優しい僕でい続けよう

 昨日ついに自宅へ帰ったヒヨ理ちゃんは、着替え一式を鞄に詰めてお泊りにやってきた。自宅滞在時間、約一時間。もはや完全に同棲だ。次の帰省はお盆かなあ。

 結局また夜遅くまでイチャイチャしてしまい、今日もヒヨ理ちゃんの昼食は菓子パンだ。



 昼休みになって、僕は椅子を持参してヒヨ理ちゃんの席まで出向いた。ヒヨ理ちゃんの机に、比較的距離の近かった三ツ橋さんの机をくっつけて、そこへ僕がお邪魔する格好だ。

 ヒヨ理ちゃんも一緒でいいのか三ツ橋さんに訊ねてみたところ、嫌な顔ひとつせず、あっさりと了承してくれた。最初からそのつもりだったらしい。

 三ツ橋さんは二人分のお弁当箱を、ヒヨ理ちゃんはカスタードクリームのコロネを、それぞれ取り出した。


「はいこれ、日向井くんのぶん」

「ありがとう」


 なかなか大きな弁当箱だ。食材が余っていただけのことはある。


「ところで、その……ごはんの前に、ひとつ訊いてもいいかな?」


 三ツ橋さんはどこか切り出しにくそうにしながら、僕に視線を向けてくる。


「うん。なに?」

「日向井くんと鼎さんって……お付き合いしてる、ってことでいいんだよね?」

「うん、そうだね」

「あ、やっぱりそうなんだ。休みが明けたらいきなりすっごく仲良くなってるんだもん、びっくりしたよ〜」


 ほわほわ笑顔であっけらかんと言う三ツ橋さん。そこに昨日の必死さは微塵も感じられなかった。


「うん、すごくお似合いだと思う! おめでとう! 私、二人のこと応援するからね!」

「ありがとう」


 ……これは、諦めてくれたってことでいいのかな。それとも、僕に気があるというのがそもそも自意識過剰だったのかな?

 まあ、なんでもいいか。ヒヨ理ちゃんと一緒にいられるのなら。


「それじゃ食べよっか」


 みんなで手を合わせてから、僕はお弁当の包みを広げて、フタを開けた。……あれ?


