ぺろぺろ、ちゅぱちゅぱ/ちょろろろ、じわぁ
目が覚めて、まず最初に感じたのは、重みだった。
ヒヨ理ちゃんが僕の上に覆いかぶさったまま、すやすやと寝息を立てている。それはいい。
次に感じたのは、違和感だった。腰から下が、妙に冷たく感じる。もっと言えば、濡れたような感触があった。
「……?」
ヒヨ理ちゃんを起こさないように、そ〜っと自分の下半身をまさぐってみる。やっぱり濡れてる。けどパンツまでは濡れてないみたいだし、そうなると、考えられる可能性はひとつしかなさそうだ。
「ヒヨ理ちゃん、起きて。ヒヨ理ちゃん」
「……んぅ?」
んぅ? は確かに可愛いけど、今はそれどころではないかも。
「ふぁ……おはよ、ゆーじくん」
「おはようヒヨ理ちゃん。大変なことになってるよ」
「ふぇ……?」
ヒヨ理ちゃんは寝ぼけ眼で枕元の置き時計に目を向けた。
「ほんとだっ、もうこんな時間っ。早く学校行かないとっ……」
「あ、ほんとだ」
もう二時間目が始まっている時間だった。完全に遅刻だ。
元々適当な生活を送っていたけど、ヒヨ理ちゃんと付き合いだしたことでますます自堕落になってしまった気がする。
「まあ、それは置いといて。ヒヨ理ちゃん、なんか変な感じしない?」
「……? ……。……! ……!!」
最初は不思議そうにコクンと首を傾げていたヒヨ理ちゃんだったが、表情は次第に驚きへ、そして焦りへと変化していく。おそるおそるといった様子で、自らの下半身へと手を伸ばす。
「……ゆだんしました」
ぽつりとつぶやく。
「もしかして、普段からしちゃったりする?」
トイレが近い体質だとは聞いていたけど。
「と、ときどき……」
「そうなんだ」
「ほ、ほんとにたまにだけどっ。月一回くらいっ」
「なるほどね」
そういえば、普段はおむつを穿いて寝ているようなことを前に言っていたけど……一昨日買った例のおむつは、未開封のまま部屋の片隅に置かれていた。僕ももっと気にかけてあげればよかったんだけど、昨日は特にずっとイチャイチャしっぱなしで、それどころじゃなかったもんなぁ。
「とにかく、まずは着替えよう? 気持ち悪いでしょ?」
「う、うん……。そのっ、ズボンとベッド、汚しちゃってごめんなさいっ」
「そんなこと気にしなくていいよ、洗えばいいんだから」
僕は上体を起こして、ベッドの
「じゃあヒヨ理ちゃんは洗面所で着替えておいで。僕はここで着替えるから」
「うん……」
ヒヨ理ちゃんはベッドから降りて、そしてふとなにかに気づいたように周囲を見回した。
「……ない」
「え?」
「きがえ、ないかもっ」
「ええ?」
だけど制服は、きちんとハンガーにかかっている。ということは……?
