い出したのだろうか。ここでそれを尋ねるのはあまりにも無粋なことであった。


「それでも必死に生きようと思った。でも、私に対する罵りは止まらなかった。却って過熱した。それに耐え切れず……私は……自ら命を絶った」


 そこまで言うと女性は二人から顔を背けた。が、二人には彼女が泣いているのを見られたくないのだと分かった。


「命を絶った、はずだったわ。だけど、今も生きてる。この学舎で生き続けてる」


 それを聞いて、二人はこの廃墟がかつての学校なのだと気付いた。その昔、この女性はここで勉学に励んでいたのだ。


「それなら……それが運命だというのなら……私は誓ったわ。私のことを美しくないと罵る人を呪ってやろうと。そして恨みを晴らそうと」


「おかしいわ!」


 気付けば楓はそう叫んでいた。女性の怪はキョトンとする。が、すぐに我に返った。


「何が? 何がおかしいと言うの?」


「全部よ! あなたが今やってること全部おかしいわ!」


 その言葉に怪は激昂した。


「あなたに何が分かると言うの!? 苦しんだ私の何が分かると言うの!?」


「分からないわ!」


「──!?」


 楓の言葉に怪は言葉を詰まらせた。


「分からないわよ、そんなの! でも、今あなたがやってることが全部おかしいのは分かる! あなたを美しくないと罵ったのはあなたの同窓生でしょ? 今の人たちはまったく関係ないじゃない!」


「それ……は……」


「そんなのはただの八つ当たりよ!」


 形勢が一気に逆転した。怪は先ほどとは打って変わって大人しくなった。


「もうこんなことはやめて。今はあなたがどうこうしていい時代じゃないの」


 そこまで言うと、楓は一旦話すのをやめた。怪の反応を待つのだ。彼女がどうするのか見極めるのである。


「私……どうすればいいの?」


 か細い声がした。彼女は俯き訊いた。


「あなたは怪です。怪である以上、私たち退魔巫女があなたを祓います」


 楓は本当のことだけを話した。


「楓……!」


 紅葉は思わず口を挟んだ。楓の冷酷な部分を少なからず感じ取ったからだ。

 楓は何も言わなかったが、口だけは「大丈夫よ」と動かしていた。


「もちろん手荒な真似はしません。祓うと言ってもこの世界から消滅させるわけではありません。あなたの身は協会のほうで保護させてもらいます」


 実に事務的だと紅葉は思った。だが、一方で賢明な判断だとも思う。自分たち人間にとっても、そして、怪にとっても。


「それでもいいかしら?」


 楓がそう訊くと、一瞬の間ののち怪は静かに首を縦に振った。

 それを見て紅葉だけでなく楓もホッと息をついていた。


「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいわ。怪を傷付けるのは私だって嫌だもの」


 事態を穏便に解決したい、楓らしい判断であったと紅葉は思った。






 それからしばらくして、怪を祓う──保護するために協会から上級退魔師の男性がやって来た。

 彼は抵抗の意思のない怪の姿を認めると車に乗るように促す。怪が乗り込むと、退魔師はそのまま車を発進させた。

 あとに残されたのは二人の退魔巫女であった。


「はぁ……また歩いて帰れっていうのかぁ……」


 紅葉は思わず愚痴を漏らす。


「しょうがないわ。私たちは退魔巫女としてはまだまだ見習いなのよ」


 楓はもう歩く準備をしている。


「それはそうなんだけどさぁ……」


「行くわよ」


 楓は歩き始めた。仕方なく紅葉もその後をついて行く。

 最寄り駅までは果たしてどれくらいの時間がかかるのか。

 今の二人にはまるで見当もつかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

祓え!退魔ガールズ 五千歩万歩 @mugiug

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