「どう……かな? 苦手なものとか入ってない?」

「うん、それは大丈夫だし、見た目もおいしそうだけど……僕のぶんの箸って、あるのかな?」

「え? ……あ!」

「もしかして?」

「うん、ごめん……忘れちゃったみたい」


 普段から僕の割り箸を用意してくれていた三ツ橋さんが、そんな凡ミスをするなんて。意外とおっちょこちょいなところもあるんだなあ。


「あのこれっ、私のでよかったら、使って!」

「そしたら三ツ橋さんが食べられなくなっちゃうでしょ」

「そうだよね……あ、じゃあさ、こういうのはどう?」


 三ツ橋さんは僕のお弁当箱からアスパラのベーコン巻きを掴むと、反対の手を受け皿にして僕の口元まで運んでくる。


「はいどうぞ」


 ぱくり。


「で、次は私が……」


 今度は三ツ橋さんが、自分のお弁当を一口食べた。


「こ、こんな感じで、交互に食べていくの。どうかな?」

「なるほどね。じゃあそうしよう」

「本当にごめんね、私がうっかりしてたばっかりに……」

「気にしなくていいよ。食べられればいいんだし」

「……ありがとう。優しいね、日向井くんは」


 そう言って三ツ橋さんは、僕のお弁当箱に箸を伸ばした。


「じゃあ、はい、日向井くん。あーん」


 口を開ける。


「……おいしい?」

「うん、おいしいよ」

「ほんとう? よかった」


 ヒヨ理ちゃんの作る料理には及ばないけど、充分おいしい。

 僕が咀嚼しているあいだ、三ツ橋さんは自分のおかずに箸を伸ばしている。


「……おいしいんだ」


 ぼそり、と。隣から声が聞こえた。


「ヒヨ理ちゃん?」

「おいしいんだっ、そうなんだっ」


 ちょっぴり怒ったような口調で言うヒヨ理ちゃんは、ちょっぴり涙目になっている。

 心中を察した僕は、ヒヨ理ちゃんの耳元に顔を寄せる。三ツ橋さんに聞こえたら悪いので、小声で囁いた。


「でも、ヒヨ理ちゃんが作ってくれたごはんのほうが、僕は好きだよ」

「……ふぁっ。ぁ、ありがとっ」


 すぐに顔を真っ赤にして照れるヒヨ理ちゃん。可愛いとしか言いようがない。


「ね、日向井くん、次はこれ食べてみて? はい、あーん」


 僕は反射的にあーんしようとして、その前にちらりと、隣に視線を向ける。む〜っ、と不満げな顔のヒヨ理ちゃんと目が合った。


「ちょっと待って、三ツ橋さん」


 断りを入れて、ヒヨ理ちゃんに向き直る。


「ヒヨ理ちゃん、やっぱり怒ってる?」

「お、おこってないっ」

「と言いつつ、本当は怒ってるでしょ?」

「…………ちょっとだけっ」

「やっぱり」

「ち、ちがうの! ゆーじくんに怒ってるわけじゃなくてっ」


 と、そこまでヒヨ理ちゃんが言ったとき、三ツ橋さんが「あっ」と声をあげた。


「ごめんね、そうだよね! 私がこんなことしちゃだめだよね! ごめんね鼎さん、私、気がつかなくて……」


 申し訳なさそうに言って、三ツ橋さんはヒヨ理ちゃんに箸を差し出した。


「はいこれ、鼎さんにバトンタッチ!」

「えっ、えっ。……いいんですか?」

「うん、もちろん! やっぱり、あーんは彼女の特権だと思うし! あ、私のことなら気にしなくていいよ? 職員室で割り箸もらってくるから!」


 言い終わると同時に席を立ち、三ツ橋さんはぱたぱたと教室を出ていった。

 きょとんとした顔で見送るヒヨ理ちゃんの肩を、ちょんちょんとつつく。


「ヒヨ理ちゃんヒヨ理ちゃん」

「?」

「あーん」

「!」


 ヒヨ理ちゃんは意気揚々とお弁当箱から唐揚げを掴むと、僕の口の中に運んだ。


「……おいしい?」

「うん、おいしいよ。ヒヨ理ちゃんの料理ほどではないけど、三ツ橋さんの料理も僕は嫌いじゃないなあ。むしろ好きかも」

「そ、そうなんだ……」


 目に見えてしょんぼりとするヒヨ理ちゃん。僕は続ける。


「だけど――僕が好きな人は、ヒヨ理ちゃんだけだから」

「……ふぇぇ?」

「ヒヨ理ちゃん、一人だけ。僕はヒヨ理ちゃんのことしか好きにならない。ヒヨ理ちゃんのことが好きすぎて、ヒヨ理ちゃん以外の女の子に興味がなくなっちゃったんだ。だから安心してね」

