88 萌えは死しても、もの留む(前編)

 例えどんなに爽快で気持ちのいい青空が広がろうとも、それとは真逆の心、不機嫌を持つものはこの世の中には確実に存在する。事実今の萌神幼女はそうであった。現在の彼女は上機嫌の対局世界に存在していた。


「……」


 無言でドアを開ける。その顔に笑顔はない。閉めるときも一際大きく音を立てて行った。


 そのまま部屋の奥にある窓へ歩いていき、そこへ座り込んだ。どの行動もきびきびと動いてはあったが、それは不機嫌さゆえの苛立ち紛れであることは誰の目からでも明白であった。


「……」


 ふと、目を上げる。

 今彼女の眼に写るのは、上質な絵の具を用いても表現不可能なほどの蒼窮の空。しかしこの光のスペクトラム現象は網膜に投影されてはいても、心象として現像されてはいなかった。今の彼女にしてみると、人工的なネオンの灯りと大差無かった。

 そんな彼女の一文字に結ばれた唇が、開いた。


「はぁー……」


 本日何度目かになる、ため息を幼女はついた。

 長く重苦しい息の吐き出し。肺胞の隅々にまである酸素と二酸化炭素の混合物を全て放出したが、内心の憂鬱さは1グラムも除去されていなかった。


「……何かあったのか?」


 そんな普段の彼女とはまるで違う様子は、同居人の心中を灰色に染めたのだろう。気遣う様にして波野雄常が窺ってきた。彼に忠犬の如く寄り添うロボ娘は今ここにはいない。生存に必要不可欠な結晶、塩化ナトリウムを購入するべく使いとして出されたためだ。


「……時代の流れの無情さを嘆いていたのだ……」

「……そうか」


 優しさをかける行いは、必ずしも相手を救うことに直結しない。それを雄常は分かっていた。だからこれ以上の言及はしなかった。尤も今回のケースでは、幼女の発言を理解できなかったという要素が多分にあったのは確かだが。

 雄常が夕御飯の準備をするべく場を離れたと同時、幼女は過去に思いを馳せた。

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