僕とカノジョの記念すべき日

 とある週末。

 今日は僕の部屋にはじめて、みつばちゃんが遊びに来てくれた。

 みつばちゃんとは、三ツ橋菜葉ちゃんの略だ。本人は「私、三つ葉苦手なのに……嫌がらせだよ〜」と嘆いていたが、僕とヒヨ理ちゃんはけっこう気に入っている。


「ここが、ゆーじくんのおうち……はぁ、緊張するよぉっ……」


 リビングに通されたみつばちゃんは、言葉のとおりそわそわと落ち着きがなかった。


「適当に座ってて。今、飲み物用意するから」

「あっ、わたしやるっ」

「ヒヨ理ちゃんも座ってて。みつばちゃんの話し相手になってあげてよ」


 そう言い残し、僕はダイニングに向かった。多少は打ち解けてきたふたりだけど、できればもっと仲良くなってほしかった。みつばちゃんを家に招いたのは、そういう思惑もあったりする。

 僕は食器棚からお盆と人数分のグラスを取り出した。


「えっと、お菓子は……」


 食器棚の下半分は引き戸の戸棚になっている。戸を開けようと手を伸ばしたところで、思い留まる。お菓子類はたしかリビング、ここは空っぽだったはず。

 最近はヒヨ理ちゃんの財力のおかげで我が家に物が増えたので、以前は無駄でしかなかったこうしたスペースもこれからは有効活用できそうだ。

 冷蔵庫を開けると、飲み物の種類も豊富に揃っていた。以前の貧しい暮らしが嘘のようだ。リクエスト聞いておけばよかったかな? なんて考えていると、


「ゆーじくん!」


 リビングのほうから声が聞こえた。


「ゆーじくん、こっち!」


 まあなんでもいいかと、僕は適当にオレンジジュースを選んで、グラスに注いだ。お盆を持って、リビングに戻る。


「呼んだ?」


 僕が訊くと、ふたりが同時に僕を見る。ふたりとも、不思議そうな顔で首を傾げた。


「え、私? ううん」

「わたしも呼んでないよ? 早く帰ってきてほしかったけどっ」

「あれ? 変だなあ。確かに声が聞こえたんだけど」


 ていうか今の、どっちの声だっけ。ふたりともゆーじくんって呼ぶから、けっこう紛らわしい。


「あ、そっか。今ね、ヒヨ理ちゃんとゆーじくんの話してたから、それで呼ばれたように聞こえたんだと思う。ごめんね、うるさかった?」

「なんだ、そういうこと」


 納得した。僕はテーブルにグラスを置くと、ヒヨ理ちゃんの隣に腰を下ろした。


「それで、僕の話って?」

「あ、それはね……」


 なんでも、僕に興味を持ったきっかけを話していたらしい。


「わたしは、ゆーじくんが髪を褒めてくれたからっ」

「うん、そうだったね」


 あのときの笑顔は、今でも鮮明に思い出せる。


「みつばちゃんは? やっぱり、席が隣同士になったから?」

「えっ? う、うん、それもあるけど……」

「……けど?」

「えっと…………な、内緒!」

「えー」


 気になる。


「ヒヨ理ちゃんは聞いたの?」

「うんっ。でもゆーじくんには教えないっ」

「ええー」

「女の子同士の秘密っ」


 言って、ヒヨ理ちゃんはみつばちゃんと顔を見合わせ、くすくすと楽しそうに笑った。

 ほんの少しの疎外感。それ以上に、ヒヨ理ちゃんが遠くに行ってしまったような気がして、寂しさを覚えた。……だけど、僕の感傷を代償にふたりの距離が縮まったのなら、それはきっと素晴らしいことに違いない。


「……こいびと同士の秘密っ」


 と言って、ヒヨ理ちゃんはいきなりキスしてきた。柔らかい唇を力強く押しつけてくる。意味はよくわからないけど、たぶん、僕が寂しがっているのを察してくれたのだろう。

 僕はお返しに、舌を伸ばしてみた。ヒヨ理ちゃんの唇を割って、熱い口内へ侵入を果たす。ヒヨ理ちゃんの舌が、僕の口内に伸びてくる。舌と舌が触れあい、絡みあい、ぐちゅぐちゅと下品な音を立てる。