「…………もっかい言って?」

「好きだよ、ヒヨ理ちゃん。大好きだよ、ヒヨ理ちゃん。愛してる、ヒヨ理ちゃん」

「〜〜〜〜〜っっ!? わ、わたしもっ。わたしもゆーじくんのこと愛してるっ! ゆーじくん好きっ、ゆーじくん大好きっ、ゆーじくん愛してるっ!!!」


 そうして、愛の言葉を囁きあいながら、僕たちは幸せなひとときを過ごした。

 戻ってきた三ツ橋さんは、イチャイチャする僕たちを終始微笑ましそうに眺めていた。


「……うん、ちゃんと応援できそう。相手が鼎さんでよかった」


 耳に届いたそんな言葉は、胸の内にそっと仕舞った。



 ――事件が起きたのは、その翌日だった。

 昼休み。僕がトイレから戻ってくると、ヒヨ理ちゃんの姿がなかった。おかしいな、さっきまではいたんだけど。

 けどヒヨ理ちゃんのことだから、たぶんトイレだろう。おむつはもう穿いてないし。


 今日のお弁当はヒヨ理ちゃんが作ってくれたけど、これからは三人で食べようと昨日約束している。僕は机を運ぶのを手伝おうと、三ツ橋さんの席に向かおうとして、気づいた。

 三ツ橋さんもいなくなってる。二人揃ってトイレかな。

 まあいいや。今のうちに机を移動させておこう。そう思って、僕は三ツ橋さんの席に近づいた――そのときだった。

 ふいに、ザザザッ……とノイズのような音が聞こえた。反射的に頭上を見あげる。音は教室に備え付けのスピーカーから聞こえてきていた。


『聞こえてますか、ゆーじくん。日向井ゆーじくん。今すぐ放送室まで来てください』


 ……放送室? どういうことだろう。

 僕は、じっと放送に耳を傾けた。


『繰り返します。日向井ゆーじくん、今すぐ、今すぐに放送室まで来てください。じゃないと、この人のこと刺しちゃうかも』


 その言葉を最後に、放送はピタリとやんだ。

 いったいどういう状況になっているのかさっぱりわからないけど、僕は喧騒に包まれる教室を飛び出し、放送室へ急いだ。

 放送室の扉の前には、すでに大勢の野次馬と数人の教師が集まっていた。僕は野次馬をかき分け、顔見知りの先生に声をかけた。


「先生」

「おお、日向井か! この騒ぎはいったいどういうことなんだ?」

「僕にもよくわかりません」

「そうか……弱ったな」

「ここは僕に任せてもらえませんか? 中にいるの、僕の彼女なので」

「はぁ、なるほどな、つまり痴情のもつれか……。しかし一人で大丈夫か? なにやら物騒なことを言っていたが……」

「おそらく問題ないかと」

「そうか、んじゃ任せるが……。しかしおまえ、いったいなにやらかしたんだ? ここまで追い詰められるなんてよっぽどだぞ? どうせあれだろ、二股だろ? いや三股か? 若いころに遊んでおくのを悪いこととは言わんが、あんまり寂しがらせるもんじゃないぞ。大事な彼女なんだろう?」