「ぱ、ぱんつ……」
「あー」
そうだった。ヒヨ理ちゃんはパンツを一着しか持ってない。
ヒヨ理ちゃんが今穿いているのは、僕が貸したトランクス(とジャージ)だ。一昨日の昼に洗濯したおもらしパンツは、昨日一日じゅうヒヨ理ちゃんが穿いていて、今は洗濯カゴの中で眠っている。
「カゴの中から取ればいいんじゃない?」
「そんなの汚いからっ」
「一日穿いてたくらいなら大丈夫だよ」
ヒヨ理ちゃんは汚くないから、なんの問題もない。
「ちがくてっ、本当に汚いの。あのっ……濡れちゃってるからっ」
「?」
僕の知らないあいだにおもらし? と思ったけど、答えはそうじゃなかった。
「昨日、ずっとゆーじくんとキスしてたでしょ? ……だからっ」
告白するヒヨ理ちゃんの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
……なるほど。それを穿き直すのは、確かに抵抗があるかもしれない。
「うーん、困ったね」
唯一所持しているパンツは穿けない。かといってノーパンは論外。となると……。
「また、ゆーじくんの貸してほしいっ」
「え? う〜ん……だけど、もし見えちゃったときのことを考えると、まずいよね?」
「へ、へいきっ」
「だめだよ」
トランクスを穿いているなんてことがもしバレたら、ちょっとした騒ぎになってしまう。ただでさえ、ヒヨ理ちゃんは噂の対象になりやすいんだから、気をつけないと。
となれば、どうするか。
ヒヨ理ちゃんを一旦家に帰す。コンビニで買ってくる。選択肢はいくつかあるけど――僕の視線は、自然と部屋の片隅へと吸い寄せられた。
「おむつは?」
「おむつ?」
「あれなら、ちらっと見えたくらいならパンツに見えるだろうし。それに、おもらしの心配もなくなるから一石二鳥じゃない?」
「た、たしかにっ。ゆーじくん頭いいっ!」
というわけで、おむつを穿いて学校に行くことが決定した。
学校に到着したのは二時間目が終わるころだった。僕とヒヨ理ちゃんは後ろの扉からそろ〜っと入室して席に着いた。
ふぅと一息ついてヒヨ理ちゃんを見ると、ヒヨ理ちゃんも僕を見ていた。これまでもお互いに意識しあっていたはずなのに、こんなふうにちゃんと目が合ったことはたぶんなかった。本当に関係が変わったんだなあと実感する。
にこっと八重歯を覗かせて微笑むヒヨ理ちゃんを見て、こうして笑っていれば、ヒヨ理ちゃんの教室での立ち位置も変わってくるんじゃないかなあ、なんて思った。
まあ、ヒヨ理ちゃんの魅力は僕さえ理解していればそれでいいような気もするけど……。
休み時間になってすぐ、ヒヨ理ちゃんは僕の席までやってきた。そして迷うことなく、僕の膝の上にちょこんと座る。
僕は手櫛で髪の毛を
次の休み時間にも、ヒヨ理ちゃんは同じようにやってきて、また僕の膝に座った。特になにをしたわけでもないけど、重みと温もりを感じながらまったりと過ごした。
そして訪れた昼休み。
「ゆーじくんっ、いっしょに食べよっ」
ヒヨ理ちゃんは椅子も持たずにやってきて、当然のように僕の膝に腰を下ろす。僕は今朝コンビニに寄って(ヒヨ理ちゃんのお金で)買った菓子パンを机の上に広げる。
「もちろんそのつもりだけど、椅子は持ってきたほうがいいよ」
「へいきっ」
「でも、ヒヨ理ちゃんの上にパンの欠片ぼろぼろこぼしちゃいそうなんだけど?」
「……へ、へいきっ!」
「ならいいけど」
僕はメロンパンの封を開けてかぶりついた。
「いただきますっ」
きちんと両手を合わせてから、チョココロネを手に取るヒヨ理ちゃん。
「おいしいねっ、ゆーじくんっ」
「そうだね」
ヒヨ理ちゃんはなんでもおいしそうに食べるなあ。
「ヒヨ理ちゃんって、いつもはお弁当だったよね。あれって自分で作ってたの?」
「うんっ。明日はちゃんと早起きして、ゆーじくんのぶんも作るねっ」