「こほんっ!!!」


 そうだった。みつばちゃんいたんだった。ヒヨ理ちゃんが慌てて顔を離して居住まいを正す。


「……私、もう帰ったほうがいいかなぁ?」


 怒っている雰囲気はなく、むしろ泣きそうな声で、みつばちゃんは言う。

 ぶるぶると首を振る、ヒヨ理ちゃん。


「お話、続けてもいい……?」


 こくこく。うなずくヒヨ理ちゃん。

 みつばちゃんは気を取り直したように口を開く。


「それじゃ、えっと……またゆーじくんのことなんだけど。ヒヨ理ちゃんはどうして、ゆーじくんのお箸に興味を持ったの?」


 今度は僕自身ではなく、僕のお箸の話らしい。


「私はね、ゆーじくんがお弁当を食べてる姿を眺めているうちに、間接キスでもいいからしたいな、って……そう思うようになって……」


 ちらちらと僕を気にしながら、恥ずかしそうに告白するみつばちゃん。


「ヒヨ理ちゃんならわかってくれるよねっ?」

「ん……みつばちゃんの気持ちはわかるけど。でも、盗むのはよくないと思う」


 冷静に、キッパリと、ヒヨ理ちゃんは言った。

 うんうん。ヒヨ理ちゃんはこっそり舐めたりゴミを漁ったりはしても、盗んだりはしないもんなぁ。合鍵を作ったときだって、その日のうちにきちんと返却してくれたし。そのヒヨ理ちゃんが言うと非常に説得力がある。


「うー……その節はごめんなさいぃ……」


 頭を抱えてうずくまってしまった。


「……ヒヨ理ちゃんは? どうして僕のお箸に興味を持ったの?」


 みつばちゃんの代わりに訊いてみる。


「えとっ、ゆーじくんには前にも話したけど――」


 そう前置きして、ヒヨ理ちゃんは語ってくれた。

 僕たちが晴れて恋人となり、はじめて一緒にお出かけした日の夜。一緒に晩ごはんを食べたあと、僕のお箸が気になってドキドキが止まらなくなったヒヨ理ちゃんは、ひとりでこっそり××××ぺろぺろした。


「ゆーじくんがお口に含んだものなんだって思ったら、我慢できなくてっ」

「それが癖になって、次の日は朝からゴミ袋を漁ってたんだよね」

「恥ずかしいから言わないでっ」


 あのパンパンに膨らんだゴミ袋も、もはや懐かしい。今はヒヨ理ちゃんがいるし、大きなゴミ箱も買った(買ってもらった)し、もうあそこまで溜めこむことはないだろう。


「……………………あ、れ?」


 なんだろう。

 ……なにかが。

 なにかが、引っかかる。

 ゴミ袋……?


「ゆーじくん? だいじょうぶ?」

「……あ、そうか」


 ヒヨ理ちゃんと付き合い始める前。僕は、あのゴミ袋に違和感を覚えていたはずだ。普段から緩めに縛っていたはずなのに、開けようとするたび、結び目がキツくなっている気がしていた。

 僕は最初、それを自分の不手際だと思っていたけど……ヒヨ理ちゃんがゴミ袋を漁る姿をこの目で目撃したからか、僕は自分でも無意識のうちに、アレもヒヨ理ちゃんの仕業だったのだろうと結論づけていた。