「? はあ、まぁ」


 適当な返事をしながら、扉をノックする。


「来たよ」


 少し間があって、それから、ガチャリと鍵の開く音がした。

 僕はノブをひねって、室内へと足を踏み入れた。下手に介入されても面倒なので、きっちりと扉を閉めて鍵をかける。

 中にいたのは、二人だけだった。


「よかったぁ、本当にゆーじくんだ。ちゃんと来てくれたんだ」


 ほっと安堵したように、三ツ橋さんは言った。


「ゆ、ゆーじくんっ……」


 困惑した表情で僕の名前を呼ぶ、ヒヨ理ちゃん。ヒヨ理ちゃんの華奢な身体は背後から三ツ橋さんに拘束され、首元には凶器が突きつけられていた。


「ヒヨ理ちゃん、大丈夫? 怪我はない?」

「う、うんっ……それはへいき、だけど」


 ヒヨ理ちゃんは首をひねり、背後に目を向けた。


「だめだよ鼎さん。怪我したくなかったら、じっとしててね?」


 三ツ橋さんは、凶器の先端でつんつん、と首筋をつついて、


「動いたら、間違ってぷすっと刺しちゃうかもしれないから……だから、逃げようだなんて思わないでね」


 優しげな声色で、諭すように言う。


「ゆーじくん……」


 ヒヨ理ちゃんはかすかに涙目になって、助けを求めるように僕を見てくる。


「大丈夫だよ、すぐに助けてあげるから。ヒヨ理ちゃんはじっとしてて」

「うん……」


 僕は、三ツ橋さんが握りしめた凶器に目を向けた。

 その凶器は――箸、だった。

 そしてその箸に、僕は見覚えがあった。


「それ……僕の箸?」


 以前僕が使っていた、失くしてしまった箸と、それは同じデザインだった。


「うん、そうだよ〜」


 三ツ橋さんは、あっさりと白状した。


「私が、ゆーじくんから盗んだの。ゆーじくんって隙が多いから、簡単に盗めちゃうんだよね。だからほら、」


 言って、三ツ橋さんは放送用の機材が置いてある机に手を伸ばす。


「見て! こ〜んなにたくさん! これぜんぶ、ゆーじくんの使用済お箸なんだよ! すごいでしょ?」


 箸の束だった。どれもこれも、僕が失くしたと思っていた箸だ。その中には、いつも三ツ橋さんからもらっていた竹製の割り箸も混じっていた。


「すごいね。まあ、盗まれたことはもう済んだことだし、別にいいんだけど。それよりも……なんで箸なんか盗んだの?」

「理由? 知りたい?」

「うん」

「こうしたかったから」


 三ツ橋さんは見たことのない妖艶な表情を浮かべると、ぺろりと舌を出してみせた。そして、


 れろぉ〜〜〜〜っ♡♡♡♡♡


 と、箸の束を舐めあげた。


「はぁぁ♡ おいしいよぉ、ゆーじくんのお箸……♡」


 頬を赤く染め、うっとりと瞳を潤ませる。

 なるほど。つまり、三ツ橋さんはやっぱり僕のことが好きらしい。

 なら、こうしてヒヨ理ちゃんを人質に取り、僕を呼び出した理由もだいたい想像がつく。


「じゃあ三ツ橋さんの要求は、ヒヨ理ちゃんと別れろってこと?」


 けれど三ツ橋さんは、笑顔で首を横に振った。


「違うよ〜? 私、ふたりのことは応援してるんだ」

「そうなの?」

「うん! 確かに私はゆーじくんのことが好きだよ。だいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだぁぁ〜〜〜い好き! けどね、ゆーじくんが鼎さんのことを意識してるのは前から気づいてたし、異性としての私に興味がないことも気づいてたから。だからって、いくら私のことを見てくれないからって、鼎さんと別れてー、なんて自分勝手なことは言えないよ。そんな自己中じゃないもん私。ちゃんとね、ちゃんと、ゆーじくんの幸せを祝福できるよ。ゆーじくんと鼎さんがお付き合いしてても、笑顔で許してあげられるよ。偉いでしょ? 偉いよね? 私、いいお嫁さんになれるかなぁ? ……なんて、私もう、誰とも結婚する気ないんだけどね? あははっ」


 ……だったらどうして、こんなことを?

 訊ねる間もなく、三ツ橋さんは話を続ける。


「あっ、結婚といえば! 式を挙げるときはぜったい私も呼んでね! ふたりの友人代表として、スピーチとかしちゃうから! えーこほんっ、友人代表の三ツ橋菜葉です。新郎のゆーじくんと新婦のヒヨ理ちゃんは、学生時代もすごく仲良しで、学校でもずっとイチャイチャしてました。だけど、お昼ごはんの時間だけは、ゆーじくんはヒヨ理ちゃんから離れて、私と一緒に過ごしてくれました。やがて進学して大学生になっても、ゆーじくんとヒヨ理ちゃんは変わらずアツアツでした。もうエッチもしちゃったのかな? だけどやっぱり、お昼だけは、ゆーじくんは絶対に私と食べてくれました。そして現在、ついに結婚したゆーじくんとヒヨ理ちゃん、ふたりはもちろん同棲しています、そのくらいラブラブです。それでもゆーじくんはお昼休みになると決まって会社を抜け出して、私のもとへと駆けつけてくれて、私とふたりきりで幸せそうに愛妻弁当を食べるのでした♡ おしまい♡」

「……??」


 全然意味がわからなかった。

 僕の困惑を察してか、三ツ橋さんは真剣な瞳を僕に向けた。


「……日向井くんが鼎さんのことを好きでも、鼎さんが日向井くんのことを好きでも。ふたりがどれだけ愛しあっていても、私、我慢できるよ。納得もできるし、祝福もできる。でもね、だけどね?」


