第5話 陽炎【がげろう】

「あんたなんか、死んじゃえばいい」


そんな声に悩まされていた過去とは

既に決別できている。そう思っていた。

それなのに何故だろう。

ある悪夢をきっかけとして

再び声は聴こえはじめ、

恐怖の日々の再来に怯えながらも

なんとかいつも通り

一日をやり過ごした私は、

ポツポツと降りだした夜の雨のなかを

何か罪を背負うように、独り歩いていた。


『声が聴こえる』なんて、

誰にも言えなかった。


ヤバイ人認定されるのは目に見えていたし、

何より、心配かけたくない。


本当はつらくて、心細くて、

誰かと共有したいのに

心配されたいのに・・。


心配かけたくない。

嫌われたくない。

面倒なヤツだって思われたくない。


いつもキラキラとしていて

希望に満ちていて、

愛されたい。好かれたい。


でも、そう思うたびに


「バカじゃないの。死ねばいいのに」


そう頭に響いて、

どうせ死なないくせに、死ねないくせに

「死にたい」っていう明朝体の活字で

私の脳ミソは埋め尽くされるんだ。


どうせ死なないくせに、死ねないくせに。


「死にたい」と感じる、私の、なんというか

根本にある『あざとさ』のようなものに

我ながら他人事のように吐き気がする。


かまってほしい。関心をもってほしい。

愛されたい。好かれたい。


「バカじゃないの。死ねばいいのに」


死にたい・・。死にたくない・・。


そんなことはよくわからないけれど、

できることなら、もう、

あの頃には、戻りたくないな。


左の手首の内側に残る、白い古傷を眺める。

その傷は薄く透ける青白い血管を

避けるように、つけられていて、

なんというか、その、

心に淀む弱さが腐ったみたいな醜さを

なかったことにしたいと思いながらも

あの頃に見た、真っ赤な、それは

私が生きていることを証明してくれるような

あの、血液の鮮やかさと衝動を

懐かしく、リアルに

思い起こさせるものだから、

私は欲望のままに赤く染めた過去を

再び今へと移して貼りつけたくなるような、

全身の細胞がゾワゾワと渇望するのを

必死に押さえつけるのである。


戻りたくない。あの頃には、もう・・。


ボイジャータロットが

教えてくれたヒント

『 ⅩⅧ / Moon( 月 )』


月が満ちては欠けていくのを

繰り返しているように

あなたもそのサイクルから

抜け出すことができずにいるのね。


月が出ている『夜』は潜在意識の象徴。

あなたの潜在意識に沈む『想い』は何?

「あんたなんか、死んじゃえばいい」

聴こえてくる声は、夜のメッセージ。

不安定な感情に振り回されて、

妄想にとらわれてしまう気持ちもわかるわ。

ただね、そのままでは

そこから抜け出せないのよ。

潜在意識の声に

もっと深く耳を傾けてみて。


「あんたなんか、死んじゃえばいい」

『なぜ?』

「あんたなんか、どうせ愛されない」

『なぜ、そう思うの?』


「誰も愛してはくれなかった。

両親も友達も恋人も・・」


『そうなの?』

「・・」

『愛してくれなかったの?』

「・・ううん。愛してくれてた・・」

『愛してくれてたの?』


「うん・・でも、でもね、

感じられなかった・・愛されてるって、

感じることができなかったの・・だから、」


『だから?』

「私が悪い。みんな、私のことを精一杯

愛してくれているのに・・私は

感じることができない・・感じることが

できないから、ちゃんと感じたくて、

もっと、もっと、って求めて、結局、

迷惑をかける・・」


『迷惑?』

「自分が感じられないのがいけないのに、

もっと、って求めて、負担をかけて・・」


『感じられないのは、いけないことなの?』

「迷惑かける。求めちゃうから・・」

『求めるのは迷惑なの?』

「迷惑。面倒。みんな自分のことが

一番大事だから、面倒は嫌い」


『それならあなたも自分のことを

一番に大事にしたらいいのに』


「できない。価値ない。私には価値がない」

『価値?』

「愛される価値。生きる価値・・」


存在することへの罪。

生きていることへの償い。


そんな言葉を残して

潜在意識との通信は途絶えた・・。


私はその時、うずくまり震える私の、

私自身の小さな背中を見たんだ。

見つからないように

誰にも見つからないように、

静かに震える、私の背中を・・。


「愛してる」と言われたくて

「愛してるよ」ってみんなに言ってる。

「大丈夫?」って言ってほしくて

「大丈夫?」ってみんなに言い続けてる。


求めるものを与え続け、

不意に心を貰うこともあるけれど、

結局のところ、私は、私自身の心が

それを感じることができないから

乾いていく。どんどんと乾いていく。


『与えられていない』のではなく

『受け取れていない』んだ。


『愛されていない』のではなく

『感じられていない』の。


『価値がない』のではなく

『価値があるのだと思うことができない』


いつの間にか屈折して、

勝手に心が受け取っていた。

同じようで、違うこと。

似ているようでいて、

決して同じものとしてはいけないこと。


「練習をしなきゃね」


声が聴こえた。

また、声が聴こえた、けど、

あの頃とは違って、とても柔らかで

あたたかい声だった。


『練習?』

「そう。受けとる練習。感じる練習」

『練習すれば、私も

感じられるようになる?』

「なるよ。大丈夫。だって、あなたは

ちゃんと愛されているんだから」

『そうなの?』

「そうよ。みんなあなたを愛してる」

『本当に?』

「ええ、心配しているわ」

『心配?』

「そう。今のあなた、

ヒドイ顔をしているから」

『嘘っ?!』

「本当。親切な人なら、

初めてあなたと会った人でも心配になるわ」

『そんなに?!』

「そんなに」

『マジかっ・・』

「ええ。さぁ、今日はもう、

ゆっくりとおやすみなさい。まずはこの、

あなた自身の、あなたへの愛を感じながら」


春近し。まだ涼しい夜に

冬掛けの布団に潜り込む。


人の想いは光だから。

不規則に熱せられた環境に混乱を来たし

不規則に屈折して

受け手の心に達するのかもしれない。


まるで『陽炎』のように。


だから、上手にキャッチしないと

感じることが難しいんだ。


練習、してみようかな。


陽炎のなかに、それでいても揺るがない

確かな想いをみつける。


「大丈夫。あなたは愛されてる」


さっきまでとは打って変わって

あたたかく抱きしめられるような

『夜』からのメッセージだった。


Chiika🌺

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VSS ~ ボイジャー・ショートストーリー ~ 糀ちいか @chiika

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