「それじゃ、お願いしようかな」
「まかせてっ」
「あ、そうだ。お弁当で思い出したんだけど」
「……?」
「ヒヨ理ちゃんがお弁当食べるときに使ってたお箸って、あれさ――」
「っっっ!? けほっ、けほっ!」
むせてる。すっごいむせてる。
「あっゆーじくん、口元にごはん粒ついてるっ。取ってあげるっ!」
なんか誤魔化してる。別に、今さら恥ずかしがるようなことじゃないと思うんだけどな。
ヒヨ理ちゃんは上体をひねると僕の口元に顔を寄せ、唇の端をぺろりと舐めあげた。
「はいっ、取れたっ」
「ありがと」
もし本当にごはん粒がついてたら、カピカピに乾いてるだろうなあ。たぶん昨日の晩ごはんだ。
そんな意味のない思考をめぐらせつつ、メロンパンの最後の欠片を口の中へと放りこむ。それから、ベタつく指先を無意識に舐めようとして――その手を、がしっと掴まれる。
「ヒヨ理ちゃん?」
「わ、わたしが舐めるっ」
「え? 指?」
「う、うん。……だめ?」
「いいよ」
「……!」
今日はお箸がないから、その代わりみたいなものかな。
「いただきますっ」
「めしあがれ」
「れろぉ♡」
ヒヨ理ちゃんは伸ばした舌を、躊躇なく僕の人さし指の腹に這わせる。ぺろぺろ♡ぺろぺろ♡と、舌先で舐めあげる。
「おいしい?」
「ちょっと甘い? ……あれ? しょっぱい?」
「そうなんだ」
なんか可愛い。癒やされる。
そしてやはり、舐めるだけでは満足できないのか、ぱくりと指の根元まで咥えこんだ。とたん、生温かい吐息が指全体に絡みつく。唇に包まれる感触が気持ちいい。ねっとりとまとわりついてくる舌が、口内の温度が、力強い締め付けがなぜか心地よく感じてしまう。
「ちゅうぅ、ちゅるるっ。ちゅぱっ」
そうして残りの昼休みは、ヒヨ理ちゃんの温もりに身を委ね続けた。予鈴が鳴って、慌てて食べかけのチョココロネを頬張るヒヨ理ちゃんの姿は、言うまでもなく可愛かった。
……そういえば。
今日は三ツ橋さん、来なかったな。
五時間目の授業中、僕は授業を聞き流してヒヨ理ちゃんを眺めていた。ヒヨ理ちゃんは僕と違って、真面目に先生の話に耳を傾けている。
僕には授業よりも気になることがあった。それはヒヨ理ちゃんの様子だ。
注視していなければ気づかない程度ではあるけど、様子がおかしかった。どこかそわそわしていて落ち着きがない。机の下で頻繁に足を交差させたり、何度も腰を浮かせて、椅子に座り直したりしている。
そんな状態のまま、ヒヨ理ちゃんは最後まで授業を受け続けた。
チャイムが鳴って先生が教室から出ていったと同時に、ヒヨ理ちゃんはまた僕のもとまで駆け寄ってきた。
「ゆーじくんっ♡」
そのまま飛びかかるような勢いで、座っている僕に正面から抱きついてくる。
その直前、一瞬だけもじもじと膝をこすりあわせていたのを、僕は見逃さなかった。
「ねぇゆーじくんっ、キスしよっ」
「その前に。今のうちにトイレに行ってきたら? おしっこ我慢してるでしょ?」
「ふぇぇぇ!? なんで知ってるのっ」
白くなめらかなほっぺたに、一瞬にして朱がさした。
「バレバレだよ。行っておいで?」
「で、でもっ。そしたら、ゆーじくんと一緒にいる時間がなくなっちゃうっ」
「大丈夫だって、僕は逃げないから」
「……行かないっ」
ヒヨ理ちゃんは椅子の背に腕を回して、さらにぎゅっと密着してきた。
「そうは言うけど、もう限界なんじゃないの?」
「へいきだもんっ」
「そうは見えないけどなあ」
「……お、おむつしてるもんっ」
小声でそんなことを言う。それは平気とは言わないと思うけど。
「それならもういっそのこと、今ここでしちゃったほうがいいよ。我慢は身体に毒だしね」
「……ここで?」
「うん」
「ゆーじくんに、ぎゅって抱きついたまま?」
「そう」
「……ふぇっ、それ恥ずかしいっ」
「ほら、早くしないと授業始まっちゃうよ」