 三ツ橋さんは、悲しみと怒りが混じりあったような、そんな複雑な笑みを浮かべて言った。


「お昼の時間を奪われちゃったことだけは、私、どうしても許せなかったんだぁ」

「……」

「ゆーじくんが独りで過ごすのが好きなことは知ってたから、嫌われたくなくて、お昼以外はなるべく話しかけないようにしてたんだ。だから、お昼休みだけが、私のすべてだった。かけがえのない時間だった。私は、ゆーじくんとお昼ごはんを食べられるだけでよかった。それなのに……」


 三ツ橋さんは箸の先を、ヒヨ理ちゃんの頬にぐりぐりと押しこんだ。


「い、いひゃいっ……」

「痛くしてるの」


 冷たく、平坦な声だった。


「鼎さんがいけないんだよ。日向井くんのこと、譲ってくれないから。お願いしたのに。あんなにお願いしたのに。お昼だけでいいって言ったのに」

「……みんなで食べよ?」

「それじゃだめなの! 試してみたけどだめだった! ゆーじくんとふたりきりじゃないと、私は幸せになれないの! ……だから、ねぇ、日向井くん」


 そして三ツ橋さんは、懇願するような目で僕を見た。


「お願いします! 今までみたいに、また、一緒にお昼ごはんを食べてくれないかなぁ?」

「あのさ、三ツ橋さん。三ツ橋さんは本当に、僕と一緒にお昼ごはんを食べたいの?」

「うん、そうだよ! それだけでいいの! ほかにはなにも求めないから!」

「もし、嫌だって言ったら?」

「そのときは、鼎さんのこと刺しちゃうかも? このゆーじくんのお箸で♡」


 僕の口から、自然と溜息が漏れた。どんな思考回路してるんだろう、言ってることがめちゃくちゃだ。


「三ツ橋さん、わかってる?」


 優位に立っているつもりなのか、得意げな表情を崩さない三ツ橋さんに、僕は言った。



「そんなことしたら、僕はもう二度と、一緒にごはん食べてあげないよ」



 床に落下した箸が、カシャンと軽い音を響かせた。


「――――え?」


 三ツ橋さんの表情が、一瞬にして凍りつく。


「今ならまだ、一緒に食べてあげてもいいけど。三人一緒でよければね」


 ヒヨ理ちゃんを傷つけようとしたこと、怖い目に遭わせたことが許せない。許したくない。そういう気持ちはゼロじゃない。

 だけどヒヨ理ちゃんいわく、僕は優しいから。ヒヨ理ちゃんに愛してもらえる僕でいたいから。だから僕は――優しい僕でい続けよう。

 もちろん、ヒヨ理ちゃんが許せないと言えばそれまでなんだけど、ヒヨ理ちゃんのことだから簡単に許しちゃうだろうし……。

 三ツ橋さんはひどく青ざめた顔をして、崩れ落ちるように床に膝をついた。背中を丸めて、顔面を床に密着させる。


「ご、ごめっ、ごめんなさい……ごめんなさい! 日向井くん! ごめんなさい! 謝るからっ、なんでもするからっ、だからぁ……」

「違うでしょ?」


 僕は最大限の優しさをこめて、諭すように言った。

 ビクリと肩を震わせ、顔をあげた三ツ橋さんは、すがるような目をしてヒヨ理ちゃんの脚にしがみついた。


「鼎さん、ごめんなさい! 痛くしちゃってごめんなさい! 怖い思いさせちゃってごめんなさい〜〜っ!! もうこんなことしませんからぁっ、日向井くんのことっ、譲ってなんて言わないからぁ……! だからっ、いっしょにっ、ごはぁんっ……!」