 だけどヒヨ理ちゃんの口ぶりだと、お箸に興味を持ったのは僕と付き合ってからということに……


「ねぇヒヨ理ちゃん、ちょっと確認したいんだけど、そのドキドキが止まらなくなった日にはじめて、僕のお箸に興味を持ったの?」

「……? うんっ。お揃いのお箸には前から興味津々だったけど、舐めたいなって思ったのはあのときがはじめてっ」


 いや、だとしても別におかしくはないか。ゴミ袋の中にあるのはなにも割り箸だけじゃない。箸以外のものを目当てにゴミを漁っていた可能性は充分に考えられる。


「そっか。じゃあ、ゴミを漁ったのもあのときがはじめて?」


 けれど、ヒヨ理ちゃんの返答は――


「そうだよ? あんなことしたのなんて、ゆーじくんに見られたあのときが最初で最後っ。一生の不覚かもっ」


 ヒヨ理ちゃんが僕に嘘をつくはずがないので、それは真実なのだろう。……けど。


「……」


 細かいことを気にしない僕にしては珍しく、妙に気になってしまう。

 僕はヒヨ理ちゃんとみつばちゃんに、考えていることをすべて話した。


「そんなことがあったんだっ……泥棒?」

「いや、たぶん気のせいだとは思うけどね」

「……ゴミ袋かぁ」


 みつばちゃんはどこかうっとり夢心地な顔で、ぼそりと言った。


「もしかして……こっそり忍びこんだみつばちゃんが、夜な夜な……」

「そうだったんだっ、全然気づかなかったっ」

「しないよっ! ヒヨ理ちゃんも信じないで! たっ確かに、もし私がここに住んでたらゴミくらい漁っちゃうかもだけど……!」

「やっぱり」

「やっぱりっ」


 ヒヨ理ちゃんとふたりきりで過ごす日々は幸せにあふれてるけど、そこにみつばちゃんが加わっても、それはそれで悪くないと思った。

 ……ま、いいか。こんなこといつまでも気にしてたって仕方ない。ここは僕らしく、きれいさっぱり忘れることにしよう。


「あ、そうだっ、気のせいといえばっ」


 なにか思い出したのか、ヒヨ理ちゃんがはっとした顔をして僕を見る。


「うん?」

「ゆーじくんのお部屋に置かせてもらってる、わたしのおむつあるでしょ?」

「うん」

「なんかね、最近、やけに減りが早い気がするの……」

「え?」

「ちゃんと数えてるわけじゃないから、たぶん気のせいだとは思うんだけどっ」


 ……う〜ん? どういうことだろう?


「おむつ?」


 みつばちゃんが不思議そうに首を傾げる。


「あっ」


 しまったという顔をするヒヨ理ちゃん。首から上が、徐々に赤く染まっていく。


「えっと……実はわたしっ、子どものころからトイレが近い体質でっ――」


 と、ヒヨ理ちゃんが恥ずかしそうに説明を始めた、そのときだった。


     がたがたっ


 ダイニングのほうから、物音が聞こえた。


「……なんの音?」


 みつばちゃんが振り返る。


「なんか落ちたのかも」


 僕がそう言った、次の瞬間、


 コンコンコン! コンコンコン!


 扉を激しくノックするような音が聞こえてきた。玄関じゃない、もっと近い場所から聞こえた。


「……なんの音?」


 みつばちゃんの台詞を復唱しながら、ヒヨ理ちゃんが僕の腕にしがみついてくる。

 僕は立ちあがり、ダイニングに向かった。ヒヨ理ちゃんとみつばちゃんも、僕の背中に隠れるようにしながらついてくる。

 ぐるりとあたりを見回す。特に異状は見当たらなかった。


「……?」


 僕は首をひねって、踵を返そうとした。


 コンコンコンコン!! コンコンコンコン!!


「ひゃぁっ!」

「なに!?」


 声をあげる女の子ふたりを背中にかばいながら、僕はゆっくりと、音の出どころへと近づいた。

 音は、食器棚から聞こえてきていた。正確には、食器が入れてあるスペースの下、引き戸タイプの戸棚の中から。人ひとりが収まるくらいの広さはあるだろう。

 僕はそっと手を伸ばし、引き手に指先を引っかけた。

 そして……

 ――ガラガラガラッ!!

 ひと思いに、開けた。




 ――――やっと会えたね、ゆーじくん♡




♡おしまい♡

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヒヨ理ちゃんはとびきり可愛いので僕の使用済お箸をぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡れろぉ♡♡♡していたところで別に引かないし許しちゃう かごめごめ @gome

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