言って僕は、ヒヨ理ちゃんの腰に腕を回して、強く抱いた。
「ぁぁぁあっ! ゆーじくんだめっ、そんなに強くしたら、でちゃうっ……!」
「でちゃっていいんだってば」
ぎゅっ、ぎゅぅぅ。
ヒヨ理ちゃんの下腹部を圧迫するように、きつく抱きしめる。
「あっあああ、でちゃうっ、ほんとにでちゃうからっ……! ゆーじくんっ!!」
「落ち着いて、ヒヨ理ちゃん。ちゃんとおむつ穿いてるんだから、我慢する必要なんてないんだよ」
「ほっ、ほんと? いいのっ? 我慢しなくていいのっ?」
「いいよ」
「う、うんわかったっ、じゃあするねっ、もうしちゃうねっ」
そうして――ヒヨ理ちゃんは。
「はっ、はぁぁっ……はあぁぁぁぁっ……!」
僕の耳元で、熱い吐息を漏らした。
「で、でてるっ。ゆーじくんっ。今、でちゃってますっ……」
教室の喧騒にまぎれて、水音は聞こえない。だけどヒヨ理ちゃんと密着している下腹部のあたりは、心なしか温かくなっているように感じた。
「はぁぁっ、はぁぁ、はぁぁぁ……っ」
「ぜんぶ出た?」
「うんっ……しちゃったぁ……」
よかった。これにて一件落着だ。
ヒヨ理ちゃんは余韻に浸るみたいに、チャイムが鳴るまで僕を抱きしめて放さなかった。
帰りのホームルームが終わって、速攻で僕の席までやってきたのは、もちろんヒヨ理ちゃん……ではなかった。
「日向井くん……今、ちょっといいかな?」
三ツ橋さんだった。お昼の時間以外で話しかけてくるのはかなり珍しい。今日は一緒に食べられなかったから、その話かもしれない。
「うん。どうしたの?」
「えっとね、あの……あのね、私、お弁当の材料をね、買いすぎちゃったんだ」
「……? ふぅん?」
なんだか要領を得ない話だ。
「それで?」
「そ、それでね……明日、日向井くんのぶんのお弁当も作ってきていいかなっ?」
「え?」
「だっだから! 食材が余っちゃって大変なの! それで日向井くんにも食べるの協力してもらえないかなって!」
「……」
なんだろう。三ツ橋さんらしくないと思った。普段のゆるふわな空気感はどこかに消え去り、一種異様な切実さだけが伝わってくる。
材料が余った云々は、おそらく口実だ。そんな口実でもなければ、僕とヒヨ理ちゃんのあいだに割って入ることはできないから。
やっぱり、三ツ橋さんは僕に気があるのだろう。だったら、ハッキリと伝えなければならない。僕の隣にはヒヨ理ちゃんがいるのだということを。
「どう、かな……? お願いできるかなっ?」
それにどのみち、明日はヒヨ理ちゃんがお弁当を作ってくれることになっている。多少心苦しくはあるけど、仕方ない。僕は言った。
「せっかくだけど――」
ごめん。そう言おうとした瞬間、くいくい、と袖を引かれた。
「ゆーじくんゆーじくんっ」
いつのまにか鞄を持ってそばに来ていたヒヨ理ちゃんが、こっちこっちと手招きをしている。
「?」
僕は腰をかがめて、ヒヨ理ちゃんに耳を寄せた。ヒヨ理ちゃんは両手で作ったトンネルで口を覆い、そのまま僕の耳元に押し当てた。
「いいよ、って言ってあげて? わたしのお弁当ならいつでも作ってあげられるからっ」
「……」
きっとヒヨ理ちゃんにも、三ツ橋さんの必死さが伝わったのだろう。ヒヨ理ちゃんは、やっぱり優しい。
そのヒヨ理ちゃんが、僕のことを優しいと言ってくれたんだ。
「……日向井くん?」
「あぁ、ごめん。なんでもないよ。……じゃあ、お願いしようかな」
「本当っ? いいの?」
「うん、ぜひお願いするよ」
「ありがとう! 腕によりをかけて作るから、楽しみにしててね!」
そんなわけで、明日は三ツ橋さんお手製のお弁当をご馳走になることになった。
う〜ん……なんか、いいのかなあ。
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