 しゃくりあげながら懇願する三ツ橋さんに、ヒヨ理ちゃんは困ったような顔で言う。


「……うん、みんなで仲良く食べよ?」

「うわあぁぁぁん! 鼎さぁぁぁんっ!! ごめんねっ、ありがとっ、ありがとぉっっ……!!」


 涙まで流している三ツ橋さんに、僕は言った。


「結局三人一緒だけど、それはいいの? ふたりきりじゃないと幸せになれないんじゃ……?」

「いいの、いいですぅ……! 三人でも四人でもいいからぁっ、私もっ、仲間に入れてぇっ……私はゆーじくんといっしょならそれでいいのぉっ……!!」


 小さな子どものように泣きじゃくる三ツ橋さんをなだめながら、僕は安堵した。

 よかった。これにて一件落着だ。



 先生が気を利かせてお説教を後回しにしてくれたので、僕たちは三人揃って教室に帰ることができた。

 もうあまり時間がないけど、急いでお昼ごはんを食べるとしよう。


「あの、これ……」


 ヒヨ理ちゃんお手製のお弁当を取り出していると、三ツ橋さんはおずおずとなにかを差し出してきた。


「お、お返しします!!」


 さっきの箸の束だった。


「いや、いいよ。三ツ橋さんにあげる」

「やっぱり汚いって思うよね……私が舐めた箸なんて」

「う〜ん、というか、僕にはこれがあるから」


 言って、ヒヨ理ちゃんとお揃いの箸を手に持った。さっそくお弁当をかきこむ。うん、めちゃくちゃおいしい。


「それ……ゆーじくんが前に使ってたお箸……?」


 箸の束を見て、不思議そうに首を傾げるヒヨ理ちゃん。さっきのやり取りはあんまり聞いてなかったのかな?


「うん、私が盗んだの……」

「……それで、すぐ変わっちゃってたんだ」

「ヒヨ理ちゃんは、それが僕の箸だって、見ただけでわかったんだよね?」


 訊くと、ヒヨ理ちゃんはどこか気まずそうに目を逸らした。


「……うん。わたし、ゆーじくんとお付き合いする前から、ゆーじくんのこと見ててっ。それで……お揃いのお箸にしたくて、おんなじの探したりしてたのっ」


 やっぱりそういうことだったんだ。さすがに偶然「同じ」だったってことはないだろうし。


「でも、せっかくお揃いのが見つかっても、ゆーじくんのお箸はすぐに別のに変わっちゃうから、悲しかった……」


 なるほどなあ。


「お揃いにしようとしてたのは、僕も気づいてたよ。僕もヒヨ理ちゃんのこと見てたから」


 あのころは漠然と、ヒヨ理ちゃんは僕に好意があるのかも、くらいにしか思ってなかった。ヒヨ理ちゃんが大のお揃い好きだと判明した今となっては、いろいろ納得だ。


「……わたし、気持ち悪かった?」

「え?」

「だって、まだお付き合いしてないうちから“お揃い”にするなんてっ、ストーカーみたいで気持ち悪いよね?」


 あぁ、そっか。この前、あんなに必死になって誤魔化そうとしてたのは、お揃いにしてたことが恥ずかしかったんじゃなくて、気持ち悪がられるかもっていう不安があったからなんだ。


「全然、気持ち悪くなんてなかったよ。そうじゃなくて、もっと別のことを思ってた」

「……どんなこと?」

「ヒヨ理ちゃんは可愛いな〜、って」

「っ!!!」


 顔を真っ赤にして悶絶するヒヨ理ちゃんを眺めながら、僕は早々にお弁当を完食した。


「ごちそうさま。とってもおいしかったよ、ありがとう」

「ど、どういたしましてっ。おそまつさまでしたっ」


 ヒヨ理ちゃんは自分のお弁当を食べる手を止めて、空になった僕のお弁当箱をまじまじと見ている。正確には、お弁当箱の上――僕の使用済お箸に視線が注がれていた。

 ちら、とヒヨ理ちゃんが僕を見る。


「いいよ」


 僕の許可が下りると、ヒヨ理ちゃんは光の速さで箸を掴み、口元へ持っていく。そして――


「ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡れろぉ♡♡♡」


 それはそれは幸せそうな顔をして、僕のお箸を舐めるのだった。


「あ、あの!」


 今まで黙々とお弁当を食べていた三ツ橋さんが、急に身を乗り出して迫ってきた。


「どうかした?」

「え、えっとね、実は! ……ううん、やっぱりなんでもない!」


 言って、じっと俯いてしまう。


「……?」


 なんだろ?


「そこまで言われたら気になるんだけど?」

「……そう? じゃあ……や、やっぱり迷惑だと思うし、やめとくね……」

「だから気になるって」


 三ツ橋さんはまた顔を俯け、机の下に視線を落とす。

 あれ? もしかして……


「なんか隠してる?」


 僕が首を伸ばして机の下を覗きこもうとすると、三ツ橋さんは机に突っ伏すようにして視界を遮った。


「…………べっ、別に?」


 どうやら図星みたいだ。


「見せてよ。迷惑だなんて思わないから」


 たぶん。


「…………」


 葛藤しているのか、背中を丸めたまま微動だにしなかった三ツ橋さんだが、やがてゆっくりと身体を起こした。そして意を決したように、


「あ、あのね、私!」

「うん」

「…………またお弁当作ってきたの」


 顔を真っ赤にしながら、小さな声で言って。机の下から、四角い包みを取り出した。


「っていらないよね! ごめんなさい、見なかったことにして!」


 あははと作り笑いを浮かべて、すぐに引っこめようとする。先ほどの一件が尾を引いているのか(もう終わったことなのに)、どこか卑屈になっているように感じる。


「ありがとう、もらうよ」


 僕はほとんど強引に弁当箱を奪い取った。


「……いいの? もらって、くれるの……?」

「うん。まだ全然入るしね」

「彼女でもない女の子からもらっても、迷惑なだけじゃない……?」

「まあ確かに、どうでもいい相手からもらったら反応に困りそうだけど。三ツ橋さんは僕の大事な友達だから、純粋にうれしいって思うよ」

「…………」


 三ツ橋さんは表情を固まらせ、じっと僕を見つめる。


「三ツ橋さん?」

「ゆっ」

「?」

「ゆーじくぅぅぅぅん!! ありがとぉぉぉっっっ!! うれ゛じいよぉぉぉぉぉ〜〜〜っっ!!!」

「そんなに?」

「うわぁぁぁぁぁん!! ゆーじくんがっ、また私のこと友達ってぇ! 友達って言ってくれたぁぁぁぁ〜〜〜っっ!!」


 そんな些細なことでここまで喜んでくれるなんて。三ツ橋さんって意外と感情豊かな子だったんだなあ。

 お箸をぺろぺろするヒヨ理ちゃんとむせび泣く三ツ橋さんに挟まれながら、僕は三ツ橋さんのお弁当もぺろりと完食した。


「ごちそうさま」


 言って、空のお弁当箱と使用済お箸を三ツ橋さんに返した。

 三ツ橋さんの視線は、やっぱりお箸へと向けられていた。


「そのお箸は三ツ橋さんのだから、三ツ橋さんの好きにしていいよ」

「本当!? ……いいの?」

「いいよ」

「……鼎さんは? いいの? 彼氏が使ったお箸を舐められるなんて、嫌じゃない?」

「みんなでぺろぺろしよっ」

「……! うん!!」


 ぱくり、と箸の先端を咥えこむ三ツ橋さん。ちゅうちゅうとおいしそうにしゃぶり始める。

 一方のヒヨ理ちゃんも、お箸を舐めるのに夢中だった。とっても幸せそうだ。まだ自分のお弁当食べ終わってないけど、大丈夫かな。


 ふと、思った。

 このふたり、もしかしたら友達になれるんじゃないかな。なんか、そんな気がする。

 僕の使用済お箸をぺろぺろするのが好きだという、そんな共通の趣味があれば、きっと――。

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